episode2―1
翌朝。
アスは昨日達成したゴブリンとオークの撃退クエストの報告のため、ギルドへやって来ていた。
早朝ということもあって、冒険者は数えるほどしかいない。
閑散としたギルド内を歩き、クエスト受付の前で足を止める。
どん、とアスの背中を衝撃が襲う。
「いたっ。ご主人様、なんで止まるの?」
「……いや、なんで付いてくるのさ」
昨日からずっと一緒にいる黒髪美少女ことワイバーン娘が、頬を膨らませている。
「だって、ご主人様でしょ?」
「いや、違うけど」
昨日は絶体絶命の危機を救ってもらったアスだが、ワイバーン娘のご主人様になった記憶はなかった。
ワイバーン娘はあれ? と首を傾げている。
「でも、あの時、私にぶつかった指ぬきグローブってご主人様のだよね?」
「指ぬきグローブ……っあ……」
アスが仲間に裏切られた昨日の朝。
魔女ジョティが、そんなことを言っていた。
「はい。返すね」
ワイバーン娘が、ポケットから指ぬきグローブを取り出し、アスに渡した。
紛れもなく、それはアスが無くしたものだった。
「と、いうことでご主人様がご主人様だってことだよね?」
「いや。これは確かに僕のだけど、ご主人様っていうのはやっぱり分からない」
「強情だなあ。ノリと気分で頷いちゃえばいいのに」
ワイバーン娘はアスの手の中にあるグローブを指差した。
「それだよ。私がご主人様って呼ぶ理由はそれ」
「これが……?」
アスは目を丸くする。
この指ぬきグローブはアスが魔王討伐班に入る直前に、露店で買った安物だ。それからはずっと付けていたが、特別な何かがあるとは感じられなかった。
ワイバーン娘は、アスの考えを読んだように口を開く。
「正確には、場所とタイミングだね。私、丁度巣穴から出ていこうと思ってたから。そんな時に、私好みの匂いがするグローブが飛んできたんだよ」
「に、匂い……?」
アスはグローブに顔を近付けて匂いを嗅ぐ。
特に変な匂いはしない。
「無理だよ。人間の嗅覚じゃ分からないと思うよ」
笑いながら、ワイバーン娘が言う。
「ま、兎に角、私はご主人様を気に入ってご主人様って呼んでるの」
「あ、ああ、そうなんだ」
半ば諦めたように、アスは頷いた。
理屈じゃないということを理解したが、納得は出来ない。とは言え、いつまでも同じやり取りをするのも不毛だ。
アスが受付のほうを向くと、ワイバーン娘は嬉しそうに口角を上げて付いていく。
「すみません」
アスが受付に向かって声をかける。
奥から返事をする声がした。
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クエスト達成の報告を終え、アスはワイバーン娘とギルド内食堂にいた。
時間が経つと冒険者の姿も増え、受付は忙しそうにしている。
早朝に済ませておいて良かったと思いつつ、アスはジュースを啜った。
「ねえ、ご主人様。今日はクエスト行かないの?」
隣で山盛りの唐揚げを頬張りながら、ワイバーン娘が袖を引く。
「行きたいんだけど……ほら。人が多いんだよね」
「……蹴散らす?」
「やめて」
目が本気だった。
止められたワイバーン娘は、唐揚げを口に詰める。流石は竜族。食べる量が尋常じゃない。
ただ、アスが気になったのは量ではなく、口から飛び出している棘のようなものだった。
「ねえ、それなに?」
「ほへ?」
「ああ、いいや。先に口の中のものを呑み込んで」
咀嚼していた唐揚げを一気に呑み込むワイバーン娘。
「これ?」
それから、山盛りの唐揚げを指差す。
見れば、棘が飛び出した唐揚げと綺麗な唐揚げがある。
「それって、何と何の唐揚げ?」
「? ぽ、ポイズ……ビル?」
「ポイズンデビルのこと!?」
「そう。それだよ! コリッとしてて、やけに歯応えがあるけど、美味しいよ!」
フォークに刺された唐揚げを突き出されるが、アスは食べる気になれなかった。
唐揚げの材料だというポイズンデビルとは、湿気の強い洞窟内に生息する大ムカデのことなのだ。おそらく、飛び出している棘はムカデの足なのだろう。
洞窟にいたワイバーン娘なら食べたことはあるのかもしれないが、アスは真実を呑み込んだ。
「い、いや、僕はいい」
「そう?」
嬉しそうに頬張るワイバーン娘を見て、ふと、アスは思った。
「そう言えば、君、名前は?」
「ふぁふぁふぇはんへ――」
「あー、ごめん。先に呑み込んで」
さっきと同じように、咀嚼していた唐揚げを一気に呑み込むワイバーン娘。
「……で、名前だっけ?」
「うん。なんて呼べばいいのか分からないし。ワイバーンっ娘とか竜娘って呼ぼうか?」
「ご主人様でも踏み潰すよ?」
笑顔で脅しをかけてくる黒髪美少女というのも萌え要素なのかもしれないが、アスは口角を引き攣らせることしか出来なかった。
ワイバーン娘は人差し指を口元に当てて、
「でも、そうか~。私、名前なんて無いから……そうだ! ご主人様が付けてよ!」
「……は?」
アスの腕に抱き付く形で、命名をおねだりしてくる。
ワイバーンとは思えないほど甘くて優しい匂いが漂う。自覚できるほど、顔が赤くなった。
「よお、朝からお熱いことだな」
上から声が降ってきて、熱は一気に冷める。
隣から聞こえてきた小さな舌打ちを流して、アスは顔をあげた。
「君たちは……」
「昨日は助けてもらったらしくて、礼を言おうと思ってな」
「ああ。君のお陰で助かった。ありがとう」
「……」
頭に包帯を巻いた屈強な男を筆頭に、昨日アスが助けた冒険者パーティがいた。