ハーフオーガのアリシア91 ― 里がえりⅦ ―
休暇の期間は楽しく過ぎて、あっという間に最後の日がやってきた。
その日は昼くらいから、お母さんの顔が暗くなって、晩御飯のときにはついに泣き出してしまう。
つまりアリシアが行ってしまうのがいやだということだろう。
アリシアはたまらなくなって
「奉公に戻るのやめようか」
などと言うべきでないことを、つい言ってしまったけれど、お母さんは
「だめよ、だめよ。私がおばあさんになって死ぬまでここにいる気なの?」
とかぶりを振った。
お父さんは
「俺達だって駆け落ちしてきた身だからなあ。自分の子には行くなだなんて言えんよな。
まあ親が耐えるべき痛みってやつだよな」
とか、暢気そうに言っていて、アリシアはちょっと腹が立つ。
◆
そうして次の日の朝に、起きて身づくろいをしてから、お母さんが作ってくれた弁当やら、下着の替えやらなにやらの旅支度を腕輪の中に入れる。
それから、村の人たちが見送りをしてくれると言ってくれていたので、お父さんとお母さんと連れ立って麓の村の方に降りていった。
村の中に入っていくと、真ん中の広場に皆が集まっていたんだけれども、その中に、まるで示し合わせたかのように、どこかで見たようなリボンを付けた女の子たちが集まっていて、ちょっとそこだけ、けっこう目立っている。
つまりはアリシアがあげたリボンを、一人や二人がつけてきただけだったら、特に違和感もなかったかもしれないけど、もらった女の子たちが気を遣ってくれたのか? 皆が皆とも、リボンを付けてきてくれたらしかった。
内緒ということで渡したけど、これじゃあ内緒にならない。
これはアリシアからもらったんだなと、貰った子どうしではお互いを見れば見当がつくから、お互いに聞いちゃうだろうし、現にリボンを付けた女の子同士で盛んに話をしていた。
それにリボンをもらってないもっと年下の女の子や、もっと年上のお姉さま方も、このリボンを付けた団体はなんなのかと気になるだろうから、あんたそれどうしたのとか、詰めるみたいに聞いてるように見える。
そしたら内緒と突っ張るのは厳しいだろうし、どうも仕方なく? 話しているみたいだった。
内緒ということで色々渡したけれど、事情は明らかになってしまったらしい。
アリシアは思わず天を仰ぎそうになったけれど、まあ考えてみれば、いくら内緒とは言ったって、狭い村のことだから、そもそも内緒というのに無理があったということだ。
仕方がないからアリシアは、女の子たちの集団に、何も気づいていないみたいに、近寄っていって、良い笑顔で手を振ってみる。
すると、一番最初にリボンと手紙のセットとチョコレートをあげたエヴリンちゃんが、真っ先に寄ってきてくれて、アリシアの膝に抱き着くと
「私だけにくれたのかと思ったのにちがったのね」
と言いながらじっとりとした目で見てくる。
アリシアはエヴリンちゃんを抱き上げると、何と答えたものか、一瞬だけ猛烈に考えて
「みんなにも喜んでほしいからね。
でもエヴリンちゃんに喜んでほしかったのはほんとだよ」
と言って、それからエヴリンちゃんの額にキスを落とした。
するとエヴリンちゃんは、えへへ、と笑って嬉しそうな顔になる。
うまく誤魔化されてくれたみたいだ。
でもそこで、そばにいた少し年かさのお姉さまが
「アリシアにならいいけど、そういう物言いをする男には騙されちゃだめよ」
とエヴリンちゃんに言ってくる。
それを聞いたエヴリンちゃんは、また疑い深げな表情でアリシアの顔を見てきた。
「キスで誤魔化すのとかもありがちよねー」
「そういう良い感じに言ってくれる男より、自分だけを大事にしてくれる人を選ばないとね」
とか別のお姉さま方も、色々と論評してくださる。
