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お嬢様が赤面




「今日はまた随分と大荷物ですね」




ブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』に到着した私とウィリアム様は、それぞれ手に持った荷物を工房の横に置かれた小ぶりな丸テーブルに乗せる。


それをまじまじと見つめ、怪訝な表情を浮かべる漆黒の瞳のブライトさん。白雪の頬に手を添えて私が木箱を開ける様子を眺める姿は艶やかだ。




「はい、実験をしようと思いまして」


「ここで実験をするんですか?」


「家で男性になろうものなら屋敷の者に騒がれそうなので」


「私も騒ぎますよ、そもそも誰でも騒ぎます」


「・・・・・・そうか」




どこでやっても同じだったか。しかし、ケイトたちの騒ぎ方は尋常じゃないと思う。私の考えは間違っていないはずだ。ということで完結する。


オルトゥー君なら俺もやりたいとか言い出しそう。


そう思ってオルトゥー君を探すと、その姿がない。工房の中だろうかと覗き込むがそこにもいない。どうやら留守にしているらしいオルトゥー君に、私は自然とブライトさんへと視線を向ける。




「ブライトさん、オルトゥー君は?」


「ああ、オル君ならすっかり怪我も治ったと言って今日は新聞配達に行っていますよ」


「(あ、そっか。オルトゥー君は新聞配達人だった)」




ここを訪れた時も夕刊を届けに来ていたのを思い出す。怪我が治ったならよかった。と思いつつ、あの明るい少年がお店にいないといつになく静かに感じてしまう。


実験の様子、見せたかったんだけどな。


きっと喜ぶだろうし。と意外にもオルトゥー君のことを気に入っている自分に気づく。私の狭い世界では出会うことのなかったタイプの子だ、そもそも少年などと会話をすることもなかった。


この状況が新鮮なのだ。そしてその新鮮という味を知ってしまった私は、それを求める。




「ブライト」



そこに柔らかい声が響く。ウィリアム様は工房の中にあるウィリアム様専用の椅子に座りながら声を掛ける。その美しい声にブライトさんと私が顔を向ける。




「グロート卿について説明をしておきたい」


「はい。ではお茶でも飲みながら」


「ああ、ありがとう」


「お嬢様も飲みますか?」


「はい。手伝います」


「いえ、こちらでお待ちを。そこまで時間はかかりませんから」




そう言ってキッチンへと向かったブライトさんに、私はやはり手伝おうかと考える。二人でやったほうが早いと思うし。


そう思う私だったけれど、ウィリアム様に名前を呼ばれる。呼ばれるがまま歩み寄れば、いつもブライトさんが作業をする椅子に座るようにと促された。座っていいものだろうか。


しかしウィリアム様は慣れた手つきでその椅子を引くと、その椅子をぽんぽんと叩いた。まぁ、ブライトさんに何か言われてもウィリアム様の名前を出せば怒らないだろうし、いいか。と言い訳は考えておく。


私がその椅子に座ると、ウィリアム様がにっこりと笑顔を浮かべる。本当によく笑われる方だなとなんとなく思う。しかし、その笑顔に安心するのも確かだ。この方が笑っていれば、世界は平和だとさえ思う。


だからこそ、時折見せる切なげな表情が気になるのだ。



「・・・・・・・」



先ほどの馬車の中での言葉を思い出す。たった一言だけ呟いた『いいじゃないか』という言葉。あれは、私と母やケイトとの仲を見て、いいものだと言ったようだったが、その言葉の裏には何か得体の知れない感情があったと思う。


魔力を禁じていることと、何か関係があるのだろうか。


聞きたいが、聞けない。踏み入っていいところではないと思う。



「・・・・・・・」




私はウィリアム様の深緑の瞳を見上げる。その視線を受け、ウィリアム様は柔らかく笑う。なんだろう、どうして儚げに見えるんだろう。今日の私は少し変だ。


そうしているとウィリアム様が身動ぎをする。そこで初めて自分がまじまじとウィリアム様を見過ぎていたことに気づく。慌てて視線をそらせば、クスリと笑われた。



「お人形さん」



そう言って、私の頬に手を伸ばす。長い指が髪を耳にかける。


ゆっくりと近づいてきたウィリアム様の美しいお顔。薄く開かれた唇は、瑞々しい。どうしようもなく、その唇に目が奪われる。ああ、神はこの方を美しくつくりすぎだ。もはや凶器である。



