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花冠 ータイカンー6


 島屋が死んで、流華が退所した。学校は変わらなかったから殆ど毎日会っていたけど、やっぱり一日中一緒にいた日々を思うと寂しい気持ちは強かった。でも本当に幸せそうな流華を見たらそんなのはなんともなかった。

 伯父さん伯母さんがやっぱり一緒に暮らさないかと言ってくれたこともあったけど断った。私と伯父さん伯母さんとの関係を知れば流華が遠慮してしまうと思ったから。

 このままでいい。

 もう何も変わらないで。

 そう願う日常に、何の前触れもなくカフカは出現した。

 休日だった。私はあさやけ園にいて、職員や他の子達とひとところに集まって身を寄せあっていた。

 幸運なことに園の近くに出たカフカは徒花が倒してくれていて、私達は何事もなく翌日を迎えられた。その日のうちに伯父さん伯母さんから、カフカに襲われたものの流華も無事だと連絡があった。

 翌日、流華と病院で話をしてから、私の心の隅に『徒花になりたい』という気持ちが居座るようになった。今の私じゃあカフカ相手に流華を守ることができないから。なりたくてなるものじゃあないと否定する気持ちもあったけど、それが消えてなくなることはなかった。

 流華は退所してからあさやけ園に近付くことはなかった。小学校で妃ちゃんに『遊びに来て』と言われても来なかったから、きっと避けていたんだと思う。だから私も何も言わなかった。


 小学五年生の冬に微熱を出して学校を休んだ。

 夕方、宿直室でベッドに座って本を読んでいると、窓の外に小さな人影が見えた。園庭の更に向こう、門の前に立っている人影はランドセルを背負っていて、小さなシルエットだったけど、それは確かに流華のものだった。

 私に会いにきてくれたんだ、と思うと嬉しくなって窓を開けた。

「流華ー!」と柄にもなく大声をあげると流華もすぐ気付き、手に持っていた大きな封筒を振りながら駆け寄ってきた。

 しかし、その足は園庭の中央辺りで唐突に止まった。どうしたんだろうと思っているうちに、周囲で遊んでいた子達が異変に気付いて流華の周辺に集まる。

 目を凝らすと流華はひきつった顔で私ーーーではなく、私の後ろを見ているようだった。しかし振り返ってみても誰もいないし何もない。

 開けた窓から外に出て駆け寄った。真冬に裸足で走るのは痛いくらいに冷たかったけど気にならなかった。

 頭を抱えて座り込んでしまった流華に、妃ちゃん達が心配そうに声をかけている。流華の前にしゃがむと、その身体が大きく震えていることが分かった。

 フラッシュバックという言葉は知らなかったけど、ここにいてはいけないということだけは分かった。

「流華、大丈夫? 立てる? 外に行こう?」

 返事はなく荒い呼吸だけが聞こえた。

「流華ーーーー」

 再度呼び掛けた瞬間だった。

 まるで一時停止ボタンを押したかのように、流華の震えと呼吸音が止まった。

 そうしてスッと立ち上がった流華は、赤く染まった瞳をキョトンと丸くして、

「あれ、莉乃どうしたの? ってうわ、裸足!」と言った。

 私はなんて答えればいいか分からずに、

「流華、その目……」

「目? ってあれ?」と流華は首を傾げる。「もしかして私徒花になった?」


 その後、園から連絡を受けた伯母さんが流華を迎えに来た。混乱しているのは一目瞭然で、そしてその自覚はあるらしく、自家用車でなくタクシーで来ていた。

 裸足で外に出たせいか、もしくは色々なことが起こって精神的に参ってしまっていたのか、私の体調は見事に悪化した。

 朦朧とする意識の中で膨らんでいったのは『徒花になりたい』という想い。

 流華を独りにしたらいけない。私が傍にいないといけない。

 翌朝に目を覚ますと体調はすっかりよくなっていて、そして吸収の方法も理解していた。

 園から連絡をしたのか、すぐに伯父さん伯母さんがやってきた。伯父さんの運転する車に乗り込むと、流華が「やっほー」と笑顔で迎えてくれた。

「おはよう」

「おっはー。本当に莉乃も徒花になったんだ」

 どんな顔をしていいのか分からず「うん」とだけ返すと、流華は「へへ」と歯を見せて笑った。

「同じ赤色」

 自分の瞳を指差して笑う流華に、私も笑みを浮かべて「うん」と返した。


 訓練校、延いては徒花部隊に入ることに抵抗はなかった。カフカとの戦い方を教えてくれるのは望むところだし、開花したら訓練校に入るものだという風潮はその頃から既にあったから。

 吸収能力を持った双花である私と流華を待っていたのは簡単な検査だった。数多ある負の感情に対してどの程度の耐性を持っているものか測るもの。後年、その曖昧さが多方面から指摘されることになるけれど当時の私はそんなことを知るよしもなかった。

 検査から五日後、平日だというのに突然呼び出されて訓練校へ行った私を待っていたのは大きなおじさんだった。大きいと言っても島屋のようにでっぷりではなく、軍服の上からでも分かるくらいにがっしりした体型だ。

