お嬢様の感情
翌朝、使用人によって朝食が運ばれてくる。パン二つと、野菜スープのみという質素な食事に、フィーリウスさんのお腹が食べても食べても虫を鳴らしていた。
「はぁ、こんなところでダイエットができるとは思わなかったよ」
「お嬢様、私の分も召し上がりますか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「ケイトさんがいらないなら私がいただきますけど」
「・・・・・・・」
「あ、そーですよねぇ」
ケイトは昨日から機嫌が悪い。一緒に同じベッドで寝た時も、ほとんど会話もなく就寝となった。今も食事が喉を通らないようで、すぐにスプーンを置くと私のヘアセットをするのかトランクから櫛やピンを取り出している。
私もトレーに食器を乗せると、鏡の部分に青錆のついたドレッサーの前に座った。
その様子を見ていたフィーリウスさんも、お嬢様のお着替えシーンを見るのはよくないと思ったのか一気にスープを掻き込むと、そそくさと部屋を出ていった。
「・・・・・今日はどんなヘアセットをしてくれるんですか?」
「森に出るということですから、邪魔にならないように上でまとめようかと」
「それではいつも通り、綺麗に着飾ってください」
「・・・・・・」
「ケイトのヘアセットは目を見張るものがあるとウィリアム様もおっしゃっていましたよ」
「・・・・・」
「・・・・・・・」
ああ、調子が狂う。ケイトの元気がないと私もどうしたらいいかわからない。そのような状況にしたのは私なので、私がどうにかしないといけないのだが何を話せばいいのか、何をすればいいのかわからない。こういう時、ウィリアム様やオルトゥー君ならうまく会話を盛り上げるのだろうけれど、私にはできそうにない。
はぁ、と後ろでケイトがため息をつく。それにびくりと肩を震わせるとケイトに伝わったのか、しゅんと眉を下げて私の両肩に手を置いた。
「はぁ・・・・やはりどうしても納得がいきません・・・お嬢様、どうしてあの女狐のいいようにさせるんですか?」
「(女狐・・・・すごい表現だな・・・・)」
「あの女は確実にお嬢様にとって害悪です。部屋も、ベッドも、このドレッサーだって!まるでお嬢様に使わせるものとは思えません!」
「・・・・ケイト、そのような言葉を使うものではないですよ。誰かに聞かれたらケイトが悪く言われます」
「構いません!どうせこんな離れ、誰も寄り付きません!」
「あ、はい・・・・」
「ウィリアム様もウィリアム様ですっ。お嬢様を一人こんな離れで寝かせるなんて。ウィリアム様からも一言言っていただきたいですわ!」
「それは違います」
ぴしゃりとケイトに伝える。すると私の両肩に置かれた手がスッと離れる。
まだヘアセットの途中だが、ケイトの顔を見るために振り返る。するとそこには居心地の悪そうな表情を浮かべるケイトがいた。今私は自分の顔が見えないのでどのような表情をしているかはわからないが、あまりいいものではないと思う。
「ウィリアム様には申し訳ないのですが、エリザベッタさんの歯止め役をしていただいています。昨日のエリザベッタさんの魔力の揺らぎを見たでしょう。あの方は見た目より魔力の量が多いようです。魔力が暴発でもしようものなら、彼女に影響が出るだけでなく、周りの人々にも被害が及ぶ可能性があります」
「・・・・・ですが・・・・・」
「魔力は本人の性格にも起因します。得意属性はわかりませんが、おそらくその属性はウィリアム様と相反する闇属性に近いところがあると思います」
「そんな・・・・・・・」
闇属性は、光属性の真逆の性質を持つ。光が水属性や風属性など、人を癒したり自然を育むものに対し、闇属性は雷や月など攻撃性があり、育むより破滅を好むものが多い。しかしその闇属性についてはまだ研究が進んでおらず、未解明な部分も多いとされている。
