花冠 -タイカン-2
明るくて、元気で、優しくて、面倒見のいい子。それが流華の第一印象だった。実際、流華はいつもニコニコしていたし、男の子達と一緒に園内を駆けまわっていたし、いじめがあれば常に被害者の味方をしていたし、小さい子達からも人気があった。
その印象が少し変わったのは、一緒に幼稚園へ通うようになってしばらくしてからだった。といっても基本的にはあさやけ園にいる時と変わりはないけど、時折、見慣れない顔を――――暗い、とまでは言わずともどこか陰のある表情を浮かべることがあった。その理由に幼いながら自然と気付けたのは、私にも同じ気持ちがあったためか、もしくはその感情が私の周辺ではありふれたものだったためか。
良く言えば羨望。
悪く言えば嫉妬。
家族のことを話すクラスメイトを見て。バス停で手を振り合い、手を繋いで帰っていく親子を見て。参観日に照れ臭そうに話をしている姿を見て。
この世界の不平等を呪わずにいられる人なんているのだろうか。
そしてそれを持て余した児童があさやけ園には山ほどいた。彼らのその感情は、先生への反抗だったり、他の子供へのいじめだったり、外での非行となって表れる。
私がそうならなかったのは、この頃から負の感情への耐性があったためか、あるいは両親との優しい思い出のおかげか、もしくは心の隅で両親が戻ってきてくれると信じ続けていたからか。
いや、きっとそのどれも正解ではない。私は彼らをただ見下していただけだ。自分はお前たちとは違うと。何も変わらないのに。だからこそ流華は、私に対して流華でいられたのに。
そう。そんな感情を時折洩らしながらも、流華は明るくて、元気で、優しくて、面倒見のいい子だった。私は子供ながらにその在り方に違和感を覚えた。反抗、いじめ、非行。それらは決して正しいことではないが、彼らなりの発散方法なのだ。大人を頼ることもできない中で、幼い彼らが見つけた、安易で、幼稚で、だけど理解できる答え。
流華にはそれがない。たまに漏れ出す程度で、発散していない。溜め込み続けている。
「だいじょうぶ?」と聞いたことがある。何を心配しているのかは、幼い頃の私ではうまく言葉にすることが出来なかった。流華は首を傾げてから笑みを浮かべて「なにが? だいじょうぶだよ」と答えた。だから私はもう何も言えなかった。今でも、多分そう言われたら何も言えないと思う。その感情を自覚していないのなら、それはそれで幸せではないのかと思ってしまうから。
それに気付いてから、私は何をするにも流華に嫉妬されないかを考えるようになった。勉強、運動、遊びの時でさえ。勝たないように、なによりそのことがバレないように、上手く手を抜く術を身に着けた。おかえりと言って私に向けてくれる笑顔が、他の人に向けるような陰のある表情に変わることが怖かった。小学生に上がるとより気を付けなければならなくなった。仲良しこよしの幼稚園と違い、小学校では学力、体力などが明確に数値化されるからだ。特に厄介なのは通知表だった。私みたいな無口で自主性のない子供は大人受けがよくて、テストの点では流華に負けているにも関わらず、通知表の数字は私の方が良いということが多かったから。そういうことがあるたびに私は流華の顔色を気にしていた。あの陰のある表情が私に向けられているところを想像するだけで心がギシギシと軋んだ。通知表の他に厄介だったのは身体の成長だった。私の方が流華より五センチほど身長が高い。それは初めて会った時から一定を保っている。そのことに対して流華は――――いつも通りの笑顔を浮かべながらだったけど――――『いいなぁ、莉乃は身長高くて』とよく言っていた。その度に私は『小さい方が可愛い』と返した。そう言った時に流華が見せる照れ臭そうな笑顔が好きだった。
その頃、園内で特によく遊んでいたのは、同じ棟の寺島龍一郎君と飛澤荒詞君、そして棟は違ったけど流華を慕っていつもくっついてきていた榎妃ちゃんの三人。
龍一郎君は年が五つ離れていて、私たち五人の中ではお兄さん的ポジションだった。他の四人と違うのは、親に捨てられたとか親が死んだわけじゃないこと。龍一郎君のお母さんは生きているし、会おうと思えばすぐに会えるくらい近所で暮らしている。週末に迎えに来たお母さんに連れられて自宅に帰って、日曜日の夜に戻ってくるということが月に一度くらいあった。頻度の差はあれ、そういう子は決して珍しくはなかったけど。
荒詞君は二つ下で、流華と同じで赤ん坊の頃に捨てられた。前にいた施設が閉鎖し、あさやけ園に来たのは私と殆ど同時期だったらしい。子供の癖に口が悪くて最初は苦手だったけど、流華に話し掛けられて露骨に照れている姿を見てからは平気になった。
妃ちゃんは一つ下。事故で両親を亡くした。施設に来たばかりの頃は両親のことを不意に思い出してなのか唐突に泣き出すことが多々あり、そんな時に相手をしてあげていたのが流華だった。心が落ち着いてくると流華にべったりで、私は嬉しいような微笑ましいような、少しだけもやもやするような、複雑な気持ちになったのを覚えている。
龍一郎君のような境遇ならまだしも、私や妃ちゃんみたいに両親がこの世にいない上に引き取ってくれる親戚もなしとなると、基本的に高校を卒業するまで施設で暮らすことになる。赤ちゃんの頃ならまだしも、ある程度成長した赤の他人の子供を引き取る人は殆どいないから。
でもその日、園長先生と浅沼先生立ちあいのもとで対面した夫婦は私を引き取りたいと口にした。もちろん開口一番そんなことを言ったわけではないし、もっと子供にも分かるよう砕けた言い方をしていたけど。
呼び出された事情は何も聞いていなかった。園長室に入るとソファに知らない男の人と女の人が座っていて、先生に言われるまま向かいの席に腰を下ろした。園長先生は私の隣に座り、浅沼先生は私の斜め後ろに立っていた。
「初めまして」という挨拶が最初のやり取りだった。
「戸舞綾乃です」と女の人。
なんでいきなり自己紹介をされているのか分からなかったけど、とりあえず同じように返しておこうかと思ったが実行に移す前に女の人が続けて口を動かした。
「紋水寺莉乃ちゃんよね」
頷く。
「おばさんはね、あなたのお母さんのお姉さんなの」
「お母さんの……お姉さん?」
「うん」と頷いてからおばさんは、事情があって少し前まで妹の子供の存在を知らなかったことを話した。その話を聞いているうちに、なんとなく、この人達は私を引き取りに来たんだなと思った。それに対してマイナスの感情を抱くことはなかったけど、ただ流華の顔が頭から離れなかった。
その話を終えるとおばさんは「莉乃ちゃんが良ければ、これから一緒に暮らせていけたらと私達は思ってるの」と言った。
なんと返せばいいのか分からずに黙っていると園長先生が「今すぐに答えを出す必要はないからね」と作り笑顔を向けてきた。
子供が一人減るだけで仕事がとても楽になるとか児童養護施設の職員不足とかの事情までその頃は分からなかったけど、園長先生は私に出ていって欲しいのだということはなんとなく分かった。
「これからゆっくり決めていけばいいの。こうして戸舞さん達と会ってお話をしたりしながらね」
私が頷くとその日はお開きになった。突然の出来事にしばらくぼんやりしていたけど、南棟から出た時に初雪が降っていたことだけは覚えている。
小学二年生の冬の日。
扇野市が記録的な大雪に見舞われる一ヶ月前のことだった。