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お嬢様と蜥蜴




「お嬢様・・・・・・!」




次の日から、早速私は人体についての文献を漁り、必要なものを揃えるためにケイトをお使いに出した。


一時的に女性の体を男性のものに変化させる魔術。それは街に流通するような薬では完成しない。そうそう手に入らない薬ばかりだ。


しかし、うちのケイトを舐めてもらっては困る。あの手この手でルートを確保すると、とても俊敏に動いてくれた。




「お嬢様・・・・・手に入りました・・・・!」


「さすがです!」




研究室のドアを勢いよく開き、雪崩れ込んできたケイトに私はパチパチと手を叩く。やはりケイトだ。たった3日で薬を調達するとは。


走って研究室まで来てくれたのか、ずるずるとドアにもたれかかるケイトの肩を叩く。その顔は少しやつれている。これは無理をさせてしまったみたいだ。


私はそのままケイトの肩をグッと掴むと、椅子に座らせる。研究室には申し訳程度のキッチンも備わっているので、そこで湯を沸かすとお茶を入れることにした。




「こんなの・・・・ウィリアム様がいなかったらしませんでしたよ・・・・はぁ・・・」




そう言うケイトに私は眉を下げて笑うことしかできない。


ーーー数日前のこと。



『お願いできるかな?』



そう、私を見送りに屋敷を訪れたウィリアム様がケイトに向かって言った。本当に、ただ一言伝えただけだ。


しかし、その時の柔らかく艶やかな表情にケイトは屈した。腰が砕け、地面に項垂れながらコクコクと頷くケイトの顔は真っ赤だった。


もちろん、ウィリアム様が屋敷を訪れるともなれば父と母も出てくるわけだが、その二人もウィリアム様のあまりにもお美しい表情を前に、口を押さえて黙ることしかできなかった。


ともかく、今回のお使いはウィリアム様がいなければ達成できなかったことである。あとでお礼を伝えよう。




「何に使うか知りませんが、こんな早急に薬が必要なんて何をするおつもりですか?」


「・・・・・・」


「また何かよからぬことを考えているんじゃないでしょうね」


「ナニモ」


「・・・・・怪しい・・・・・」




今回のオルトゥー君の依頼は、まだケイトに伝えていない。ウィリアム様に直接関係がある依頼ではないし、オルトゥー君には悪いが、他所の街の孤児院で生活をする領民の子の親を調べて欲しいという話をケイトに伝えようものなら、どうしてそのようなことをお嬢様がするのかと叱られそうだから言えない。


しかし、請け負ってしまったので完遂したい。


私は早速小さな木箱に入っている薬を取り出す。手の中におさまるほど小さなコルク付きの小瓶。その中にはどろどろとしたものが入っており、人工的には作り出せない赤い液体の中に青色の水泡が浮かんでいる。




「なんでしたっけ、この薬の名前」


「『女王蜥蜴(とかげ)の血』です」


「ああそうでした、恐ろしい名前ですよね」




女王蜥蜴は、東の大陸、特に砂漠地帯に生息する魔獣だ。


蟻のような社会性昆虫と同類の活動をし、女王蜥蜴の周りには身の世話をする蜥蜴の他に、警備を行う兵隊蜥蜴がいるらしい。その中で生殖に適した雄の蜥蜴を夫とし、繁殖しているそうだ。


また、女王蜥蜴は精霊に近い存在で、土属性の魔術を扱える。さらに驚くべきことに人前に現れる際は自由自在に見た目を変化させられるらしい。そうやって気に入った人間を見つけては巣穴に連れていき、御馳走を振る舞った上で最終的には腹の中に入れてしまうそうだ。恐ろしい。