直接的に、エリザベッタさんが闇属性ということではないと思うが、あの人の得意属性はおそらくそれに近いものだと思う。
そのことを伝えれば、ケイトにもエリザベッタさんの危険性が伝わったのか言葉を失っていた。
「公爵家のご子息にそのような役回りをさせているのは私です。私では、・・・私の魔力込みで考えてもエリザベッタさんには敵わない。あの方の感情を乱すのは私です。私がウィリアム様に近づかなければ、あの方も魔力を揺らすことはない。それがわかっているから、ウィリアム様は何も言わないのです」
「ですが・・・それでは・・・・・」
「『花の守人』の魔力さえ手に入れることができれば、すぐにこんな旅も終わります。大丈夫、少しの辛抱です」
「・・・・・・・・」
「さぁ、準備を進めましょう。あとで洗濯もしないと。久しぶりに洗濯なんてしますから、ケイトに教わりながらやらないと」
「・・・・お嬢様」
「・・・・・はい?」
「私はお嬢様の味方です。私は一生お嬢様のお傍におります。たとえ何があろうとも、死んでもケイトはお嬢様から離れません。亡骸になっても、魂だけになってもお嬢様の味方です」
「・・・・物騒なことを言わないでください」
「言わせてください!ケイトはお嬢様の使用人でずっといたいんです!」
そう言いながらボロボロと泣き出すケイトに私は戸惑う。どうしてケイトはこうもすぐに泣き出すのだろうか。私はヘアセットも途中のまま立ち上がると、ケイトへと歩み寄る。するとなぜか手を広げた。これは何だろうか、その胸に飛び込めということだろうか。
よくわからないまま私も手を広げる。すると、ドンっと勢いよく抱きついてきた。か細い体がぎゅうぎゅうと私を抱きしめる。あれ、どうしてこうなったのだろう。
「お嬢様っ、ケイトはお嬢様が大好きです!どんな困難にも毅然と立ち向かい、ウィリアム様という運命の旦那様の身を案じ我が身を削るそのお姿は聖魔女の生写しでしょう!ケイトはお嬢様を誇りに思いますぅ!うぅ・・・・・・」
「・・・・それは、ありがとうございます」
「きっとこれは神が与えた試練なのです!ウィリアム様とお嬢様の幸せをより甘いものにするため、神が与えた厳しい試練なのです!そうとなれば、このケイト、命をかけてお嬢様のサポートをいたします!」
「(ああ・・・・話が変な方向に曲がったな・・・・・)」
「あんな女狐のいいようにしてたまりますか!数ではなく質だというところを見せてやります!」
「・・・・気にしていたんですね・・・・・」
「あんな目に見えて馬鹿にする彼奴等に負けてたまるかって言うんです!」
「・・・・・期待しています」
とりあえず、元気になったらしいケイトが再びヘアセットを始める。森に行くから上でまとめるとか何とか言っていたが、ちゃっかり三つ編みをして綺麗に飾っていたので力が湧いてきたのだろう。
トランクの中から新しい今年の流行色の深緑のワンピースを取り出すと、それを私の頭からバサっとかける。
「どうせウィリアム様に近づけないというのなら、あのお美しい深緑の瞳と同じ色のワンピースを纏いましょう!ここぞとばかりにアピールしなくては!」
「いや、ケイト・・・だからエリザベッタさんを挑発しないようにと伝えたはずなのですが」
「あんな女狐そこまで気にしていませんよ!べったべたウィリアム様に触って周りなんか見えていません!」
「左様でございますか・・・・」
「きーっ!腹立たしい!お嬢様のウィリアム様にゔぇったべた触るんですよ!?あとで奥様に報告してやるんだから!」
ワンピースに皺がないか確認をしたケイトは、鼻息荒いまま昨日着たワンピースを持ってどすどす足音を立てながら部屋を出る。そして隣の部屋にいるフィーリウスさんを呼び出すと、一緒に洗濯に行こうと叫んでいた。
