ハツコイオムライス 6/6
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カウンター席に座る光の前にオムライスが用意された。
完璧な円形をしたドーム型に、ケチャップで『チチでか女』と書かれている光の思い出のオムライスだ。
「愛、最後の味付けだ」
「お任せください」
ここまで微動だにしなかった愛がゆっくりと光に歩み寄る。
「――思い出に残る料理には記憶が残ります」
そして左手をオムライスにかざす。
「誰と食し、どのような時間を過ごしていたか」
一連の行動をただ見守っていた光は目を見開いた。
何故なら愛の呟きに呼応するように、左手が淡いオレンジ色の光に包まれているからだ。
「それは過ぎ去った、温かな時間」
しかし愛は目を閉じ、光に包まれた手をかざし――
「では思い出してみましょう。料理に刻まれた優しい時を」
パチンと指を鳴らす。
霧散する光に包まれ光は一瞬目を閉じた。
――また落ちたんだって?
懐かしい声に光は目を開けた。
周囲を見れば景色が変わっている。
今光が居るのは軽快な音楽が流れ、白を基調とした壁紙。木製のテーブルが並び、観葉植物まで置いてあるクラシカルな室内。
先ほどまで日々平穏のカウンター席に座っていたのに、今は昔馴染んだ喫茶店の木目調のカウンターにいる。
見間違うはずがない。
ここはあの思い出の喫茶店。
そしてカウンター越しに立つ人物。
乱雑に切りそろえた髪に、人を小ばかにしたような微笑は――
「健一!」
驚きと混乱で光は立ち上がった。
どうして健一がここにいる?
どうして自分はこの喫茶店にいる?
分からないことだらけだが、それでも健一に会えたことが嬉しくて涙ぐんでしまう。
「なんだ? 泣くほど悔しかったのかよ。ホントお前は負けず嫌いだよな」
「なっ! な、泣いてなんかないわよ!」
服の袖でゴシゴシと涙を拭く光に呆れながらも健一はカウンターに皿を置いた。
「これって……」
目の前にあるチチでか女とケチャップで書かれたオムライスに光は唖然とする。
スプーンに手もつけず、ただオムライスを見詰める光の様子に健一は首をかしげた。
「どうしたよ。いつもお前がオーディション落ちたら作ってやってるだろ」
「うん……でも……え?」
「食わないなら下げるぞ」
面倒げに皿を手に取る健一を光は慌てて制した。
「誰も食べないって言ってない! 食べるわよ!」
「んで、いつものように一口で残すっと」
「食べるわよ……今日は、全部……」
徐々に勢いが萎んでいく光の前に再びオムライスが出された。
「いただきます」
スプーンで一口ほお張ると痛みのような辛さが広がる。
でも食べる。
食べると決めた。
彼の気持ちが少しでも知りたいから。
一口一口、合間に水で流しながら食べていく。
ただ必死に光がオムライスを食べ続ける様子に健一も驚いていたが、ふと表情を緩めて嘆息した。
「お前はいいな。夢があって」
「なによ、いきなり」
「女優になる……か。でかい夢だが、やっぱ夢持ってる奴は輝いてるよ」
「……そう言えばさ」
今まで一口食べてケンカになっていたから分からなかった。どうして彼がいきなりそんなことを言い出すか。
「健一には夢とかないの?」
そして初めて気づいた。
いつも自分のことばかり話して、彼のことを聞いたことがない。
どうして喫茶店で働いているの?
私みたいに、何かやりたい事あるの?
