エゼン・レ・ボルはかく煽りき
「俺が当代『獣の王』、八世エゼン・レ・ボルだ。皇帝の倅がわざわざ俺の前に使者として出向くとは殊勝な心掛けよな」
「ムハ・サザム帝国第三皇子、ダイン・ディ・ムハ・サザムです。皇帝ダイク・ジェイ・ムハ・サザムより全権を委任されて参りました」
「ふん」
獣の王の屋敷は、城のような体裁ではなかった。唯一太母の大樹の傍に建てる事を許された大きな屋敷であり、扉を開ければすぐに玉座が見える位置にある。
都が外敵からの侵入を許した事がないからか、はたまた獣の王こそが獣の絶地で最強の戦力であるからか。何にしても一切の防御防衛を考えていない玉座の間というのは、ある種の傲慢を感じさせる。
ショウは周囲を視線を動かすだけで見回して、小さく溜息をついた。
ある者は不本意を載せた視線で見つめながら。
ある者は歴史の変わり目に立ち会った事に感動を覚えながら。
ある者は虎視眈々と何かを狙いながら。
そしてショウと汀は、何とも言葉にしがたい感情を噛み殺しながら、二人の会話を眺めていたのである。
「帝国の次期皇帝ともあろう者が、わざわざ敵地であるこの地に乗り込むか。何とも剛毅な男だ。あるいはただの変わり者か」
「ご存知でしたか」
「我等の耳目を舐めてもらっては困る」
おぉ、とざわめきが広がる。
ダインの勇気への称賛半分、彼が次期皇帝である事を既に知っている主君への心酔半分と言った所か。
本人達にしてみれば、既に伝達済の事を確認し合っているだけなのだが。
よく言う、と二人の腹芸に内心だけで突っ込みつつ、周囲の様子に気を配る。
「して、用件は何かな。我が国に降伏でもしに来たか」
「まさか。そのような事を為すくらいならば今頃陛下の胸に刃を突き立てておりましょう」
「貴様!」
ダインの声にいきり立ったのはエゼン・レ・ボルの側近たちである。
飛びかからんとした彼らを片手の動きだけで制し、挑発を返された本人は心底楽しそうに笑う。
「良い。先に煽り立てたは俺よ。…ならば用件は何であるか」
「対等な和平を。我等はこちらにおわす鬼神様がたの御力を借りて邪神の右腕を討滅せしめました。事ここに至り、世に蔓延る邪神崇拝の徒を討ち滅ぼすべしとムハ・サザムは考えております」
「ほう?成程、あの邪悪の輩はおおかかさまの祝福をも穢そうと目論む不倶戴天の仇だ。ともすれば帝国よりも根は深くあるだろう」
「それもこれも邪神の右腕という象徴あってのこと。邪神の右腕なき今、奴らは邪神の本体が復活するのを援けんと、今より更に行動を活発化させると思われます」
「おおかかさまの祝福を持たぬ帝国では、我々よりもその危機感は強い…か」
深く考える様子のエゼン・レ・ボルに、畏れながらと側近の一人が跪いた。
「陛下。今こそ好機でありましょう。帝国が内部に憂慮を抱えている今こそ、奴らを討ち滅ぼすのです!」
「応!その通りだ!」
「我等の同胞がどのような目に遭ったかをお忘れではありますまい!」
「まずはその若造を血祭りに上げろ!」
その言に応じる声は多く、力強い。
長く戦争状態を続けていた彼らにとって、帝国に対しての敵愾心は生まれつき刷り込まれているようなものなのだろう。
それにしても、こちらの亜人は血の気が多いようだ。ダインに向けられる殺気の多い事。
「静まれ、馬鹿ども」
だがそれも、エゼン・レ・ボルの言葉にぴたりと収まる。
「敵国とは言え、その皇族が筋を正してわざわざここまで危険を冒してやって来たのだ。それをこの場で処断しろだと?お前達は俺に恥知らずになれと吐かすか」
「そ、そのような事は!」
「ならば黙れ。お前達の憎悪は獣の絶地の憎悪ではない」
言葉を無くした側近たちを睥睨してから、視線をダインに向ける。
「俺はこの和平、受けても良いと考えている」
「何ですと!」
「…俺は黙れと言ったぞ」
話が進まん、と言葉を上げた亜人を睨みつけてから、エゼン・レ・ボルは話を続ける。
「ダイン・ディ・ムハ・サザム。帝国の皇帝の血筋には俺達の傍流の血が入っている、言わば親戚よ。そもそも帝国との間にあるのは領土を巡っての諍いではない。南は帝国、絶地は俺達。棲み分けをしっかりと済ませ、戦以外の交流をするならばそれも良いだろうよ」
「はい」
「細かい条件は後で決めるとしよう。まずは…ルケ」
「…?」
