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ブラパ THE BLACK PARADE [SCENARIO Ver.]  作者: 藤原キリヲ
SWEET REVENGE
21/21

18.Isn't Anything




 本音らしきものをぶつけ合った勢いに乗せられるようにして、俺とフジノは、廃工場へ向かっていた。

 日常から、非日常の場所へと。


 時間は昼にもなっていない。

 学校はまだ当然授業中で、俺とフジノは学校からひっそり抜け出すようにして、廃工場へと向かっている。

 具合が悪くもないのに早退。

 ――清々しいまでに潔い、サボりだった。



「……、ふぅ」

 そのような境遇において、俺は無意識にため息を漏らす。


 サボり。

 こんなの、少し前ならしょっちゅうだった。

 一ヶ月ぶりに行うその行為には、そこまでして向かう程の楽しさへの疼くような甘さと共に、一ヶ月前にはあまり思わなかった後ろ暗い気分が同居していた。

 ――ワクワクはしてるけど、授業中の学校を抜け出すなんて良くない。

 麻痺していた感覚が少し正常に戻ってか、逸脱することへの躊躇いを俺は感じている。

 フジノとの冒険は俺にとって大事なんだろうけど、今後は冒険ばかりじゃなく、普段の生活ももっと大切にしないといけないのかもしれない。

 漠然と、そう思う。

 片方ばかりにかまけていたら、放置したもう片方において何か取り返しのつかない結果を招くような、そんな、不安めいた予感がある。

 両立は、大変だろう。

 でもそれは一人でやるから大変なのであって、事情を話して、協力を得る努力をすることも必要だ。

 ……言葉にすることで整うものがあると、今回知ることができたのだから。



「――って感じで、最近じゃその榊ってヤツと釣りとかキャンプに出かけたりしてるよ」

「ふふ、留美ったら、口では嫌になったようなことを言っておいて、やっぱり冒険が忘れられずにいたのね」

「……ちょっと待て、なんでそうなる?」

「私以外の誰かと冒険の真似事をしていたなんて正直に言えばあまり面白くはないけれど、それはこれからの冒険に向けての留美なりの修行だったと思うことにしてあげるわ」

「いや、別にそういうワケじゃねぇんだけどさ……」

 学校から廃工場まではかなり距離があったが、その間、俺とフジノは会わずにいた一ヶ月間を埋めるかのように会話を交わした。

 特別言うほどのことがないような気がしていたのに、話し出せばそれは次々湧き出してきて、自然と会話が弾む。

 俺は篠原や榊のことをフジノに話し、フジノは俺がいない間の亜美香や光明の話をしてくれた。

 俺が榊と釣りやキャンプに出かけていたりした間、フジノは亜美香や光明と俺が戻ってきた時に再開する冒険の準備をしていたのだそうだ。


 フジノに、俺の友人関係や日常でやっていたことを話すのは、よく考えたら初めてのことのようにも思える。

 今までだって、別に秘密にしていたわけじゃない。だが敢えて口には上せなかった。

 でも、言わずにおくことで断絶してしまうものはあると今は思う。

 フジノに話すことで、俺が冒険――“非日常”と共に維持したい“日常”を上手く並列することができたように思えた。


 春と呼んで良い季節になりつつある。

 花を咲かせる桜の木々。頬を撫ぜていく温かな風。

 街から山へと向かう道中は穏やかだった――。


 そして、俺とフジノはたどり着く。


 再開すべき冒険の拠点へと――。




18.Isn't Anything




 トンネルを抜けると、目の前には、少しだけ懐かしい廃工場が、少しも変わらずそこに広がっている。


「留美、少しここで待っていてもらえるかしら?」

 敷地を囲うフェンスを越えればいつもの廃車両――というところで、フジノはおもむろにそう言った。


「今から私だけブラックパレードに行って、留美が来たって伝えてくるから」

「あぁ、いいけど……そんな前置き必要か?」

「留美も亜美香とちゃんと仲直りしたいのでしょう? 先手を打っておかないと、あの子、留美がいきなり現れたら警戒して逃げ出してしまうかもしれないから」

「えぇ……?飼い猫じゃあるまいし、あいつがそんな反応するかぁ?」

