二人 -ヒトリ-2
翌日の放課後、私は一人で扇野支部へと来ていた。本当は健に勉強を教える約束をしていたけど、流華がああいうことになった以上、二人で会うのは気が引けたから。
多分流華は私の代わりに勉強を見てあげていると思う。茉莉奈ちゃんや良介君は家にいるのかな。流華は子供が苦手だけど大丈夫だろうか。
がらんとした食堂で頬杖をつきながらそんなことを考えていると梅長さんが向かいの席に腰掛けた。
「一人?」
質問と同時に差し出された紙コップを受け取りながら頷く。
「珍しいね、色々」
色々?
「莉乃と流華が別行動してるとか、こんなとこでぼんやりしてるとかさ」
言うほど珍しくはないと思う。流華に彼氏ができるようになって以来、別行動は増えたし、私だってよくぼーっとしてるって言われる。なんの自慢にもならないけど。
「流華は? またデート?」
飲み物を少し飲んでからそう聞いてきた梅長さんに首を振って否定を返す。デートじゃない。ただ一緒に勉強しているだけ。
「後輩に勉強教えてあげてる」
「流華が? へぇー、勉強嫌いなのに。頭はいいからおかしくはないけどさ」
梅長さんは再度紙コップに口を付けてから「なるほど」と呟くように言って私を見た。
「その相手のこと、流華は狙ってるわけだ」
頷く。ずばり言い当てられたけど、多分会話から推測したのだろう。梅長さんはそういうことが得意だから。
「莉乃とも知り合いっぽいね」
頷く。
「もしかして莉乃もその子のこと好き?」
首を横に振って「梅長さんは好きな人いる?」と聞いた。すると梅長さんは一瞬目を丸くしてからぷはっと吹き出して
「そんなこと聞かれたの何年振りだろ」と笑った。
「そういう話しない?」
「しないしない」
「好きな人いないの?」
「いないねぇ」
「付き合ったことはある?」
「んー、まぁ開花する前はあったよ。学生の頃にね」
「そっか。元ヤンだもんね」
「関係ないから、それ」
梅長さんは真顔でツッコんでから再び笑う。
「なんか莉乃とこんな話してるの可笑しいな。流華相手なら分かるけどさ。気になる人でもできた?」
最後の質問をする時だけ口調が優しくなったように感じたのはきっと気のせいじゃない。
その問いには首を振って否定して、
「本当に好きってどういうことか考えてる」
「うおぅ」
「なに?」
「いや、ごめん。予想外に乙女チックな悩みでちょっと驚いた」
どこかニヤケたような顔で梅長さんは言う。
「まぁ誰しも一度は考えることなんだろうね。そういう感情の度合とか区分とか」
「梅長さんも?」
「うん、まぁ。あ、子供の頃にね?」
なんか嘘っぽかった。梅長さんは意外と乙女なのかもしれない。
「でも気になる人もいないのになんでそんなことを?」
その質問の答えを口に出すのに少し時間がかかった。自分の考えを整理して言語化する必要があったから。その間梅長さんは紙コップ片手にのんびりと待ってくれていた。
「流華の好きな人は私の知ってる人、弟みたいな人でーーーー」
「うん」
「それで、二人が付き合うことになったとして、今までみたいにすぐ別れちゃうところは見たくないな、って思って……えっと?」
なんだろう。首を傾げると梅長さんは「大体分かった」と言った。
「つまり莉乃はそういう理由から流華の好きが本当の好きなのか知りたくなった。でもじゃあ本当の好きってなんだろう。よしじゃあ頼りになる梅長さんに聞いてみよう、とこういうわけだ」
「うん、大体合ってる」
「どこが間違ってるかは気にしないことにするよ」
梅長さんは気を取り直すように一息吐く。
「とはいえ本当に好きかなんて本人にしか分からない、むしろ本人すら分かってないこともあるからねぇ。莉乃が本当に好きじゃなかったと思ってる過去の交際だって、流華にとっては全部本当だったのかもしれない」
「すぐに別れてても?」
「期間は関係ないよ。どれだけ本当だったかだから」
正直、流華が彼氏を取っ替え引っ替えする理由は、過去の経験からくる依存だと思っていた。それでも悪い男の人に引っ掛かったり二股掛けたりは一度もなかったから何も言わなかったけど。
本当に好きだったのだろうか。思い返してみれば、付き合いたての頃はどんなところが格好良いとかすごいとかのろけられることはよくあったけど、時間が経つうちにそれも減り、そしていつしか当然のように別れていたから本気だなんて考えたこともなかった。流華だって『元々長く続くとは思っていなかった』ようなことを口にしたこともある。
別れることが前提の本当の好き。そんなものがあるのだろうか。
ますます分からない。本当に好きな相手を、そんな簡単に嫌いになれるものなのだろうか。何があってもずっと一緒にいたいと思うものじゃないのかな。私にとっての流華や両親のように。
『まぁ個人的にいえば十代の頃の恋愛にそこまで求めないけどね』
別れ際の梅長さんの言葉を思い出しながら洗い物を続ける。
確かに私だって今まではそうだった。本当とか本気とかはどうでもよくて、依存でもなんでも、流華が思うままにすることが一番いいのだろうと漠然と考えていた。でも今回だけはそう思えない。
求め過ぎだとしても、付き合うのならちゃんとしてほしい。傷付いた顔は見たくないから。
部屋着に着替えた流華が寝室から出てきたタイミングで洗い物を終えた。手を洗ってから食卓につき、流華と一緒に合掌する。
箸先でハンバーグを一口サイズにして口へ運ぶ。温い。少しだけ冷めてしまったな。
「莉乃ー」
「なに?」
