心の一冊
更新しました……。
東国――。
北にある秘境の里で、数人の武装した人間と戦闘を行った。はずれにあった家屋は、里のものと違う特殊な風習でもあるかの如く、周囲の環境は人から隔絶されたような位置に建っていた。陳列する数々の武具、そして文字の彫られた石碑。里の中でも特段大きく、地位の高い人間の住居と思しき場所にも無かった。
東と西の異なる文字の知識を併せ持つ冒険者ガフマンだからこそ、風化した石碑の解読には難儀したが、内容を判読することはできた。
特殊な伝統に生きた人間の証が多数見られる。杣道の険しさや異常なほどの静寂。感覚を研ぎ澄ませる最適のフィールド。
だからこそ、無許可で侵入した者を捕捉し易い。その武装集団は、この地を代々守護してきた血族の末裔。長く持ち主が不在でありながらも、その使命を怠ったことはない。
冒険者ガフマンは、『闇人』という二文字を認め、そして戦闘の最中にも情報になると判断した書物を手に逃げた。身を隠しても、一人斃しても怯まずに執拗な追手を放つ土地の守護者を振り払って。
何度も傷を負った。如何にあの百戦錬磨にして、世界最強の一角と謳われたガフマンでも、正体不明の戦闘者が結束して押し寄せれば、五体満足とまではいかない。
南東へと下り続け、攻撃の手を弛めぬ敵勢に、あのガフマンは見知らぬ山中で倒れた。返り血と砂埃、泥で汚れた彼は脱力した全身を奮い起こす余力も尽き、柔らかい土の上で眠っていた。
「うわ、赤い獣が倒れてるぅ!?おい、スズネ、手を貸してくれ!」
行き倒れのガフマンを発見した男性は、近くの山里で暮らす東国の人間だった。狩人を生業として働く彼は、ガフマンを自宅へと匿い、数日間の看病を続けた。男性はカンタと名乗り、敵国出身の人間に対しても分け隔てなく接する温厚な人物。少し変わった性格ではあったが、人を気遣う心に偽りは無いと、これまで数多くの出会いを果たしたガフマンには理解できた。
「忝ない……だったか?東国を訪れる機会が些か少ないんでな。拙い言葉で済まんの」
「あんた、凄いデカいな。見たところ、狩人って訳じゃないしな」
自惚れる訳ではないが、ガフマンはこの大陸に名高い冒険者。故に、行く先々で声掛けをされる事が多々あり、町がその来訪を歓迎し、時期外れの祭を開くこともままある。ここまでくれば、如何に自分が有名かを否が応でも知る事となるが、中には稀にも一切自分を知らぬ人種がいる。
以前出会ったのは、成人の齢十五を迎えるまで森の中に暮らしていた少年だった。無知による劣勢を覆す精神と武力を兼ね備え、穏やかな性格の持ち主はガフマンの記憶にしかと刻まれていた。
彼と同じ、外交の少ない山間部などの村や里は世情に疎い傾向があるかもしれない。
ふと、ガフマンは少年の存在に、今回の冒険の目的を思い出した。
「なあ、我を追ってくる不審な連中を見掛けたか?」
「え?さてな……里の仕入れ番は大抵が同じ奴で、今回のも懇意にさせて貰ってる人間だったし。それ以外にこの里に入ってきた輩は居ねぇと思う」
「うむ、ならば良し」
「あー、でも最近、北から出た黒衣の連中が首都を騒がせてるって話だ。何でも凄まじい実力で、兵じゃ対応しきれんとか。折角旅行の方針が固まってきたのによ……」
カンタの言葉を聞いて、ガフマンは黙考する。
彼の話が不思議にも、自分を襲った人間の特徴と合致していた。何より、戦闘中に窺えた『白い烙印』は見紛う筈もない決定的な証拠だ。彼等が<印>の一員であると同時に、あの矛剴の里が彼等の故郷だと。仮に、彼等がこの国でも何かを企んでいるとすれば、それは重大な情報だ。
「ん?あの娘は?」
ガフマンは、カンタの背後に佇む少女を見咎めた。皿に載せた料理を水平に持って、黙然と二人の様子を見ている。