「どうした?急にぼんやり見つめて」


「・・・・、いえ・・・・」


「誘っているのかと勘違いする」


「そ、そういうわけでは・・・・・」


「他の男にあんな顔をしたらただじゃおかないよ」


「・・・・・・」



少し強めにいわれた『ただじゃおかない』という言葉。ウィリアム様らしくない言い方だったようにも思う。いや、いつもが優しいだけか。


腰に手が添えられる。そのまま背中に回された腕が体を引き寄せる。ぐにゅりとあいつが這いずって現れるが、今は相手をしていられない。


うっそりと生温かい瞳が向けられる。その姿は天使というよりも、人の血の味を覚えた悪魔のように見えた。魔術好きの変人の血の味は、他のお嬢様のような甘い味などしないだろうに。


どうしてこんな普通にもなれないお嬢様なんかを、この人は気に入っているのか。


物珍しいのか、それともウィリアム様の趣味が悪いのか。服のセンスも、選ぶ言葉も的確なウィリアム様に限ってそんなことはないだろう。ということは、珍しいのか。




「私は、ウィリアム様にとって何なのでしょうか」




目と鼻の先にある美しい深緑の瞳に問いかける。おそらく、この場に母やケイトがいたならば、信じられないタイミングで意味のわからないことを口走った私にハンカチを噛み締めることだろう。


突然声を発した私に、ウィリアム様が少しだけ顔を引き離す。しかしそれでも近い距離にあるウィリアム様は、一瞬きょとんとしたかと思うと、何かを考えるように視線を下げる。


この時、真実を伝えれば確実に私が否定や拒絶の反応を見せるとわかっているからこそ言葉を選んでいたなど知る由もなく、ただただ私の存在がウィリアム様にとって何なのかを考えているのだと私は思ってしまう。




「・・・・・・・」




お遊びなら、父や母を勘違いさせるだけだ。


それなら、私を友人か何かだと言ってほしい。変わったお嬢様だと、ただそれだけなのだと言ってほしい。




「ウィリアム様、お嬢様、お茶が・・・・・っすみません」




そこにお茶を淹れ終わったブライトさんが戻ってくる。しかし、私とウィリアム様の雰囲気に気づいたブライトさんが慌てて見えないところに隠れる。


それに気づいたウィリアム様は、眉を顰めると私から手を離した。頬と背中からウィリアム様の体温が逃げていく。すっと冷たく感じるほどだから、ウィリアム様がどれだけの時間触れていたのか。



「・・・・・お人形さん」



しかし、何を思ったのか、立ち上がりブライトさんへと歩み寄っていたウィリアム様が振り返り、こちらへと戻ってくる。


まだ話を続けるつもりなのだろうか、と私もウィリアム様を見上げる。しかしそのウィリアム様の表情には先ほどの生温かくどろっとした婀娜やかなものはない。ただにこりと柔らかく、優しいものがそこにはあった。


いったい、この人の本気を目にすることがあったら、その時はどうなることか。


私は先ほどからぐにゅりぐにゅりと体を這いずり回るあいつに居心地の悪さを感じる。そんなものが私の中にいるとは知らないウィリアム様は、ゆっくりと腰を曲げるとその長い腕を伸ばした。




「・・・・・・・」



触れたのは、私のペンダント。私が子爵の娘だと証明するものだ。ウィリアム様の指にも、公爵家のご子息であることを証明する指輪がある。


そのペンダントをじっと見つめたあと、ウィリアム様はそれに唇を寄せる。一歩前違えれば、我がスペンサー家に忠誠を誓うとも取られそうな仕草に、私は驚く。



「・・・っ・・・・・」



しかし驚いている暇もあまりなく、ペンダントをグイと引っ張られる。首の裏側でチェーンが肌に食い込み少し痛い。思わず顔を顰めれば、ウィリアム様がそんな私の表情を見てうっとりと目を細めた。


そして、そのまま目を閉じる。それは一瞬のことだったけれど、開いた時に見えるはずの深緑の瞳は、私と瓜二つの若紫の瞳に変わっていた。



「え・・・・・」


「鏡を見てごらん」


「え・・・・・?」


「クロード卿のことは私から話しておく」




私の目の前に手を翳し、最後に頭をぽんぽんと撫でて顔を上げたウィリアム様。そのままブライトさんの方へ歩いて行かれてしまい、ぽかんとしたままの私だけが残る。


今のは何だったんだ。鏡を見ろとは、どういう意味だ。


訳がわからず、私はケイトが持たせてくれたお化粧直し用の鏡をカバンから取り出す。ちょうど膝の上で開いた鏡には、私の黒のワンピースが映っている。それは特に変哲もない。