いつも聞いてもらう側で、聞く側になったことがない。
一方通行な間柄だと、初めて気づいた。
「あるぜ。俺はいつか自分のカフェを開きたいんだ。コーヒーや紅茶がスゲー美味い評判のカフェだ」
途端に健一は目を輝かせ話してくれる。
「そこでよ、ガキ共の話を聞いてやるんだ。どんなことでもいい、部活だとか恋愛だとか……夢のこととか聞いてよ、かっこよく助言してやる。そんな場所を作るのが俺の夢だ」
見たこともない無邪気な笑顔は光の知らない健一で。
「知ってるか? ここのマスターってスゲー腕のいい人でさ、この人みたいなコーヒーが淹れたくて修行してるつーわけだ」
「そう……だったんだ」
「ああ。そんでお前は俺にとって最初の客だ。だから立ち止まったりするんじゃねぇぞ? 絶対に夢を掴めよな。それを食いきれるなら俺が保障してやる」
「食べきれるならって……どういうこと?」
「どういうこともなにも、お前ならそこに――」
瞬間、世界がオレンジの光と共に弾けた。
「え……?」
辺りを見回しながら光は何度も目を擦った。
一瞬どこか分からなかったが、ここは日々平穏の店内。自分はオムライスを注文して、そして――
「いい夢でも見てたのか」
カウンター越しに立っている優介が問いかけた。
「夢……? どういうこと?」
ただ困惑していた光の表情が徐々に暗く沈んでいく。
「……夢でもいいのに、どうして最後まで見れなかったの? まだ全部聞いてない。あいつの気持ち、全部聞いてない!」
「なんだ、まだ見えてねぇのか」
悔しがる光に優介はオムライスの皿を指差す。
「そいつの想いは最初から皿にあったんだよ」
「健一の……想い?」
「まったく。本当にガキみてぇな料理だ」
悪態を吐く優介からゆっくりと光の視線が移動する。
いつの間にか完食していたオムライスの皿の上に。
ハムで象られた星が乗っていた。
呆然とする光は気づかない。
優介は微かに、ほんの一瞬だけ笑みを浮かべていた。
「愛、ご苦労だった。部屋まで運んでやる」
「……優介さま、ごめんなさい……味付けが、半端に……終わって……」
テーブル席でグッタリする愛の表情が苦渋に歪んでいる。
ただでさえ能力を使えば負担が大きいのに、目まぐるしい忙しさが加わって最後まで能力を維持できなかった悔しさの念があるのだろう。
「半端でいいんだよ」
だが愛を抱き上げる優介はゆっくりと首を振る。
「もう二度と会えない相手でもねぇんだ。違うか?」
その言葉に恋も頷き、愛は安堵の表情で目を閉じた。
「……健一さんって、ロマンチストですね」
二人の姿が無くなり、恋は今だ星型のハムを見つめる光に歩み寄る。
どうして優介がオムライスを完食することにこだわったのか、恋はようやく理解した。
辛いオムライス。
光の嫌いなピーマンやニンジンがたっぷりのオムライス。
それを食べきると初めて現れるハムで象られたお星さま。
夢を叶えるのは容易ではない。
辛いこと、悲しいこと、嫌なことはたくさんある。
でも諦めずに走り続ければ、きっと最後に掴むことが出来る。
お星さまのようにキラキラと輝く夢を。
だが恋は何も言わない。
それは伝える必要がないことだから。
誰よりも健一との時間を大切にしていた彼女なら、彼の想いに気づいている。
「それとビックリするくらいのテレ屋さん……ですね」
「……ふん」
光はスプーンで星型のハムを突付き
「ちゃんと口で言いなさいよ……あのバカ」
笑顔で泣いた。
*
――しばらくしてユースケがあたしの前のお皿を置いた。
『……なにこれ?』
『見てわからねぇか、オムライスだ』
確かにお皿には出来たてのオムライスが乗ってる。ユースケって料理できたんだってビックリするぐらいキレイな形をしたオムライス。
『……もしかして、あたしに作ってくれたの?』
『他に誰がいる』
『なんで?』
だっていきなり連れられてオムライス作って食べろって、意味わかんない。
『誰だろうと美味いもん食ってるときが一番幸せだろ』
『……え?』
『何があったか知らねぇが、お前なんで笑わない』
『笑う? えっと……笑ってるよ?』
『ああ、笑ってるな。無理して頑張ってるムカつく笑顔でな』
一瞬――ユースケがなに言ってるか分かんなかった。
そう一瞬。
島のみんなは温かくて、あたしは笑顔でいられた。お父さんのことも忘れて普通の幸せを取り戻した。
でもそれが偽りだってユースケに言われて初めて気がついた。
あたしは笑う必要があった。
お母さんを心配させないように、みんなを心配させないように笑わなきゃいけなかった。
だから自分でも気づかないうちに心から笑えてなかった。
当然だ、お父さんは逮捕されてお母さんと離婚して、世界を半分失って……そんな簡単に笑えるわけがない。
『でも……どうして?』
どうしてユースケは気づいてくれたの?
