塔の上の狙撃主
屋敷の広間で準備を終え、照明の無い薄暗い空間を出口へ向かって歩く。片手に提げた紫檀の杖の中程を握り締めて、玄関の扉を少し開けた間隙から注意深く周囲の様子を窺ってから出ようとする。
今の時刻は夕刻――直に夜が訪れる兆しに、黄昏色の太陽に染められた空を夜の闇が侵していた。もうすぐ頭上に星と月が眩しく映るだろう。冬の清澄な空で輝く星も、今のユウタには己を狙う刺客の凶刃からの照り返しに思え、不気味にしか感じられない。常に緊迫した状況下に身を置いていたためか、警戒心は旅を始めた頃とは比較になら無いほど高まっている。
相棒ムスビによる情報では、ユウタを狙撃した人物の武器は銃というらしい。西国で開発されたばかりの物で、遠距離でも高火力を誇るため実戦投与が期待されている武器だ。鋼鉄の筒から高速で射出され、命中と共に敵の沈黙を約束する。
この情報はすなわち、まだ発明されて間もないということは、敵は西国を依頼主とする殺し屋――それも、国の中枢に繋がる人物。ユウタが求める情報を即座に提供したムスビの情報力には目を瞠ったが、今はそこに感慨を懐く暇もない。
夜になれば、敵の動きも活発になる。人気が無い分、より行動範囲などが広がって対象を狙い易い。何も敵は一人と限った話ではなく、国直属の暗殺者が使役されているとなれば、それは既にユウタの首都侵入を感知しているという証左。ならば、より入念に人員を増やしているだろう。確実にユウタを殺す為の手段を講じるのに、まったく迷いがない。
ならば――ユウタがすべきなのは邀撃である。それも自身が専門とする近接戦の刺客との対決。やはり、銃使いには分が悪い。敵影を捉えて距離を詰める間も攻撃され、さらにある程度まで接近してしまえば、次の狙撃位置へと逃げられてしまう。これでは埒が開かない。
ユウタの恃みの綱は仲間である。今回、臨時的に戦闘に参加することとなったマコトと共に、銃使いを追い詰める。夜中ならば「東人狩り」の運動も勢いを弱め、敵に専念できるのだ。マコトが真に信頼における者か否かを判断する為の戦いでもある。
ムスビとの作戦会議を終えるまでの間に、マコトに氣巧弾を伝授したユウタだったが、彼の呑み込みの早さには驚愕した。本人の供述通り、武術は確かに訓練された見習い兵士と同等だが、非常に氣術師としての才は恵まれている。わずか数時間の猶予で、氣巧弾を会得してしまった吸収力は今まで見た人物の中でも無類の能力だと感嘆した。
だからこそ、銃使いを叩くのにマコトが適任であるとして、ユウタは彼に任せた。無論、監視の為にムスビも彼に同伴する方針だ。不審な動きがあれば、「白き魔女」が牙を剥く。仮に<印>からの間諜だったとしても、容易に裏切れはしない。少なくとも刺客を斥ける間は共闘が望める。
昼の間まで降っていた雪雲は空の彼方へと去り、今は星が瞬いている。もう雑踏の足音も聴こえず、辺りは閑散としていた。屋敷の外へと足を踏み出したユウタの耳に誰何の声が届く。何事かと振り返れば、ムスビが駆け寄って来た。
すぐ傍で止まると、無言で手にある物をユウタの胸に押し付けていた。握られているのは、黒檀の鞘をした小太刀である。それは数ヵ月前から氣巧剣の媒体として使用していた物とは違い、刀身も付いていた。
「何で、これを?」
「あんたの為に拵えたのよ。あの間者に愛用してるやつを預けたんでしょ?」
「ああ、そうだね。有り難う」
間者とまだ決まったわけではないが、ユウタは彼女の心遣いに訂正せず感謝して受け取った。腰紐に結わえ付ける。久方振りに仕込み杖以外に佩刀したと思わず感嘆する。矯めつ眇めつ、腰の小太刀を眺めているとムスビは満足そうに鼻から息を噴く。
