まだまだ胸を張って自分を大人とは言えない
「話があるから、後でおれの部屋に来て」。
放課後、自席で教科書類を鞄にしまっていると、後ろから近づいてきたシュウイチにさらりとそう言われた。そして歩調を緩めずそのまま立ち去るから、おれには返答する余地すら与えられなかった。まるで周囲の目を避けるような密やかな振る舞い。チームのリーダーとして何かを任せたいのかもしれない、と最初はその不自然さを気にしないようにしたけれど、考えれば考えるほど妙だった。そもそもどうして部屋に呼びつける必要があるのだろう。せっかく同じクラスなのだから、教室内で要件を済ませればいいのに。
教室を出た後も何を言われるのだろうと考えを巡らせたが、さっぱり分からなかった。部屋に戻っても一人で悶々とするばかりで、この疑問に対する解はシュウイチ本人に会うほか得られそうになかった(こんな日に限ってシキトはいなかった)。考えることに見切りをつけると、手早く着替えを済ませて足早に彼の部屋に向かう。僅かな緊張と不安、そして多大な好奇心が胸の中で渦巻くのを感じながらも、廊下で他の生徒とすれ違うときはそれをひた隠しにした。
シュウイチはわざわざ自分の部屋の前でおれの到着を待っていた。どうしてこいつは真っ赤なズボンを穿いているのだろう、と思ったけれど、人のセンスはそれぞれだし、もともとおれは声にすることもできないので黙っている。彼の顔は大作りで派手だし、見方によっては似合っているとも言える。おれみたいな保守的な人間にはまるで理解できないセンスだけれど。
「ようやく来たな。じゃあ、行こうぜ」
「話って何? どこへ行くの?」
「後で話すからそう焦るなって。行くのはヒステリアって店。知らない?」
首を横に振る。知らない。
彼の後ろをついて男子寮を出る。もう陽は落ちかかっていて、夕暮れの光が街全体を赤っぽく染め上げていた。こうも薄暗いと会話をすることさえできない。というか、シュウイチがおれの前に立った時点で、彼が道中会話をする気がないことは分かった。おれは一切の思考を放棄した状態で正門を抜け、繁華街の方へと歩を進めた。途中でヒラギノの前を通り過ぎたけれど、あいにく中の様子を見ることはできなかった。
中高生、そしてそれより少し上の世代で賑わう道を通る。中高生たちの集団は別れの気配を漂わせているけれど、大人たちはこれから始まる何かにはしゃいだ様子を見せていた。その間を縫って歩くシュウイチの姿は、もはやどちらに属するか分からないくらい大人びている。おれはどちらに見られているだろう。高校三年生はちょうど狭間という気がするも、まだまだ胸を張って自分を大人とは言えない。
やがて一軒の店の前で立ち止まる。木の扉にはシュウイチの言葉通り「Hysteria」と彫られていた。彼は一度確認するようにこちらを振り返ってからゆっくりと金色のノブをひねった。ただ扉を開けているだけなのにキザな印象を受けるのは、体の隅々まで神経を行き渡らせているからだろう。おれも続いて店内へ足を踏み入れる。
薄暗い店内。ささやかな青い照明。
いままでのおれには縁がなかった空間が目の前に広がっていた。
そう広くない店内には木でできた円形のテーブルが四つ置かれていて、その内の三つは既に埋まっていた。当然おれたちは残る一つに着くのかと思ったけれど、店内を見回したシュウイチは埋まっている一つ、女の子が一人掛けているテーブルへ向かう。
「ごめんルイ、待たせたな」
振り返った彼女は、確かにカナミズチームの石引ルイだった。どうして女子は学校にいるときと外ではこうも雰囲気が違うのだろう? ルイさんは髪を頭の上でお団子にして、目のやり場に困るようなショートパンツを穿いていた。健康的な脚の形が目に焼き付く。
「遅い。五分も待っちゃったじゃない」
「大げさだな。誤差みたいなもんじゃないか」
ルイをたしなめるシュウイチの口調は、まるで妹と話しているかのようにリラックスしている。
「それに、こんな暗い店でカズキの話すことが分かるわけ?」
「そこまで暗いわけじゃないだろう。それともどこかのファミレスにでも変えようか」
「いいわ、ここで」
ルイさんは切れ長の吊り目でじろりとおれを見、何も言わずに逸らした。おれという一風変わった個性を持つ人間に対して、どんな態度で接すればいいか分かりかねているようだ。そんな彼女が小さな子供みたいで可愛いと思う。