そこで、先ほどウィリアム様が私の目に手を翳したことを思い出す。まさかと思い顔を鏡で覗き込めば、私の目の色が深緑に変わっていた。




「ふむ・・・・・・」




難解なことをする方だ。



今の出来事はおそらく、私の『ウィリアム様にとって私は何なのか』という質問の回答だと思われる。それを言葉ではなく、態度で示すとはやはりウィリアム様はあざとい。


私は一人考える。ペンダントへのキス、あれは忠誠を誓うという意味ではないだろう。公爵家のご子息ともあろう方が、子爵に忠誠を誓ったところで意味はない。ではあれは、何か。



「(・・・・スペンサー家への、敬意?)」



ウィリアム様は母と仲がいい。父とも、一時は怪我をして帰ってきた娘の状況に激怒し頬を叩くという一触即発の状況にはなったものの、今では父はウィリアム様にでれでれしている。それもこれも、父と母が私とウィリアム様の関係を考えてのものだ。


子爵の娘が公爵のご子息と結ばれれば、我が一族は安泰だ。しかも、あれだけの美青年である。決して逃すまいと画策しているはず。


しかし、今思えば、幼い頃公爵家のご子息との婚約話があった際、それが破談となっても父と母は私を責めなかった。そして薄汚く再度縁談をその公爵家に申し込むことはなかった。プライドが邪魔をしたのかもしれないが、それ以上に私の幸せを願ってくれたのだと思う。


過保護なほどに私を愛してくれる父と母。そしてケイトやジョージさんたち。それらまとめて、ウィリアム様は尊いと、思ったのだろうか。だからペンダントにキスをしたのだろうか。


ウィリアム様なら、私のペンダントに刻まれたスペンサー家の紋章にも気づいたはず。それに気づいた上でキスをしたなら、そういうことなのか。



「・・・・・・・」



素直に、嬉しいと思う。私にとっても家族やケイトたちは宝だ。その言葉を周りに伝えたことはないけれど、私がここまで自由奔放に生きてこられたのも皆のおかげだ。


私にとって大事なものを、ウィリアム様も大事だと思ったと仮定するなら、それは嬉しい。誰だって大事なものに対して敬意を表してもらえたら嬉しいだろう。




「目は・・・・・・?」



しかし、目はどういう意味があるのだろうか。お互いの目の色を入れ替えることの意味とは。私はじっと深緑の瞳になった自分の目を鏡で見る。それは確かにウィリアム様のものと同じだ。


すでに、ウィリアム様は、と聞かれたら深緑の瞳と答えるほど私の中で代名詞となりつつあるその色。ウィリアム様がどう思っているかはわからないが、同じように私の代名詞を若紫の瞳だと考えていると仮定するなら。それはーーーー



「対等だということ・・・・・?」




いや、対等というより同類か。いや、それも違うか。うまく言葉にし難いが、私がウィリアム様で、ウィリアム様が私と言いたいのかと考える。つまりそこに公爵や子爵という垣根はなく、ただの人間として、ウィリアム様は瞳の色を若紫色に変えるほどに、対等なのだと考えてくれているということだろうか。


わからない、やはり言葉がないと。自分の都合の良いように捉えてしまう。



「・・・・・・っ・・・・」



そこまで考えて、私は都合よく考えたいのだと気づく。そのことに気づくと、どうしようもなく恥ずかしくなる。口を手で押さえるが、恥ずかしくて唇が震える。


対等だと思われ、家族や使用人たちに敬意を表してくれることが嬉しい。それは普通のお嬢様が与えられるキスや甘い言葉なんかよりも、格別なものだ。


そうであってほしい、そうだといい。そう思えば思うほど、私の中でウィリアム様という存在が『特別な人』になっていくのを感じる。ウィリアム様が私を『例外』だと言うのと同じような感情が生まれる。


ぐにゅりと腑を巡るそいつが、心臓に食らいついたような気がした。



「・・・・・・・」



思わず胸を押さえる。ズキズキと痛んで辛い。どうしてこんな得体の知れないものが体の中を這いずり回っているのだろうか。できることなら取り除きたい。だけどそれは心臓に食らいついたまま動かない。


