理解し合う
翌朝、目を覚まして1階に降りる。
アリエルだけがそこにいた。
どうしてだろうか。泣いて、顔を洗った後のような印象を、ルイは勝手に持った。
気のせいだろうか・・・?
「ルイくん。朝ごはん、何食べたい?」
どこかぶっきらぼうに尋ねられて、ひょっとして本当に泣いた後なのかもしれないとまた勝手に思う。
「何がありますか?」
「買い出しに行かないと無いかもしれないわねぇ」
ちぐはぐな会話だな、とルイは思った。
ルイはアリエルをじっと見つめた。
「・・・グランドルはどうしましたか?」
「お金を取りに行ってってお願いして、またお使いに行ってもらったわ」
「どうして人払いを?」
直球でルイは尋ねた。
アリエルはルイを見て、笑んだ。子どものころに見た絵本の魔女のようだと、また勝手に思った。
「ルイくん。クラウ、可愛いわよね」
「はい。可愛いです。大切な人です。これからも必ず大切にします」
「そうね。当然よ」
「アリエルさん。クラウディーヌを、大切に育ててくださった。私が彼女に会えたのはアリエルさんのお陰です。心から感謝いたします」
「ありがとう。自分の事より大切に育てたのよ。可愛いでしょう。大事にしてね」
「アリエルさん。あなたも、クラウにとても慕われている。私は嫉妬を覚えた事が何度もあります」
「当たり前よ。ちょっとした時間であの子を攫われるなんて酷く悔しいわ。何度でも嫉妬して」
「アリエルさん」
ルイは笑った。
「グランドルは、あなたが世界よりも大切ですよ」
「・・・知ってるわ」
「だったらよかった」
アリエルがどうしようもない様子で、肩をすくめて見せた。
「クラウディーヌ、あの子、見かけはあんな風でしょう。でもルイくんに心底入れ込んでるみたい。負けた気分よ」
嬉しくてルイは笑む。お礼を告げる。
「グランドルだってあなたにべったりです。幼少時から見てきた笑顔は、心からのものでは無かったとあなたへの態度をみて分かりました。衝撃でした」
アリエルも嬉しそうに肩をすくめた。
それから、アリエルは家の中を眺めてから、ルイに視線を戻した。
「クラウディーヌのこと、よろしくね」
「はい」
「あの子、この家が異常に大切なの」
「生家だから当たり前では?」
「そうなのかしら。だったら私が異常なのかしらね」
「・・・好き嫌いには個人差があります」
「えぇ」
「それに、あなたの方がこの家にずっといた。クラウの方が、離れていた」
「それは、あるわね」
またアリエルが遠くを見る。
「この家に戻ってきたがるわ。必ず」
「・・・そうでしたか」
クラウについての事だ。ルイも目を伏せるように未来を思う。
「料理屋をしようとする。料理へたくそなのに。夢を見ているのよ。両親がいて、たくさんの人に愛されていた時代だけを、覚えている」
「幸せだったのだろうと、思います」
アリエルの様子は変わらない。どこかを見ている。
「必死に、その記憶にしがみついているのよ」
ルイは静かに聞いている。かける言葉も分からない。
「私、世界を見て回るわ。この家には未練は無いの。でもクラウディーヌだけは大切。どうかよろしくね。心から大事にしている妹よ。宝物なの」
「はい。肝に命じます」
嬉しそうに満足そうに、アリエルが笑んだ。
「じゃあ、ルイくん、置手紙を書いて。『多忙な人との事で、朝に話し合いに行くことになりました、行ってきます。ルイ』」
急だ。妙な緊張感に、ルイは少し冗談めかした。
「分かりました。『愛しのクラウディーヌへ』と付け加えさせてもらいますが構いませんか?」
「許してあげる」
「光栄です」
アリエルが嬉しそうに笑う。
やはり魔女みたいだとルイは思った。
一人で強く生きてきて、寂しがり屋の魔女みたいだ。
***
アリエルと並んで道を歩いた。
「殴られそうになっても、割り込まなくても良いわ」
「それは、後で私がグランドルに殴られそうですね。逃げてください」