手入れのされた銀髪は一つに結われて右肩に流されており、白を基調とした袖の短い単衣と合わさって、まるで穢れとは縁遠い無垢な子供を思わせた。それでもより目を引くのは、金色の眼と側頭部辺りに生えた角。
ガフマンは顔を見て、好奇に口の端を上げた。
「ほほう……魔族の娘か」
魔族――それは約五〇年も昔、この大陸を相手に激戦を繰り広げた強力な戦闘種族。魔物と人間の中間にあり、その容貌が人間に近しいほど、強力な能力と地位を持つ権利がある。
ガフマンの記憶でも、魔族と出会った体験は少ないが、知識としても彼女は紛れもなくその種の血を持つ者だ。しかも、その華奢な矮躯を威容と錯覚させる魔力の波動を肌に犇々と感じる。ガフマンは憚りもなく豪笑し、傷に響くのも厭わず自身の胸を叩いた。
「どうやら、娘。お前もただ者では無さそうだな」
「……おじさんも、ですね」
この少女には、ガフマンの実力を推し量れるだけの器量と力量があると悟って、多大な好奇心と微かな警戒心が胸の内に混在する。
少女は皿を前の床に置いて、静かに膝を屈して正座すると、ガフマンの瞳を凝視する。
「この魔力……さてはお主、さぞ高名な魔族の出だな?」
カンタは何の事かも判らず、戸惑いに二人を交互に見遣る。一方は獣の如し巨躯に、一方は見目麗しき美を持つ少女。明らかに対照的な存在でありながら、眼差しから放つ意思の強さは拮抗し、中間地点で火花を散らしているかのように見えた。
「おじさんの言う通り。この身は……魔王の嗣子です」
少女の発言に、ガフマンがふっと息を吐く。
「ほほう、益々気に入ったぞ、娘」
「何の話か知らんが、俺を省くのは良くねぇと思うぞ??」
× × ×
西国――ロブディ。
ダンジョン第四層での戦闘から一ヶ月間。
ユウタは冒険者として、普段通りの活動を再開した。今回は依頼を達成し、報酬を得るという生活の循環を満喫しているが、一向に昇格の話は無かった。落胆するユウタを慰める気も無く、寧ろ不安を煽るムスビは、漸く二人でチームとしての行動が出来た事実に満悦である。
カリーナが従姉妹である事実を伝えても、ユウタに対する待遇などを一切変えずに振る舞う彼女に、不安よりも安堵が大きかった。やはり、偏見のみでは人を判断しない有徳の士と呼ばれるに相応しき人柄だった。
ロブディの町でも親しい人間が出来てしまい、別れが寂しくなると感じながらも、来る者を拒めないのがユウタだ。その温和な気質と、深い目の隈を除いて整っている容姿に、若い娘の関心を寄せることで、ジーデスからは注意を、ムスビからは真意の判らない叱責を受けた。
早朝、まだ日も上がらぬ薄闇の中で、ユウタは寝台から体を起こす。起床した後は、いつも体操をして体を解すのが一日の始まりである。それが例え特別な日であろうと、欠かさないのが幼き頃からある習慣。
カリーナの屋敷ではなく、宿屋で目を覚ました。部屋を出れば、壮麗な装飾のある天井や毛編みの絨毯が敷かれていない。長くカルデラ一族に世話となっていた故か、殺風景で寂莫を感じるが、旅人の感覚としてはこれが当たり前なのだ。
滞在が過ぎた。一ヶ所に留まる期間が長いほど、余計な情念に旅の足は鈍る。乾いているとは判っているが、付き合い方を選ばなくてはならない。これ以上の友情を育む前には立ち去るのが旅人を続ける心得である。
身なりを整えて紫檀の杖を携えると、背嚢に荷物を容れると、床を軋ませずに、無音の足取りで階段を降りた。ムスビは別室でまだ眠っているだろう。
ユウタは、黎明を迎える夜闇に包まれた十字路を北へと進んで、カルデラ一族の屋敷に向かった。寝静まっている街の静寂の中、この道を我が物顔で歩く。人の営みが始まるにはまだ早い時間帯に、闇に紛れてそぞろ歩く姿と鋭い手先と足先の捌きは、これから標的を仕留める刺客を連想させる。
実情はそんなものではない。相手の家を訪ねるだけのこと。ユウタは特殊な出自ではあるが、基本的には優しい少年である。
