クルスは無駄な心配をした
そんなこんなで、一瞬ものすごく嫌そうな顔をしたグランドマスターと協定を結び、俺達は一路王都を目指すことになった。
とまあ、普通はここで王都に入り込むための方法、具体的には魔族の侵攻を食い止めるために王国の要所要所に配置された関所をどうやって通過するか、頭を捻って考えないといけないところなんだが、
「次!……おお、これは冒険者ギルドのグランドマスターの馬車でありましたか。ささ、どうぞお通りください。中の改め?いえいえ、御者の方の身元がはっきりしている以上、その必要はありますまい。さあ、遠慮など必要ありません、御役目、ご苦労様にございます!」
結局、王都のグランドマスターの邸宅に至るまでの、全ての門、関所がこんな感じ、いわゆる顔パスで通れてしまった。
もちろん、作戦の中に冒険者ギルドの貴賓用馬車の威力もきっちり織り込み済みではあったんだが、馬車の扉すら開けられずに関所の通過が許されてしまうのを目の当たりにすると、改めてグランドマスターが持っている権限の凄さを思い知ることになった。
まさに、聞くのと見るのとじゃ大違い、ってやつだ。
それから数日間ほど、俺達はグランドマスターが国王陛下への謁見の根回しが終わるまで、グランドマスターの邸宅に滞在、といえば聞こえはいいが、事実上の軟禁状態になった。
まあ、理由は言うまでもないだろう。
トラブルメーカーのボクト様はもちろん外出禁止だが、現状サーヴェンデルト王国では行方不明扱いになっている『銀閃』も人目についちゃマズイという、至極もっともな話だった。
「あー、お前らに限ってバカなことはしないと思うが、一応言っとくぞ。いいか、王宮は俺の領域だ。だから陛下への謁見に関しては全部俺に任せて大人しくしてろ。ひょっとしたらお前らにも俺が関知してない何かしらの伝手があるかもしれんが、王宮ってところは一見羊のように人畜無害に見える奴が実は魔獣の皮をかぶっていた、なんて話がざらにある場所だ。お前らが良かれと思ってやったことで、次の日にはこの屋敷が騎士団に完全包囲されてしまう、なんて可能性もある。いいな、絶対に動くんじゃないぞ」
そう言ったグランドマスターが屋敷を出て数日後、前言通り謁見の段取りを済ませて帰ってきた。
なんでも、通常なら謁見に至るまでに一年は見ないといけないとか、そもそも非公式とはいえ冒険者の謁見自体が異例中の異例だとか、グランドマスターから散々自慢交じりの愚痴を謁見前日の晩餐の時に聞かされまくったのだが、重要なことはその後に起こった。
偶然にもボクト様と二人きりで話す機会ができたのだ。
「おや、こんな時間にどうしたのですか?」
そう声をかけられたのは、グランドマスターの邸宅の庭先に面した見晴らしのいい通路でのことだった。
夜中に妙に喉の渇きを感じて目が覚めたので、酒瓶の一つでも失敬しようかと抜き足差し足で食堂に忍び込もうとしていたところで、庭でボーっとしていたらしいボクト様に見つかった。
「いえ、ちょっと水でも飲もうかと」
「そうですか。ああ、呼び止めてすいません。ここまで道案内してもらったお礼をまだ言ってなかったなと思い出したものですから。クルスさん、どうもありがとうございました」
「いやちょっと、頭を上げてくださいボクト様!?お礼っていうなら、命を助けてもらっただけじゃなく住む場所まで用意してもらった俺達の方ですから!」
眠りについている邸宅が目を覚まさない程度の声で叫びながら、俺はボクト様の性格についてフランチェスカ様から言われたことを思い出す。
『いいですか?ボクト様には、御自分が魔王であるという自覚がほとんどありません。そして、魔王として遇されることにもあまり好まれていないようです。ですから、基本はボクト様との接触は必要最低限にするべきです。まず無いとは思いますけど、もしボクト様の方から何か御声をかけていただいた場合は、できるだけ自然体で受け答えしてください。ああでも、だからといってぞんざいな接し方はダメですよ。もしそんな無礼をボクト様に取ったとわかった時には……わかってますよね?(ニコリ)』
いやいや、ニコリじゃないよ。
子供の頃に聞かされたおとぎ話の一つに、美しい容姿の魔族は魅惑的な笑顔を浮かべて誘惑するから気を付けろ的なものがあったが、まんまじゃないか。まさに天使のような悪魔の笑顔だよ。
まあ、それはさて置いとくとして、多分フランチェスカ様はボクト様の気難しさを忠告してくれていたんだろうが、それを言うならそもそも魔王って存在自体が扱いの難しさの塊みたいなもんだろう。
気を遣い過ぎても遣わな過ぎてもダメって言うんならやれることはただ一つ、自然体で接する以外にないだろうよ。
まあ、敬意は忘れずに、だけどな。
「それで、ボクト様はこんなところで何を?早く寝ないと明日に差し支えますよ」
このまま立ち去るのもあまりに味気ないのでそんな質問をしてみたが、実は永眠の森を出発してから気になっていたことをぶつけてみる気になった、っていう理由もあった。
「大丈夫ですよ、私、起きようと思えばいつまででも起きていられるので」