「私、健君にフラれちゃったから、次からは莉乃が勉強教えてあげてねー」
その言葉に私の頭は真っ白になった。そうして生まれた沈黙を気にする様子もなく、流華はハンバーグに箸を伸ばす。
「告白したの?」
ようやく口から出た問いにも大した反応を示さずに「うん」とだけ言った。
「健、断ったの?」
たった今そう言っていたのに重ねて聞いてしまった。
流華は再度「うん」と答えてからハンバーグを口へと運ぶ。
流華がショックを受けている様子はない。付き合っている人にフラレることも少なくないから慣れているのかもしれないけど、本当に好きなら少しは落ち込むものじゃないのだろうか。
やっぱり本気じゃなかったのかな。だから断られてもダメージが少ない。でもきっと健はそうはいかない。流華のことを考えて頭を抱えている様が容易に浮かぶ。
大丈夫かな。テスト勉強に身が入らないんじゃないかな。
というか『勉強を見てあげて』と流華は言ったけど本当にいいのかな。でも嫌ならそんなことは言わないか。流華は遠回しに何か言うようなことはしない。私相手だと意味がないと理解っているからかもしれないけれど。
流華に言われた通り健に勉強を教えて、中間テストが始まって終わって、結果が返ってきて、その後も受験に向けて勉強を教えることになって、そうこうしているうちに一ヶ月が過ぎた。
健の学力は順調に上がっていて、このままいけば多分商業くらいなら問題なく受かるだろう。本人も手応えを感じているのか、最近ことあるごとに「商業現役合格いけそうっす!」とまるで夕交大学を受けるかのようなノリで言う。最初の学力を考えると気持ちは分からなくもないけど。
テーブルにかじりつくように勉強をしている健から顔を逸らして居間を見る。そこにはテレビにかじりついている良介君の姿。前傾姿勢こそ同じだけど、二人の顔の明暗はくっきり分かれている。健は証明問題が大の苦手で、良介君は今流れているアニメのエンディングが大好きだから仕方のないことだ。
曲がサビに入ると良介君はノリノリで歌い出した。大分うる覚えのようで、時々歌詞を間違えたり「るるるー」で誤魔化していたりしている。
その声を遮ったのは私のポケットの中で鳴り響いた警報だった。すぐにスマホを取り出し、音を止めてから耳に当てる。
二足歩行タイプ、サイズは小型か中型、出現場所はーーーー
「心配しなくても大丈夫」
不安げな顔を向けてくる二人にそう言うと、室内に満ちていた緊迫した空気がふっと緩んだ。
『被害者は確認されていない。戸舞班は至急現場へ向かえ』
行かなきゃいけないか、とスマホを耳に当てたまま腰をあげる。それにしても、お店が立ち並ぶ通りに出現して被害者がないなんて珍しーーーー
『なお、目撃者の情報によると現場には戸舞隊員が居合わせていた模様。既に戦闘を開始している可能性が高い』
その言葉に思わず目を見開くと、健が「どうしたんすか」と心配そうに聞いてきた。
「流華が先に戦ってるかもしれない」
「一人でですか? カフカはデカいやつなんすか?」
情報によると小型か中型。戦うだけなら流華一人でもきっと問題ない。でも、
『被害者は確認されていない』
もしもカフカがまだ誰も殺していなくて、そのことを流華も知っているとすれば。
「行ってくる。今日はもう戻らないかも」
鞄を取って玄関へ向かうと健と良介君も付いてきた。
「き、気を付けてくださいね」
「うん」
「がんばってね」
「うん、ありがとう」
じゃあね、と言いながら戸を引いて外へ出ると、その場で大きく跳び上がった。宙に足場を作って駆けていく。
普段から流華には吸収をしないように言っている。でもカフカが一般人を傷付けていなくて、自分一人しかいない状況なら試みる可能性は極めて高い。そんなカフカを殺せば批判の対象になることは間違いないから。
遠くに現場が見えてきた。私とは別の方向から並んで走ってくるワゴン車も。
それらより先に到着した私を流華は制服のシャツ姿で出迎えてくれた。その傍らには地面に仰向けに寝ている男の人。全裸で、下半身には流華のブレザーが掛けられている。状況的に十中八九ーーーー
「ごめんね」
吸収したの? そう聞く前に流華は困ったように笑いながら言った。
「まだ誰も殺してなかったし、近くに人もいたから待ってる余裕もなくて」
「大丈夫?」
「うん。全然問題なし」
その言葉と笑顔にほっと胸を撫で下ろしてから男の人に目を向ける。若い人だ。二十歳くらい? 何が原因で腐化したんだろう。そこに嫉妬はどれほど含まれていたんだろう。
ただでさえ『著しく低い』とされている嫉妬への耐性。それを受け入れる器は、今回の件でどれほど埋まってしまったんだろう。
また同じようなことがあったら、流華はこんな風に平然としていられるだろうか。
いや、あったらなんて考えることが間違っている。そんなことないようにしなきゃいけない。今日だって一緒にいようと思えばいられたんだから。
こちらへ向かってくるワゴン車に手を振っている流華の横顔を見ながら昔の記憶を頭に浮かべる。
流華との出会い。いつも笑顔で接してくれたこと。花かんむりを一緒に作ったこと。
流華の存在に救われたこと。
島屋のこと。伯父さん伯母さんに我儘を言ったこと。開花したこと。一緒の班にしてもらったこと。
だから今度は私が助けたいと、守りたいと思ったこと。
開花する前の、感情に乏しかった私がそう思うほどに、流華が好きだったということ。
思い出して、再度心に刻んだ。二度と、他の出来事によって薄れたりしないように。