屋敷の所有地と町を隔てる石垣の壁と、正面の門扉は一重の鉄格。見る者を圧倒する威厳を滲ませた建物にも動じず、夜半から見張りを務める門兵に黙礼すると、忌憚のない慣れた手付きで扉を押し開ける。この一ヶ月間、ユウタは屋敷を訪れる事が多く、大抵の人間に顔が知れていた。
既にカルデラ一族の護衛の任を解かれている彼が、屋敷の出入を許されるには理由がある。また、それを咎める者は誰一人としていなかった。
玄関扉の前に、薄いワンピースを着たハナエが立っている。無言で虚空に視線を固定していたが、開門と同時に鳴り響く音に振り返って顔に笑みの花を咲かせた。黒い東国の服装をした少年の姿をみとめて、石畳の地面を短靴で踏み鳴らして駆け寄る。その弾んだ歩調から彼女の感情は語るべくもなく、輝きを放たんばかりの喜色。
ユウタはハナエを受け止めて、両腕を背に回して抱き締めた。最近ではこれが挨拶であり、二人の存在を確認し合う必要な行為となっていた。
門兵が煽るように奇声を上げたが、それすらも気に留めず、時間を忘れたように身を寄せる。そこには深甚なる愛を孕ませており、何人たりとも割って入れない。
名残惜しい思いを抑えて離れると、ユウタは柔らかく透き通った金の髪を梳いた。指の間を滑らかに滑る感触と、くすぐったそうに笑う少女に破顔する。
ハナエを家族にする。――すなわち、ハナエを妻とする。
決心したユウタは、経緯と己の心情を包み隠さずカリーナに語った。心底どうでも良いとばかりに、はいはいと聞いていたが、柄にもなく二人を祝っていた。複雑ではあったがジーデスも祝福してくれた。だが、ムスビにはまだ話せていない。彼女に話せば、旅がどうなるか、と詰問されていただろう。
冒険者の仕事やハナエの見舞で忙殺されていたユウタには余裕が無かった。そうして、相棒に対して黙秘している事を内省しながら、この一ヶ月を過ごした。
「おはよう、ハナエ」
「ユウタは相変わらず早いんだね。わたしも頑張って起きたけど、少し眠い……」
「ご、ごめん。やっぱり、時間を改めた方が良かったよね」
眠気に少し嗄れた声で、ユウタの体に身を預ける。それは如何に彼を信頼しているかを意図せず証明していた。漸くその恋を稔らせ、いま幸せに浸っている。
ユウタは彼女の肩に手を添えて支えながら、屋敷の中へと入る。こうして傍で守れる現状に満足していた。杖を袴の腰紐に差して、片手をハナエの掌に重ねる。
屋敷で保護される彼女に用意された部屋に通い詰めるユウタは、淀みない足取りで階段を上がって導く。急がせぬよう歩く速度を合わせて並ぶ。
部屋に到着して、ベッドへと座らせると落ち着いたのか、ハナエは枕を胸に抱いて顔を綻ばせる。だらしなく弛んだ顔は幸せに満ち足りて、見る者の心を和ませる効果を持つ。ユウタも例外ではなく、隣に腰を下ろした。窓から空を焦がす太陽の兆しの光が見えた。
杖を立て掛けて、ハナエの事に専念する。杖は戦いの象徴、それを手放して接する彼の応対は、彼女を嬉しくさせた。二人で談笑する間も、固く握られた手は離れない。
「ハナエ、髪伸ばさないの?ずっと肩までだけど」
「長いと手間がかかるし、それに作業の邪魔だって思うから」
「……僕は、ハナエが長い髪をしてる姿が見てみたい。ついでに、ご飯の匂いを漂わせる家の前で待っててくれるのも」
「ゆ、ユウタ。良いけど、恥ずかしくなるから……」
理想を語るユウタに苦笑する。告白をしてから、彼は極端に変わった。師に対する敬愛などは変わらないが、時折穏やかな表情から覘かせる冷然とした非情な殺し屋としての一面を見せぬように心掛けている。人間として、強く行きようと努力を、ハナエも応援した。
いまは亡き師よりも、ハナエへの愛情が深い。刷新されたユウタの風貌には、今までの危うさは無い。
「帰ってきたら、二人で暮らそう」
「うん。それなら、わたしも髪を伸ばして、もっと綺麗になれるよう頑張るね」