「無理よ。甘んじてルイくんも一緒に殴られてくれるんでしょう?」
「うーん。クラウが後悔して泣きそうなので避けたいです」
「私だけ殴られるの?」
「アリエルさんも逃げてください」
昨日の、アリエルの話はやはりクラウに心配をかけず納得させるための嘘がたくさん入っていた。
実際は、アリエルが頼み込み、買うことを相手に決断させたのだ。
それもこれも、クラウに幸せになってもらいと願ったから。
アリエル自身は、もう家は重荷で負担だったから。
クラウには、実家の料理屋という執着は諦めて、グラオンで幸せになって欲しかった。
諦めないと、ルイとの生活を壊すだろうと、アリエルは感じ取っていた。
「穏便に済ませたいですね」
「嘘も方便だからね、ルイくん」
「心得ています」
「頼もしいわ」
共犯者のように、仲良く二人で微笑み合う。
つまり、クラウは風邪を引いて来れない。代わりに夫のルイが来た。
前回アリエルと共に来たグランドルは、ルイの代わりにクラウの看病。
***
「ちょっとー! 起きたら誰もいなくて、本当に驚いたんだから!」
買い込んだものを抱えて帰ったら、クラウが飛び出てきて迎えた。
ルイはほっとして笑んだ。
抱きつき、抱きしめたかったけれど、隣にアリエルがいるから自重した。自分だけ安らぎを得ることに罪悪感を持ったのだ。
荷物も持っていることだし。
「ただいま。朝ごはんの買い込みもしてきたよ」
「グランドル、まだ戻って無い?」
アリエルが拗ねた。
絶対ついて来たがるからと、グランドルを遠くにお使いにやったのはアリエル自身だ。
きっとグランドルには素直に甘えられるんだろうな。
不在について、ルイはアリエルに同情した。
一方でルイは会えた嬉しさで笑みながら、クラウに尋ねた。
「置き手紙、読まなかった? ごめんね、急に行くことになって」
「読んだけど! もぅ! 急に置いてきぼりで酷いよ! 心細くなっちゃった」
「ごめんね」
お詫びに頬にキスを贈る。クラウは拗ねた顔をしたが、少し許して貰えたようだ。
「ねぇ、話し合いは? どうなったの」
クラウが尋ねてきた。アリエルの様子を確認して、ルイが答える。
「アリエルさんと私とで、事情を話して、了承してもらった。違約金を払う事で落ち着いた」
「そっか・・・。違約金、どれぐらい?」
「家は100万エラで売る話だったんだ。安いよね。違約金は、30万エラになった」
「良かった、払える範囲だ・・・」
「うん。お金は、グランドルが先に払ってくれるそうだから、私たちはグランドルに返す事になった」
「グランドルに?」
「屋根の修理代に必要だから、今トリアナにお金を取りに行ってくれている」
「・・・そっか」
クラウが少し戸惑いながら頷いた。
「ルイくんが来てくれて、本当に良かったわ」
ポツリ、とアリエルが零した。じっとルイたちを見つめていた。
「助かったわ。本当に有難う」
「いいえ、」
「謙遜は要らないわ」
「・・・お役に立てて良かったです」
帰り道に何度も丁寧に礼を告げられたのに、わざわざクラウの前でも伝えてきたアリエルに、ルイも礼を返した。
クラウが真顔になって見つめている。
「頼りになる旦那様ね、クラウ」
アリエルが穏やかにニコリと笑んで褒めたので、クラウは戸惑った。
アリエルが厨房に消えた後、ルイの服の裾をツンと引っ張ってきた。
「話合い、大変だった?」
「んー。少し」
クラウが不安そうな顔になった。
ルイは安心させる笑みを浮かべた。
「大丈夫。ちゃんと解決したよ」
「本当?」
「うん。そうだお願い、私を褒めて。甘えて良いんだろ」
「え」
クラウが目を丸くし、少し照れた嬉しそうな笑みになる。
ルイは、先ほどまでを思い、安らかさに笑った。
***
アリエルが危惧していた通り、頭に血の上りやすいタイプだった。とはいえ、心と言葉と行動は連動していた。
だから大丈夫。
***
家を売る時、アリエルは愛嬌と巧みな話術で持ちかけた。
