表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/30

file6:5年ぶりの海

実家では、千博の母親が待っていた。どうやら、離婚して別々に住んでいるらしく、目の前で交わされる親子の会話もどこかぎこちのないものだった。自分を羨まないで欲しいと言う千博に、貫太郎は気の利いた言葉を返した。いつの間にか、ふたりはお互いを労われるようになっていた。

 遊泳者も疎らな、ひと気のない静かな砂浜。穏やかな波が透き通るように綺麗な水面を揺らしていた。単調に続く控えめな音は最後の記憶に残るものとだいぶ異なっていた。傷付いた心を優しく癒してくれるようだった。

「うーん、夏だぁ!」

 Tシャツとキャロットスカートを脱ぎ、水着姿になった鈴原は元気一杯に一年ぶりの海へと走った。

「ほら石井も早く!」

「ちょ、ちょっと待って。まだ心の準備が」

 それでもいざ目の前にすると、やはり僕の心には不安が再燃していた。タロウを失った海とは違う。あの頃とは違い、僕もいくらかは泳げるようになっている。そう言い聞かせても、まるで別の人格が乗り移ったかのように足が震え、思うように動かなかった。

 波が迫ると触れる間際で後ろに飛び退き、なかなか入ろうとしない僕に鈴原は少し苛立った様子で言った。

「そんなんじゃ一生入れないよ」

「そんなこと言ったって……あっ!」

 鈴原は駆け寄り、反論をしようとした僕の腕を掴んで引き込んだ。

 海水が五年ぶりに僕の足へあたった。掻き消されて衝突音は聞こえなかった。心臓が止まりそうな時間は一瞬で過ぎ去り、くすぐったい感覚が土踏まずに残った。

「どう?」

 鈴原が心配そうな顔で僕に尋ねた。

「うん、大丈夫……みたいだ」

 意思をもって人を殺めることは決してない。海は魔物でも怪獣でもなく、ただ自然のひとつとしてそこにあった。

 くるぶしからヒザ、ヒザからモモへと、腰のひけていた僕は少しずつ前に進み、海の感覚を取り戻そうとした。

「こんなとき、ドラマだと溺れたヒロインを助けようとして吹っ切れるんだよね」

 僕の様子に安心した鈴原はオチャラけて言った。そして何を考えていたのか、少し無口になったりもしていた。しかし、その一方でこちらはそうならないで欲しいと願っていた。まだクロールが不完全なのだ。救出するにもバタ足では格好悪すぎる。

「屈んで肩まで浸かってみたら」

「ああ……うん」

 波が唇にあたったついでに目を閉じて顔を浸けてみた。太陽に熱せられた顔の肌が冷やされて、ところどころがヒリヒリと感じた。

「泳げるようになったらさ。いいトコに連れてってあげる」

 鈴原はそう約束して、検定で行なう背泳ぎの練習を始めた。僕がどこかと訊いても秘密と言って教えてくれなかった。

 決してドラマや映画のようなショック療法ではなく、僕はかつてタロウを奪った海にゆっくりと慣れていった。それは他人からみれば気の遠くなるような時間だったかもしれない。しかし鈴原は何も言わず僕の行為を見守っていた。それがとても申し訳なく、それでいて素直に『ありがとう』と言えない自分がもどかしかった。


お時間があれば、ぜひ評価をお願いします。小説とは別にコミックメーカー3を使用したPCゲームとしても無料で配布しています。興味のある方はvector等でダウンロードしてください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