第2-06節 こんにちは、議員の加山万汰です
「歩夢くんと渚さん、ちょっと!」
新規配属者の紹介が終わると、ユリエ係長が自席にいる2人を呼んだ。
パソコンに打ち込んでいた記録を急いで保存してから離席する2人。
3人が係長席の前で向かい合った。
「北条さんの指導員は、こっちの亀本歩夢くん。
歩夢くんは2年目だけど、法律に詳しいのでとても助かってます。
でも、ちょっと固すぎるところが、タマにキズかな?」
苦笑いする歩夢。
「こっちが加山渚主任。
役場全般のこととか更衣室や湯沸かし場の使い方とかは、渚主任に聞いてください。
2人によく聞きながら仕事してね?」
「はい。よろしくお願いします」
貴子ちゃんが深々と頭を下げる。
「北条さんの机は、ここ」
係長が自分の左前の机を指差した。
元々福祉係は3人体制なので、課長を背にしたユリエ係長からカウンターに向かって右手に渚主任、その先にプリンターが置かれた机。
係長の左手側が増員となった会計年度さん用の新しい机で、その隣り、カウンター側に歩夢の机がある。
渚主任から更衣室と湯沸場の使い方を教わった後、歩夢から課の中を案内されながら、仕事の説明を受けた。
「健康係は課の筆頭係で、予算決算・議会対応に加えて、予防接種、感染症対策、母子健康、健診、食育、広報が担当業務」
貴子ちゃんがゆっくり頭を上下させながら、脳内の海馬にメモし始めた。
「介護係は、介護保険制度全般と介護保険料の賦課徴収、介護認定、介護施設との連絡調整。
地域係は、民生委員児童委員、地域包括支援センターと介護予防、保育所、日赤と社協、社会福祉協議会ね、それが担当。
ぼくたちの福祉係は、高齢者福祉と児童福祉、母子福祉、それと子供食堂が渚主任の担当で、ぼくは、生活保護と障害福祉が担当。
北条さんは、主にぼくとタッグを組んでもらいます」
黙ってうなずく貴子ちゃん。
「福祉分野はどれも、年々業務量がラッパ形に増えていて、みんな困ってました。
会計年度さんが1人増員になって、正直ほっとしています」
健康福祉課には4つ係があるけれど、どれも正規職員は3人しかいない。
役場全体でも正規職員は100人しかいないのだから、税と戸籍・住民票を扱う税務町民課を除けば、全役場24係のどれもが3人程度になってしまうのは仕方がない。
人件費を抑えながら近年の業務量増加に対応しようとした結果が、今回の退職する正規職員6人に代わる会計年度任用職員11人の採用だったのだ。
貴子ちゃんは、午前中、総務管理課からもらったパスワードを使って、パソコンの立ち上げた方や中に入っている業務用統合ソフトの使い方などを歩夢から教わった。
とにかく、パスワードの種類が多く、しかもそれらを1つ1つ違うものにしないといけない。
パソコンへのログオン用、役場統合アプリ用、福祉業務専門アプリ用、人事業務用、インターネット接続用と、いくつもパスワードを入力しないと目的の仕事にたどりつけない。
全部覚えてなんかいられないから、必死になってメモする。
「北条さん、ぼくも最初、そうしてました」
パソコン画面の外側の縁にパスワードを書いた付箋を貼っている貴子ちゃんを見て、歩夢が笑いながら言った。
「でも、そこにずっと貼っとくのは、ちょっとヤバイかな?」
「頑張って、早く覚えます!」
顔を赤くする貴子ちゃん。
午後1時、昼食のあと、歩夢が役場庁舎内を案内してくれることになった。
「午後はどうしても眠くなるからね?」
歩夢が笑いながら言うと、ユリエ係長が右手の人差し指を立ててワイパーのように揺らす。
慌てて靴の踵を音を立てて合わせると、右手で挙手敬礼をした。
「では、関連各課の場所と担当業務の概要を、北条さんに現場説明して参ります」
笑い出す係長。
「北条さん、ゆっくりでいいのよ?」
「ありがとうございます!」
満面笑みの貴子ちゃん。
2人が並んで職場を後にする。
「じゃあ、先に屋上まで上がって、それから下りようか?」
うなずく貴子ちゃんを従えて、エレベーターに乗った。
3階の屋上には誰でも入れる展望喫茶がある。
西側に広がる海がいっぱいに見えるように、ガラス窓が広い。
右手側から佐島マリーナ、湘南の海、遥かに雪を頂く富士山、伊豆半島、水平線にぽっかり浮かぶ大島、一番左手には房総半島南端の洲崎が見える。
初めて来る人にもわかるように、それぞれの景勝物の名前が窓の上に表示してあった。
「昼は、混んでしょうがないけど、お昼当番の時は休憩時間が前後するから、その時ならゆっくり景色を眺めながら食べれるよ」
ガッツポーズの貴子ちゃん。
3階に下りると議会とその事務局、選挙管理委員会事務局、監査委員事務局がある。
廊下で、議員控室から出て来た万汰議員に出会った。
「ああ、万汰さん、こんにちは」
歩夢が最上級の挨拶をした。
ダークなスーツに身を包み、背筋が伸びていてスタイリッシュな歩き方だ。
貴子ちゃんの両目がキラキラする。
万汰が貴子ちゃんの目と胸の名札を交互に見ながら挨拶した。
「こんにちは、議員の加山万汰です。
北条さん、採用になられたんですね?
おめでとう。頑張ってくださいね」
そう言って微笑む口元の歯が白く輝く。
ゴーン!
貴子ちゃんの頭の中で銅鑼の音が鳴った。
心臓の高鳴りが廊下に聞こえてしまうのではないか?
「万汰さんは、ふかい未来塾のメンバーで、3年先輩なんだ」
はにかむように歩夢が言う。
貴子ちゃんが万汰の左手に視線を集中すると、薬指にはまだ指輪がない。
「歩夢くんも、また、よろしくね?」
右手を挙げて別れの挨拶をすると、颯爽と去って行く。
後ろ姿を見送る2人。(つづく)




