別れ -デアイ-1
「小学校卒業したら一人暮らししたい!」
流華がそう言い出したのは小学六年生の一月、任務後の報告を終えて寮に戻った時のことだった。
「ねぇねぇ無理かなー。寮だと買い物行くにも許可とらなきゃ駄目でしょー? 面倒くさいもん」
「難しいんじゃないかなぁ」と答えたのは佐古山さん。
「私のお母さんが入院していた頃にね、なにかあったときのために病院の近くに引っ越そうと思ったんだけど許可をもらえなかったの」
「えー、じゃあ『面倒くさいから』じゃあ駄目かぁ」
「多分ね。あ、でも流華ちゃんなら扇野支部の看板だし、もしかしたら特別に許可してもらえるかもよ」
「そうかな? じゃあお願いするだけしてみようかなぁ」
そんな会話をしていた翌日に大将から連絡があった。流華から一人暮らしをしたいという要望を受けたけど許可をしても大丈夫か、というものだったから、大丈夫とだけ返しておいた。その日のうちに流華が部屋を訪ねてきて、ウキウキした様子で一人暮らしの許可が降りたと言った。
「次の休みにマンション探し行こう!」
「うん」
「佐古山ちゃんも誘わないとね!」
「ん? 佐古山さんも?」
「だって住むところ勝手に決めるわけにはいかないでしょー」
「佐古山さんも住むの?」
「勿論! 莉乃もだよ? ていうか一人暮らしの条件が『班の人と一緒に』だったし」
「そうなんだ」
大将は何も言っていなかったけど考えてみれば当然のことだった。三人目ーー吸収役の存在は大将が出した条件なのだから。私は最初から付いていく気満々だからそれでいいと思っていたけど。
それから二人で佐古山さんの部屋を訪ねて許可が降りたことを伝えた。佐古山さんは驚いた後、どこかぎこちない笑みを浮かべた。
そして週末、中学校と支部の中間地点付近にあるマンションを見て回っている最中に佐古山さんが腐化したため、樹里亜さんのときと同じように介錯した。
涙は出なかった。
中学に上がると同班の志保の他に、家近千奈美という一般の子と友達になった。愛嬌のある流華はともかく、無愛想な私と仲良くしてくれる一般生徒は少なかったから今でもよく覚えている。
進学と同時に引っ越してきた子で、扇野のことはよく知らない、分かっていないらしく、それは川那子沙良さんのことを普通に話す姿からも窺いしれた。
川那子沙良さん。歳は私と流華の一つ上。世界にカフカが出現したあの日、開花して見ず知らずの女の子を救いながら、妹と母親を失った人。それから三年間、ずっと家に引きこもっている。当然ながら軍にも所属していないため、一部の人達からは嫌がらせを受けている。
もしも。もしもだけど。
三年前のあの日、流華がカフカに殺されていたら、私もきっと、川那子さんと同じようになっていたんじゃないかと思う。
だからこそ、放っておいてあげるべきだとも。
きっと、そうなってしまったら、もう、誰の言葉も届かないから。
志保が腐化したのは二学期の終わりのこと。
いつも通りにやった。流華が泣いていたから、私は堪えた。
私達が二年生へ進級すると、千奈美の妹さんである瀬李奈ちゃんが入学してきた。私が丁寧な挨拶をすると千奈美は何故か呆れたような顔を向けてきたけど、少し前まで見るからに元気がなかったことを思うとそんな表情でも安心できた。
「彼氏ができました」
流華がそう報告してきたのは夏休み真っ只中の八月だった。中学に上がってから告白されることは度々あったけど、流華も私と同じように『興味ない』と断り続けていたため、その報告はあまりに唐突で面食らってしまった。
「誰?」
洗い物の手を止めて聞くと、流華は短く「井川先輩」と言った。
「誰?」
「あはは。やっぱ莉乃も知らない」
何がおかしいのか分からなかったから首を傾げる。
「なんか有名な先輩らしいよ。今高校生だけど、うちの中学にいた頃はファンクラブとかあったって」
「へぇー」
「知らなかった?」
「うん」
「私も」
流華はクスクス笑う。
「あ、でも摩耶には言わないでね」
「なんで?」
「摩耶、ファンクラブに入ってたらしいから。タイミング見て私から言うからさ」
「ん、分かったーーーーあ」
「んー? どしたの?」
「もしかして、それで最近摩耶とぎこちない感じだったんだ」
「え」と流華の表情が固まる。
「嘘。ぎこちなかった?」
「うん。なんとなく」
「そっかー。バレちゃってたか。流石莉乃」
親指を立てる流華。嬉しくて笑みが浮かぶ。
「ま、私から言ったら元通りになると思うから、それまで待ってて」
「ん、分かった」
この会話の一週間後に摩耶は殉職した。私が公休を利用してあさやけ園に泊まっていた日のことだ。
腐化した摩耶を流華が介錯したらしい。その場所が町外れの林の中である理由とか、腐化が進行したにしてはどこか不自然な身体の崩れ方など気になるところはあったけど、流華の様子が明らかにおかしかったから何も聞けなかった。
もしかして摩耶が腐化した理由に流華が関わっているのだろうか。そう考えると思い浮かぶのは『井川先輩』のことだった。恋愛で一喜一憂する気持ちはよく分からないけど、同年代の人達のことを考えるとそれも心を乱す理由になりうることは理解しているつもりだ。
井川先輩のことを話して、ショックを受けた摩耶が腐化。流華はそのことを気にしている?
