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お嬢様と怒気




シュヴァリエの到着した船は、静かにその体を護岸のそばに身を寄せた。


カモメが上空からその声を港に響かせる。私もシュヴァリエの街に足を一歩踏み出すと、大きく潮風を吸い込んだ。太陽が水平線に沈もうとしている。その光景はとても美しいが、どうにも気分は晴れない。


私はケイトと共に洋服や血清づくりの際に使う道具が入っているトランクを手に持つ。少し遠くではバーバラさんとエリザベッタさんの使用人たちが両手にトランクを持っている。優雅に歩くお二人は私たちと比べて身軽だ。



「あーいたいたお嬢様。いやぁやっと到着しましたなぁ」


「フィーリウス様」


「やはり地面に足をおろしているほうが私はいい。なんだかそわそわして仕方がありませんでしたよ」



フィーリウスさんもトランクを持って後ろから現れる。港を見回すその目は好奇心でいっぱいだ。その姿を見ていると少し気持ちも落ち着く。フィーリウスさんが医者だからなのか、それとも人柄なのかはわからないが、この人の笑顔にはどこかオルトゥー君と同じものがあるように思えた。


フィーリウスさんと並んでシュヴァリエの港を歩く。この街も活気があり、夕飯の食材を求めて人がひしめき合っていた。



「おお、あれは蟹か?大きいな・・・・おおっ!蛸か!茹でると美味しいんだよなぁ」


「フィーリウスさんは海産物がお好きなんですか?」


「はいはい、それはもう大好物です。魚には栄養も多いですからね、医者の不養生とならないように気をつけていますよ」


「(その割には甘いものばかりを召し上がっているようだが・・・・)」



体型は気にしていないのか、大きく膨らんだ腹部をフィーリウスさんが撫でる。それを見てケイトが吹き出しそうになっていたが、じとっとした目を向ければすぐに引っ込めた。


トランクを抱え直し、バーバラさんとエリザベッタさんを探す。ここからはお二人の別荘に向かうことになっている。


きょろきょろとあたりを見回すと、少し遠くにお二人の姿を見つけた。あまり顔は合わせたくないが、このままでは置いていかれてしまう。一つ息をついて気持ちを落ち着かせる。それから重たい足を前へと一歩踏み出したのだが、不意に肩を掴まれ動きを止める。



「お人形さん」


「・・・・ウィリアム様」



夕陽を後ろに携えながらウィリアム様が現れる。そのお姿は幻想的だ。港で買い物をしていた女性陣がうっとりと見惚れている。


しかし、そのウィリアム様の表情はあまりよろしくない。眉を顰めてこちらを見下ろす深緑の瞳は、どこか悲しげだった。



「船酔いをしたようだけど、平気かい」


「ああ・・・・ええ、いただいたお薬を飲んだら治りました」


「よかった」


「・・・・・・・」



安堵するように息をついたウィリアム様。本当に心配してくれていたのだろうことがその様子でわかる。本当は航海士さんから薬をいただいたけれど、それは飲んでいない。飲まずとも、あの船が大きな揺れを起こすなどないから問題ないのだが、あの場をしのぐためには必要なことだった。


少し嘘をついている状況に罪悪感を感じる。


後ろでケイトがちらちらとこちらを見ているのがわかるが、それを無視してウィリアム様に笑いかけた。その笑みに、何か後ろめたさが含まれていることに気づいたのか、徐にその長い腕を伸ばすと私の頬に手を添えた。



「・・・・・・」


「・・・・ウィリアム様?」


「せっかくの船旅だから、君に見せたいものがたくさんあったんだけどね」


「・・・・とても楽しい船旅でしたよ。船長様にもお話をうかーーーー」


「私が案内したかった」


「・・・・・・・」


「君に見せたいものが、たくさんあるんだ」


「・・・・・お二人のお相手でお忙しかったでしょう、仕方ありません」



そこまで言って、ハッと口を手で覆う。まるで嫌味な言い方だった。以前、病院で見せた迷える仔羊のような表情を知っているからこそ、ウィリアム様がお二人に対して戸惑っていることはわかっていたのに。


気を悪くしていないだろうか。そうウィリアム様を見上げる。しかし見上げるのではなかったと後悔する。ウィリアム様の柳のようにお美しい眉が下がる。顰められた眉間が、苦悩をを表す。