なのにどうして今まで何も言ってくれなかったの?
『たまごに上手く包めなかったんじゃよ』
あたしの問いに答えてくれたのはお爺ちゃんだった。
『オムライスを美しく包むのは中々難しいからのう。このクソ弟子は下手くそでなぁ』
『飯食うときにクソクソ言うんじゃねぇ。なにしに出てきやがった』
『白河の老いぼれに用があるんじゃバカ弟子が』
『なら裏から行け。つーかテメェも老いぼれだろうが』
『どこから出ようがワシの勝手じゃ。まったく、料理は見てくれではなく心じゃといつも教えとるのに体裁を気にしおって』
『……さっさと行きやがれ』
『言われんでもそうするわい。ちなみにバカ弟子、オムライスにはケチャップで文字が書けるのを忘れるな。テメェの心を甘酸っぱい文字にしてこそ料理人というものよ』
豪快に笑ってお爺ちゃんは出て行った。
つまり今まで声をかけてくれなかったのは、オムライスを上手く作れるようになるまで練習してたから?
あたしに笑ってもらいたくて悩んでくれて……そういうこと?
『べつに悩んでねぇよ。ただ昔、お前みたいにムカつく奴がいて……同じことをしてやりたかった。それだけだ』
それが誰のこと――なんて訊かなかった。
多分、そのムカつく奴ってユースケだ。
自分も笑えなくなって、誰かに美味しいものを作ってもらった。
なぜかあたしはそう確信した。
『まだ食わねぇか。ちっ……仕方ない』
でもなにを勘違いしたのか舌打ちしてユースケは厨房からケチャップを持ってきて――
『これならお前の飯だって分かるだろ』
オムライスの上に赤い文字を書いた。
『あ……あはは……』
思わず勘違いしちゃった。
『なんだ?』
『だって……可笑しくて。ねぇ、このオムライス食べていい?』
『だからお前のだって書いてるだろ』
『うん! いただきまーす』
手を合わせてさっそく一口食べる。
ユースケがあたしのために作ってくれたオムライスは……優しい味がした。
『美味しいよ』
『当然だ』
『うん……美味しい……や』
もう我慢できなくてぼろぼろ泣いた。
優しくて温かくて、ユースケの心がいっぱいのオムライスを食べながら、あたしはこの島に帰ってきて初めて泣いて、初めて笑えた。
『ねぇ……ユースケ』
『なんだ?』
『あたしね、ユースケに聞いてもらいたいことが……いっぱいあるの』
『奇遇だな。俺も恋に聞かせたいことがある。まあ、くだらない昔話だ』
『うん……聞く。これからはお互いにくだらない話、いっぱいしようね』
このオムライスを食べ終わったら、いっぱいいっぱい話すんだ。
離れてたのを無しにするくらい何でも話したい。なんでも訊きたい。
そうだよ……あたしはユースケとくだらない話がしたかったんだ。
だからこの島に帰ってきたんだね。
*
三ヵ月後――八月上旬。
「今日のアジは中々の味付けだ」
「ありがとうございます」
一階の居間では優介と愛が朝食中。
平穏な朝にのんびりとした時間。特に忙しい優介が一日のうち、安らげる僅かな時間。
そんな時間はいつも長く続かない。
インターホンも押さず、我が家のように入ってくる足音に二人はため息を吐いた。
「おっはよー!」
元気にあいさつをする恋は居間に入ると戸棚から茶碗を取り出し、自らご飯をよそい同じ食卓に付く。
「いっただきまーす」
そして当然のように朝食を始める。
母親が仕事で留守にしがちなので恋はここで朝食を食べている。登校日の今日もいつもの風景として、これまで静かな食卓が一気に明るく……というより騒がしくなるのだ。
