忍び寄る影
「よし、みんな! ちょっと聞いてくれ!」
健一が両手をパンパンと叩き、騒がしい教室を落ち着かせようとした。
「そろそろ意見をまとめたいんだけど、いいか?」
「おう! 石井、何かいいアイデアがあるのか?」
男子生徒の一人が身を乗り出す。
「まあ、ちょっと考えてみたんだけどな」
健一は黒板にズラリと並んだ候補を見渡した。
「まず、喫茶店を二つに分ける」
「二つに?」
「そう。片方を『メイド喫茶』、もう片方を『魔物喫茶』にするんだ!」
その瞬間、男子生徒のひとりがガタッと勢いよく立ち上がった。
「おおおっ! メイド喫茶来たぁぁぁ! やった、俺たちの夢が叶うぞ!」
「いや、お前個人の夢だろ!」
すかさず隣の男子から鋭いツッコミが飛ぶ。
「いいじゃないか! メイド喫茶は文化祭の華だぞ!」
「まあ、それは否定しないけどさ……」
「はいはい! メイド喫茶はまだ決定じゃないからねー!」
佳苗がくすくす笑いながら釘を刺した。
「まだ案の段階なんだから、みんなでちゃんと考えようね」
「はーい……」
男子生徒は名残惜しそうに席に着き直した。
健一は苦笑いを浮かべながら、黒板を指さして説明を続ける。
「で、もう片方の『魔物喫茶』なんだけど……こっちはダンジョンをテーマにするんだ」
「ダンジョンテーマ?」
「そう。授業で撮影した映像や魔物の資料を展示して、店員は魔物の着ぐるみを着るんだよ」
「着ぐるみ!?」
今度は女子生徒の一人が目を輝かせた。
「それ、すごく面白そう!」
「確かに! 魔物の着ぐるみが店員をやるのか?」
「そうそう。可愛い魔物の格好をした店員が注文を取ったり、料理を運んだりするんだ」
「待って、魔物が料理運んでくるって、冷静に考えたらちょっと怖くない?」
「なんでだよ! 可愛い魔物だってダンジョンにはいるだろ!」
「いや、現実のダンジョンの魔物って、普通に人間襲ってくるやつばっかりなんだけど……」
「そこは着ぐるみなんだから雰囲気だよ、雰囲気!」
教室にドッと温かい笑い声が広がった。佳苗も楽しそうに何度も頷いている。
「私はすごく良いと思うな。ダンジョンの映像や資料があれば、探索授業を受けていない人や外部の人にも興味を持ってもらえそうだし」
「だろ?」
健一は少し得意げに胸を張った。
「それに、メイド喫茶と魔物喫茶の二本立てなら、好みが違う人でもどっちか楽しめるだろ?」
「確かに! メイド喫茶に興味ない人でも、魔物喫茶なら行ってみたいって思うかも!」
「逆に、魔物が苦手な人は可愛いメイド喫茶に行けばいいわけか」
「そういうこと!」
完璧なロジックだとばかりに健一が頷いた、その時だった。
別の男子生徒が、ぽつりと手を挙げた。
「……でもさ、その『魔物の着ぐるみ』って、誰が作るんだ?」
「……あ」
健一の表情がピキッと固まった。
「そ、それは……」
「あと、着ぐるみを着て接客する人も必要だよね?」
「料理を作る人と、注文取る人も分けなきゃ」
「ダンジョンの映像流すなら、機材の準備や編集はどうするの?」
「資料展示のパネル作りも山ほどあるよね……」
次々と挙がる、あまりにもリアルで圧倒的な作業量の壁。
健一は黒板を見つめたまま、完全に言葉を失った。
(しまった……! 提案するのに夢中で、作業量のことまで頭が回ってなかった……っ!)
内申書の実績作りのためだけにノリノリで実行委員を引き受けたというのに、これでは自分で自分の首を絞めているようなものではないか。
(いや、落ち着け俺! まだ確定したわけじゃない、ここで慌てるな……!)