「でも大概は仕込みだけで仕留められるし、寧ろ邪魔になるような気がするけど……」
機動力に着眼して溢した言葉は本音であり、すぐにムスビの機嫌を損ねる苦言であった。気付いた時にはもう遅く、眉根を寄せてこめかみに青筋を浮かべる表情に引き攣った笑みで応える。
屋内に響く拳骨の鈍い音がユウタの頭部で爆ぜた。痛みに苦悶する相棒を睨みながら、ムスビは小太刀を引ったくって踵を返す。その背を見送って、ユウタは夜に包まれつつある町へと躍り込んだ。
× × ×
黒外套を羽織るのみで、特に身を隠す工夫を施さないユウタだったが、既に街路は静まり返り、寂莫とした夜気に充たされていた。人の姿が忽然と姿を消して不気味に思えたが、この時間帯は首都の住人が自宅で祈りを捧げる時間。それは此所を訪れた商人であろうと差別なく強制される。それに反する行為は、神を信仰するこの国を脅かすと弁え、人々は厳しい規則に従って、今頃は見たことも無い神の姿に想いを馳せているのだろうと、ユウタは思わず嗤った。
どちらかといえば、ユウタは東国の人間の思想である。恃みは自力、己の培ったモノだけ。神や悪魔という胡乱な存在に依存するよりも、自信を付ける為の鍛練を行う精神の持ち主。恐怖に打ち克つならば、その手で切り開く。故に、幼少期からユウタは胆が据わっており、少年でありながらどこか大人びた雰囲気をしていた。それが時に羨望を集めた時もあった。
魔石街灯に照らされてはいるが、路地裏に続く細道には濃霧のような闇が蟠っている。絡繹の途絶えた静寂の中を物音も立てず動く。余人が一体どうやって足許の確認も覚束ない夜の中を、草履で床を擦ったりせずに歩けるのか疑問が絶えないだろう。
ユウタは比較的に広い道を通るように努めていた。敢えて身を晒すことで、敵の位置が特定できるように。銃の射程距離が昼よりもまだ広いというのなら確かに危険ではあるが、獣じみた鋭敏さに加え、瞬時に状況を把握する能力に長けたユウタは土壇場で狙撃されようとも一度は回避できるという自負があった。ただ油断が無いよう、周囲一帯の警戒を疎かにせず、闇の中をそぞろ歩く。
敵の手が何処から伸びてくるのか、それを逸速く察知する能力を、師の薫陶を受けながら研ぎ澄ましてきた。仮にユウタの感知を免れて現れるとするなら、それは氣術師か、手練れの追跡術を持つ人物である。
右腕の包帯を捨てる。ここでは偽っても致し方ない。即座に全力の氣術を展開できる為に、枷は予め外しておく。銃使いの連射、迫り来る敵が重なった場合、それを斥けるには手に駆る仕込み杖だけでは足りない。
ユウタは頭上から注がれる魔石街灯の光に目を少し細め、街灯に背を凭れ掛けてその場に留まった。
首都キスリートは東西南北、その方角に高い灯台が建造されおり、それぞれが中央の王宮を見下ろす高さになっている。祝典などには燦然とした輝きを灯す塔は、北を除くと『御三家』を象徴する。東には『勇者の塔』、南には『聖女の塔』、西に『賢者の塔』――中は歴代の加護を受けた者が遺した品々があり、また塔自体が霊殿とされて壁には名が刻まれている。初めて訪れる者を圧倒するそれらは、やはり神を信仰する西国の意思を形とした物だった。
そして特別とされ最も高い北の塔は、『王の塔』。連綿と継承されていく国の長を祀る場所であり、首都では王宮の次に神聖と人々に嘯かれる。
ともあれ、実質は祝典以外に用途の無いこの塔は、ほぼ無人の廃屋に変わり無い。故に、高い位置から町を眺望できる最適の場所だった。それを利用する者の目的とは、あまり穏当な物では無い。