フィーリウスさんは先ほどと打って変わって元気になったらしいケイトに驚いて歯磨き途中だったというのに服を掴んでその後ろをついて歩いている。
「たくましい女性だな・・・・・」
あれだけたくましければ、何だって乗り越えてしまうだろう。
私も昨日着た服を掴むと、先を歩いているケイトへと走って向かう。石階段を降り、外に出ると洗い場がある屋敷の裏手に早足というか、どすどす足音を立てながら進む。
その様子を、先に洗濯場を占領していたバーバラさんとエリザベッタさんの使用人たちが驚いた表情で見ていた。少し恥ずかしいと思った。
「さぁさっさと洗ってしまいましょう!お嬢様は石鹸で手が荒れてはいけませんので、大きな桶に水を張ったら足を入れて踏み洗ってくださいませ!」
「え、足で洗うんですか?」
「私たち使用人はそうやるんです!フィーリウス様もお嬢様を手伝ってくださいませ!」
「はいはい、わかりましたよ」
言われた通り、フィーリウスさんと一緒に洗濯場にあった大きな桶に井戸から汲んだ水を入れていく。それを二人で持ってケイトの横に並べると、先に石鹸を洋服に塗りたくっていたケイトがバサっと桶の中に放り込む。そして踏め!と目で合図をしてきた。
私とフィーリウスさんはお互いに顔を見合って、それからいそいそと靴を脱ぐ。早朝の井戸水ということもあり、足を入れるととても冷たかった。思わず身震いをすれば、隣でフィーリウスさんがくしゃみをしていた。
「フィーリウス様、せーので始めましょう」
「はいはい、それでは、せーの」
「のっ」
ばしゃばしゃ、と音を立てながら洋服を踏みつける。今まで洗濯という洗濯をしてこなかった私としては初体験の試みだ。足を交互に動かして、洋服を踏みつけていると石鹸がじんわりを水に馴染んでいって、すぐに泡立ってくる。
そうすると、どうしても楽しくなってくるというもので。
フィーリウスさんの肩に手を置いて、一心不乱に足を動かす。フィーリウスさんもいい運動になるのか、両手を交互に動かしてまるで走っているようだ。思わず笑えば、ケイトもケラケラと笑い出した。
ワンピースの裾が濡れないように片手で持ち上げながらやっていると、この作業の深さを感じる。手よりも足の方が力が強いとされているが、例えば私の握力が20キロだとすれば、その倍以上ともされている。馬の足で人間が蹴られようものなら失神では済まない。
その脚力で洋服を踏み込めば、手では洗い落せない汚れも落ちるのだ。なるほど、これは興味深い。
「おぉ・・・・・」
思わず研究欲が芽生えて桶の中で私に踏まれる洋服たちを見つめる。そうしていると、少し遠くからクスクスと笑い声が聞こえてきた。
その声に、私だけでなくケイトとフィーリウスさんも顔を向ける。すると、10名ほどの使用人たちが馬鹿にするように口に手を当てて笑っていた。
「女狐の手下どもめ・・・・・」
「ケイト、聞こえます」
「あらあら、女性は怖いなぁ」
「フィーリウス様、気にせず続けましょう」
そう伝え、再び足を動かす。しかしクスクス笑う声は止まらない。
そうしているとフィーリウスさんも気分を悪くしてしまったようで、ケイトと同じように目を吊り上げた。いやいや待て待て、今確かに使用人の誰かがフィーリウスさんの体型について悪態をついたような気がするが、あんなもの言わせておけばいいのだ。
「やあねぇ、お嬢様が足でお洗濯なんてはしたないわぁ。あれじゃあどこにもお嫁にいけないわよ」
「魔術がお好きなんですって、魔術なんて何が楽しいのかしらね」
「ねぇ?お嬢様には必要のないものじゃない。魔術を学ぶより、マナーレッスンを受けた方がいいんじゃないかしら」
「きっと何かご事情がおありなのよ、例えばお母様の頭のネジが相当外れているとか」
「やめなさいよ、聞こえるわ」