「あ、ユースケ。テレビつけていい?」
「食事中にテレビ観るんじゃねぇ」
「いいじゃない。今朝のニュースに光さんが出るのよ」
「光? ああ、前にきた騒々しい客か」
「すごいよね光さん。今度はドラマに出演するんだって」
テレビに映る光は以前のようにお淑やか天然キャラではなく、ありのままの自分で頑張っている。
当初こそ豹変した光に戸惑う声もあったが、カミングアウトしたことによりむしろ人気は上がり、今までグラビア中心だった活躍も芸の幅を広げてついに初のテレビドラマ出演も決まった。
「やっぱキレイだねー光さん」
「ただやかましいだけになった気もするがな」
「そう言えば……春日井光で思い出しました」
初のドラマ出演について抱負を語る光を眺めていた愛はどこかに行ってしまう――と、思えば戻ってくるなり一枚の封筒をテーブルに置いた。
「なに?」
「恋宛に春日井光から手紙が来ていました」
首をかしげる恋に愛はサラリと答えた。
「……なんでここに届いてんの?」
「あなたの家の住所を知らなかったのでしょう」
「というか……消印が二週間も前なんだけど?」
「忘れていました。先月はリナのことで色々ありましたから」
「忘れるなー!」
ツッコミを入れて恋は慌てて手紙に目を通す。
宮辺恋さん、お元気ですか。
なんて、かたっくるしいあいさつは抜きにして早速ご報告。
あれから私は健一を探しました。まあ、そこは芸能人としての人脈をフルに使ってさ、意地でも見つけてやろうと頑張ったわけよ。
そしてついに被疑者確保。あいつ九州の調理学校に通ってたの。
とりあえず会いに行って、最初に殴りました。当然よね、あいさつも無しに消えちゃったんだから。
情けない顔で痛がる健一に真意を問い詰めるとさ、なんて言ったと思う?
私に負けないようにもっと努力して、立派に夢を掴んだら自分から会いに行って自慢してやるつもりだったって。
本当にバカだと思わない? 男ってホント単純だよね。
それから色々話して、まあ……私も素直になったというか、これは秘密だよ?
これからは別々に努力するんじゃなく、お互い励ましあっていこうというか。
そんな関係になりました。
「……光さん、健一さんに会えたって」
手紙に視線を落としたまま報告する恋に、優介と愛も微かに笑った。
「他に何が書いてあります?」
だが愛の一言に恋は手紙を閉じると何事もなかったように食事を再開。
「それはオムライス好き同士のナイショってことで」
「なんですかそれは」
「いいじゃない。さ、ご飯食べよ!」
はぐらかす恋に二人は首をかしげてしまった。
追伸
アドレスを書いとくから連絡ちょうだい。恋とも色々相談しあいたいから。
こっちは惚気ばっかになるかもだけど、やっぱ気になるじゃん。
私のように素直じゃないオムライス好きの恋の行方もね。
男って単純だから、ちゃんと捕まえとかないとダメよ。
以上、ちょっとだけ先をいく先輩からのアドバイスでした。
あたしの好きなオムライス。
外は半熟ふわふわのたまご焼き、中は甘いケチャップライス。
オムライスにはケチャップで文字が書かれている。
『恋のオムライス』
ユースケはあたしの名前を書いたつもりだけどさ、これってまんまじゃない?
だってあたしはこのオムライスを食べて。
ユースケに恋しちゃったんだから。
ハツコイオムライスは完結です。
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