理解している……つもりではあるけど、その程度のことで、という思いは拭えない。
新たな三人目は逆井真奈さんにすぐ決まった。同じ学校、学年ながら、隊員と訓練生ということもあり今まであまり接点がなかったけど、千奈美という共通の友人がいたから会話に困ることはなかった。それでもどこか距離を感じたのは、今にして思えば『戸舞班の三人目は必ず殉職する』という噂のせいだったのだろう。実際、噂になっていることこそ知らなかったものの、私もこの頃から同じことを気にするようになっていた。流華が介錯するしかないという場面が実際にあったことも大きかったのかもしれない。
何故戸舞班の吸花は限界を見誤ってしまうのか。私や流華に囲まれている環境に問題があるのかもしれないとは考えたけど、私と大将の意見を通すと今のかたちしかなくなる。
そのため私にできるのは、せいぜい『吸収限界には気を付けて』と言うくらいだった。『うん、ありがとう』と返した真奈の目はどこか冷めていた。
冬休みを間近に控えた頃に千奈美が開花した。でも本人は気にしていないどころか、開花前よりどこかスッキリした顔をしていた。
でも。
一ヶ月後、部隊に上がった翌日に千奈美は殉職した。結局遺体は見つからなかったけど、状況証拠から見て間違いないということだった。
クラスメイト全員が出席した告別式から帰宅して夕食をとっている現在までずっと沈んだ表情をしていた流華に何か言わなきゃと思い、私は咄嗟に「夏休みに摩耶のお墓参り行こうね」と言った。お葬式からの繋がりでついつい口にしてしまったけど、この状況にふさわしい言葉ではなかったかとすぐに後悔した。
でも、流華は、肯定も否定も非難もせず、
「まや?」
と首を傾げたのだった。
「え? うん……、摩耶」
背筋に寒気を感じながらも返す。流華は変わらずキョトンとしている。
「もしかしてもう忘れたの?」と真奈が呆れた声を出した。
「摩耶じゃん。三ノ宮摩耶」
流華の大きな目が更に大きく見開かれる。
「あー……、あぁ、摩耶! ごめんごめん。そうだね、そろそろ一年経つもんね!」
そう言う流華の表情は明らかにぎこちなかった。
戸舞班の殉職者は摩耶で四人目になる。そう考えると全員の亡くなった時期を覚えていなくても不思議ではないけど。
流華にとっては初めて介錯した記憶の筈だ。一年も経たないうちに、名前を聞いても思い出せないほど忘れることが正常といえるだろうか。
少なくとも私は忘れられない。志保を、佐古山さんを、樹里亜さんを殺した際の感触を。
殺した?
不意に島屋のことを思い出す。確認したわけではないけど、あさやけ園のことを話したりした際の会話からして、流華が島屋についての記憶を抹消、あるいは封印していることは間違いない。
それならば同じようにその手で殺した摩耶のことを忘れてもおかしくはないーーーーだろうか? 同じように、といっても、その理由はまるで違う。やっぱり摩耶が腐化した理由は流華にあって、それを気に病んでいるのだろうか。
詳しくは分からないし聞くつもりもない。忘れていたいと流華が望むのなら、私はそれに応えるだけだ。
千奈美が亡くなった一ヶ月後、部隊に川那子沙良さんと茅野奈緒さんが配属された。このことを知ったら千奈美はとても喜んだだろうなと思った。
その翌日には二人と顔を合わせることになった。奈緒とは中学校で同じクラスになり、放課後、遊びに行った支部の寮で沙良さんと会った。無愛想っぽい雰囲気が私に似ていると思ったけど、奈緒が『面白い人』だと言っていたからやっぱり似ていないようだ。
奈緒は性格が千奈美とよく似ていた。時期も時期だから初めは戸惑ったし、真奈なんかはちょっと苦手意識を覚えていたけど、一ヶ月も経てばすっかり仲良くなれた。流華だけはあっという間に仲良くなっていたけど。
沙良さんと再会したのは、扇野中央公園に現れた中型と大型のカフカ討伐任務の応援に行った時だった。任務こそさっさと終わらせたけど、番組収録の途中で抜けていったせいでスタッフが付いてきていて、その中に小柴さん(四十代前半、ぽっちゃり、すごく馴れ馴れしい)がいるのを見たときは顔をしかめそうになった。性格的にもあまり相性がよくないとは感じているけど、それ以上に小柴さんの見た目が(服装がチャラいところを除けば)島屋にそっくりだからだ。そんな人を見ても島屋のことを口にしない流華を見るとやっぱり忘れているのだと確信できた。
その頃から真奈のことも気にするようになった。戸舞班に入ってから一年。前例を見るに、そろそろ限界が訪れてもおかしくない頃合いだからだ。マンションで食事をしている時にも本人に『大丈夫?』と尋ねていた。
なのに、とある任務で、真奈は吸収を終えると同時に腐化をした。明らかに限界を越えてしまった腐り方。思わず「どうして言ってくれなかったの?」と聞いたけど、真奈は下手くそな笑みを浮かべたまま何も言わなかった。
仲間を、友達を殺した感触がまた一つ。
その日の夜に夢を見た。
樹里亜さん、佐古山さん、志保、真奈。
腐っていく四人をひたすら斬り殺す夢だった。
起きたのは夜中の三時。
涙を拭おうと上げた右手には真っ黒な銃が握られていた。それが自分の一部でできていることは感覚的に理解できる。
銃口を自分の額に当てて引き金を引くと、銃声とともに額に穴が開いた。
本物同様。
徒花の硬化能力では不可能とされている緻密な造形。
なんでこんなことができるんだろう。
眠気を感じてベッドに倒れ込む。
そうして見た夢はさっきと同じ内容。違うのは摩耶もいたことと、私の手に握られているのが刀じゃなくて銃だったこと。
腐っていく彼女達をひたすら殺した。
さっきより心はずっと軽かった。
私の手に残るのは引き金を引いた感触だけだったから。
とても気が楽で。
起きてから、とても怖くなった。