「どうせ聞こえないわよ、バーバラ様の嫌味だって全く聞こえていないんだから。あれだけ言ってもにこにこ笑っちゃって」
聞こえていますが?全て。
なんだって『女』というものはこうも醜いのだろうか。私もついに堪忍袋の緒が切れた。いいぞ、もっと言ってこい。今なら相手をしてやる。そんな気持ちで使用人たちを睨む。
すると気持ちというか念が通じたのか、使用人たちがぴたりと動きを止める。手に持っていた束子や石鹸をグッと掴んだのがここからでもわかった。
ケイトが近くにあった柄杓を手に持つ。フィーリウスさんが石鹸を掴む。私も井戸水を汲むための小さなバケツを抱え込んだ。
シュヴァリエの教会だろうか。何時かを知らせるその鐘が鳴った。
瞬間、あちらの使用人がスッと立ち上がる。そして、持っていた石鹸をこちらに投げてきた。ぶち切れたケイトが柄杓を振り回しながら先頭を切る。すると長柄のブラシを手にした使用人がまるで剣と剣を交えるようにケイトと対峙した。
「先ほどから聞いていればいけしゃあしゃあと!使用人の分際でお嬢様を侮辱した罪は深い!」
「何を!?ウィリアム様のご寵愛を受けておきながら平然と受け流すお嬢様のほうが罪深いわ!」
「だからといってお嬢様同士の戦いに使用人が口を挟むなど言語道断!自分の主人の性格が歪んでいるということにも気づかないとは笑止千万!類は友を呼ぶとはよく言ったものね!」
「あなたこそ魔術好きのお嬢様に感化されて右斜上の会話をしないでもらいたいわね!」
「女狐の手下が!」
「魔女の手下がぁっ!」
「魔女のほうが尊いわ!」
「狐のほうが美しいわよ!」
「・・・・・・・・」
どうしよう。乗り遅れた。
あちらの使用人も同じ状況なのか、ぽかんとしている。あまりにも我々の中心で白熱している二人にどのタイミングでサポートを入れればいいのかわからない。
隣のフィーリウスさんも手に石鹸を持ったまま固まっている。私と同じで戦意喪失しているのだろう。気持ちはよくわかります。ぶち切れた人を見ると、冷静になりますよね。
どうしようか、止めたほうがいいのだろうか。そう思いながらケイトを見る。すると、後ろで控えていた使用人が手に何かを掴んだのが見えた。石鹸だろうか。
「(違う、石だ・・・・・!)」
石を握り締めた使用人が、その石に風属性の魔力を込めたのがわかった。フィーリウスさんも気づいたのかバッと走り出す。あんなものがケイトに当たったら怪我どころじゃない。急いで向かわないと。
裾が捲れようが何だろうがどうでもいい。裸足のまま砂利の多い庭を走る。木の枝でもあったのか、足裏に僅かな痛みを感じたが、気にしている暇はない。
ケイトに手を伸ばす。使用人が石を投げる。石だけでなく、バケツの水まで魔術を使って飛ばしてきた。
「ケイト・・・・・!」
「お、お嬢様!?」
ケイトを抱きしめてそのまま横倒しになる。その瞬間、水がばしゃあと体にかかった。フィーリウスさんが近くで叫ぶ。すぐに私とケイトを抱き起こしてくれたが、ケイトに怪我はないだろうか。
慌ててケイトの顔を見る。すると苦痛に歪んでいた。ついで、ケイトの額からつつつ、と血が滲む。避けたと思ったけれど石が当たったようだ。
痛みからか、ケイトが涙を零す。その様子を見ていると、ぷつりと私の中で何かが切れた音が聞こえた。確かに、脳の中で聞こえた。
「・・・・・・」
「ひぃ・・・・・・・!」
私の魔力の揺らぎに気づいた使用人が顔を青ざめながら後ろへと下がっていく。石を投げた使用人にいたっては、青いというより血の気が引いたようで真っ白になっていた。
体内で魔力が沸き立つのを感じる。ふつふつと血液に含まれる魔力が沸騰するようだ。
ゆらゆらと前髪が揺れる。手先から魔力が勝手に放出される。私の魔力は量が少ないが、今全力で溢れていると感じる。危険だと理性が叫ぶ。しかし本能がそれを歯止めする。許さない。許さない!