「初めまして」とその人は笑みを浮かべながら言った。多分無意識なんだろうけどその口調はどこか威圧的だった。

 頭を下げてから目だけ動かして部屋の中を見回した。私とおじさんと訓練校の職員さんだけ。

「呼んだのは君だけだよ、紋水寺莉乃さん。私は陸軍で大将をしている北詰という者だ」

 おじさんは笑みを張り付けたまま、私をここに呼んだ理由を説明してくれた。

 前列がない程の身体能力、『女王』さんには劣るものの腐化、硬化、再生能力の高さ。それらを説明する口調は段々と熱を帯びていき、

「そして何より! 負の感情への完璧な耐性!」と言うときには半分くらい叫んでいるような声量になっていた。

「完璧?」

「そうだ。君はどんな感情ーー『憎しみ』にも『劣等』にも『後悔』にも『空虚』にも『恨み』にも『嫉妬』にも、心を汚されることはない! それに加えて先程説明した身体能力だ! 徒花という存在の頂点に立つ存在なのだよ!」

 頂点。どういう反応をすればいいのか分からず、おじさんをじっと見ていた。

「まずは訓練校からとなるが、君ほどの力があればすぐに部隊へ配属となるだろう。もしそこで何か要望などがあれば上司ではなく直接私へ言ってもらって構わない。私にできる限る融通は利かせよう」

 頷いてから、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。

「流華は?」

 おじさんの表情は興奮したものから不思議そうなものに変わった。

「るか? あぁ、もしかして君と一緒に検査を受けたという子か。友達かい?」

「うん」

「そうか。うん、彼女も素晴らしい能力の持ち主だ。身体能力は並の徒花より遥かに高い。彼女もすぐに部隊へ行くことになると思う」

「じゃあ私と流華を同じ班にして」

 軍の偉い人がそこまで言う程の能力があれば流華を戦わせずに、危ない目に遇わせずに済むかもしれない。

 だけど大将は少し驚いたような顔をしてから首を横に振った。

「駄目なの?」

「絶対にできない、というわけではない。しかしやめておいた方がいいと私は思う」

「どうして」

「君の友達は『嫉妬』への耐性が著しく低い。君が一緒にいた場合、その感情を刺激してしまう可能性が高くなるからだ。それは友達の腐化にも繋がる」

「私が『頂点』だから?」

 大将は肯定する。

「じゃあ私の耐性のことを内緒にしておくのは?」

「なに? いや、それはできない。君の存在は世界の希望になり得るんだ。それを隠蔽するなど許されることではない」

「世界の希望?」

「そうだ。圧倒的な身体能力、負の感情への完璧な耐性。君の存在は、カフカに怯える一般人に安堵を与え、そして他の徒花のロールモデルになるんだ! 徒花の特性上、想像しやすい目標がいるだけでも成長の度合いは変わってくるだろう」

「でも……」

 みんなからすれば希望でも流華にとっては絶望なら、私の存在価値なんてゼロに等しい。

 けれどきっと、この気持ちは誰にも理解してもらえない。

「大将さん」

「うん?」

「私は流華が大事」

「あぁ……、うん」

「訓練校に入るって決めたのも流華を守るため」

「大切な友達なんだね」

「でもそれが流華を苦しめることになるなら、私は訓練校に入るのをやめる」

 大将の笑みが驚きに歪む。

 ほら。大切だなんて分かっているようなことを言っても、その言葉に込められた想いはまるで違う。

 なんとか説得しなければ、という思考が透けて見える大将に先んじて口を開く。

「流華が辞めたら私も辞めるし、流華が死んだら私も死ぬ。それが嫌なら、流華が生きていけるような環境を作って」

 大将は何か言いたげに口を動かした後、ふっと目を伏せると「考えてみよう」と言った。

 そうして顔合わせが終わった翌日の夜に大将から連絡があった。

 そこでまず説明されたのは『負の感情への完璧な耐性を持っているのは私ではなく流華とすること』だった。そうすることで流華が私や他の徒花に対して嫉妬を覚えることを防げる。

「それなら身体能力も同じようにしたい」という私の我が儘に大将は初めこそ難色を示していたが、いざというときは本気を出すというと許可してくれた。

 他には、私と同じように流華の要望も出来る限り聞くこと、部隊にあがった後は必ず同じ班にいれることを説明された。それなら大丈夫そう、と頷きながら聞いていたが、

「君達の班には三人目の吸収役を必ずいれることにする」という言葉には首を傾げた。

「君の言いたいことは分かる。吸収は完璧な耐性を持っている自分がすればいいと思っているんだろう。しかし、昨日も言ったように君は世界の希望となる存在だ。たとえそれを公表せずとも、万が一にも死なせるようなことがあってはならない」

 不思議な気分だった。今まで私はこれほどまでに誰かに生を望まれたことがあっただろうか。決していい気分ではなかったのは、他人を差し置いても生きるような人間だと自分で思えなかったからかもしれない。



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