グラオンという町
龍がのんびりアリエルと草原の美しさを愛でていた時だ。
通信具から、クラウディーヌの切羽詰まった声が飛び込んできた。
ルイたちに何かあったわけではなく、いつか見た者が倒れて、助けて欲しいという話。
「行きましょう」
とアリエルが言うので、龍の姿に戻り空を駆ける。
「妹とは、手のかかるものだな」
と零すと、アリエルはなぜだかクスクスと笑った。
「可愛いでしょう? 私、あなたに会うまで、あの子のために生きていたの。だからあの子に感謝して。そうでなければ、どうなっていたことか」
「そうか」
では感謝することにしよう。
***
何という事態では無かった。
魔力を込めて欲しいというだけだ。龍は、頭部を掴んで魔力を込めてやった。
クラウディーヌが一生懸命呼びかけている。直後、魔力が流れ出し内部のものが動き始めた。
ルイが、図面を確認して胸部に蓋をした。クラウディーヌとアリエルが、その者に服を着せてやる。
変わった存在だ。人間では無く、魔物でもない。まるで人のように生きている。
スゥ、と身体が息を吸ったように膨らんで、パチリと瞼が開いた。
「あれ。皆さん?」
と不思議そうに声を上げ、それからグランドルを見て、
「赤龍サマまで!」
と驚いて、自分の身体を確認した。
クラウディーヌが抱き付いて喜んでいて、アリエルも安心したように微笑んだので、事態は良くなったのだろう。
ルイに、
「本当に有難う。いつも呼び出してごめんなさい」
と告げられたので、頭を撫でて問題ないと伝えておいた。
***
女だけで『女子会』なるものをするという。
巻き添えを食い、龍は、ルイ、セナの長男、もう1人の男とルイの店に戻る事になった。ルイの息子が店で寝ているので、1人の状態で長く放置できないというのだ。
ルイの店で、細かな事情を聞かされた。
龍はため息をついた。
「それなら、都度私に頼めば良いではないか。魔力を込めるなど造作もない」
「良いのか? すごく助かるけど、頻繁にグラオンに戻ってこないといけない。アリエルさんと世界を巡っているのに、大丈夫?」
「来て欲しいのか? 不要なのか?」
「来て欲しい」
「なら簡単なことだ」
そう答えれば、ルイたちが安心したように力を抜いて顔を見合わせた。
それからルイがはにかんで笑った。
「じゃあ、定期的にグラオンに来てくれるという事だ。嬉しいよ」
昔から変わらない様子に龍も嬉しくなった。
ついでに、セナの長男はルイの手伝いをしているそうだ。カルカという名を覚えてやった。
ルイの息子を抱かせてもらう。『レンドルフ』だと教えられるが、きちんと覚えられない。次に来た時には思い出せるだろうか。
だが、ルイの子だと思うと別格だ。アリエルの妹のクラウディーヌの子でもある。
龍にとっても義理の妹の子、と教えられたが、その感覚は妙でうまく掴めないが。
何にせよ、長く生き、子孫を残して行ってもらいたいと強く願う。
それにしても、アリエルとクラウディーヌが女子会から戻ってこない。
心配になって龍とルイの2人で迎えに行く事にした。
辿り着けば、なぜか3人とも泣きながら笑い合っている。
龍は困惑した。
「大丈夫よ」
とアリエルに濡れた顔で笑まれてしまった。
「悲しくなる話をして、それから仲良しの話をしたのよ」
女子会とは、男には詳しい内容は秘密なのだそうだ。
ならば仕方ない。ルイと一緒に蚊帳の外だ。
ルイはどこか安心したようにみえた。
***
ジェシカという名の変わった存在を残し、ルイの店に4人で戻った。ジェシカはあの場所から出ないらしい。
「懐かしいわ」
と町を歩きながら、アリエルが言った。
「前も、4人でこの町を歩いたわね。あの時はまだレンドルフくんは生まれていなかった。確かグランドルとクラウが仲が悪くて、カフェで仲直りさせたのよね」
「あー、そうだった」
とクラウディーヌが答える。
「かなり初めの頃かな。今は色々感謝してるけど、だって色々酷かったからさ」
