ハーフオーガのアリシア75 ― 商工会Ⅱ ―
大きな丸テーブルから金貨が何枚かこぼれ落ちる。
山のように積まれて、いっぱいあるから感覚が麻痺してしまうけれど、本当はあの金貨が二枚もあれば、普通の家庭ならひと月くらい暮らせるはずだ。
落ちた金貨を拾わなきゃと思うけれど、アロガントさんがこっちを見ているから、目線を外して警戒を解くわけにはいかない。どうしたらいいのか。
そんなことを考えていると、黒森族のコージャさんが、さっと屈みこんで金貨を拾い上げ、丸テーブルの端に載せてくれた。それでアリシアは安心する。
「じゃあねだんをきめましょう」
お嬢様はそう仰って、それから商工会議所の会頭さんのフォーゼさんに、ちょっときて、と頼んだ。
フォーゼさんが傍までやってくると、お嬢様は
「いまからたいりょうのとりひきをするのよ」
と声をおかけになった。
「……は、ははっ! 早速でございますね」
フォーゼさんは冬なのに、ハンカチで汗を拭きながら答える。
「けいやくしょのかくにんとかしなもののだいたいのそうばもおしえてもらえるのよね?」
「確かにご挨拶させていただいた際に、そのようなことを申し上げましたね」
「じゃあまず、このあたりでのこむぎのそうばをおしえて?」
そうやってお嬢様は会頭さんを巻き込むと、わあわあ言いながらアロガントさんと交渉を始めた。
アリシアも加勢したいけれど、商売のこととかは全然分からない。
トラーチェさんのお友達の、穀物商のゲトライーダさんも、お嬢様のそばまで寄ってきて、一生懸命に色々と言ってくれた。
アロガントさんがゲトライーダさんの方を忌々しげに睨みつけるけれど、ゲトライーダさんは、お嬢様(が肩に座っているアリシア)の陰に体を半分隠すようにしながら、顔だけ出して、大きな声で色々と口を挟む。
そうすると、他の商人さんたちもいっぱい寄ってきて、色々と口を出してくれた。
「べつにちょっとくらいたかくてもいいわよ」
そうお嬢様が言ったので、話はすぐにまとまって、会頭さんが契約書を作ってくれた。
なんでも聞いているところでは、大きな交易船に十二隻分の小麦を、お嬢様が金貨一万五千枚で買うということらしい。
額が大きすぎてよく分からない。
そうしてあとはサインをするだけとなったところで、お嬢様がふと何かに気づいたかのように顔を上げると
「ゲトライーダさんと、そのかぞくとかんけいしゃのあんぜんがほしょうされないと、サインはしないわ!」
と、お嬢様が言いだす。
「なんでそんなことをお前に言われんといかんのだ!」
そんなふうにアロガントさんが喚きはじめて、お嬢様も
「そんなこといってあとからなにかするきなのね!」と叫び始めた。
二人は睨みあっていたけれど、お嬢様が「じゃあわかったわよ」と仰って、小切手を別に一枚ぴらりと取り出して、アリシアに渡した。帝国金貨百枚と書いてある。
それを受け取ったアリシアが、その小切手をアロガントさんに渡すと
「ゲトライーダさんと、かぞくとかんけいしゃにてをださないってせいやくしょにサインするならそれをあげるわ」と仰った。
アロガントさんは、その小切手を手に持って、黙ったまましばらく眺めていたけれど
「……まあ、そういうことならいいさ」と呟くように言う。
それでお嬢様が会頭さんに、誓約書というのを作ってくれるように頼むと、今度はまた別のおじさんが出てきて、その誓約書というものを書いてくれる。
それで、アロガントさんが契約書と誓約書にサインをした。
お嬢様もアリシアの肩の上から降りて、丸テーブルの端っこのほうで浮き上がりながら、契約書には普通にサインをして、誓約書のほうは、なぜか紙をひっくり返して裏面にサインをしている。
すると、アリシアたちが座っていたのとは別の、部屋の奥側のソファーセットに座って、ずっと黙っていたダンディーな髭のおじさんが、ソファーから立ち上がってこっちにやってきた。
そうしてそのダンディーな髭のおじさんは、アロガントさんのほうに向かって
「俺もこの誓約書に裏書するからな」と言って、サインをし終わったお嬢様から誓約書のほうだけを受け取って、お嬢様と同じようにその裏面にサインをしている。