「無理しないでよ。と言うか、君の場合はもう充分過ぎるくらいだから」
ユウタに身を擦り寄せて、二人平穏な生活を送る未来を想像する。二人で営む生活がこの上なく充実しているモノだと確信して。
「それなら、雪の降る場所が良いな」
「ああ、確かに」
二人の故郷――神樹の森は、林立する稠密な高木の樹冠が雪を受け止めてしまうため、地面に積雪する事がない。あの森は枝葉が異常に太く逞しく、大概の重量にも耐えられる強度を誇る蓋となる。そして、天井をさらに雪で埋め固められた林間は底冷えするような寒気に凍てつく。
冬の時期は、わざわざ村から訪ねて来たハナエと共に囲炉裏で暖まるのが、恒例となっていた。専ら川から魚を調達し、焼いて食べる数も多くなる。
「いつか結婚式を挙げて、そしたら……その、子供を一緒に育てるの。大事に大事に、愛情を注いで独り立ちするのを見届けたい」
「そうだね」
「何もする事が無くなった老後はね……二人で、『あの家』で余生を過ごしたい……」
「……うん、絶対に実現しよう」
ユウタが答えると、ハナエは安心して眠った。
閉じた瞼と端整な顔付きは、至近距離で正視すると動悸が激しくなる。全身の体温が緊張と興奮に上がり、叫び声を我慢しながら寝台に横たえる。上掛けを掛けて、暫くその頭を撫でた。
まだゼーダとビューダの事を伝えずにいる。精神的な負担をさらに負わせる事などできない。村の守護者を尊敬してきた彼女を失意の底に陥れるなど言語道断だ。
ハナエが知る前に、片を付ける。
× × ×
「え!?――ジーデスはここに勤めるんですか?!」
「ああ、昨晩カリーナ様直々に伝えられた」
ユウタはハナエの部屋を出て数時間待機していると、ジーデスが赤い長衣を身に纏って現れた。平生の彼と違う格好に疑問を覚えた。騎士として武器を手に、護衛に徹するのが彼の本職であろう。暗殺の業を裏返しに随身として戦うユウタの職能とは異なる。
屋敷内の使用人ではなく、一見すれば政治にたずさわる人間だ。怪訝な視線を投げ掛けるユウタに、ジーデスはその疑問を察した。
「俺も驚きだよ。元はハナエの護衛だったのに、今ではあのカルデラ一族当主のお付きだよ」
「騎士としての職務は?」
「首都の騎士団からは除外されて、これから一番近くであの当主様をお守りする事になる」
「誰が当主様だと?私はカリーナと呼べと、お前達には既に注意した筈だが?」
ユウタとジーデスが振り返って、背後に聳え立つ若き当主に身を縮ませた。その相貌は明らかな怒気を漂わせて、二人を威圧している。身動きが出来ずに硬直する男たちの額を鋭く指で弾く。
予想以上の威力があった攻撃に、机に伏して呻いた。
「お、おはようございます」
「ジーデス、似合ってないな。流石だと言っておこう」
「何で朝から罵られなくちゃいけないんだ」
溜め息を溢すジーデスに、機嫌を良くしたのか不敵に笑って、二人の前に立った。
体格からも見下ろす位置にあり、反射的に跪いて彼女に忠義を尽くす戦士の如く頭を垂れる。
「ジーデス、お前を引き入れたのは他でもない。あの窮地にありながら、私を懸命に守ろうとした姿勢だ。信用ある者を手元に置いて損はない。これから、お前には私の直近の近衛兵として就いて貰うぞ」
「有り難き幸せ」
傲然と胸を張るカリーナに対し、粛々と承るジーデス。確かに、周囲を一蹴する力を持つ有能な存在であるが故に身を狙われ続ける危険にあるカルデラ一族として、真の信頼を持てる人間を内側へと引き込まない理由はないだろう。
「それと無名、お前宛の手紙だ」
「僕に……ですか?」
カリーナはユウタに一通の手紙を手渡して頷くと、静かに笑った。
静謐な朝の中庭へと三人で出ると、ローブの裾を払って噴水の縁に腰かける。ジーデスはその隣に控えた。