東の塔に今夜、黒檀の箱を持つ白スーツの男が踏み入る。入り口が厳重に施錠されているのみの警備であり、侵入に心得のある者ならば容易に解除できるのだ。暫しの格闘の末、かちりという音と共に南京錠が外れて扉が軋りを上げながら、男を中へと誘う。
黙々と道具をしまって、周囲を検めて中へ。
上へと続く螺旋階段が続く中を迷わずに進んで、段差に躓くことのみに気を配りながら高さを稼いでいく。白スーツは獲物が夜中に町へと出ているということは確認済みであった。それを一体どのような手段で、能力で為したのか、この白スーツが持ちうる武器は銃のみではない。
塔の頂点に着いて、男は箱を開ける。中に分解された銃が並んでおり、部品を丁寧に組み立てた。手慣れた手つき、一分もせずに完成させると銃身を持ち上げた。銃爪に緩く指を掛けながら、男は片目を眇めて、王宮へと続く街路の一点に集中する。
そこに、悠然と佇む少年が居た。杖を抱くように腕を組み、瞑目している。その立ち様からも余裕が感じられ、男は眉を顰めた。何を以てして、そのような気構えでいられるのか。何処から敵が狙っているかも定かではないというのに。――いや、そうか。
得心した男は思わず口角を上げた。
少年の位置は、路傍に設置された街灯。すぐ背後には建物があり、西の塔からは一切姿が見えない上に、近い位置で狙うには直ぐ後ろの屋上から狙うしかない。そうなれば、少年の本領発揮、こちらの首が無い。さらに街路が南東から王宮へと伸びているため、最も狙撃が安易なのは東の塔に限定される。北では王宮があり建物の屋上ならば西からの場合と差異がなく、南も同じ。首都の家屋はほとんどが高さを同じにするため、街路に接する建物からしか少年を捉えられない。
少年は誘っている――何故?この距離では幾ら急いでも、敵の逃走する時間を与えてしまう。そんな隙を果たして許すのか。
訝って銃を下ろし黙想する。攻撃する意図を持たずに、敵の攻撃を甘受する姿勢。いや、攻撃を受ける積もりは無いだろう。となれば、何を企んでいる?自分の位置を特定する為に敢えて狙撃させるとは容易に想像がつくが、それならばなぜ東に限定する場所に立つのか。――仲間か、何処かで別動隊が存在し、少年が囮となって敵を裏から襲う戦法だ。
どちらにせよ、今攻撃するのは危ういと感じ、男は銃を片付け始める。解体して所定の位置に納めていくと、箱を閉じて颯爽と立ち上がる。今夜でなくても良い、次の晩にでも殺しても仕事は達成できるのだ。
男は螺旋階段を降りていく。此所に来た時よりもやや早足、少年の仲間との遭遇を免れる為にもこの場を早急に後にしなくてはならない。
「見付けたわよ」
塔の内部に谺が響く。男は足を止め、階段の欄干から身を乗り出して下を見る。
床の一点に暗闇の中にも浮かび上がるのは、玲瓏な美貌。輝いているとさえ錯覚する、それが誰だかを察せられ、男は欄干から退くと視界の隅に人影を捉えた。振り向けば、そこに螺旋の半周ほど距離を置いた場所――つまり男の対岸にいる人を見付ける。彼は少し見上げるように男に視線を返していた。
見憶えのある相手を男は鼻で嗤った。暗殺対象では無いが、まさか昼間に襲撃されながら自ら赴いてくるとは慮外の行動であった。その蛮勇を讃えるように、男は東国の少年を見据える。
「見付けたぞ、銃使い」
「……貴様、昼間に梟と居た奴だな」
「お前を斃しに来た!」
「何故?」
「語る必要は無い」
「そうか、なら丁度良い。敵国の人間の首を王に献上するとしよう。貴様なら試し撃ち程度で勝てる」