どうしようか、病院に行こうか。そう思い立ち上がろうとすると、少し遠くから物音が聞こえる。




「お嬢様・・・・・?」


「・・・・ああ、ブライトさん」



お茶を手にしたブライトさんが戻ってくる。胸を押さえたままだったが、ブライトさんの顔を見たら少し薄れた気もする。眉を顰める私にブライトさんが怪訝な顔をするが、私はその追求を避けるようにブライトさんの手からティーカップを受け取った。




「お嬢様、ご気分でも悪いのですか?」


「いいえ、何でもないです」


「・・・・・・・それならいいのですが」



お茶を飲むと、痛みも少しずつ消えていった。ちょうどお茶に映った自分の目を見てみれば、すでに若紫に戻っている。それにどこか安堵する自分がいた。




「ブライト」


「・・・・・・・・」



しかし、ブライトさんの名前を呼ぶウィリアム様の声が聞こえると途端にズキズキと痛む。もうやめてくれ、どうしたらこの痛みは消えるんだ。何なんだこれは。


のっそりと角から現れたウィリアム様をじとっとした目で見つめる。


そんな私の視線に気づいているのかいないのか、こちらを見たウィリアム様は一瞬私の視線に驚いたような表情を浮かべたが、次の瞬間にはにんまりと口に弧を描いて笑う。




「・・・・・・・・」


「ウィリアム様、ご用ですか?」


「うまくいったかな」


「え?なんですか?」


「いや、なんでも。オルはいつ戻るのか聞きたかったんだ。連れていくかは別として、オルにもクロード卿のことは伝えようと思う」


「ああ、オル君ならそろそろ戻ると思いますよ。今日は朝刊を配ったら事務所の片付けをするだけだと言っていたので」


「そうか。・・・・・お人形さん」



まさかそこで声がかかるとは思わず、びくっと身動ぎをする。その様子にウィリアム様が笑みを濃くしていたらしいが、私はティーカップに視線を落としていたので気づかなかった。


とりあえず平然は装わないと、と私は重たい口を開く。



「はい」


「オルが戻ったら、実験を始めるかい」


「・・・・そうですね。準備だけ始めておきます」



そうだ、今日は実験をするためにここに来たんだった。一番大事なことを忘れていた私は、ブライトさんには悪いがカップを作業台に置かせてもらうと、スタスタと歩き木箱の蓋を開ける。


もちろん、顔を上げずにスタスタを歩く私を見てブライトさんがやはり怪訝な顔をし、ウィリアム様がにこにこと微笑んでいたことなど知らない。




「(今は実験に集中しよう。私は魔術が好き、実験が好き)」



ぶつぶつと呟きながら木箱からビーカー、スポイト、耐熱皿などをぽいぽい出していく。それを丸テーブルに並べていると、ウィリアム様とブライトさんが歩み寄る。


そして、ビーカーに刻まれた文字を見て、ブライトさんが嬉しそうに口を開いた。




「使ってくださるんですね」


「はい、今日初めて使うんですが、実験結果をお見せするからちょうどいいかと思いまして」


「嬉しいです」


「(ああ、今はブライトさんの笑顔が安心する・・・・・)」




ブライトさんの笑顔に癒され、胸の痛みも消えかけたということで私はいつもの調子を取り戻す。木箱の中から、更に『女王蜥蜴』の血液が入っている小瓶と、籠を取り出す。




「お嬢様、その籠は?布がかけられていますが」


「ああ、息ができるようにと思って蓋をせず布を被せておいたんです」


「・・・・・息ができる?」


「はい。中には蛙が入っています。密閉してしまうと窒息死するので」


「・・・・・あの、お嬢様、なぜ蛙を持ってこられたんですか?」


「今日はまず、この蛙で実験しようと思って。うまくいったら私に使用します」


「・・・・・・・・」



籠にかけられた布を取ると、蛙が鳴いた。それを見てブライトさんが顔を青ざめる。確かに、硝子細工工房に蛙がいるのは不釣り合いだ。でも蛙はいい。安価で売られているし、お金がなくてもそこらへんで手に入る。肌が薄いので薬の浸透も速いし、実験にはもってこいだ。蛙には悪いが。


