花冠 -タイカン-1
私を妊娠した際、父親は十八歳、母親は十七歳だったという。二人はその若さを理由に双方の親族から結婚・出産を反対され、駆け落ち同然に故郷を飛び出したらしい。第三者から見ればその時点で親としての資質に欠けていると思うだろうけど、少なくとも娘にとって二人は良い親だった。公園で一緒に遊んだことくらいしか覚えてないけど、それでも。
両親がいなくなったのは私が五歳の頃だった。保育園にも通っていなかった私は両親の帰りをアパートの一室で待ち続けていた。栄養失調で倒れていたところを大家さんに発見されて病院へ。意識を取り戻してから名前を名乗ったけど、両親は私の出生届を出していなくて戸籍での確認はできなかったらしい。退院してから児童相談所で保護されること一ヶ月。結局、両親や引き取ってくれる親戚は見つからずに児童養護施設へ移されることとなった。
涼しい秋の日だった。私を迎えに来たのは浅沼という女の先生と島屋という男の先生。車の中で二人は色々と話しかけてきた。でも返事をした記憶はない。児童相談所でも極力人と話さないようにしていた。今の場所に慣れてしまったら、両親が本当に戻ってこなくなるような気がしたから。
車から降りて『あさやけ園』と彫られている門を抜けて施設の中へ。正面に見える園庭では数人の子供が遊んでいた。両親が死んでしまった子、捨てられた子、家庭の事情で暮らしている子。色んな境遇の子がいる。私と同じ境遇の子もいる。浅沼先生はそう言った。私は何も返さなかったけど、心の中で否定した。
私はここの人達とは違う。両親は生きているし、捨てられていないし、すぐに迎えに来てくれる。お母さんと約束したから。
園内には建物が四棟、園庭を囲む形で建っている。児童養護施設は西棟、東棟、北棟の三棟。南棟は乳児院と事務室がある。私が案内されたのは西棟。玄関、廊下を歩いてリビングへ行くと、そこには五人の子供と女の先生がいた。一人を除いて全員が年上だということは一目で分かった。島屋が私を紹介している間、同い年くらいの女の子はずっとこっちを見ていた。大きな瞳がキラキラしていて、同性かつ子供ながら可愛い子だと思った。そんな子を捨てる親がいることを不思議に思ったりもした。
紹介が終わると女の子は真っ先に話し掛けてきた。私の両手を握って「ハジめまして。まきのるかデス」と興奮した面持ちで早口に自己紹介を済ますと「ここのなかあんないしたげる」と踵を返して私を引っ張った。そんな強引さに驚く反面、どこからどう見ても私がここへ来たことを喜んでいる彼女の態度に困惑、苛立ち、そして僅かな嬉しさが混ざった奇妙な感情を覚えた。
「ここはリビング。みんなでごはんたべたりテレビみたりするとこ」
廊下に出ると彼女は今まで居た部屋を指してそう言った。私が頷くと更に手を引いてズンズン廊下を進む。
「ここはげんかん」
流石にそれは見たら分かる。
「よこのへやは……しゅくちょく? しつ。せんせいがとまるとこ。でもつかってるのあんまりみたことない」
じゃあ先生はどこで眠っているんだろうとは思ったけどわざわざ口にはしなかった。
そんな調子で西棟の案内は続き、ようやく終わったかと思うと今度は「そとにいこう」と言い出した。あさやけ園に長居する気など毛頭なかった私にとってそれは面倒な提案でしかなかったけど、彼女の顔を見るとそれが好意からの行動だと分かってどうにも断り辛かった。他の人達みたいに、腫物を見るように、あるいは無理矢理明るい顔で話し掛けてくれた方がよっぽど無視しやすい。
ホームから出ると彼女はくるっと振り返って「いままでいたところがにしとう。それであっちがきたとう、ひがしとう、みなみとうだよ。みなみとうにはあかちゃんがいるよ。わたしもあかちゃんのときはあそこにいたんだよ」と言った。
更に手を引きながら彼女は色んなことを聞いてきた。好きな食べ物とか、好きなテレビ番組とか、どこから来たのかとか。やっぱり無視しづらくて一応答えていたけど、
「ようちえんはどこかかよってたの?」
という質問をされた時、視界の隅に映った白い花に思わず足を止めた。手を繋いでいた彼女も足を止め、「どしたの?」と不思議そうに言ってから私の視線を追ったらしく「シロツメクサ?」と首を傾げた。
「ここにはたくさんあるよ。ふゆになったらかれちゃうけど……」
頷く。
「シロツメクサすきなの?」
別にそういうわけじゃなかった。ただ、両親とよく言った小さな公園にも群生していて、お母さんはそれを摘んでよく花かんむりを作ってくれた。そんな思い出が不意に浮かんで涙が出そうになっただけ。
『また今度、莉乃にも作り方教えてあげるね』
そう言った翌日にお母さんはいなくなった。突然いなくなった両親の身に何かあったのか、あるいは前々から蒸発する気でいたのか、だとしたらなんで最後にあんなことを言ったのか。今でも答えは分からないけど、当時の私にとってその約束が唯一の心の拠り所だった。
だから、
「はなかんむりつくれる?」
という唐突な問いに私は少なからず驚いた。肯定も否定もしないまま顔を合わせると彼女は満面の笑みを浮かべる。
「わたしさいきんつくれるようになったんだよ。みせてあげるからきゅうけいしてこ」
手を引き、ホームとホームの間の地面に腰を下ろす。彼女は「にひひ」と笑ってから近くのシロツメクサをブチブチと摘んでいった。お母さんの摘み方と比べると大分乱暴だった。そんな思いが顔に出ていたのか、彼女は私を見ると笑みを浮かべて「だいじょぶ」と笑った。
「ねっこからぬかなきゃまたはえてくるよ。せんせいはちょっとくらいかずをへらしたいっていってたけどね」
再びブチブチと数本摘んでから私の隣に腰掛けて小さな手を器用に動かして編み始める。ぼんやり眺めているうちに花かんむりは完成して、
「じゃーん」と彼女は得意げに笑い「はい、どーぞ」とそれを私の頭にそっと乗せた。
「んじゃいこっか」
立ち上がってお尻を叩いてから差し伸べてきた手を掴んで立ち上がる。ぐいぐい手を引く彼女の背中を見ながら、私の心は妙な充足感と不安に包まれていた。嬉しい、心にぽっかり空いていた穴が埋まっていく感覚。でもそれを認めてしまうと、両親と暮らしていた頃にはもう戻れない気がした。
そのまま案内を終えて西棟に戻ると、ちょうど玄関から出てきた島屋に「おや、可愛いね。流華が作ってあげたのかい」と言われた。彼女は笑って肯定した。島屋と入れ違いで西棟へ入る。
「ただいまー」と彼女が言う。聞こえなかったのか返事はなかった。何気なく隣を見るとなぜか私を見ている。何かを要求されている気がして「おかえりなさい?」と言うと彼女は今日一番の笑みをみせた。
「おかえり、リノ」
そのやりとりで目尻に涙が溜まっていくのが分かった。それと同時に、胸にじんわりと何かが広がっていくのも。
「うん、ただいま、ルカ」
好きになった。一緒にいたいと思った。守りたいと思った。
そこに劇的な何かがあったわけではない。
たったそれだけ。
それだけが私にとっての全てになった。
昔も、現在だって。