ああ、言うんじゃなかった。ウィリアム様を責めるような物言いに私は視線を下げる。隣でケイトがおろおろとしているのが雰囲気で伝わる。お詫びしたほうがいい、それはわかっているけれど、一度視線を下げてしまうと言葉が出なかった。


そんな私の様子に、お優しいウィリアム様が微笑む。心配そうなケイトに目配せをし、頷くと再びウィリアム様が私を見下ろした。そして俯いたままの頭にキスを落とす。



「お人形さん、そのままでいいから聞いてくれるかい」


「・・・・・・・」


「あの船はね、私の父が魔術師と共同で制作をしたものなんだ。船の板一つにおいても、どの材質がいいか、どの属性の魔術を施すか考えながら丁寧に造りあげた。君が見た操船室一つにしても、見えるもの以上の魔術が使われている」


「・・・・・・」


「気づいたかい?君の部屋に地図があったと思うんだけど、その地図に描かれた小さな船は、あの船の航路を示すようになっている。小さな船が動くんだ。・・・・それだけじゃない、きっと君が気に入るようなものがたくさんある」


「・・・・・・・・」


「気にならない?」


「・・・・・気になります」


「私はあの船の魔術を全て把握しているよ。どこが気になる?」


「・・・・揺れを抑える魔術や、舵に施されたもの・・・風を受けるだけにしては速いと感じましたので、動力にも何か魔術を施しているのでしょうか」


「ご明察通り、船底には水属性の魔術を施してある。スクリューと呼ばれるものを取り付け、そこに魔術を施した。ああ、あと魔獣と遭遇しないように雷属性の魔鉱石も船底には取り付けてあるよ」


「なっ・・・・そんなものが!?」



正直、途中からうずうずして仕方がなかった。しかしウィリアム様の最後の『雷属性の魔鉱石』の話題が出たところで、耐えきれずにウィリアム様を見上げる。


そこにあったのは、眉を下げうっとりと生暖かい深緑の瞳を向けるお美しいウィリアム様のお顔だった。


こつん、と額と額があたる。ウィリアム様の左側の頬が夕陽に当てられオレンジ色に輝く。あまりの美しさに視線を落とそうとするが、額をぐりぐりとされてしまってはかなわなかった。



「やっと顔を上げてくれたのに、また下を向くのかい」


「・・・・・・」


「君の顔ほど見飽きないものはないのに」


「・・・・ご冗談を」


「冗談で言えるほど、私は器用ではないよ」


「(それこそ冗談すぎる・・・・・)」



そう、思わず心の中で呟いていれば表情に出ていたのか、ウィリアム様が間近でクスと笑う。そして徐に長い腕を伸ばすと、私の手をそっと掴んだ。


私の手はウィリアム様に促されるまま、その方の頬へと添えられる。夕陽に照らされた部分は、ほのかに温かい。その温かさは夕陽によるものかと思ったが、ウィリアム様の目がそうではないと告げる。



「君を振り向かせるため必死だということにそろそろ気づいたほうがいい」


「・・・・・・・」


「君の魅力を知るのは、私だけでいいとも思う」


「ウィリアム様・・・・・」


「離れるわけない、私が君から離れようなんて一度も考えたことはない」




そこまで言われると、ぐにゅりと『あいつ』が現れる。


胸に巣食うあいつは、ズキズキと心臓に牙を立てて激痛を走らせるのだ。最近はバーバラさんやエリザベッタさんの威圧に別の意味で痛むものだったが、その比ではない。ただ、お二人の痛みよりも微かに甘いものが含まれている気がして、それが私の中には存在しない何かを必死に捉えようとする。


そっとウィリアム様が目を閉じる。若紫の瞳が長い睫毛の下でこちらを見下ろす。



「君も、私から逃れようなど考えるだけ無駄だからそんな思い捨てたほうがいい」


「・・・・ウィリアム様、待っ・・・・」


「早く私のものになればいいものを」


「ま、待っーーーーー」


「ウィリアム様!!」



あと少しで唇が触れる、本当に僅かな隙間しかなく、その僅かな隙間には夕陽の光が入るだけの小さなものだったと思う。しかしその唇が触れることはなく、遠くで悲痛な声を上げたエリザベッタさんにより阻止される。