「何だ?お前、この一行にルケと呼べ、と言ったのだろう?」
「は、はい。申し上げました。陛下」
「ダイン・ディ・ムハ・サザムよ。この娘は俺の末娘だ。少し前までは次の獣の王はこいつになるだろうと思わせる程の才能なんだがな」
「はぁ」
「お蔭さんで、そのすぐ下の弟がそれ以上の逸材でな。獣の王はそちらになるだろう。なので―」
と、エゼン・レ・ボルが口許をにいっと歪めた。
まるで何か悪戯を思いついたような笑顔で、
「友好の証に、こいつをお前に娶らせる」
次なる爆弾を投下した。
「なーッ!?」
顔を真っ赤にして何かを言い出そうとしたのはルケである。
「わ、わた、わた、せ、せし、に」
「何言ってんだお前。イセリウスには今まで何度うちの血族が嫁入りしていると思ってるんだ。今更お前を嫁に出しても意味ねえだろ」
確かに。
頭から湯気でも出すのではないかと思わせる程のルケには悪いが、今回のダイン訪問の目的を知るショウにしてみれば、ルケがセシウスの第二夫人になるという話自体がおかしいと思っていたのだ。
問題はこれがルケの早とちりなのか、エゼン・レ・ボルの悪戯なのかという事だが―
「早とちりしやがって。俺が言ったのは『今度来る連中の中にお前の婿が来るぞ』ってだけだろが」
なんともまあ。
と、ふとダインの方を見ると、彼も顔を青くしていた。
特にルケに隔意があったようには見えないが。
「あ、あの…陛下」
「何かな?ダイン殿」
「わ、私には既に許嫁がおりまして」
「存じているよ。テト・ナ・イルチの娘だろう?」
笑みを深くするエゼン・レ・ボル。成程、弄り先はこちらだったか。
テト・ナ・イルチの娘であるミラ・レ・イルチの事だろう。本人は既に后と言っていたが、ダインの言葉を信じるならばまだ婚儀までは済ませていないようだ。
「うちの娘とテト・ナ・イルチの娘を両方娶れるなど、帝国の次期皇帝は素晴らしい巡り合わせである事よな」
「え、ええ…」
珍しく蒼白になるダイン。
あの勝気そうなミラ・レ・イルチの事だ。ルケを上には置かないだろう。
逆に、獣の王の娘であるルケを下に置く事は絶対に出来まい。
その辺りの悪乗りをしそうな人物に、二人ほど心当たりがあった。
「まあ、そういう事だ。さて…」
と、今度はエゼン・レ・ボルがこちらに視線を向けてきた。
「ショウ=シグレ殿。我が甥セシウスとダイン殿をここまで護衛いただき、誠に感謝している」
「いや、構いませんよ。…甥?」
「ふむ、知らぬか。セシウスの母は我が妻の妹よ。ハウンツやフォンとは即位前からの付き合いでな」
「そうでしたか」
「かつてフォンの助命をあれの父に願い出たのも俺だ。ハウンツとフォンのどちらの死にも俺が関わってしまった事になるな」
フォンとはフォンクォードの事だろう。
成程、武に長けた好人物であったというのは間違いなかったらしい。
どのような人物も腐ってしまえばどこまででも堕落するということか。
「伯父上。そのような事を仰いますな」
「良い、セシウス。お前の即位についても了承しよう。良い面構えになった事よ」
ふ、とエゼン・レ・ボルの笑顔の質が慈愛に満ちたものとなる。
悲しげにも見えるのは、やはりハウンツとフォンクォードの死が原因だろう。
在りし日を思い返しているようだ。
「ジェックは少々頭が固い。少しばかり頭痛がするくらいの施政で丁度良いと心得ておけ」
「ええ。今回もだいぶ渋い顔をされました」
「だろうな。さて、ショウ=シグレ殿」
「何か」
「貴公は御先祖様の弟子であると聞いている。もうすぐこの都で、おおかかさまに捧げる祭事が執り行われる予定なのだが」
「ほう」
「そこで執り行われる奉納武闘に参加してはいただけないだろうか」
「奉納武闘?」
「うむ。おおかかさまの御座の前で行われる武闘だ。かつては人であられた御先祖…火群様も参加されたものである」
その言葉に、興味を惹かれる。
火群がまだ神性になる前に参加したという話を持って来たという事は、こちらが決して断らないようにと思ってなのだろう。
「是非、御参加させていただきたい」
「それは重畳」
「して、お相手は」
「この国最強の者だ。何か問題が?」
「いや…。ますます申し分ない。よろしくお願い申し上げる」
思わぬ好機だ。ショウは頭を下げて請う。
さもなくば、緩む口許を誰かに見られてしまっていただろうから。