ともかく、実験道具をずらりと並べた私は、しかしまだ用意できていないものを思い出し顔を顰める。



「・・・・・・・・・」


「お嬢様?」


「実は・・・・一つ用意できなかったものがありまして」


「なるほど、それは店のもので代用できますか?」


「・・・・・そうですね、できます」


「では持ってまいりますので、教えてください」


「いえ、すでに目の前にあります」


「目の前?」


「はい」


「・・・・・目の前とは」


「目の前です」




にこり、とブライトさんに笑いかける。すると、その意味がなんとなく伝わったのかブライトさんが顔を白くさせた。一歩後ろに下がろうとするが、もちろん私は逃すまいとその白雪のような肌の手を掴む。




「血液を、ください」


「・・・・・・」




女王蜥蜴の血液は、見た目を変化させる力がある。しかし、変化を指示する脳はここにはない。脳が指令を出さなければ、この血液は変化できないのだ。なので私は、直接的に薬草や他の道具を使用して操作を加えることを考えた。


すでに薬草などは手に入っており、調合も終えている。あとは血液が、男性の血液があればいいのである。





「父にお願いをしたのですが、全力で断られました。指を切りませんかと伝えたのですが、伝え方が悪かったらしく娘に指を切り落とされると思ったみたいです」


「それは・・・・誰でも断ると思います」


「実際は、数滴あればいいんです。寝込みを狙いましたが、警戒した父が寝室の前に執事を立たせていたので入れませんでした」


「(どういうご家族なんだ・・・・)」


「・・・・なので、お願いです。血をください。針を指の腹に刺すだけです」



道具も用意しました。と言って、木箱からそれを取り出す。


この針は縫針ではなく、蜜蜂の針を取り出したものだ。もちろん毒などはなく、ただの針だ。その針を粘土に固定しただけのものではあるが、血液が取れたらいいので不格好だと言われても構わない。




「ちくっと、一瞬するだけです。傷跡も残りません」


「・・・・・・・・」


「できれば自分で行いたいのですが、いかんせん私は女でして」


「・・・・わかりました」


「ありがとうございます!」



承諾してくれたブライトさんに手を合わせて喜ぶ。私はすぐに木箱から血液を入れるための小瓶を取り出す。その様子をぼんやりと眺めるブライトさんの表情は暗い。大丈夫だ、本当に痛いのは一瞬だけだから。


しかし、ブライトさんはそれでも不安なのか、徐にウィリアム様へと視線を向ける。




「ウィリアム様もされませんか」


「はは、構わないよ。お人形さん、私にも用意してくれるかい」


「それはありがたい」




実は、二人にお願いをするつもりだったので道具は二つ用意していた。一つでもよかったのだが、たとえ毒がない針と言っても、同じ針を使うのは嫌かなと思ったからだ。


ということで、テーブルに歪な形の粘土に針が刺さっている不思議な道具を二つ並べる。




「血液が出始めたら、お手数ですが指の横を押さえてより出やすいようにしてください。この小瓶のだいたいここまで、血液を集める必要があります」



小瓶の三分の一くらいのところに指を差す。まぁまぁな量だ。お二人には頑張ってもらわないといけない。


ナイフで指を軽く切れば、すぐに集まるだろうけどお二人の綺麗な指に傷が残るのは忍びないと思い急遽作った道具だ。数分時間がかかると思うが、頑張ってほしい。


とりあえず、私が示した量を確認したお二人の顔が引きっつていることに気付きつつも、私はにっこり笑う。




「では、お願いします」


「・・・・・・・」


「・・・・・・」



無言でその道具の前に立つお二人。そして針に指を近づけると、勢いをつけてから刺した。そこまで痛くなかったのか、掌を上に返し血がぷつりと出始めた部分をじっと見つめている。