「ふふ、亜美香もああ見えて意外と繊細なところがあるのよ? それじゃ留美、おとなしくここで待っていてね」

「……、わかったよ」

 俺が突然現れたところで亜美香がそんな反応を示すとはとても思えなかったが、ひとまずはフジノの言うとおりにする。

 フジノはフェンスを抜ける穴のある方向へ歩いていき、俺はその場に留まった。


 一人になって手持ち無沙汰になり、俺は何気なく周囲を見渡す。

 変わっていない。当然だが。

 長年の風化を経てきた廃工場は、一ヶ月程度ではさしたる変化があるはずもなく、周囲の季節が俺の記憶より少し進んだ程度だった。


「あ、そういえば……」

 俺はフェンスに立てかけられた自分の自転車を見つける。

 置き去りにされ、一ヶ月雨ざらしになっていたことになるが、案外綺麗だった。

 もしかしたら、廃車両の誰かが俺が戻ってきてくれた時のために時々拭いてくれたりしていたのかもしれない。

 ――今日は久しぶりに、こいつに乗って帰るか。

 乗り心地を思い返しながら、何気なく来た道――トンネルの方を振り返る。


 振り返って、その存在に気づいた時、思わず声を上げそうになった。



「……、……」

 ……トンネルの入口に、おばけが立っていた。



「っ!?」

 驚いて、呻くみたいな声が漏れてしまう……が、よく見ればそれはおばけではなく、白いワンピースを着た女の子だった。


 ……よく考えれば、そんな、驚くほどのことではないのだが。

 前にも話題にしたように、ここは街から歩いて来られないような場所でもなく、現に塚本も亜美香も光明も、もっと言えば俺もフジノも偶然この場にやって来ているのだから。

 だけど。


「え、えっと……?」

 ――見たことない子だけど、誰だろう?

 一見して、身長とか顔立ち的には歳は自分と同じぐらいに見える。

 が、顔は知らない。会ったことは、多分ない。


 俺が驚いたのは、知らない子がいたということではなく……その子があまりに自然にさらっと、いきなり登場したように思えたからだ。

 彼女は何の気配もなく、突然そこに現れたようで、その――まるで、おばけか何かなのかと思ってしまったのだ。

 ――いったい、いつの間に……?

 ほんの数分前、フジノと二人でここにやって来たときにはいなかったはずだけど。


 ――いや、いたけど、見過ごしていた可能性もあるんじゃないか?

 そんな馬鹿げたことを俺は思ったりもした。

 そのぐらい、その女の子には存在感というか、主張というか、人間的な気配みたいなものが欠落していた。


 そう思ってよく見ると、妙なことに気付く。

 まず、その子は靴を履いていなかった。裸足だ。山の中なのに。

 服装もなんとなく変で、子供が着るみたいな袖のない、真っ白なワンピース一枚だけ。

 今は3月の下旬。気候も春っぽくはなった。

 温かくなってきた……にしても異様な程の薄着。

 しかし寒がる様子も彼女にはない。


 そして、彼女は俺の方を向いていたけれど、どうにもその目は薄暗く淀んだような色をしていて、俺のことが見えているのかよくわからなかった。

 目を見ているのに、目が合う感覚がない。

 どろりとした光のない瞳だけが、ゆらゆらとこちらに向けられている。


 ――おばけ……か。

 先程去来した突飛な発想が、あながち間違いでもないように思えた。

 そのぐらい、その子の気配は、俺が今まで出会ってきたどんなヤツよりも、浮世離れしているかのようで――、――異常だった。

 ――狂ってる。

 口にするのは憚られる、そんな印象が脳裏をよぎる。



「――くろいおとこのこ、どこいくの?」


 そしたら、彼女は目つきはそのままに、口元だけをニィと釣り上げて、そんなことを言った。


「え……?」

 意味がわからず問い返しながら、俺は彼女の声の綺麗さに驚いていた。

 澄んでいて、無邪気で、神秘的で……異質な声音。

 異質だ。アニメのキャラのような、ここではないどこかから、役者が声を当てているかのような、出来すぎたほどにキレイな声。

 そんな声が、意味深な言葉を吐く。


「うつろなおんなのこつれて、どこいくの?」

 フジノも亜美香も、なかなかに常識外れな連中だが、この子はそれより更に常識外れ――現実離れしている。

 ――なんなんだ、この子は……?

