別れ ーデアイー2
その時から私は自由自在の硬化能力を得た。流華には当然ながら言わなかったし、大将にすら秘密にしていた。内緒にしておけば何かの交渉に使えるかもしれないと思ったから。
でもその能力を実戦で(こっそり)試す機会はなかなか訪れなかった。何故なら、カフカと戦うこと自体がなくなったからだ。
『戸舞流華、紋水寺莉乃。世界的に見てもトップクラスの徒花が二人いるにも関わらず、その二人と組んだ徒花は必ず殉職している』
発端はそんなネット掲示板の書き込みだったらしい。
そこから様々な憶測が上がり、そして更に憶測が憶測を呼び、とうとう掲示板を飛び出して、SNSやネットニュース、そしてテレビで取り上げられるようになった頃には収集がつかなくなっていた。
ネットに書かれている憶測は殆どが的外れなことばかりだけど、中には割と真実に近いところを言い当てているものもあった。『人気・実力のある二人を腐化させないために三人目への負担が大きくなっている』なんて特に。
そういう書き込みのことは流華も知っていたけど、
「まぁ確かにそうかもだけどさ、でも限界を見誤っちゃったのは私や莉乃のせいじゃないじゃん。特に真奈のときなんて莉乃すっごく気にしてたし。だからこんなの無視しとけばいーんだよ。でも俊哉もそのことすっごく心配しててね、この前なんてーーーー」とまるで気にしていない様子だったから、私も気にしないように努めた。悪夢はたまにだけど見ることがあって、その中でみんなは苦痛の表情を浮かべて私に殺される。でも現実は違う。みんな笑っていた。心の底からとはいえなくても、確かに。あんな夢は自分勝手な被害妄想でしかない。
噂が沈静化するまでの三ヶ月間、支部の職員さん達はクレームに追われていたらしいけど、私と流華は大した変化もない日常を過ごしていた。当時は中学生だったし、班員を何度も亡くしていることを考えると下手な取材や報道はできなかったのだろう。マスコミの批判の矛先は、どちらかといえば徒花を管理する立場の人へと向いていた。
その間、沙良さんはカフカになった妹さんと会ったらしい。詳しくは知らないけど、その後に梅長班と任務で一緒になった際、沙良さんと奈緒の距離が縮まっているのは分かった。一言で表すとすれば、愛情とか友情とかじゃなくて信頼。そんな二人の関係を、少しだけ羨ましく思った。
噂が下火になった頃ーーーー中学校を卒業した後だったーーーーに隊長から「三人目を入れることにした」と連絡があった。「分かった」と返したけど、実は前日に大将から聞いていた。
そうして戸舞班へやってきたのが美織だった。いつも怠そうでどこか無気力で、でも決して話しにくいとか口が悪いとかいうこともなく、良くも悪くも、テレビでよく言われている『今どき』の子という感じだった。それまでの五人とは比べ物にならないほど仕事に対するモチベーションが低く、私と流華がカフカの動きを封じても現場に到着していないことがたまにあって、そういう時は代わりに私がやっていた。その度に流華は美織を注意しているけど、私としては、それくらい不真面目な方が腐化のリスクも低くなるとも思えて何も言わなかった。
今になって、少しでも言っておくべきだったのだと思う。それで何か変わったかは分からないけど。
四月になると籠田希恵ちゃんの存在が世間を賑わせた。最年少徒花の誕生により、戸舞班に再び三人目が加入したというニュースは完全に忘れ去られた。
籠田希恵ちゃんはなんと九歳。一桁歳の子なんて訓練校にすらあまりいないのに、実戦もある部隊に上げるなんて陣野原支部はそんなに人手が足りないのだろうか。そのことについて別件のついでに大将に尋ねてみたけど『あちらはあちらの事情がある』という言うだけ。何かあるんだな、とは理解しても、そこに踏み込むほど強い関心を抱いていたわけでもなかった。
世間が最年少徒花にすっかり慣れた九月。
『女王・霧崎麗が除隊』という報道が今度は世間を騒がせた。すぐに会見を開き、その場で麗さん本人と類家隊長が事実を認めたがマスコミの熱は冷めることなく、麗さんの過去へと伸ばされたその手は、徒花になる前の生活、結婚、出産、離婚、そして沙良さんとの親子関係までも暴いて報じた。