相手は持ちかけた時点では渋っていたが、結果、入手と運営を楽しみにした。
取引解消にあたってそれが一番問題だった。
相手の男は、あんなにアリエルが頼むから無理をして助けてやる決断をしたのに、と怒鳴った。
人格を否定する暴言を吐き、加えて掴み掛かりそうに迫ったのをルイが割り込んだ。
大の男が対峙するにはあまりにも小柄で若輩者のルイに、男は少し冷静さを取り戻したようだ。腕は下ろした。
けれど暴言が酷かった。
アリエルはひたすら詫びていた。ルイも一緒になって詫びた。
少し収まってきた頃に、ルイはまず礼を告げた。アリエルの窮地に、買い取ると申し出てくれた事について感謝すると。
実際、利益が絡んだ結果とはいえ、アリエルの計画に乗ってくれた事は有難い事に違いない。
男が、今度はルイに理解を求めるように不満を訴えてくるのを真面目に聞いた。
確かにもう決まった話を覆すのだ、身勝手な事だとルイも分かる。暴言の強度と程度に問題はあるが、怒りももっともだ。
また少し落ち着いた頃合いに、ルイは改めて許しを乞うた。
妻の生家で、どうしても手放せない、お金の目処も立ったので、本当に申し訳ないが、思い出ある家を妻に残して貰いたいと。
何度も詫び、男を立てつつ情にも訴えた。
それから違約金という切り札を出した。
宿屋を営んだ時に生み出される利益、一方の管理費などの出費。ここは田舎で旅人も少ない。宿屋の使用頻度は少ないはずだ。
ルイの推察も混ぜた。
違約金を払う。それでどうか許してほしい。
そのうち話はまとまった。
違約金の30万エラが高いのか安いのか、ルイには分からない。
けれど男は、違約金を貰う方が得だと判断した。
そして最後には、つい言い過ぎた、と向こうがゴニョゴニョとしながらも謝りを口にした。
解消と和解が成立した。
***
「あの。有難うルイ。話し合いに行ってくれて」
「うん。どういたしまして」
ルイは幸せな気分を少し味わう。
「向こうはどんな感じだった? 詳しく聞きたいよ」
「そうだな。始めは怒ってた。向こうだって算段があったからね」
ルイが少し与えた情報に、クラウの顔が引き締まる。
「でも、ご両親の思い出があるからと最後は分かってくれたよ。あ、ただ、クラウは風邪で家で休んでるって言ったからね」
「どうして?」
「クラウではなく私が行った理由にしたんだ」
ちなみに、アリエルがルイを選んだのは正しかったはずだ。
多分、クラウはアリエルへの暴言と暴力未遂に耐えられない。
即座に怒り、最悪殴り返しそうな恐れがある。
関係はただ悪化し、家も諦める事になっただろう。
つまり、アリエルはきちんとクラウに家を戻そうとした。
「だから、今日は家で大人しくしてね。あと、今度ラディさんに会ったらクラウも一言感謝の言葉を言った方が良いよ」
「う、うん。ルイ、大変なのを有難う」
ルイの説明に、クラウが苦労を感じ取ってしまった。
「どういたしまして」
ルイは笑む。報われた気分。
暴言や詳細はクラウには秘密。
きっとクラウは傷つき、自分が希望した事を後悔するだろうから。
大切だから知らないでいて欲しいこともある。
アリエルとルイはその点で理解し合える。2人とも格好つけだ。
「アリエルさんにも御礼を言った方が良いよ。相談なしに家を売ろうと決めたのは勝手だと思うけど、すごくきみを大切に、きみを思ってした事だって、今日一緒に動いてよく分かったよ。だから、アリエルさんにも御礼を言ってあげて。家のこと、許してあげて」
ルイの言葉に、クラウが少し驚いた。
ルイは笑んで、また頰にキスをした
頑張れ、クラウ。
アリエルたちは旅に出てしまう。なかなか会えなくなるはずだ。
全部許してあげて。
「・・・ありがとう、ルイ」
「どういたしまして」
クラウが何かにハッとして、慌ててアリエルのいる厨房へ駆けていった。
ルイは分からなかったけど、嘆く声でも聞き取ったのかな。
今、1人で落ち込んでいるはずだから。