懐から彼女は一冊の書物を取り出す。鍵の付いた蝶番で封印された異様な外観をしたそれは、この町を訪れた本来の目的だ。リィテルで発生した魔物大量発生の謎を繙く証拠になり得ると、カルデラ一族の知識を借りるべく持ち運んだ。
氣術師との闘争を終えてから、ムスビが調査を依頼して、カリーナが担当していた。
「お前に渡されたこれは、我々の「図書館の鍵」、「顕現の鵞ペン」と同じ系統の道具。魔物を幻で操る呪術を付加した魔装だ。
間違いなく、リィテルの騒動の原因はこれだ」
告げられた結論を聞いて、ユウタは確信を得た。
これはゼーダとビューダが残して行った物だ。恐らく、ユウタと再会する前まであれを用いて、深層で何かをしていたのだ。従前までダンジョンで続く<印>の犯行は、一体何なのか。
「一応、術式は破壊したが、もう暫く預かるぞ」
「はい」
「奴等の言動が虚勢ではなく、真に再びこの世に戦乱をもたらそうと言うのなら、我々も手を打たなくてはならない。
各地の情報を、些細な事件まで調べ上げた物を集める。ロブディと並行して、奴等が行動していた場所があるかを確める」
カリーナも、<印>に対して強い警戒を持っている。『酉』のタイガが見せた驚異的な戦闘力を見たからこそ、脅威だと判断した。あれが自身の母と同族である事を、断固として許さずに弾劾する所存だ。
「カルデラ一族も、戦う事としよう」
「しかし、不用意に敵対すれば……」
「我が一族は、奴等とは二〇年前から戦う運命にあったのだ。今更という事だ……無名、お前には否が応でも協力して貰うぞ?」
既に部下でもないというのに、遠慮無く命令を下すカリーナに諦念を懐いて首肯する。
「カリーナ様の意向に従います」
× ×
氣術師のユウタへ――。
坊主よ、息災か?我はちと東国に用事があってな、今はある山里の一家に厄介になっとる。
我は氣術師の里に赴いた。矛剴の里と呼ばれる地に『闇人』と呼ばれる存在の記録がわずかに残っておってな、それが妙に坊主と重なる。これが勘違いでなければ、一大事だぞ。
西国の情報を仕入れたが、こりゃまずい。氣術師の連中が何かを策謀しておるぞ。見えない場所で、奴等はその手を伸ばしている。
これが両国家の転覆に繋がる事態なら、悠長にはしてられんだろう。坊主にも脅威が迫っておる。我も久しく危険な戦いに乗り出す。
坊主、いつかお前さんにも避けられん時が来ると予測しとる。その為にも、我はもう少し此所で情報収集も兼ねて里の生活を楽しむ。奴等にも狙われておるし、迂闊に動けんのが悔しいがな。
我と共闘してくれる事を期待しとるぞ。
ガフマンより。
× × ×
現在の郵便には、特殊な技法がある。己が記憶する人間を思い浮かべ、魔力でその名を記せば、郵送を希望した物体が相手へと遅送なく届くという仕組みである。昨晩に屋敷に辿り着いたこの一通は、既にカリーナが閲覧していた。
ガフマンの手紙を読み終えて、ユウタは昼に屋敷の前でムスビと集合した。綴られていた内容を伝えると、神妙な顔で聞いていた。ムスビの気持ちが共感できない訳ではない。
どうやら、ガフマンは帰省した後に東国へと氣術師について調べていたらしい。危険を顧みずに敢行した里への侵入は、追跡を逃れて何処かの里へと避難したという。恐らく氣術師を何人も相手取りながら、この情報を伝えるべく抵抗したのだ。
ユウタは彼がまだ無事である事を祈って、手紙を背嚢へと容れる。
屋敷前に、カリーナとセラ、ジーデスとムンデが見送りに来た。カルデラ一族や勇者という錚々たる人物が街の入り口まで来れば、それは騒動に発展しかねない。だが、別れを済ませぬのも不服であると、カリーナの命令によりこの場で全員との挨拶をする。
「ユウタ、また遊ぼう!」
「ハナエの事、よろしく頼んだよ」
「任せてよ!ボクの名誉に懸けて、この子を無事に届けるさ!」
勇者セラはユウタの胸を拳で小突いた。
ハナエはリュクリルへ戻る事を選び、道中の護衛をセラが務める事となった。だが、それにはまだ準備が必要なため、ユウタ達が出発した一週間後になると予想されている。