冷や汗をダラダラと流す健一の隣で、佳苗がそっと助け船を出した。
「でもさ、最初から全部の担当まで決めなくてもいいんじゃないかな? まずは『この二つでいくか』っていう方向性を決めて、それから必要な係や準備するものをみんなで考えれば良いと思うよ」
「な、なるほど……!」
天の助けとばかりに、健一はほっと安堵の息を吐いた。
「そ、そうだな! まずはメイド喫茶と魔物喫茶の組み合わせで進めていいか、みんなの意見を聞こう!」
「俺は絶対賛成!」
「私も!」
「魔物の着ぐるみ、絶対に作りたい!」
「メイド服も妥協しないで可愛いの一緒に選ぼうよ!」
「ちょっと男子! メイド喫茶ばっかり気合い入りすぎてない!?」
「当たり前だろ、命かかってんだよ!」
「魔物喫茶だって負けないぞ! 着ぐるみのデザイン、俺がやっていいか?」
「お前、絵描けたっけ?」
「……描けない」
「じゃあなんで手を挙げたんだよ!」
再び教室が爆笑に包まれる。
健一は苦笑しながら、チョークで黒板の中央にでかでかと書き込んだ。
『メイド喫茶 & 魔物喫茶』
「よし! じゃあ、この案で進めることに賛成の人!」
健一が声をかけると、教室中の手がサッと上がった。
「おお、結構いるな! 逆に反対の人は?」
教室を見渡しても、手を挙げる者は誰一人いなかった。
「いないみたいだね」
佳苗が嬉しそうに微笑む。
「よし、決まりだな!」
健一も笑顔で頷いたその時、教壇の脇で腕を組んで見ていた新田先生が口を開いた。
「ほう。『メイド喫茶』に『魔物喫茶』か。なかなか面白そうじゃないか」
「先生! 許可してくれるんですか!?」
「出し物の内容としては問題ないだろう。ただし、ダンジョンの映像や資料を使うなら、事前に学校側に確認しておけよ。あと、食品を扱う以上、衛生面には特に気をつけること」
「はいっ!」
「それから、実行委員のお前たち二人だけで全部抱え込もうとするなよ。クラス全員で協力して準備するんだからな」
「分かりました!」
健一は元気よく返事をした。
(よし……っ! これで実行委員としての最初のデカい仕事をやり遂げたぞ!)
胸の中で小さくガッツポーズを作る健一。
しかし、そのすぐ隣で、佳苗が満面の笑みを浮かべたままボソッと呟いた。
「ケン、これから忙しくなりそうだね」
「……そうだな」
黒板に躍る『メイド喫茶 & 魔物喫茶』の文字を見上げながら、健一は遠い目になった。
(……内申書のためとはいえ、とんでもない大事業を立ち上げてしまったかもしれない……)
だが、もう後戻りはできない。
こうして健一と佳苗を中心に、波乱とドタバタに満ちた文化祭の準備が本格的に始まるのだった。
文化祭の準備が本格的に始まってからというもの、健一たちは毎日多忙を極めていた。
『メイド喫茶』と『魔物喫茶』の二本立てという大企画の準備に加え、ダンジョン探索授業の映像手配、魔物の生態資料の整理、着ぐるみのデザイン画作成、さらには調理器具や衛生用品のリストアップなど、やるべきタスクは山積みだった。
実行委員を務める健一と佳苗は、連日のようにクラスメイトたちの要望を取りまとめ、準備を着々と進めていた。
そんなある日の帰り道。
この日は文化祭で使う備品の買い出しがあり、佳苗はそのまま女子グループと一緒に買い出し先へ向かったため、珍しく健一は一人で帰路につくことになった。
「ふぅ……今日もどっと疲れたな……」
健一はぐるぐると肩を回しながら、オレンジ色に染まる夕暮れの住宅街を歩いていた。
「文化祭の実行委員って、こんなに大変だったのか……。まあ、すべては内申書に輝かしい実績を刻むためだ。ここは踏ん張るしかない」
一人でボソボソと自分を鼓舞しながら歩いていると、健一はふと、ある重要な確認を怠っていたことを思い出した。
「そういえば、ここ最近忙しくてステータス画面をまったく確認してなかったな」