ウィリアム様が顔を歪める。私の頬から手は離さないまま、エリザベッタさんへと視線を向けたウィリアム様と共にエリザベッタさんを見る。そのエリザベッタさんの肩には、目に見えるほどの魔力がゆらゆらと揺れていた。


その様子に私だけでなく、ウィリアム様とケイトまでが目を見張った。『怒気』そう呼ばれるものをエリザベッタさんは纏っていた。



「ウィリアム様、どうぞ馬車の用意ができましたのでこちらへ」


「・・・・・・」


「ウィリアム様!どうぞこちらへ!」


「・・・・ウィリアム様、どうかあちらの馬車に乗ってください」


「・・・・しかし・・・・」


「私たちの目的をお忘れですか」



そうウィリアム様を諭す。お門違いも甚だしい。本来ウィリアム様にかける言葉ではないということは私が一番わかっている。あれだけの怒気を放つ相手のそばに公爵家のご子息を放り出すなんて、あってはならない。それでも今この時をしのぐには、それしかない。


あれだけの魔力を放出すれば、エリザベッタさんの体に負担もかかる。


体内で暴発した魔力は、それだけで命の危機に陥る。正直今はエギーユちゃんのことで手一杯だ。これ以上病人を増やすわけにはいかない。


頼むから、乗ってくれ。その思いをウィリアム様に伝える。


ウィリアム様は私の表情に鬼気迫るものがあるとわかったのか、いくらか思案するようにどこかを見つめたあと、私の頭を一度撫でてから愛想の良い笑みを浮かべてエリザベッタさんへと歩み寄った。



「はぁ・・・・・」



どっと息をつく。エリザベッタさんは、その気弱な様子とは裏腹に魔力の量が多いらしい。およそ30メートルは離れていたと思うが、そこからでも魔力の揺れを感じた。


あの方は、底知れぬものをお持ちだ。


私は一段と重くなったトランクを再び手に持つと、しばらく黙ったままのケイトへと顔を向けた。



「ケイト、行きましょう」


「・・・・あの女、危険です。この旅から外したほうがいいです」



言葉を強めてケイトが言う。ケイトも子爵の使用人だ、教養だって十分にある。そのケイトが女性を『女』と言った。立場的にもケイトの方が弱い。決して誰にも聞かれてはいけない言い方に、私はケイトを嗜めようと手を伸ばす。その手をケイトが両手で包み込んだ。



「お嬢様はお優しすぎます。どうしてウィリアム様をあちらの馬車に乗せるのですか」


「・・・・・魔力の暴発は危険です。もしここでエリザベッタさんが倒れれば、当初の目的である『花の守人(チュテレール)』を探すという作業も中止となります」


「お嬢様はエリザベッタさんにウィリアム様を取られてもいいということですかっ」


「・・・・・・・」


「・・・・失礼いたしました」


「・・・・・いいえ」



重々しい空気が流れる。一人蚊帳の外だったフィーリウスさんも、その空気を感じ取ったのか、いつもの明るい表情をひた隠し、ただただ困ったように私とケイトを見つめた。


それからバーバラさんが私たちに申し訳程度の手狭な馬車を用意してくれた。恰幅の良いフィーリウスさんが向かいに座るが、一人で席を占領してしまうくらいの狭さだ。



「・・・・・・」


「・・・・・・・・」


「おお、港が一望できますぞ。随分と山を登るんですなぁ」


「・・・・・・」


「・・・・・・・・」


「・・・・・ははは・・・・これは困ったなぁ・・・・」



シュヴァリエの港から離れ、山を幾分か進んだ先にバーバラさんとエリザベッタさんのお父様が所有する別荘が見えてくる。二つの塔がシンボルのその別荘は、森から伸びる蔦によって幾分か雰囲気は暗い。まぁ、クロード卿の屋敷に比べればまだ可愛いものだが。