「ジェニファー!!」
「・・・・っ・・・・・」
しかし、突然現れたウィリアム様に止められる。抱きしめられているのか、私の視界から憎い使用人たちの姿が消えた。それでも私はウィリアム様の腕から頭を出して使用人を睨む。それを嫌うようにウィリアム様が私の濡れた前髪を掻き上げる。
ウィリアム様がフィーリウスさんにケイトを運ぶように伝える。ケイトは頭を押さえて痛みを堪えているようだった。ああ、早くケイトのそばに行かないと。
「ジェニファー」
「・・・・ウィリアム様、今はケイトの様子を」
「いいからこちらを見なさい」
「・・・・・・」
ぴしゃり、とウィリアム様が私を叱る。いつものウィリアム様とは思えない物言いに、私は自然と深緑の瞳を見上げる。すると、どこまでもお優しいウィリアム様のお顔が悲痛に歪められていた。
そのお顔を見ていると冷静さが戻ってくる。沸騰していた魔力が落ち着く。心拍数がいつの間にか上がっていたようで、今更その速さに驚いた。
私が落ち着いてきたのがわかったのか、ウィリアム様が大きなため息をつく。そして私の見えないところで使用人たちに視線を向ける。その視線は、とても冷ややかなものだった。
「フィーリウスさんは医者だ。あの子の治療は彼に任せれば問題ない。言っている意味が分かるね?」
「・・・・はい」
「どうして裸足なのか説明できるかい」
私の冷静さが本当に戻ってきているか、わざと説明をするようにウィリアム様が言う。
もう大丈夫だ。そう思う私はウィリアム様の腕から出ると、自分の足を見た。洋服を踏みつけながら洗っている最中に庭を走った。庭はあまり手入れがされていないのか、木の枝や砂利が多かった。その時に切ったのだろうか、土踏まずのあたりから血が出ていた。
「ジェニファー、説明して」
「洋服を・・・・足で洗っていたんです。ケイトとフィーリウスさんと」
「・・・・・・」
「その方が泡立つことを知ったんです。手よりも足の方が力が入りやすいから。・・・それに重力も加わるから余計に力が入って・・・・」
「うん・・・・・」
「フィーリウスさんと一緒に洋服を足で踏みながら洗いました。とても楽しかったです。フィーリウスさんが笑わせるから」
「・・・・うん」
「それで・・・・あちらの使用人が・・・・いいえ、喧嘩を吹っかけたのは私たちです、彼女たちは悪くありません。ただの嫌味を嫌味だと捉えられなかったのは私です」
「・・・・・・・・」
「私が挑発に乗ったから、ケイトが便乗して・・・・それで・・・・・」
そこまで言うと、私のせいでケイトが怪我をしたという事実が浮き彫りになる。どうして今まで耐えられたのに、今日はできなかったのだろう。食事がお粗末なもので、頭の働きが鈍っていたのか、それとも度重なる嫌味でストレスが溜まっていたのか。いや、そんなものは言い訳でしかない。
ケイトが怪我をした。その事実が全てを語っている。
「私、やっぱりケイトのところに行かないと・・・・・」
「・・・・・わかった」
「・・・っ・・・ウィリアム様!?」
「怪我をしているのに歩かせられるわけないだろう」
ひょい、と私を持ち上げたウィリアム様が間近で言う。横抱きにしたことで、バーバラさんとエリザベッタさんの使用人たちが悲痛な声をあげる。こんな状況をエリザベッタさんに報告をされたらまた何をしでかすか分からない。バーバラさんなら辛辣な嫌味を言うだけで済む。だけどエリザベッタさんは危険だ。
「ウィリアム様、おろしてください!」
「いいから黙りなさい」
「・・・・・!」
「もう我慢の限界だよ」
「・・・・・・」
「目の届くところにいてくれないと、私も気が気じゃない」
「・・・・・・、・・・・・申し訳ありません」
ウィリアム様がため息をつく。その横顔は、様々な感情が含まれていて何と形容したらいいのか分からない。そのような表情にしているのは私だ。私が浅はかだから。
「・・・・・・」
どうしてこんなことになったんだろう。
ブライトさんやオルトゥー君の依頼は、もっと簡単だった。それが女性を相手にするとどうしてこんなにやりづらいのだろう。たくさんの人の感情が渦巻いて、処理が追いつかない。私が私でないような気がしてくる。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・ウィリアム様」
「・・・・・・」
「やはり私は、・・・・・人というものが分かりません」
「・・・・・・ジェニファー」
