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バルク ― 鱗粉舞いて 第三部 の連載を開始します。現在、書き上がっているのは第19話まで。途中、連載が休止することがあるやもしれませんが頑張って完結させたいと思います。
「これで民主主義国家だって言うんだから」コウは呆れたような声で言った。「笑っちゃうわよね」
僕たちがバルクから見ている三次元宇宙は列車事故から十年経った衆議院予算委員会での特定秘密保護法案凶行採決の場面だ。続いて改憲手続き法案を通したら次は医薬品の通信販売全面解禁、軽自動車枠の撤廃ときて多国間経済連携協定の締結と進んでいくことくらいサルにでもわかる。賛成票を投じた連中はサル以下の脳味噌の持ち主か、あるいは条約締結後の権益でも保証されているのか、どちらも許し難いのが国民感情だろうが後者のほうが幾らか救いはある。
「国民があれじゃ仕方ないか」
僕の考えを読んだようにコウが言い、場面は市街地へと切り替わる。カフェでは歩道に面したテーブルを挟み男女が座っていた。
彼らの意識はそれぞれが持つ情報端末に向いており、時折、芽生えかける会話の端緒は「へえ」「そうなんだ」で、強制終了を余儀なくされる。その間も視線は画面に落としたまま。このような光景は三次元宇宙の随所で見受けられた。
男の周辺視野が歩道の動きを捉える。やがて彼の中心視野に黒いパンツスーツの女性が高解像度であらわれる。
「おっ! イケてんじゃん」
歩道の女性は視覚ウェアラブル端末を装着していた。情報の取得中なのか、右上を見上げフレームのテンプル部分を指先で触れている。
「あんたなんか相手にされやしないわよ」
顔を上げ男の視線を辿った女は、男がテーブルの下で組んだ足を蹴り上げる。
「いてっ! バカ、なに勘違いしてんだよ、スマートグラスのことだって。あれ、十五万くらいするんだぜ」
「なあんだ……って、高っ!」
「なあなあ」男は猫撫で声を出し、女が訊き返す。「なによ?」
「クリスマスプレゼントがあれだったら、俺、よろこんじゃうかも」
「あんたねえ……」女は脱力感もあらわに言った。「あたしに二十万の借金があること忘れちゃいないでしょうね」
意識のピントを歩道の女性に移す。
――GPS情報を再取得しています。
情報端末の電子音声が言った。
「ねえ、ここじゃないの? アーバンカレッタビル」
苛立ちの混じる声は情報端末に認識されない。
――聞き取れません。もう一度、ゆっくり話してください。
そしてメールの着信音。
――送信者は開封を要求しています。いま開きますか?
「後にして! アーバンカレッタビル、案内再開!」
――行き先、アトニステイ。ただいまGPS情報取得中です。
「もうっ!」
機械との意思疎通に感情は不要、いや、むしろ邪魔になる。女性はゴーグル型情報端末をかなぐり捨てるとハイヒールで踏みつけた。
「これを見て」
コウが言った。場面はある病院の手術準備室、忙しくカートを押して回る女性の姿がある。ゴーグル型情報端末のディスプレイには用意すべき器具の場所と名称、必要数が表示され、カートに入れる器具はグローブ型バーコードリーダーで適否を確認するため取り違えは起きない。
「従来、看護士が行っていたこの作業を医療知識のない派遣労働者に任せることができれば生産性は向上する、それが病院側の考えらしいんだけど、このひと、機械に命令されてなんとも思わないのかしら」
現代人がヤワなのはよくわかっている、僕を筆頭に――。だけどコウがなにを言いたいのかは判然としなかった。