アロガントさんはダンディーな髭のおじさんに舌打ちをして、勝手にしろ、と吐き捨てるように返事をして、それから「先に船着き場のほうに行っている」と呟くように言ってから、部屋を出ていった。
「ありがとお!」
お嬢様がダンディーな髭のおじさんに、なんでだか分からないが、お礼を言っていると、トラーチェさんがお嬢様のほうにすっと近寄って、何かを耳打ちする。
すると、お嬢様は荷物袋の異能から、また小切手を一枚取り出して
「これはおれいです」と言って、ダンディーな髭のおじさんに渡そうとした。
「いやいや、そういうのは必要ないよ。
本当は今回のようなトラブルは私が止めるべきだったんだ。そのために商工会議所の顧問として今日もいたんだからね。
でもアロガント君が騒ぎを起こしたときに、情けないことだが一瞬躊躇してしまってね。
そこで君が話をつけてくれたわけだ。
だから誓約書の裏書くらいは無償でさせてほしい。これでも多少の圧力にはなるだろう。
むしろこれくらいはしなかったら会頭に怒られてしまうよ。顧問料も返せと言われるかもしれん」
ダンディーな髭のおじさんは、そう言って苦笑する。
「ギガバート閣下、当会の会員のために誓約書への裏書をいただきまして、ありがとうございます。たいへん助かります。
コルン会員のみならず、それ以外の者も、今回の小麦を巡る騒動に関わりがあったやに聞きますので、それらの者たちも、閣下のお力添えをもって、いくらか安心ができたものと存じます」
会頭さんが、ダンディーな髭のおじさんにそう声をかけると
「いやいや、だいたいのところはファルブロール殿が済ましていたわけだし、自分はその尻馬に乗っただけに過ぎんよ。礼を言うならファルブロール殿に言いたまえ」
ギガバートさんという名前らしきダンディーな髭のおじさんは、そう言ってひらひらと手を振った。
するとゲトライーダさんが進み出てきて、床に両膝をついて跪き、お嬢様とギガバートさんに
「お二人に大変なご迷惑をおかけしました……」と言ったきり絶句してしまう。
床に膝をついたら服が汚れるじゃないか、とアリシアはそれが気になる。
「自分は顧問料の分しか働いてないぞ」とギガバートさんはまた手を振り
「スカートがよごれるからたって」とお嬢様が言ってくださったので、それが気になっていたアリシアは、心密かに満足して、ゲトライーダさんの手を引いて立たせた。
「私が調子に乗ったばかりに、公女様にも大変な損害を……」
ゲトライーダさんはそう言ってほろほろと涙を流しはじめたので、アリシアはぎょっとしてしまう。
お嬢様はその様子を難しい顔をして見ていたけれど
「そういうのは、あんまりきにしなくていいのよ。
いざというときのために、こくもつをかいあつめて、ためこむのは、わたしのやくめだし、そうやってかったものは、さいがいとかがおこったら、たきだしとかで、ただでくばっちゃったりもするし、そしたらどうせそんはするんだから」と仰った。
けれどもゲトライーダさんは、かぶりを振り
「施しをなさるとしても、高く買ったものでされるのと、安く買えたものでされるのでは費えが違います!」
と強い口調で言った。
それで、お嬢様は宥めるように言葉をつなぐ。
「こくもつをかうのだって、へたなかいかたをすると、ねだんがあがりすぎちゃってみんながこまっちゃうし、だから、ああいう、いっぱいかってもだれもこまらない、ちゅうにういたようなこくもつがたくさんあるのは、たしょうたかかったとしてもうれしいのよ」
「それでも安いに越したことはないように思います……」
ゲトライーダさんはしょんぼりした声で言い募った。
「うーん……そういうわけでもないの。なんていえばいいのかしら」
お嬢様は短くてぷにぷにの腕を組んで少し考える。
「……つまり、わたしがもうけようとおもえばいくらでももうけられるのね。
たとえば、このまちにくるまでに、こうざんがあって、ガラスがとくさんのまちによってきたの。
そこできんぞくとかガラスをやまほどかったんだけど、わたしはにもつぶくろのいのうにいれてはこぶから、ゆそうのばしゃだいとかが、かかってないのよね。
だから、そのガラスやきんぞくを、ゆそうのひようのぶんだけねびきして、やすめのねだんでいっぱい、このまちでうれば、すごくおかねがもうかるけれど、そうはしないの。