「はい、ではこの小瓶に落としてください。ウィリアム様はこの皿に。あ、ちなみに、この針には血が固まらないように特殊な薬を塗っているので、延々と垂れ続けます」


「・・・・・・」


「・・・・・・・」


「適量になったら声をかけますので、座ってお待ちください」




近くにあった椅子を二つ集めてお二人に手渡す。それからすぐに私はボウルを木箱から取り出すと、調合した薬と女王蜥蜴の血液を攪拌していく。


攪拌すると女王蜥蜴の血液が黄色に変色していった。どうやら薬との相性もいいらしい。そこに私の魔力を加えて、男性の血液が混ざりやすいようにより丁寧に攪拌していく。




「お嬢様、これくらいでよろしいですか?」


「はい・・・・ええと、そうですね。ウィリアム様も問題ないです」




魔力の放出を止め、お二人に歩み寄る。そして木箱に入れておいた軟膏を取り出す。それをお二人の指に塗ると、たちまち血は止まった。


それから、小瓶と皿に溜まった血を見る。うん、いい出来だ。


すぐにその小瓶と皿に入った血液をボウルに移す。すると、黄色に変わっていた女王蜥蜴の血液がみるみる橙色に変わった。予想通りの結果に私は自然と笑みを零す。この瞬間が好きなのだ。




「完成しました。では、次にこの血液を蛙に塗布してみます」




籠の中で息を繰り返す蛙を耐熱皿の上に乗せる、そして私の名前が刻まれたビーカーにボウルに入った血液を入れる。スポイトで血液を吸い上げ、ガーゼに染み込ませると、ピンセットで摘んでそれを蛙の背中に塗布した。


蛙は薬の成分が染みるのかどうか知らないが、籠の中でのそのそと動き回る。しかしそのうち身動きを止めると、痙攣を始める。その痙攣は一秒、また一秒と時間が過ぎていくのと同時に大きくなっていく。




「わっ!」



次の瞬間、もわもわと蒸気が立ち込めるのと同時に籠が吹っ飛んだ。驚いて後ろに下がると、ちょうど後ろにいたウィリアム様に支えられる。



「(どこだ・・・・・?)」



私はそのまま蒸気の中にいるはずの蛙を探す。もわもわと溢れていた蒸気が落ち着き始めるのを待ち、それからテーブルの上に何かがいるのを目視した瞬間、なぜかウィリアム様に目を手で覆われてしまう。


なぜだ!と思いながらその手を外そうとするのだが、先ほど少しだけ目視できた蛙の色は、本来の緑ではなく肌色であったと気づく。もちろん、蛙は人間のように服など着ない。そして体毛もない。


()()()()()()()光景が広がっているのだということが分かり、私は仕方なくウィリアム様に声をかける。




「ウィリアム様、蛙は人間に、男性になっていますか?」


「・・・・・ああ、・・・なってるね、()()に」


「そうですか。姿形はどうですか?蛙の要素は残っていないですか?」


「残ってない」


「知性はどうでしょう」


「そこは蛙のままみたいだね。テーブルの上で四つん這いになってる」


「なるほど、血液に左右されず自我を保てることも証明されました。成功しましたね」


「ジェニファーは見たらだめ」


「あぅ」



ぎゅう、と目を覆う手に力が込められる。別に()()()あったって気にやしないのに。むしろ実験結果を確認できないことのほうが私にとってはストレスである。


今すぐノートに結果をまとめたいが、目を覆われてしまっていてはそれもできない。仕方なくそのままでいると、何やら動きがあったらしい。ブライトさんとウィリアム様が慌て出している。




「どうしました?」


「蛙の様子がおかしい。無表情のまま震えてる」


「血液の効果が切れるのかもしれません」




そうこう考えている間に、蛙は人の体からゆっくりと蛙に戻っていってるらしい。人間のような顔が蛙の目となり、口となり、手が戻り、肌が緑になっていく。その様子をウィリアム様が一つずつ説明してくれるので分かりやすい。


もちろん私は説明の内容を頭で思い浮かべるだけなので楽だが、実際に男性の裸体を見せられ、次第に人間から蛙に変わりゆく光景を目の当たりにしているお二人にはかなり衝撃があるものだったらしい。



蛙がテーブルの上で元の姿に戻った頃、パッと手を離された私の目に映ったものは、壁に手をつき項垂れるウィリアム様と、口を押さえて屈み込むブライトさんの姿だった。



「お二人とも、大丈夫ですか?」


「「 おぞましい・・・・ 」」


「・・・・・・ふむ」



悪いことをしたな。と少しは思う。しかし、今は結果が大事だ。結果はきちんと出た。あとは自分の体で試すだけ。そろそろオルトゥー君も戻って来るだろうから、彼を待ってから始めよう。



「(楽しみだな・・・・・)」



一人、結果を前にほくほくする私に、ウィリアム様とブライトさんが目を合わせ『二度とこの実験はさせない』と考えていたらしいが、知る由もなかった。





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