「どうして感情など持って生まれてしまうのでしょうか。感情などなければ、このような思いをすることもないのに」
「・・・・バーバラさんやエリザベッタさんと君の感情が同じものだとは思わないよ」
「・・・・・・・」
離れの前までやってきたウィリアム様が一度私を抱き直す。そして石階段を上がっていく。きっと腕が疲れているだろう。それでも魔力を微弱ながら感じるから、風属性の魔力でも使っているのだと思う。
そのウィリアム様の表情は暗い。それでも、私へと視線を落とすと深緑の瞳を細めた。
「君から感情が失われたら、本当に人形になってしまうよ」
「・・・・それでも構いません」
「私が困る」
「・・・・・・・」
そうこうしていると、ウィリアム様がケイトと私が使っている客室へと入る。すでに運び込んでくれたのか、ベッドの傍で額に汗を滲ませているフィーリウスさんが肩で息をしながらケイトの額から溢れる血を止めているのが見えた。
すぐに駆け寄りたい私を、それでもウィリアム様が近くにあった椅子の上に乗せる。そして床に片足をつけると、私の顔を覗き込んだ。
頬に添えられた手はどこか冷たい。それでもウィリアム様の親指の腹が私の瞼に触れる。少しこそばゆいと思った私が手を外そうとするが、その手に指を絡める。
そして、手の甲にキスをした。
「ジェニファー」
「・・・・・はい」
「先ほどの問いだけど、やはり人には感情が必要だと私は思う」
「・・・・・」
「感情がなければ、君と私は出会うことがなかった。ブライトやオルもそうだ。オルはロレーヌ様が母だとわかっても、その気持ちを伝えられず泣いた。君も泣いただろう?その涙は邪なものだったかい?」
「・・・・・・・」
「ジェニファー」
「・・・・・・いいえ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「ブライトに虫眼鏡を渡した時も、あいつは泣いた。そして笑っただろう。それは悪いものかい」
「・・・・・いいえ」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・ジェニファー」
そこまで言って、言葉を一度区切る。ウィリアム様は片足だけでなく、両足を床につけると私の頬に再び手を添えた。そして、一度目を閉じるとその瞳を深緑から若紫へと変えた。
若紫の瞳が細められる。美しい薄い唇を持ち上げ、柔らかく笑う。朝日の降り注ぐ室内は、その光が窓の形に遮断されてまっすぐに伸びる。その伸びた光がウィリアム様の背中に当たる。まるでその光景は、天使の羽が広げられたようだった。
とても、とても美しかった。
「君の笑った顔が好きだ」
その言葉に、思わず目を見張る。まるで雷撃に当たったかのような衝撃が頭から足へと落ちる。今まで直接的な感情表現をしなかったウィリアム様の口から好意を伝えられる。それはオルトゥー君が私に言う『好き』とは、まるで違うものだとなんとなく思った。
ウィリアム様が微笑む。天使の羽が生えたようなそのお姿に、言葉が出ない。そのウィリアム様は、何かを思い出すように私の目を見つめる。
「出会った時、君はまるで人形に見えた。誕生祝いと社交デビューをする会だというのに一つも笑わず、お嬢様に囲まれても顔色一つ変えない君を見て、私はそう思った」
「・・・・・・」
「その氷のような表情が笑ったらどうなるのだろうと想像した時には君が気になっていた」
「・・・・・・」
「この感情も、人間には必要ないものだと言えるかい」
「・・・・・」
「誰かを慈しみ、心配をする感情を私は不必要だとは思わない。あの子もそう思っているはずだ。君が嫌味を言われたから彼女は怒った。結果は良いものではないが、その感情は君にとって煩わしいものかい」
「・・・・・・いいえ」
「感情がなければあの子と君はいつものように楽しく会話をすることもできない。それでも本当に人形になりたいと思うかな」
「・・・・いいえ・・・・・思いません」
思いません。そうもう一度呟いて顔を手で覆う。涙がぼろぼろと溢れる。これでは父に叱られる娘のようだ。それでも涙は止まらない。
ウィリアム様の言うことはもっともだ。感情がなければ、ケイトと実験結果について話し合うことはできてもそれを楽しいと思うことはできない。ケイトが使用人としての責務を放り出してクッキーを貪っても、それを笑いながら叱ることはできない。
ブライトさんの美しい笑顔も、オルトゥー君の明るい笑顔も、感情があるから見られるものだ。