ユウタの旅の目的は二つ。
一つは、従前通りに<印>の追跡と撃滅。彼等の存在を無視しては通れない宿命に在るユウタは、必ず戦いを強いられる。ならば、問題を根絶させる為に正面からの対立を選ぶ他ない。
二つは、ハナエの声を取り戻す方法を探すこと。唯一の可能性として挙げられる神樹の樹液は可能性があまりにも絶望的な状況下。ユウタの氣術のみでしか会話ができないハナエを回復させる術を見付けたい。どちらかと言えば、こちらの方がユウタにとっては重要である。
ムンデは無言で他方向を睨んでいたが、関心がこちらに向いていると察し、黙礼してカリーナへ向き直る。
「カリーナ様、もしその身に危険が差し迫っていたなら、僕を頼って下さい。師の為にも、僕の為にも、戦います」
「なら、今度からは容赦なく使い潰してやろう」
「ご容赦下さい」
最後まで変わらないカリーナにユウタは嘆息して、ジーデスを見上げた。
「仕事、大変だろうけど頑張って」
「カリーナ様の下だと、早々に音をあげそうだけど。達者でな、ユウタ」
ハナエが前に出て、ユウタの手を両手で包む。この一ヶ月間に何度も触れたのに、これから離れようとすると考えれば辛く、ユウタにとって断腸の思いだった。しかし、彼女がずっと待っていてくれると確約してくれたのなら、今度会う時こそ、すべてを終わらせて、愛する妻を迎えに行く一人の男として胸を張る為に全力を投じて目的の達成に努力を惜しまない。
ハナエは小声で、ユウタにだけ聞こえるよう声を潜める。
「ユウタ、浮気は駄目だから」
「うん。まず僕にそんな度胸は無いし、君以外に面倒を見れる自信がない」
「そういう話じゃないんだけど……」
「待ってて」
「うん、ちゃんと迎えに来てね」
ユウタは深々と頷くと、一礼してムスビと共に十字路を南へと行く。
いよいよ本性を現した氣術師の思惑と、ガフマンが示唆する両国の危機。計画の一つには、二つの大陸によって神族を殲滅すると、タイガが明言した。
仮にべリオン全土を混沌へと落とす戦争を勃発させるならば、もう迷わずに敵を切る覚悟はある。まずは二ヶ月後の首都キスリートで、ゼーダとビューダを倒すことを意図するのみ。罪を償って貰わなくてはならないのだから。
「ねぇ、これから何処に行くの?」
「うーん……取り敢えず、地図で近い所に行こう。と言っても、かなり時間を要するけど」
「崖から飛び降りれば、距離も省略出来るんじゃない?」
「天国との距離だろ、それ」
ユウタは呆れながら、ムスビと共に街の出口を抜けた。
カリーナはその背を見送り、胸の内にある微かな悲哀の念に自嘲の笑みを浮かべた。大人よりも知識や行動力があると自負していた彼女は、母以外に心を許さず、ただ厳かにあれと肝に命じてきた。
だが、この一ヶ月はこれでの人生の中で最も色彩豊かな物語として体の芯に刻まされている。氣術師を中心とした騒乱ではあったが、確実にカリーナの琴線に触れる強い力を秘めている。
あたかも、自分自身が書架であり、今ようやく一冊目が置かれたような感覚がする。それを大切に封印し、保護する為の『鍵』は一族ではなく、彼女自身の『鍵』で。
「ジーデス、忙しくなるぞ」
「頭を使わない作業だけお願いします」
「それじゃあ早速、私の書斎で首都の議会から要請された案件について、きっちり議論しようじゃないか」
「先が思いやられる……」
「ボクもやるよ!仲間だもんね!」
カリーナは仲間を得た。
今回は本作をお読み頂き、大変有り難うございます。本章はこれにて完結です。小話を一つ、登場人物紹介のセットを挟んで第五章となります。
第五章は以前から温めていたネタとあって、張り切って行きたいです。
皆様にも楽しんで頂けるよう、全身全霊を尽くします。
これからもよろしくお願いいたします。