ちょっとくらいはうってもうけるけれど、いっぱいはうらないわ。
それは、ばしゃとかでがんばってしなものをはこんでる、ほかのしょうにんさんたちがこまっちゃうからよね。
あと、しょくりょうとかがとくにそうだけど、どうしてもしなうすでたかくなりすぎてるものがあったら、わざとやすいねだんでうって、ねだんをおとすこともあるわ。
うれるからって、たかいねだんでうるんじゃなくて、やすくうるの。
そしたらもちろんそんをするんだけど、それはそうするべきだとおもってるから、ほんとうはたかくうれるものでも、そんをしてでもわざとやすくうるのだわ。
だから、なんていうか……わざとそんをすることはよくあることなの。
こんかいのことも、そういうことでしかないわ。
つまり、あなたがトラーチェのおともだちだから、たすけようとおもったのはもちろんあるけど、それだけじゃなくて、ふねでいっしょうけんめいこくもつをはこんできたひとが、それなりにもうけをとるべきだとおもったから、だからアロガントさんから、それなりにたかくかった……ということになるのかしらね?」
ゲトライーダさんは、そこまで聞くと、あっけにとられたような顔になって
「何も公女様が損を被らなくても……」と呟いた。
「おかねもうけなら、やろうとおもえばいくらでもできるわ。
とりでとかをつくるから、おおきないわをはこんでくれとかいわれたときに、そのはこびちんでおかねをもらうとか、みなとやかわぞこにどろがたまったからほってほしいとかいわれて、それをやってあげるこうじのおかねをもらうとか、まじゅうがりをしておかねをもうけたり、いろいろやってもうけたことがあるわよ。
だから、もうけてもいいとこで、ちょこちょこもうけて、もうけすぎたら、てきとうにそんをかぶって、ひつようそうなとこに、ものやおかねばらまくようにしてて、でもぜんたいでみたら、あるていどもうかるようにちょうせいしてるのよね。
それで、こんかいは、まじゅうとうばつえんしゅうで、てんりゅうとかを、かれて、いっぱいおかねがはいったの。
だからちょっとくらいこむぎをたかくかってもぜんぜんいいのよ」
お嬢様はとっても嬉しそうな顔でそうおっしゃった。
「つまり……儲け過ぎないように、わざと損をしたりしながら、いつも調整をなさっているので、個別の案件で多少の損があろうと、どうせ調整するのだから、あまりお気になさらない、というようなことでしょうか?」
会頭さんが横から口を挟んで、そうお嬢様に聞く。
「まあかんたんにいったらそういうことになるのかしらね?」
お嬢様は思案顔でそうおっしゃって、それから真面目な顔で
「おかねをためこむのもだいじだけど、ほんとうはみずとたべものをためこむことのほうがもっとだいじなのよ」
と、何か重要なことを告げるように、おごそかな口調で付け加えた。
声も顔もかわいいので、あんまりそれらしくはなかったけれども。
「それは、なんというか、もうご商売というよりは、市場介入とか統治に片足を入れているような印象を受けますな……」
会頭さんが考え込みながら言う。
「そんなつもりはないけど、わたしがすきかってやったら、はさんしたひとがくびをつったりとかして、たいへんなことになることもあるとおもうから、きをつけながらやらないといけないのよ」
「そのように仰っていただいて、私どもは幸せでございます。
何かありましたら、ぜひ私どもにご相談をいただければ嬉しく存じます」
お嬢様は、会頭さんには、わかったわ、と返事をしてから、ゲトライーダさんの方を向いて
「だからね、ゲトライーダさんも、こまかいことはきにしなくていいのよ」
と仰った。
「大きな交易船に十二隻分の小麦を、金貨一万五千枚で買うのは、こまかくはないと思います……」
ゲトライーダさんがそう呟くのを聞いて、それはそう、とアリシアは思ったのだった。
■ tips
アリシアたちがいる地方における帝国金貨1枚は、現代日本の貨幣価値に換算すると、おおむね10万円ほどである。
ということは、アリスタお嬢様はこのたび、金貨15,000枚=15億円で、大きな交易船12隻に満載された小麦をお買いになったことになる。
大商いである。
■