二十歳より上のお姉さま方にはリボンとかの追加のお土産をあげなかったせいなのか、ちょっと当たりがキツいような気もする。
それで進退窮まって、まわりを見回すとフローラが居たので、そちらを見て目で助けを求めると、フローラは苦笑しながら寄ってきて、エヴリンちゃんを引き取ってくれた。
それで少し離れた場所で、アリシアがお土産をあげた十歳までより、もう少し年下の、小さな女の子たちが、リボンを付けているエヴリンちゃんやフローラを羨ましそうに見ているのに気づく。
もう内緒じゃなくなったので、自分は貰えなかったと分かると悲しいのかもしれない。
アリシアは、手に持っている袋の中から取り出すふりをして、腕輪からリボンの残りを取り出して見てみると、エヴリンちゃんにあげたみたいに、五種類選んでもらうとかいうのだと足りなくなるだろうけど、一種類ずつくらいなら、小さな子たちにもまだ渡せるくらいには残っているように見えた。
それで小さな女の子たちに分けてあげてとお願いして、リボンの残りを全部フローラに託す。
まあ、年上のニ十歳より上のお姉さま方には我慢していただくことにして……
これ以上女の子たちのそばにいると、要らないことを言ったりしたりして、藪蛇になりそうだったので、アリシアは、いったん女の子たちの傍を離脱して、お父さんとお母さんの傍に戻った。
「お前はいったい何を目指しとるんだ」
というお父さんのあきれたような声が耳に痛い。
何を目指してるというか、女の子たちみんなのご期待に応えたらこうなってしまったので、女の子というのは難しいものだ。
◆
やがて、何かの荷物を載せた荷車を引いている男の人を連れて、村長さんが広場に出てきた。
村長さんは結婚式とかがあるときにいつも着ている、ちょっと立派な上着を着こんでいる。
なんだろうと思ってアリシアが見ていると、村長さんはそのまま歩いてきて、アリシアに向かい合って立った。
そうしてびしりと威儀を正したので、アリシアも慌てて姿勢を正す。
村長さんは、えへんえへんと咳払いをしてから朗々と話し始めた。
「本日は寒さ厳しいとは言えども、よく晴れてアリシア様の旅立ちにふさわしい日よりでございます。
この度の御帰省では、あふれるほどに私達の村のために贈り物をいただきまして、誠にありがとうございました。
またいとも寛大なるアリシア様の寄親様にも、感謝をお伝えいただけますれば幸いであります。
つきましては、旅の荷物になってもいけませんから、わずかばかりのものではございますが、感謝の気持ちをご用意いたしました」
これは村で育てた豚と香草で作ったソーセージでございます。これは村のオリーブの樹から採れた油でありまして、こっちはこれも村のワインとチーズと蜂蜜と、あとは羊毛で編んだマフラーは、大きなものはアリシア様に、寄親様はまだお小さいとのこと、小さなものをご用意いたしました。
あとこれは御礼を申し上げる手紙でありますから、お渡しいただければと存じます。
そんな感じで色々と説明してくれる。
とりあえず、お嬢様宛の手紙は懐に入れて、マフラーは巻いてもらって、お嬢様用の小さなのは、これも懐に入れて、それから、でっかい輪型のチーズに縄を通したものを渡してくれた。
「大丈夫ですかな? 荷物にはなりませんか?」
村長さんはそんなことを言いながら、アリシアの顔色をみながら渡してくれる。
アリシアとしては、腕輪の中に入れてしまえば、部屋いっぱいの荷物でも入るので、ほいほい受け取るのだけれど、隠しごとだからちょっと心が痛む。
油にワインに蜂蜜と、それぞれ割れないようになのか、素焼きの壺の上を藁で編んだ縄で覆ったようなやつを、縄を使って壺を体のあっちこっちに固定していると、最後にソーセージをいっぱい袋に入れてくれたやつを渡してくれた。