その中で報じられた『除隊後は元夫の家で生活か?』という情報に反感を示したのは沙良さんの実家がある町の一部の住人達。
結局、麗さんは他に人が住んでいない山の奥に家を建てて暮らすことになった。元旦那さんと沙良さんの三人で。
抗議はそれで収まったけど、この一件に対して奈緒が珍しく憤りを露にしていたのはよく覚えている。部隊にいた徒花もフリーの徒花も、そして人間も、腐化の可能性は等しくある。これは統計データでも明らかになっていることらしい。にもかかわらず、何故、対カフカ部隊もなかった頃からカフカと戦い続けていた麗さんが、普通に暮らすことすら許されないのか。
弱い人は数字よりも感情を優先してしまうから、と私は答えた。
私もそうだから。
データを提示され、可能性は等しいのだとどれだけ力説されても、もし、マンションや戸舞家、あるいはあさやけ園の近所に麗さんが住むことになったら、反対こそしないものの、確かに不安は感じるだろうから。
「カフカになることを恐れる必要なんてないのよ」
そう言ったのは、下校中にマンションのそばで話し掛けてきた丸い身体のおばさんだった。隣にいる痩せたおばさんも頷いて同意を示している。
「徒花もカフカになれるというのは、神様の深い慈悲の心が与えてくれた唯一の救いなのよ」
「ほぇー」と流華。まるで興味がないらしい。私はそんな流華の手を握ってマンションへと駆け込んだ。
神眼教には関わるなと隊長から言われているし、個人的にも近付きたくない人達だった。流華のことを悪魔だなんて言われたら黙ってられないと思うから。
それから二ヶ月後の十一月。プロウダ政府が公表したカフカや徒花に関する数々の新事実の中にあった『徒花の能力』の件で沙良さんは再び注目されることになる。マスコミの手は六年前のあの日に亡くなったお義母さんや妹さんのことにまで伸び、対カフカ部隊だけでなく徒花の人権云々の団体、多くの一般人からも『プライバシー侵害が過ぎる』とのクレームが寄せられて収束を迎えた。
そんな沙良さんに同情しつつも、私としては、能力に対して流華が羨ましく思わなかったことと、変な力を持っているのが自分だけじゃないと分かって安堵したーーーーのだけど、大将に詳細を尋ねたところ、公表はされていないが沙良さんの前にも特殊能力を手に入れた徒花はいて、その全員が殉職していると知り、微かな不安を覚えた。
そう、そんな時だった。
「健と会ったのは」
正直、その任務のことは殆ど覚えていない。カフカを殺すのも、一般人を助けるのも、徒花にとってはただの日常でしかないから。
なんとなく頭の隅に残っていた記憶は、重傷を負った男の子と、彼の理解不能な行動だけ。それすら、流華が知り合ったという島屋っぽい男の人(流華はデカデブと呼んでいた)のこと、そして美織の死によって思い出すこともなくなっていた。
美織が亡くなったことに対して、私は自分でも驚くほどに何の感情も抱かなかった。頭の中を支配していたのは美織が殉職した時の状況。未確認のカフカによって殺されたとされているが、目撃者がいないという時点で少しおかしい。カフカは徒花を襲わない。ごく稀に知能が高く好戦的な個体もいるけど、基本的に、敵対行動ーー人間を守る、カフカを攻撃する等ーーをしない限り、殺し合いにまで争いが激化することもないのだ。
好戦的な個体の存在を否定することは出来ないがーーーー少なくとも美織の死の前後に、現場周辺で変死体や行方不明者が出ていないことを考慮すると可能性は低いといえる。
何故そのようなことを考えていたのかと言うと、美織が殉職したタイミングに、ちょうど別行動をしていた流華のことがどうしても気になったからだった。その小さな疑問は、記憶の隅に置かれていた摩耶殉職時の違和感を呼び起こし、そして私の頭はその二つを関連付けようと思考を始める。
一秒後に頭を左右に振って思考を打ち切った。
答えを出しても意味がないと気付いたから。なんていうのは自分を偽るための建前で。
本当は、導きだした一つの可能性を認めたくなかったから。
島屋の時とは違う。
摩耶も美織も、流華に対して酷いことはしていなかった。
そんなことをする理由がない。
そう思っていた。