この言葉に、またアリエルはクスクスと笑った。
楽しそうで何よりだ。
「ルイくんに露店でロバか何か、買ってもらったでしょう?」
「馬だよ」
「値引き交渉したわ」
「ルイがぼったくられそうになってたんだよね」
アハハ、と姉妹で楽しそうに笑っている。ルイも苦笑している。
「グランドル。クラウたちがいるから、この町が我が家みたいになるかもしれないわね」
「そうだな」
と龍も頷いた。
ルイとクラウディーヌが嬉しそうに聞いている。
「いつ来てくれても良いように、ちゃんと部屋を作っておく。どうかあそこを家だと思って」
とルイが言った。
「今日もできたらぜひ泊まっていって。今は6階の私の部屋が空いているから使ってください」
ルイは、この1ヶ月は深夜から早朝にかけて仕事だそうだ。
無理をして体を壊さなければ良いのだが。
***
数日泊まり、例のジェシカの様子も確認する。
次の魔力供給は1年後ぐらいで大丈夫そうだと、ジェシカ本人は言っていた。
それ以前に問題があれば呼ぶようにとルイたちにも伝えた。
ルイの働きに感心しつつ、再びアリエルと世界を見て回る事にした。
***
「私たちには、子どもは生まれないのかしら」
ある日、アリエルが事実を確認するように静かに言った。
龍はその答えを知らないが、生まれない可能性の方が高いのだろうと思ってはいる。
そう答えれば、アリエルは寂しそうにしながらそれでも笑んだ。
「そう。でも良いわ。残さずに済むから・・・」
少しアリエル自身に言い聞かせているようだ。
「私に何も残してくれないのか?」
きっとそういうつもりで言ったのではないと分かったが、龍は尋ねた。
多くを残して欲しいと願っている。
アリエルは驚いて龍を見上げ、
「ごめんなさい、そういうつもりじゃないの」
と詫びた。
抱き付いてくるのを受け止める。
「私は、全てを持って、またあなたと会いたいのよ。会えるのでしょう? あの龍がそう言ってくれたもの。約束したわ。次は、全て持っていたい。残さず、全部よ」
「ありがとう」
と龍は頭を撫でた。
「けれど、きっと難しい。あなたは人として死ぬのだから」
穏やかに優しく教えた言葉にアリエルは不満を示し、人の姿の龍の頬をつまんでのばしてきた。
答えを返してくれない。
怒らせてしまったようだ。
一生懸命言葉をかけて宥めた。
***
1年に1度、グラオンに必ず赴く。
ただ、アリエルは1年を待たずにグラオンに行きたがった。クラウディーヌたちに会うためだ。
ルイとクラウディーヌの間には2人目の子が産まれていて、今度は女だ。
アリエルとクラウディーヌの父親によく似ているらしい。
なお、1人目のレンドルフは歩けるようになっている。ルイに乞われて、郊外で龍の姿になり、滑り台になってやった。
ルイがレンドルフを抱えて背を滑る。ルイが赤子の時に嘔吐したのがつい昨日のように思い出せるのに、もう父親で息子を抱いている。
今まで何度も同じ思いをしてきただけに、時間が戻れば良いものを、などと龍は考えてみる。
戻せたら、どこまで戻そうか。
アイスミントたちには、もう会わずとも良い。アリエルがここにいてくれる。
今のこの時に戻って来たくなりそうだと龍は思った。
カルカも楽しそうにグランドルで遊んでいるが、滑るより登る方が面白いらしい。
あえて傾斜の難しいところを楽しむので、首を上げて急傾斜を作ってやった。頭の上にまで登ってきて大喜びだ。
「グランドル! 私も自在に空を飛びたい! どうしたら良いと思う!?」
「さあな。懇意となる龍に頼めば良いのではないか」
「グランドル、連れて行ってくれる!?」
「断る。私はアリエルと過ごす」
「だと思ったー」
急に低い声になって語尾を伸ばし、カルカは頭の上でバタリと倒れて寝転がった。
「空を飛ぶ賢い魔獣ってどうすれば契約できるのかなぁ。個体数が少ないっていうんだ。グランドル、知らない?」