食べ物がいっぱいで嬉しかったから、村長さんと村のみんなに頭を下げてお礼を言うと、村長さんは、いやいや少しで申し訳ないとか言って笑った。
それから姿勢を正して、餞の言葉をひとつ申し上げます、というと調子をつけて詠いはじめる。
「狩人、また戦士にして守護者よ。
幼い娘であった御身は、今や栄光に満ちて高貴さを帯びられた。
我が村にあって泉のように、恵みをもたらし、我らを喜びで満たすことをされる。
女たちは着飾り、男たちは酔い、子供たちは甘露を楽しみ、いとも寛大な恩寵のうちに春を思う。
御身の行く道は遥けき高み。光に満ちて、そは我らが喜び。
御身の憩いたることが、我らの望み。
御身の行く手が平穏であり、幸いなものとなり、御身の健やかならんことを」
自分のことをこんなふうに思ってくれる人がいるのは嬉しいことだなあと、アリシアはしみじみ思い、
ありがとうございます、と言って両手で村長さんの手を取った。
それから、そばにいた村長さんの奥さんに「母を頼みます」と、お願いすると「任せておおき」と請け負ってくれる。
それから広場のほうに向きなおって、村長さんみたいに色々言うのは無理だけれど
「村のみんなが平穏で健やかでありますように」
と、精一杯の願いを込めて祝福を述べてから、そうしてアリシアは踵を返して、皆が口々に別れの言葉を投げてくれるのを聞きながら村を出た。
最後に一度だけ振り返り、村長さんの奥さんに手を握ってもらっているお母さんの顔を目に焼き付ける。
それからアリシアは向きなおり、もう振り返らなかった。
◆
しばらくアリシアは歩き、お嬢様はどうしてるかな、アイシャさんはどうだろう、と思い出しては少し早足になる。
トラーチェさんもコージャさんもコロネさんもウィッカさんもミーナちゃんも元気でいるかなと、そう思ったら、なんだかじっとしていられない気がして、アリシアはついには駆けだした。
走りながら、体にくっつけている荷物を取り外しては腕輪の中に入れていく。
そうして身軽になって、どんどん速度を上げる。
なんだか嬉しくて叫び出したいような気分になって、私はなんて幸せなんだろうと、アリシアはそう思ったのだった。
自分が産まれた家ではない別の場所に、自分の居場所があって、その居場所に自分は帰りたいと思っていて、そこに帰れることを自分はとても喜んでいる。
それはなんてありがたいことだろう。私が愛する人たち。
そうしてアリシアは衝動のままにペースを上げ、少し休み、少し眠り、あるいは食事をとる以外は走り続けて、故郷の村からファルブロール伯領までを、たったの三日弱で踏破してしまったのだった。
日の出を追いかけるようにして、ご領主様のお屋敷のある丘を登り、朝の光の中で、立派な正門を眺めると、最後にここを出てからまだ二十日くらいしか経っていないのに、とても懐かしく思える。
門のところの部屋にいる門番さんに挨拶をして、錬鉄の門扉を開けてもらう。
屋敷の前庭を回り込んで、お屋敷の正面玄関のところまで行くと、扉の開く音がして、箒を持ったメイドさんが出てきた。
誰かと思って見たら、これがミーナちゃんで、ミーナちゃんは顔を上げるとアリシアに気づく。
アリシアが手を振ると、ミーナちゃんは
「アリシア様!」と叫んで、手に持った箒を放り出し、駆け寄ってきてくれた。
少し腰を落としてミーナちゃんを抱き上げて、くるくると回り
「ただいま」と返事をすると、ミーナちゃんは嬉しそうな顔をして、にっこりと微笑んで、おかえりなさい、と言ってくれた。
ああ、帰ってきたんだなあと、アリシアが実感していると、ミーナちゃんはアリシアの胸に顔を埋めて、それから顔を上げる。
「アリシア様、ちょっとくさいですよ。お風呂に入ってください」
アリシアは苦笑いをして、はあい、と良いお返事をするのだった。