告げられた勝利宣言。
そうはならない――マコトは人差し指の指先に氣巧弾を装填しながら、構えに入った。狙いは男の胸部――銃を操る体を駆動させる命の源。これが成功すれば、自身の身の潔白を証明できる。何より、この孤独と絶望に苛まれていた日々に現れた同胞より授かった技を絶対に外せはしない。
敵を討たんという気勢のマコトが先に氣巧弾を発動させているのに対し、男は右の腰帯に短剣の鞘のごとく革の包みに納められていた漆黒の銃を抜き放つ。銃把を握り込み、手首を起こし銃口を正面に向けて発砲する。その動作は一秒とかからず行われ、弾丸は空間を焼き裂いて標的へと直進。
一瞬の出来事――それを感覚で認知していても、体が追い付かない。驚怖に瞠目したマコトの肩を貫く。衝撃に仰け反り、男を指していた指先が空へと上がる。氣巧弾は男の発砲に続いて轟音を上げ、頭上の階段を穿つ。敵の早業に返り討ちに遭い、傷口を押さえながら体勢を崩して階段を転げ落ちる。
遠距離の為の武器ゆえに近接戦闘用の銃が存在するとは思いもしなかった。塔の上からユウタを狙っていた物を小型に軽量化した物を、まるで軽く棒を振るように扱っていた。
下から状況を静観していたムスビは、突然の事態に何も見えず困惑する。けたたましい音以外に判断材料はないが、ただマコトが負けたことだけが読み取れた。耳を劈く銃声は塔の中を駆け回り、その衝撃を離れたムスビの膚にまで震動として伝える。如何に武器自体が軽いとしても、それから発生する威力と速度は桁が違う。槍の投擲、矢の射撃では明らかに再現不可能。刀剣や徒手空拳で躙り寄るのは、あまりに無謀である。
「まずいわね……!」
ムスビの指先に闇を払う炎が迸る。集積する魔力が凄まじい熱を発生させ、それが風を起こして階上の男を叩く。
直撃を予感した男は走り出す。自分の肩を抱いて横臥するマコトを飛び越えながら、手元は別の作業を並行して行っていた。銃爪の下にある小さな突起を引くと、銃身が降りて中から銃弾を包んでいた真鍮色の鉄塊が飛び出した。空となった場所へ、新たに弾丸が詰められる。
銃身を振り上げて再装填を済ませると、魔法を放とうとするムスビに向けた。
再び怒号する銃。ユウタでさえ目視できない速度で弾丸は滑空すると、ムスビの腕を命中した。前腕の骨を砕き、体内を撹拌して突き破る。白い肌が血に染まり、手の感覚が途絶する。強烈な痛みと衝撃に魔力が霧散し、その場に倒れる少女を無視して階段から飛び降りると、男は塔の扉を蹴破って逃げていった。
× × ×
「逃げられたんだね」
「逃がしたのはこいつよ」
「人に責任転嫁するな、君も居たんだろ」
合流した三人は街路に立っていた。ムスビは腕の傷とマコトの負傷を癒した。瞬く間に二人を圧倒して見せた敵の特徴を聞き及んで、ユウタは不安に胸を騒がせながら、マコトを労う。悄然と肩を落とす彼の落ち込みは尋常ではなかった。自身は悪くないと主張するムスビを厳しく咎めながら、その横で意気消沈している少年への気遣いに追われる。
「だ、大丈夫だよ、次があるって」
「そうかな……でもオレ、失敗したんだぞ?ムスビさんにも怪我させたし」
「ああ、彼女は平気だよ。何なら試し撃ちに使って良いよ」
「あたしを道具感覚で提供するのやめてくれない?てか、あたしの心配しなさいよ」
「えーと……なんだっけ……あ、そうそう!大丈夫か、ムスビ!……これで良い?」
「それで良いのよ……ふふ」
「え、何か怖い、後で何もしないよね?」
「さあ?」
自分を特に心配しない相棒の態度に不満を愚痴る。
