第3話 春の手触り
雪は、いつの間にか消えていた。
校庭の端に残っていた白も、
朝にはもう見えなくなっていた。
空気は、まだ冷たかった。
けれど、
冬の冷たさではなかった。
放課後、
工具箱を鞄にしまう。
最近は、
修理を頼まれることが増えていた。
時計。
音の出ないイヤホン。
閉じなくなった傘。
どれも、
特別なものではなかった。
それでも、
持ち主にとっては、
替えのきかないものだった。
直す。
元の形へ戻す。
それだけだった。
それ以上のことは、
できなかった。
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校門を出る。
風が、
少しだけ柔らかくなっていた。
空を見る。
雲は薄く、
光が広がっている。
冬は、
終わろうとしていた。
ポケットに手を入れる。
右手と、
左手。
どちらも、
何もはめていない。
それでも、
前ほど冷たくはなかった。
歩き出す。
見慣れた帰り道。
足音だけが、
静かに続く。
振り向く前に、
そこにいると分かった。
少女だった。
少し後ろを、
同じ速さで歩いていた。
白い世界はもうなかった。
それでも、
赤だけは、
変わらずそこにあった。
袖口から覗く、
細い赤い糸。
春の光の中でも、
それだけは、
はっきりと見えた。
少女は、
僕の左手を見ていた。
何もはめていない手。
何も持っていない手。
「……まだ、冷たいまま」
少女が言った。
声は、
静かだった。
責めてはいなかった。
ただ、
知っていることを、
確かめる声だった。
僕は、
答えなかった。
少女は、
視線を上げる。
目が合う。
その目は、
前と同じだった。
怒ってはいない。
悲しんでもいない。
ただ、
そこにあった。
「どうして」
少女が言う。
少しだけ間を置く。
「そんなに直すの」
僕は、
前を向いたまま、
歩き続ける。
答えは、
すぐには出なかった。
修理は、
ただ元に戻すだけだ。
それ以上のことは、
できない。
それでも、
止めることはできなかった。
「……分からない」
ようやく、
そう答えた。
本当だった。
少女は、
しばらく何も言わなかった。
ただ、
隣を歩いていた。
同じ速さで。
同じ距離で。
やがて、
家の前に着く。
門の前で止まる。
振り向く。
少女は、
すぐそこにいた。
手を伸ばせば、
届きそうな距離。
けれど、
伸ばさなかった。
少女の視線が、
左手に向く。
何もはめていない手。
少しだけ、
間を置く。
「……そこは」
少女が言う。
「寒くないの」
意味は、
分からなかった。
答えも、
出なかった。
少女は、
それ以上、
何も言わなかった。
ただ、
僕を見ていた。
しばらくして、
輪郭が、
静かに薄れていく。
赤だけが、
最後まで残っていた。
それも、
やがて消えた。
門の前に、
一人で立っていた。
左手を見る。
何もなかった。
それでも、
しばらく、
動けなかった。
春の風が、
静かに通り過ぎていった。