「それはつまりトレントだから、ってことですか?」
「さあ?そもそも私は他のトレントのことをよく知りませんから。特に興味もありませんしね。ただし、はっきりしていることが一つだけあります」
「はっきりしていること?」
「眠れないんですよ」
「眠れない……明日のことが気になって、ってことですか?」
「ちょっと違いますね。私は、起きようと思えばいつまででも起きていられるのと同じように、寝ようと思えばいつまでだって寝られるんです。ちなみにこれまでの記録は、正確に測ったわけじゃないですけど、大体一万年ですね」
「……それ、本当にどうやって計ったんですか?そんなの、それこそ神様くらいじゃないと無理でしょう?」
「そうですね。私も言われたことをそのまま鵜呑みにしてるわけじゃないんですけどね。まあ言われてみればそれくらい経ってるかな、くらいの感覚ですよ」
「誰に?」
という、これ以上ないほど簡単な言葉がどうしても喉から出てこなかった。
ありのままに言ってしまおう、怖かったのだ。
場所も時間もシチュエーションも全く違う、だけど初めてボクト様を目の当たりにした時と全く同じ感覚、この世のどこも見ていない代わりにこの世界全てに向けているような茫洋とした視線。
その奥底に言い知れない怒りが渦巻いて、もしも俺が今その言葉を口にすれば、すぐにでも噴出して王都を火の海にしてしまいそうな気がしたのだ。
それが超常の存在魔王だからなのか、それとも自称一万年の時を生きるボクト様だからこそなのか。
再びあらぬ方向を眺め始めたボクト様の心にこれ以上は踏み込まないと決めた俺は、自室に戻るためにそっとこの場から離れた。
そんなこんながあっての、この玉座の間での一幕に至るわけだが……
「……おいおい侍従長様、アンタいつまで上から目線なんだよ」
「貴様!平民風情が口を利くとは、許さんぞ!」
「お、おいクルス、陛下の御前だ、余計なことを言うな」
……とりあえず侍従長の注意をグランドマスターから俺へ変えさせようと思ったんだが、困ったな。
こいつら、全然危機意識が足りてない。
ボクト様が魔王と名乗ったんだぞ?まずは衛兵に速攻で俺達を鎮圧させると同時に、国王を逃がすのが先だろうよ。ていうか国王も全然動かないな。侍従長の操り人形なのか?
予想外の展開に感覚がマヒしてることを差し引いても、平和ボケしすぎだろ。
灯台下暗しとはよく言ったもんだ。
魔族との戦いで優位に立ってると未だに勘違いしてるせいで、逆に王都に魔族が入り込む状況をまるで想像できてないってことなんだろうが。
……しょうがない、ちょっと乱暴だが、ここは一発ぶちかますとするか。
未だにわめき立てている侍従長を完全に無視して、ミーシャの方を見る。
「ミーシャ、当てるなよ」
「ちょ、クルスあんた……はあ、わかったわよリーダー」
「じゃ、じゃあ、グランドマスター、こっちへ」 「お、おい何をする気だ?」
「三人があっちで目標が二人……おいクルス、ボクト様は?」
ランディの言葉を無視した俺は、我らが魔王様に言った。
「ボクト様、俺達の役目は『道案内』だけでしたよね?」
「そうです。後は好きに動いてもらって構いませんよ」
「了解。ミーシャ、撃て」
「はいはい。『我がマナよ、一筋の矢となりて穿て、マジックアロー』」
コミュニケーションに費やした時間はわずか数瞬。
ようやく衛兵たちが反応して持っていた槍を構え始めた頃には、ミーシャの持つ魔法の中で最も命中精度に優れる『マジックアロー』が発射され、命中すれば軽く人体を貫通する魔法の矢が玉座に浅く腰かけた国王の右耳を掠めて背後の壁に突き立った。
「っ!?反逆者だ!殺せっ!!」
さすがに事態の重大さに気づいたんだろう、老人とは思えない大声を出した侍従長の命令に反応したのは衛兵たち、ではなく、玉座の間の高い天井裏に潜んでいた姿なき何者か。
彼らは衛兵たちのような平和ボケした対応とは対照的に、とにかく国王を守るための超攻撃的な警護、つまりは俺達を殺そうと何者かが天井から無数の矢と針の雨を降らせてきた。
「っ、『聖術障壁』!!」
事前にこの事態を予測していた回復術師のマーティンは即座に『聖術障壁』を展開、側に居るミーシャとグランドマスターをガードしている。
そして『聖術障壁』の範囲外にいる俺とランディはというと、
「ふうぅ、シィッ!!」
「ちいいぃ!こういうのは苦手なんだぞ!」
おそらくは猛毒付きの、襲い掛かってきた全ての矢と針を、特別に携帯が許されていたそれぞれの武器で一気に払いのけ、次の一呼吸で玉座へと疾走、三呼吸目で国王と侍従長の首に刃を突き付けた。
「全員動くな!」
さて、これでひとまずまともに話を聞かせる用意ができたわけだが、もちろん我らが魔王陛下のことを忘れたわけじゃない。
といっても、心配する必要があるとはとても思えないが。
「ちょっと、私にも痛覚はあるんですよ」
全身に何本もの毒矢と毒針を浴びながらも、一向に毒の効果が表れないらしいボクト様が平然と立っていた。
な、無駄な心配だったろ?