「しかし、思ったより敵が手強いのか」
「あんたの方はどうだったのよ?」
「まあ、何人かに襲われた」
ムスビ達が塔の中で男と対峙した時、ユウタは街路で数人の刺客と刃を交えていた。無論、鍔迫りもせずに敵を切るユウタの戦闘では、金属の噛み合う音も無い。敵を掃討したあと、朝まで放置しそれが良からぬ噂を立てて更なる劣勢を招く事を恐れて、ユウタは死体を処理した。石畳が敷き詰められた地面では弔うのも難しく、結果的に人通りの無さそうな場所を選んだ。火葬をすれば昼夜問わず目立つため、後々その場所には遺骸の悪臭が立ち込めるであろう。
それが大きな波紋として首都に伝わり、騎士団が差し向けられるような大事態に発展しなければ良いが……
マコトは兎も角、ムスビまでもが手傷を負って帰還した事実を聞き、状況があまり芳しくない事を悟る。銃という武器は、それだけ対処が難しいと当事者である二人が痛感しているのだ。近接戦に持ち込めば勝機ありと踏んでいたユウタの自信も、些か揺らぎ始めていた。
抜刀よりも、魔法よりも、敵の発砲が速いとなれば、かなりの強敵である。二日後の決戦に備えたい思いであったが、目前に現れた障害に憂慮が絶えない。
「勝つなら、早撃ちか……」
「でも、あれは難しいわよ。相当訓練してるんじゃない?」
「そうじゃなきゃ、そもそもアレも使えない。国から遣わされた、って部分が納得いくよ」
二人が手詰まりに唸る中、マコトがすっと立ち上がる。その瞳の奥に憤怒の炎がちらつき、穏やかで優しい印象を受けていたが、その変化にユウタは面食らう。少女にも見紛う相貌が、いまは戦意に奮い立つ男の決然とした表情をしていた。
「絶対に勝つ、次こそ勝つ」
「な、何でそんなに燃えてるの?」
「奴の目は同じだったんだ。オレが何かをする前から無謀だと決め付けてる連中と」
マコトは自分を侮り、嘲る相手を何よりも忌諱する。実戦する前から決定し、弁解や挽回の余地も与えられずに勝手に落とされていく。その始末が断じて許せない。武術の上達がないため、周囲から諦められていた過去を持つマコトは、それが何よりも苦痛だと感じる。対峙したあの銃使いが、同じ眼差しを自分に向けていた――まさしく最もマコトが倒すべき敵として認識する人物だった。氣巧弾を発動する前に封じられたのは手痛かったが、それでもまだ危害は損なわれていない。
次の早撃ちでは確実に勝つ。その一念のみに燃えていた。
決意を固めたマコトの様子を見守っていた二人は顔を見合わせる。どうやら、ムスビとユウタを貶める人間では無い。<印>の仲間という疑惑を払拭させるほど、今の彼には銃使い以外が眼中に無い。
二日以内に撃滅する。その方針を固めて、三人は改めて共闘に臨む。作戦は同じく、ユウタを囮とすること。変更があったとすれば、それはマコトが銃使いと勝負する際に、手出しは無用という点。彼の熱意を慮っての事である。だが、それ以上の妥協はない。マコトが負ければ、その次の再戦は用意せず、即座にその場で斃す。
「そうだね、頑張ろう。次は絶対に勝てるよ」
「無責任な事を言うわね」
「いつも無責任な君に言われたくないね」
ユウタは批難の意をこめて睨むが、本人に自覚は無いらしく、ムスビは途方に暮れた顔で首を傾げていた。行く先々で事件、そしてその事後処理を行うが、彼女がそれを手伝ってくれたことが無い。ユウタの労苦を知らず、意気揚々としているのが癪に障るのだ。だが、それを伝えたところで改善されるかも疑わしいため、口を噤んで不満を押し殺す。