ちなみに、女王蜥蜴の背丈は優に男性の平均身長よりもあり、その腕力は岩をも砕くとされている。


なので、その女王蜥蜴の血液を手に入れることは困難だ。市場にも出回らないわけである。




「(血液には女王蜥蜴の魔力も含まれている。見た目を変化させる力もある)」



見た目を変化させるための薬は手に入った。あとは、そこに操作を加え見た目を『男性』にすることができればこの実験は成功する。


となれば、清潔かつ新鮮な人間の血液が必要になるわけで。




「・・・・お父様はいつごろ帰りますか?」


「旦那様ですか?今日はそこまで遅くならないかと思いますけど・・・・」


「お父様が戻ったら教えてください」


「・・・・・どうして旦那様がお帰りになったことをお伝えする必要があるんですか?」


「・・・・・・たまには出迎えたいなと」


「・・・・・・・・」


「ケ、ケイト、お茶でも飲みませんか」


「・・・・・いただきます」



依然として怪訝な顔をするケイトにいよいよ気づかれてしまいそうだと思い、私は木箱を研究室のテーブルに置くとキッチンへと向かう。


当たり前のようにテーブルの傍にある椅子に座るケイト。使用人がお嬢様にお茶を入れてもらうという上下逆転の状況ではあるが、ケイトが相手なら特に私も何も感じない。今はケイトの機嫌取りと、秘密がバレないことのほうが重要だ。




「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


「あと、これはお駄賃です」


「まぁ!」



一応こういう時のために、研究室にはケイトが好きそうなお菓子をおいている。こういう時というのは、ケイトに無理をさせて必要なものを揃えてもらった時に怒られることを指しているが、今回はそれに加えて無駄な詮索をさせないためである。


ブライトさんのお店の向かいにある洋菓子店でクッキーを買っておいてよかった。


嬉しそうにクッキーを頬張りながらお茶を飲むケイトにホッと胸を撫で下ろす。ケイトに今回のことが知られたらやいやいと言われそうだし。




「次はいつウィリアム様はいらっしゃるんですか?」


「特に決めていませんでしたが、何かありましたか?」


「昨日、お帰りになる前に言われたんですよ、必要なものを送るから受け取ってほしいと。なんでしょう、もしかしてお花でしょうか!」


「そうだといいですね」


「もう!そこは「私のウィリアム様からお花をいただけるはずないでしょう!」と言わないと!」


「私のウィリアム様ではありませんから」



脳内お花畑のケイトにため息をつく。いつウィリアム様が私のものになったのだ。あの人は野良猫のように自由を好む人だぞ。首輪をつけて飼育することなんてできない。


しかし、ケイトは引き下がるつもりがないのか、ティーカップを皿の上に乗せると頬を膨らませながらこちらを見る。




「何をおっしゃいますか!もうほとんどお嬢様のものですよ!十中八九!九分九厘!」


「・・・・・ケイト、ウィリアム様を物扱いするのはいけません」


「ゔ・・・・・だって、本当のことだもん」


「(なぜそこで拗ねる・・・・・)」




しゅん、としてしまったケイトを私はティーカップ越しに眺める。


ケイトが何を言いたいのかはわかる。しかし何度伝えればわかってもらえるのか、私にはその気がない。その証拠に、ウィリアム様に抱きしめられようが甘い言葉を囁かれようが赤面したことはない。痛い所を突かれたことにより照れて赤面することはあれど、恋慕を抱くことはないのだ。


そろそろ理解してほしい。




「お嬢様は、ウィリアム様が好きじゃないんですか?」


「・・・・好きという言葉が抽象的すぎて回答に困ります。ですが、お優しい方だとは思いますよ」


「人間的には好きということですか?」


「そうですね」


「こう、目と目が合うだけで胸が高鳴ったり、優しく微笑まれると苦しくならないんですか?」


「・・・・・ならないですね」


「ウィリアム様のことを考えると、ここがきゅっとなりませんか?」


「・・・・・・」



ケイトが自分の胸元に手をおいて、ぎゅうと握りしめる。


きゅ、とは何だろうか。心臓が正常な心拍数を数えられなくなり、不整脈が起きた状況だろうか。健康体そのものの私ではあるが、運動が嫌いなので走ると心拍数が劇的に上がる。しかしそれは規則正しく動いているし、締め付けられたことなどない。