別荘へと入ると、エントランスでバーバラさんがウィリアム様の腕を掴む。赤い口紅を塗った美しい唇をウィリアム様の腕に寄せる。



「ウィリアム様は私とエリザベッタの隣の一等室を用意しましたわ。エリザベッタ、ウィリアム様をお部屋に案内して差し上げて」


「はい、お姉様。行きましょう?ウィリアム様」


「・・・・・・ああ」



うっとりと、ウィリアム様を見上げるエリザベッタさん。最後に私へ目配せをして、エリザベッタさんはウィリアム様を連れて消えていった。


入れ替わるようにバーバラさんが私たちへと近づく。腕を組み高圧的な態度を取るバーバラさんは、にんまりと微笑むとどこかを指差した。



「ジェニファーさんとケイトさんは同室でいいわよね?」


「ええ、構いません」


「ありがとう。使用人に案内させるわ。少し離れにあるけれど、必要なものは揃っているから使ってちょうだい。ああ、夜は部屋から出ない方がいいわよ、狼がうろついているから。狙われるかも」


「わかりました」


「夕飯は使用人に部屋まで運ばせるから、どうぞくつろいで。ああ、洗濯物はご自分で洗ってくださいな。私の使用人は()()()()()()()()()()()ので、ジェニファーさんのお洋服までは手が回らないわ」


「なっ・・・・・」


「ケイト・・・・・・」


「・・・・・・」


「ふふ・・・・明日には森に行くから、その時は頼んだわよ、魔術師さん」



そう言って、バーバラさんは足早に去っていった。


残された私とケイト、そしてフィーリウスさんがエントランスに佇む。内心だけなので正直に言おう、腹が立つ。しかしエリザベッタさんの状況を思えば、最悪ウィリアム様にも危害を加えかねない。私が黙っていれば、あの二人も下手なことはしないだろうが、腹は立つ。


グッと拳を握る。しかし今は堪えるしかない。


一つ深呼吸をして気分を変えると、そわそわとしているフィーリウスさんへと視線を向けた。




「私はどこに泊まればいいんだろうなぁ、部屋の案内をしてくれなかったが」


「フィーリウス様は私たちの隣を使いましょう。きっと離れであれば何も文句は言いません」


「ああ、それがいいそれがいい。狼がうろつく離れなんて、一人じゃ眠れないよ」




確かに、それは私だって眠れそうにない。


狼ならまだいいが、爪に毒を持つ魔獣だったら困る。『魔狼(ソルセルー)』と呼ばれる狼は、その図体が大きく毒も強いので早急な処置が必要となる。その毒はすでに解毒方法が解明されていて、比較的手に入りやすい『雪花草(せっかそう)』が効果的だ。



「(裏の森に生えていればいいけど・・・・)」



もし生えていなければ、最悪死ぬことだってある。本当に、できるだけ部屋から出ない方がいいだろう。


バーバラさんの使用人と共に外廊下を進み、離れへと向かう。内部の石階段を上り、与えられた客室のドアを開く。なんと、ベッドが一つしかなかった。フィーリウスさんが開いたドアの先も同じような間取りらしいが、こちらはケイトと一緒だ。



「こんなっ・・・・こんな対応をされたことはありません・・・・・!」


「・・・・数日我慢するだけなので」



顔を真っ赤にしてケイトが憤慨する。私は小さな丸テーブルの上にトランクを置くと、ケイトの肩に手を乗せる。今にも泣き出しそうなケイトを前に言葉に詰まる。


ーーーー確かに、ここまでされるとはな。


徹底的に排除をしたいらしい。これが『女』というものなのだろう。


ウィリアム様が少し心配だ。あのお二人の対応を全て任せてしまう形となった。私からお願いをしたとはいえ、負担をかけすぎな気もする。


一時、ウィリアム様の気が変わればいいと、バーバラさんとエリザベッタさんに愛想を振りまいたが、今はそうは思わない。エリザベッタさんの本性が危険だと把握したからだ。今すぐにでもウィリアム様を隔離したいところだが、そうなればエリザベッタさんが危害を加えることも想定できる。




「・・・・・落ち着け、今は穏便に・・・・・」



エギーユちゃんのためだ。全て済んだら、すぐに帰ろう。



表情の暗いケイトを椅子に座らせ、窓へと向かいそのカーテンを開く。夕陽はすでに沈み、あたりは暗い。遠くで狼の遠吠えが聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。


我が家が恋しくなる自分を律し、ケイトの横に座る。



「夕食が届くまで、明日の準備をしましょうね」


「・・・・・・はい」



その後、使用人によって夕飯が届く。とても質素なものだった。


フィーリウスさんと三人でそれをいただく。その食事の感想は、誰も言わなかった。




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