第1話 雪の帰り道
修理は、ただ元に戻すだけだ。
壊れる前の形へ。
使えたときの場所へ。
それだけでいい。
それ以上のことは、自分にはできない。
放課後の教室で、ドライバーを机の上に置いた。
窓の外では、雪が降っている。
まだ弱い降り方だった。
けれど、夜になれば積もるかもしれない。
「助かった」
向かいに立っていた同級生が言った。
差し出した時計を、両手で受け取る。
「もう動かないと思ってた」
針は、ゆっくりと進んでいた。
何事もなかったみたいに。
「ありがとう」
同級生は何度も時計を見てから、鞄にしまった。
そのまま教室を出ていく。
足音が遠ざかる。
一人になる。
机の上には、工具箱だけが残っていた。
蓋を閉じる。
それだけで、終わりだった。
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校舎を出ると、空気が冷たかった。
吐いた息が、白く浮かぶ。
手袋はしていなかった。
右手も、左手も。
ポケットに手を入れる。
冷たさは、少しだけ和らいだ。
校門を出て、坂を下る。
住宅街の道。
見慣れた帰り道。
雪は、静かに降り続いていた。
途中に、小さな神社がある。
子どもの頃から、そこにあった。
その日も、
通り過ぎるはずだった。
けれど、
足が止まった。
理由は分からなかった。
ただ、
何かを聞き逃している気がした。
振り向く。
誰もいない。
雪が降っているだけだった。
「――聞こえるか」
声がした。
すぐそばでも、
遠くでもなかった。
頭の奥に、
直接届く声だった。
「捨てられなかったものたちの声を」
雪が肩に積もる。
「聞かせてやろう」
それだけだった。
風が吹く。
木の枝が揺れる。
それで終わりだった。
もう、声は聞こえなかった。
神社の前には、
自分しかいなかった。
しばらく立ってから、
歩き出す。
理由は分からなかった。
けれど、
何かが変わった気がした。
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家の前に着く。
門の前で立ち止まる。
鍵を取り出す。
そのとき、
振り向く前に、
そこにいると分かった。
気配があった。
理由はなかった。
ただ、
分かった。
振り向く。
少女がいた。
雪の中に立っていた。
白い世界の中で、
ただ一つ、
赤だけが、そこにあった。
少女の袖口から、
赤い糸が、
わずかに覗いていた。
風に揺れて、
すぐに止まる。
足元の雪は、
乱れていなかった。
足跡はなかった。
少女は、
僕の左手を見ていた。
何もはめていない手。
何も持っていない手。
「……冷たいよ」
少女が言った。
声は小さかった。
責めてはいなかった。
ただ、
知っている声だった。
会ったことはないはずなのに、
知っている気がした。
答えなかった。
少女は、
ゆっくりと視線を上げる。
僕を見る。
その目は、
怒っていなかった。
悲しんでもいなかった。
ただ、
そこにあった。
「忘れたの?」
問いは、
静かだった。
意味は、
すぐには分からなかった。
雪が降り続いている。
吐いた息が、
白く消える。
瞬きをする。
もう、
少女はいなかった。
最初から、
何もなかったみたいに。
門の前に、
一人で立っていた。
左手は、
まだ、
冷たかった。