それさえもいらないと、私は思ったのだろうか。いや、違う。醜い感情や暗い感情だけを目に留めて、それそのものを排除しようと考えた。感情とは数値化できない、けれどその中にはたくさんの愛情や優しさもあるというのに。
「(馬鹿だ・・・・馬鹿すぎる・・・・・)」
「・・・・・ジェニファー」
「・・・・・・・」
「ジェニファー、こっちを向いて」
顔を覆う手をウィリアム様が掴む。それを必死に防ごうとするけれど、ウィリアム様の手にやんわりと力が込められると、どうしても泣き顔が露わになる。
ぼろぼろと涙を流す情けない顔を見られる。私は自然と視線を落とす。するとその様子を間近で見ていたウィリアム様が目を細めながら微笑んだ。そして顔を寄せる。
「君の泣き顔は、とても綺麗なものなんだね」
「・・・・やめてください、見すぼらしいです」
「いいや、綺麗だよ。笑った顔も、泣き顔も全て綺麗だ」
「・・・・・・」
涙を流す目に唇が寄せられる。そうすると、目を閉じてしまうものだからまた涙が零れた。頬を伝って顎に流れた涙を吸うように唇が触れる。
一度ウィリアム様が顔をあげる。目と鼻の先にあるお美しい若紫の瞳がやんわりと細められる。長い腕が伸ばされ、私の目に魔力を込められる。きっと今頃私の目は深緑に変わっているだろう。
しかしその手を外すことなく、ウィリアム様が顔を近づける。そして、見えなかったが唇に何かが触れたのが分かった。
それは一瞬のことだったけれど、とても長い時間に感じられた。目を閉じたまま受けた行為に、私は自然と触覚が研ぎ澄まされる。今、確かに唇に何か触れた。それとは何か。いや、まだ気付きたくない。
ーーーいやいや、待って、待ってよねぇ。
「はぁ〜・・・・若いっていいねぇ・・・・・」
と、そこに場違いなほど気の抜けた声が響く。
その声に目を覆っていた手が外れる。視界に広がったのは、鎮痛剤のせいか眠ってしまったケイトと、その横に椅子をおいてこちらをにやにやと眺めるフィーリウスさんだった。
フィーリウスさんは小さく口笛を吹くと、いまだに床に両膝をつけたままのウィリアム様へと視線を向ける。その視線を受けたウィリアム様が照れた様子ではにかむ。
「いやいやぁいいものを見せてもらいましたよぉ?」
「見せびらかしてしまいましたね」
「吊り橋効果ってやつですかねぇ?逆境に立たされた時こそ、その真価が問われるっていうか」
「ははは、当たらずとも遠からずでしょうか」
「またまたぁ、お熱いなぁ本当に。私も自宅に戻ったら妻に久しぶりにキスしてあげようかなぁ」
そのフィーリウスさんの言葉に私はピシッと固まる。
あれ、今流れに身を任せたことでとんでもないことが起きたのでは。
父と母がこの状況を見たら確実に手を上げて大喜びをしたに違いない。ああ、私はなんということをしてしまったのだろうか。
急にぐにゅりと『あいつ』が現れる。ズキズキと痛む胸を押さえていれば、それに気づいたウィリアム様がにんまりと微笑んで私の頭に手をおいた。
「今回は邪魔が入らなくてよかった」
「・・・・・・」
「お人形さんも足の治療をしてもらって。私は森に行く準備をしておくから」
「・・・・・・・・」
そう言ってウィリアム様が部屋を出ていく。パタン、とドアが閉められた。その途端、私は足の痛みなどおいて床に崩れ落ちる。ああ、ああ、私は、私は。
「あとでケイトさんにも報告しなくちゃねぇ、喜んで飛び起きそうですよねぇ」
「あ”ああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・」
「いやいや、いいものを見せてもらいましたよぉ」
それから数分後、ケイトと私は怪我のこともあり、部屋で待機だとウィリアム様が言った。
放心状態の私から『月見茸』の発生場所や花の守人がいそうな場所を聞き出し、バーバラさんとエリザベッタさんを連れて森に向かうのだそうだ。
バーバラさんとエリザベッタさんは私がいないのでウィリアム様を独り占め、いや二人占めできるということでご機嫌だったが、それ以上にウィリアム様のほうがご機嫌だった。
『あとで報告するから』
そう言って部屋を出て行ったウィリアム様を、私は直視できなかったのは言うまでもない。そしてそんな私を見てウィリアム様が極上の笑みを浮かべバーバラさんとエリザベッタさんが蕩けたことも、言うまでもない。
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