ふと足を止め、誰にも見られていないことを確認してから、そっとステータス画面を出現させた。
【レベル:10】
「……よし、やっぱり変わってないな」
健一はほっと胸を撫でおろし、画面を見つめながら思いだした。
「そうだ、久しぶりに『ステータス改ざん』を解除して、本来の表示を確認してみるか」
以前、何気なく口にしただけでスキルの解除ができたことを思い出した健一は虚空に向かって呟いた。
「ステータス改ざん、解除」
その瞬間、ポーンと軽やかな効果音とともにシステムメッセージが浮かび上がった。
『ステータス改ざんが解除されました』
「よしよし……って、あれ?」
健一は画面を見つめたまま、首を大きく傾げた。
「ん? え、えっ……!?」
思わず素の裏返った声が漏れた。
「……『1』になってる……!?」
健一は慌てて画面に顔を限界まで近づけた。
【レベル:10】
そして、そのすぐ横に表示されている数字が「+0」だったはずのそこには、明確に――。
【レベル:10(+1)】
「な、なんでだぁぁぁ!?」
健一は目を血走らせて何度も画面を擦り、確認した。
見間違いではない。一度バッと画面を閉じ、深呼吸してからもう一度開き直す。
「……『+1』……」
何も変わらない。確かに『0』から『1』になっている。
「いやいやいや! ちょっと待て待て待て!!」
健一は頭を抱えてその場で頭を抱え込んだ。
(なんで増えてるんだよ!? 俺のレベルは上限に達して、二度と上がらないはずだろ!!)
レベルが10で止まったあの日、健一は公務員への道が開けたと心の底から歓喜したのだ。
これで命がけのダンジョン探索とは完全におさらばできる。あとは机に向かって勉強し、安泰な未来を手に入れればいい。
そう確信していたはずなのに――。
「まさか……またレベルが上がるようになるのか……!?」
健一は恐る恐る、冷や汗を流しながらステータス画面を凝視した。
しかし、レベルの項目自体は『10』のままだ。変わったのは、横に添えられた不気味な数字だけ。
「……『+1』って、一体なんなんだよ……」
少し考えていると健一は、あることを思い出した。
「ポイント……なのか? 確か、前に『リミットブレイカー』を使おうとした時に『ポイントが無いので使用出来ません』って弾かれたよな……」
記憶を必死にたどる。
あの時確かに表示された「ポイント」という概念。ならば、今ここに表示されている「+1」こそが、そのポイントだというのか。
「いや、でも……いつの間に増えたんだ!?」
レベルが上がったわけでもない。
ここ最近、ダンジョンに入って魔物を倒した覚えも、特別な鍛錬をした記憶もない。ただ学校と家を往復し、文化祭の準備でダンボールを切ったり買い出しの手配をしていただけだ。
「……まさか、ステータス改ざんを解除したから増えた……とか?」
自分で口にしてみたものの、何の確証も得られない。
健一はしばらくの間、虚空に浮かぶ冷たい画面を凝視していたが、やがて「はぁぁぁあ……」と深く長い溜息を吐き出した。
「はぁ……! 考えても分からん!!」
これ以上一人で悩み抜いたところで、答えが出るはずもないのだ。
今は文化祭の準備でクラスをまとめなければならないし、公務員試験に向けた勉強だって進めなければならない。余計な不安に心を乱されている暇などないのだ。
「とりあえず! レベル自体は10のままだ! うん、何の問題もない!」
自分に必死で言い聞かせるように力強く頷く。
「よし、帰ろう!」
健一は現実逃避するようにバッとステータス画面を閉じ、家へ向かって再び歩き出した。
――しかし、レベルの横にぽつんと増えた『+1』という謎の数値。
それがやがて、自分の愛ウサギであるクゥを劇的に変え、平穏な日常を崩壊させる引き金になることを、この時の健一はまだ知る由もなかったのである。