マコトの氣巧弾は、発動までに少し長い所要時間が生じる。話に聞く銃使いは一秒の間に動作を遂行してしまう手練。会得したばかりといえど、これでは雲泥の差がある。二日で縮められるほど安易ではない。ならば、彼は氣巧弾以上の速度、威力、効率を持つ兵器――新たな氣巧法が要求される。かつて高速で動く八咫烏への対抗策として編み出したユウタの技を、さらに昇華させるとなれば困難だ。ただでさえ、氣巧弾でも苦悩の末に導き出した解答である。
発想だけでは補えない氣術の才能。これに関しては、習熟の早いマコトには心配ないが、それでも無理難題。
ユウタは先の思いやられる戦況に肩を落として項垂れる。彼の屈託を知らず、ムスビは次に相見えた時には必ず斃すと息巻くマコトを呆れながら斜視していた。
「取り敢えず、共闘ね。しっかり働きなさい、マコト」
「宜しく、えーと……姐さん」
ややぎこちないが握手を交わす二人を見て、ユウタはふと思った。
会話中にもムスビは知人の名を挙げるし、実際に本人を目の前にしても名前で誰何する。だが、何故だろうか、ユウタはシェイサイトにて対峙した傭兵クロガネとの一騎討ちの時しか、彼女は自分の名を口にしなかった。
「そういえばムスビ、僕って君に一回しか名前を呼ばれた記憶が無いんだけど」
「なに、梟?」
「そっちは勘弁して。聞き飽きるほど呼ばれたから」
逃亡生活の中で背後の敵意からそう称呼される過去を思い出し、ユウタは頭を抱える。
ともかく、ムスビが呼ばないことに深い理由は無いという。
「ま、帰るわよ」
「判ったよ、魔女殿」
ユウタが冗談でそう呼ぶと、ムスビが矢庭に嫌そうな顔をする。意趣返しであり、その反応を見て卑屈に笑うユウタの手首を強く掴む。
「あんたはムスビ、で良いのよ。そうじゃなきゃ駄目」
「えぇ……なんで?」
ムスビの要望に渋面を作る。その時に見せた嫣然と微笑する彼女に、ユウタは一瞬動揺した。今まで挑発的な笑顔か、或いは心の底から喜ぶ面貌しか見せなかった彼女の表情の中で初めて見る、異質な感情を垣間見る。だが、それが何なのかをまだ解するまでにはいかなかった。絡み付くような、妖艶な雰囲気の正体に背筋を悪寒が走る。普通の男性なら、まさにこの笑みだけで魂を奪われるような魔性の力がある。だが、ユウタには別の意味に思えて恐怖した。――心を許してはならない、まるでこちらを籠絡しようとする悪女を前に警戒するように。
深く思考せずに、ユウタは苦笑で返す。これ以上は何かが決壊する予感がある。
「二人は恋人なのか?」
「なんでそうなるのよ」
「いや、違うけど」
同時に同じ回答を向けられ、思わずマコトは噴き出しそうになった。笑いを堪え、必死に平静を装う。
「まあ良いや、ムスビで……」
「安心しなさい、あたしがあんたを名前で呼ぶ日は、そう遠くないわよ」
「?そうなんだ、その時には世界が終焉を迎えるのかな」
「なに?世界の終焉も、あたしと一緒に居たいって?」
「曲解が過ぎるぞ。御免だよ、そんなの」
どんな意図を含んだ言葉だったか、ユウタには解らない。だがそれが、何かを示唆しているとだけは漠然と感じられる。先程の恐怖の正体と同じモノだろう。暫し行動を別にした期間中に、何か変化があったのか。そう考えると、ユウタの胸には微かな寂寥感があった。
すっと背を向けたムスビに引かれて路地裏へと入り、一行は屋敷へと戻った。
今回アクセスして頂き、誠に有り難うございます。最近は忙しく、更新に間隔が空いてしまいました。今日更新できて良かったです。
異色の刺客の襲来から始まった本編ですが、無事に西国の騒乱を描く一部を完結させられるよう仕上げます。
次回も宜しくお願い致します。




