短話3 奔放なパーカッショニスト達(五)
ポゥン、と柔らかく。
単音がまろやかに響く。話している間のメロディーは手遊びの即興だったらしい。
けれど、同じものをもう一度、と言っても『いいですよ』と、にっこり笑われそうな気がした。その底知れなさに束の間、なにかの深淵を覗き込んだような。きゅうっと、胃のすくむ思いがする。
「…………我がバード家はね、イオラさん。生まれた子にあらゆる教育を施すのは当然として。どうしても何の才も見出だせなければ、よそから養子を迎えるんです。そうやって続いたんですよ。音楽の旧家として。厳密には、繋いだのは血ではない。初代当主の意思と才なんです」
「!」
カチャ、と四本のマレットを置き、エウルナリアは微笑んだ。
「ごめんなさい。あのときは、少し扉を開けたところで……悪気はなかったけど、聞こえてしまったの」
ひたすら柔らかな声音で言われるも、イオラは変な汗をかくばかり。
心臓がばくばくする。熱いのか寒いのか、それすらもわからなかった。
「え。いや、その……」
「いいんです。自分がどう言われているかは、何となくわかります」
にこにこ、にっこり。
(やだ怖い、この子)
白旗を挙げるような思いで、ぎぎぎ……、と首を男子らのほうに向けると、シュナーゼン皇子とユージィンとばっちり目が合った。
ちなみに従者はこちらを見てもいない。大判の楽譜を膝に置き、しずかに目読している。
ふと、皇子が紅の瞳にいたずらな光を閃かせた。ぽんぽん、と手を打ち、椅子から立ち上がると、颯爽とエウルナリアに歩み寄る。
「よーぅし! イオラ。レッスンも乙女の語らいも終わったよね。ね、もういい? エルゥを連れていっても。つれない婚約希望の姫君を、今日こそ口説き落としたいんだ」
「え」
「シュナ様……イオラさんに失礼です。あと、語弊がありすぎて人聞きが悪いです。『第二専攻は声楽にする。真面目にやるから教えて』と、再三仰ったのはシュナ様でしょう?」
めっ! と、擬音が付きそうなまなざしで、エウルナリアはシュナーゼンを咎めた。
息をつく。
空気が軽くなる。
皇子の後方、やや離れた場所からユージィンの生温い視線を感じた。
“――――ほうら、言わんこっちゃない”
激しく、呆れられているようで。
イオラは悔しそうに口の端を下げた。つまるところ、ぶんむくれている。
「何よ」
「何も? ……あ、それで姫君。どうでした? イオラ。将来的に国外遠征は」
今まさに、わが道を突き進む皇子殿下によって連れ去られそうになった令嬢は、ふわりと振り返った。青い視線が楽器とイオラの間を結んで一往復。すぐに花がほころぶように笑う。
「合格よ。とても華やかな音色の持ち主だし、柔らかいのにちょっと重くて、不思議な強さがあるの。経験を積んで、室内楽にも慣れて。他の教科も学院卒業時に及第点なら。それに」
ちら、と栗色の髪の従者を見つめる。
少年は、今度はまっすぐにこちらを見ていた。正確には主の少女のほうを。
(……?)
イオラの胸はちくっと痛んだ。
なぜだろう、と、首をひねる。
「――貴女を認めてくださったノエル殿下に報いたい気持ち、あるでしょう? それはきっと、支えになります。今はそんなにないでしょうが、楽団への忠誠心にも。楽士たる自分の柱にもなるはずだから。大丈夫、信じてます。応援していますね」
「っ……!」
「わかりました。打楽器パートではそのように」
「父には、私から」
「お手柔らかにね、姫君」
「はいはい」
茫然と佇むイオラと、訳知り顔の楽士の礼で見送るユージィンを残し。
皇子と姫君、従者の少年は三名揃って、扉の向こうへと姿を消した。
* * *
一連の事の顛末はユージィンによって速やかに打楽器パートの面々に伝達され、方々で喜びや悲しみの怒号があがったという。曰く。
――――
「え? 賭け……? イオラさんが、私に折れるかどうかを??」
「だそうよ」
後日。
たまたま女子寮の談話室で一緒になったエウルナリアとイオラは、同じテーブルについていた。読みかけの本に栞を挟み、ぱたんと卓上で閉じる姫君。
(詳しく話せ、ってことかな)
諦めたイオラは、苦笑いを浮かべた。
「実際、あなた相手に折れないひとがいるなら、見てみたい。賭けは他にもあって」
「うんうん」
そこは、全然否定しないんだ……と、イオラは感心にも似た思いを抱く。
「シュナーゼン皇子は、あなたを落とせるのか、とか」
「はぁ」
「いやいや、大本命の従者なのか。大穴で意外に人気のあるトランペットなのか。畏れ多くもアルユシッド殿下なのか」
「はぁ…………えぇと、なるほど。流石パーカッション。賭けの対象も自由ですね。さりげなく皇族の方がお二人、混ざってます」
「混ぜるな危険、だよね。怒ってんの?」
「まさか」
ふふっ、と小さく笑い、エウルナリアは瞳を伏せた。再び本をひらき、取り出した栞をテーブルの上にそっと置く。
(なるほど。“その話はこれでお終い”か。――わかりやすい)
ふむふむと両腕を組み、感慨深そうに頷くイオラ。
エウルナリアはほんの少し、ばつが悪そうな上目遣いになった。居心地が悪そうだ。
「……私のは、いいんです。でもご存じです? イオラさんだって賭けの対象なんですよ? シュナ様から聞きました」
「何を」
むぅ、と眉をひそめたイオラに、若干同情を滲ませたエウルナリアが小首を傾げた。
「ノエル殿下は、イオラをどうなさるおつもりなのか。皇太子殿下が異国の異性に。しかも奏者にお声掛けなさるなんて前例がなくて……殿下も二十歳。なのに、婚約者がいらっしゃらないので結構話題になりまして。つまり」
「はいぃ、そこまでっ! その話終了ぉっっ!!!」
ダンッ
時、すでに遅し。
しん……と静まり返った談話室で、平然と「はい」と答える少女が憎らしい。耳が熱い。
(ちょ、待って。これ、何て公開刑?)
赤面を押さえて誤魔化しつつ、戦慄が走った。
――もうやだ、この子。本当に怖いんですけど。
やがて戻るざわめき。空気を読む周囲の女子達。ひしひしと、無言の憐憫が伝わる。
よく、他パートから『打楽器は仲がよくて変わり者が多いよね』と言われる。確かに、ひとを喰った面々ばかりだ。でも――
(この子ほどじゃあ、ないわ)
まだ、彼女を“姫”と呼べるほど馴染んじゃいない。まだ折れちゃいない。
絶対、明日はあいつらに訴えてやる。
あと、変な勘繰りはやめろ、と。
「……」
「…………ふっ」
「そこ。笑わないの」
「ふふっ、……ご、ごめんなさい」
「もう!」
――――春の夕べ。
不思議な縁で知り合った歌姫と少女は、声にできないお喋りと、ぴりりとした平穏をともに味わった。
〈短話3・了〉