「好きに調べておけ。私は知らん」
「だと思ったー」
カルカは最近、魔道具作りと護衛を伴っての洞窟探検が趣味だという。
ルイが作っていたという器具を持ち出して魔力を込めて帰ってくるので、ルイとしても口出しのしようが無いそうだ。
しかし、猛毒を持つ可能性のある魔物を持ち帰ってきた時は、カルカが腰を抜かしたほど怒鳴りつけた。気を付けていないと時々恐ろしい事をしている、とルイがため息をついていた。
一方、ルイの店は順調だ。
カルカや護衛の腕が日々上がっていくから、非常に助かるという。
***
ルイとクラウディーヌから、ある時揃って打ち明けられた。
アリエルたちの昔の家で、料理屋をしようと計画しているのだと。
アリエルは酷く驚いて何度も確認していたが、本当にそのつもりと分かって感心したように呆れてもいた。
なお、あの家には、ルイたちから贈られた宝箱とアリエルのドレスが置いてある。
ルイの魔道具はグランドルとアリエルを阻むことはないので、好きな時に立ち寄って眺められるようにしてくれている。
とはいえ、アリエルが希望したこともなく、あの家を発ってから一度もあそこに戻ったことは無いのだが。
もし本当にあの家で料理屋をルイたちがするのなら、またあそこに戻る事になるのかもしれない。
ルイとクラウディーヌがいるところが、龍とアリエルの帰る場所だ。
***
ところで、聖剣は未だにメリディア王家が持っている。強欲さに呆れを覚える。
取り戻そうと試みてくれていたらしいが、無理だという返答がすでに数年前にあったそうだ。
「要らないわよそんなモノ」
とアリエルが改めて不快を示したので、ルイとクラウディーヌが肩をすくめて、お互いの顔を見合わせた。
龍には、アリエルが2人の負担にならないように言っているのだとすでに分かっている。
前妻の形見だからアリエルが拒否反応を示しているのではなく、取り戻すのが困難な状況だから、放置させたのだ。
ルイが、『勇者』が必要となった時にクラウディーヌが急に任命されては困る、と話したが、今のところ魔王も出ていない。
万が一『勇者』が必要になったら、王家に押し付けておけばよい。
***
ジェシカという存在は元気に動いている。
興味深い事に、容姿などに変わりがない。
人より長く存在するのかもしれない。長い付き合いになりそうだ。
アリエルやルイやクラウディーヌについて共に話せる存在があるのは心強い。きちんと気にかけてやろうと思う。
グラオンを訪れて何十回目だろうか。
ついにルイとクラウディーヌが、あの家で料理屋を開くことになった。
引っ越し作業の手伝いを頼まれたので快く引き受けてやる。
なお店は、ルイたちの3番目の子が継ぐことになった。男でルイに似ている。
カルカも冒険者をしていたのが、戻ってきて一緒に店をしてくれるそうである。
1人目の子レンドルフは、護衛に憧れ、グラオンの町の他の店の護衛をしている。
2人目の子は、デイジアという名の女で、ルイたちと共に行き、料理屋を手伝う。
なお、ルイには6人の子がいる。
4人目は学者の卵でトリアナの祖父母の家に。
5人目は騎士に憧れ、適性もあったのでやはり祖父母の家に住み騎士となった。
6人目はまだ成人前。魔物に強い関心を示しており、ルイの魔物を大量に増やして販売している。
さて。引っ越し日。多くが手伝う中で、龍も手伝う。
ルイはふと、龍の隣で立ち止って店内を見回した。
幼いころから変わらないはにかんだ笑顔だ。
「グランドルのお陰だ。きみが私に外の世界を教えてくれた。だからここまで来れた。心から感謝しているよ、グランドル」
親友だからな、と笑むと、ルイは満足そうにした。
ルイも大人になった、とその笑顔を見てどこか悲しく思う。
自覚する。
確かに龍は人に近づきすぎている。これほど近くならなければ、こんな思いを抱く事も無かっただろうに。
少し離れるべきでは無いのだろうか、と。