「お嬢様もやってみてください」


「何を」


「こうやってください」


「・・・・・・・」




同じ格好をしろとケイトは言いたいらしい。この行動のどこに生産性があるというのか。


しかし、早くしろとケイトが目で言う。仕方なく私は一つ息をつくと、自分の胸の前で両手を握る。しかし何も起きない。




「ウィリアム様のことを思い浮かべてください」


「どうして」


「いいから!」


「・・・・・・・・」




無意味なことだと思いながらも、ウィリアム様を瞳の裏に映し出す。眠たげな瞼の下に覗く深緑の瞳。通った鼻筋の下には誰もが羨む美しい唇。その唇が弧を描く。優しく目を細められ、柔らかく微笑まれる姿はまさに天使のようだ。神が精巧に、丁寧に、全ての美を集結させ丹精込めてつくりだした天使。


しかし、時折見せるあどけない表情は年相応なもので。




「・・・・・・・」



そこまで考えたところで、腑にぐにゅりとあいつがやってくる。ぐるぐると内臓を圧迫し、心臓を内部から喰らってやろうと蠢く。気持ち悪い感覚だ。


こいつの正体は何なのだろうか。まるで蛇のようにその長い胴体を這いずって私の中で生きている。まさかいつの間にかウィリアム様に魔術でもかけられたのか。




「お嬢様、どうですか?きゅっとなりましたか?」


「・・・・ぐにゅりと気持ち悪い感覚ならあります」


「なぜそうなるんですかぁ!ケイトは悲しいです!」


「そう言われても・・・・・・」




どうにもできないから私も困っているのだ。


私はぎゃあぎゃあ煩いケイトを放っておいて、自分の手をぼんやり見つめる。


この感情は何なのだろうか。それを知りたい、調べたいと思うけれど、理性だか本能が歯止めをかける。だから優先して調査も分析もしたことがない。特に体調に変化も見られないし、そのうち放っておけばなくなるだろうと思う。


だけど、それは日に日に肥大していくようにも思う。


生活に支障が出るほどにひどくなったら、一度医者にでもかかってみようか。そう考えながら、お茶を口に含む。




「まったく・・・・ウィリアム様が報われませんよこれじゃあ」


「勝手に期待をしているのはケイトです」


「いーえ!ケイトはわかっていますよ!」


「何をわかっているんですか」


「お二人の幸せな未来が見えるんですっ」


「・・・・・・ウィリアム様なら、何をせずとも幸せな人生を歩まれますよ」


「・・・・・いけしゃあしゃあと・・・・・」


「(あ、まずい・・・・)」



プチンと何かが切れる音が聞こえたような気がする。


私は一気にお茶を飲み終えると、そそくさとキッチンへと向かう。これは早いところ実験の準備を始めるか、部屋に戻ったほうがよさそうだ。


しかし、肩にオーラをメラメラと携えたケイトに肩をガシッと掴まれる。




「お嬢様?」


「は、はい」


「次のお出かけが決まったら、それはそれは美しく、一度見れば誰もが見惚れてしまうようなお嬢様に仕上げて差し上げます」


「・・・・・・・」


「こうなったらこちらも既成事実を作る覚悟で参ります」


「ケイト・・・・・既成事実って・・・・」


「ふふ、初心なお嬢様には想像もつかないような事実ですよ」


「・・・・・・・・」


「おほほほ!楽しくなってきたわ!奥様にも手伝っていただきましょう!お手紙を書いていただいて、次のお出かけの日を決めなくては!」


「ケイト・・・・・・」


「私を本気にさせたお嬢様が悪いんですからね!」




それでは!と手を上げて研究室を走って出て行ったケイト。ぽつんと残された私。


ーーーおいおい、既成事実って。


嫌な予感がよぎり、思わず頭を抱える。まさかケイトは私がウィリアム様のお手付きになることを希望しているんじゃないだろうな。


婚約前に《そういうこと》になった男女は、特に貴族間ではそのまま結婚することもある。




「実力行使に出るということか」



なんとおぞましい。


私は背筋に通った気味の悪い風に身震いする。


人生で初めて、明日が来なければいいのにと思った。





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