 得体の知れなさに、俺は思わずたじろいでしまう。



「イマジ!」

 と俺の心に反応したように、その子は両手を上げてそう言った。

 ――イマ……ジ? それは……、名前か?


「そう、わたし(イマジ)はイマジ。きみのこと、みつけにきたの」

 俺の心の声に応じるように、少女はそのようなことを言う。


「そう、みつけにきた。さがしにきた。みつけた。……ふふ」

 イマジ……と名乗った女の子は、口元に手を添えて嬉しそうに微笑む。

 その仕草は華やかだけど、そうする時も瞳は変わらずどんよりしていて。

「俺を?探しにきた……?」

「そう。予言にあった通り。君の帰還をもって、わたし(イマジ)の……が、始まる。始まる……。待ってた、ずっと。ふふ……」

 不意に流暢に変化した気がするその口調。

 けれども声は囁くようなトーンに尻すぼんでいき、すべての意味を理解することが俺にはできない。

 可憐で無垢な印象の中に垣間見える、不審さ。

 言葉にし難い、けれど確かに感じている不快感。

、つまり、なんというか、その……、とにかく、不気味なんだ。



「じゃあね、くろいおとこのこ。もどってきてくれて、ありがとう」

 そしたらイマジはそう言ってにこやかに笑い、俺に背を向けて歩み始めた。

 またもや突然のことに俺は「え?」と戸惑うが、イマジは意に介さず、そのままさっさと歩き去ってしまう。

 現れた時と同様に、ろくな会話もないままの、唐突な退場。


「もうすぐだよ……。もうすこし、まっててね……。……くん。わたし(イマジ)と……の……」

 最後まで謎めいた独り言をブツブツ言いながら、トンネルの中へと歩み去っていくイマジ。

 白いワンピース姿が、闇に沈むみたいに消えていった。


 俺はその背中を目で追いかけながら、彼女の言葉を反芻してみるけれど、意味はやっぱりよくわからないままだった。



「……な、なんだったんだ。あれは」

 なんか、圧倒されてた。

 考えてはみるけれど、意味など別にないのかもしれない。


 ……アレは、なんというか……正常じゃない、壊れた状態のようだったから。

 狂気を宿したものとしか思えない、澱んだあの瞳。

 不快な言葉の羅列。


「…………」

 いずれにせよ、あんな女の子は知らない。

 なので、俺には彼女がただただ、不意に現れたという印象しかなかった。

 迷子か何か。

 偶然流れ着いたような印象。


 ――それだけか?

 なんだか、それだけじゃないような気もした。

 理由などなく、単なる雰囲気でしかないけれど。


 正常ではないとはいえ、廃工場ここは、無目的に訪れるような場所では、ないのではないかと。

 彼女なりに何か意味を持ち、俺たちにも関係する何かを、彼女は帯びているのではないか。

 それは、俺の錯覚だろうか?



「お待たせ。留美。心の準備はできたかしら?」

 廃車両に向かっていったフジノが俺を呼びに戻ってきたのは、それから程なくしてのことだった。

 もし仮に、フジノがさっきの少女――イマジと遭遇していたら、どうなってただろう。

 二人は知り合いのように気安く言葉を交わしあっただろうか、

 それとも未知の外敵として警戒をあらわにしただろうか。


 ――なぁ、フジノ。おまえ、あの変な女の子のこと、知ってるのか?

 俺は少し気になったが、「早く早く」と帰還を急かすフジノに水を差せなくて、その疑問をまたしても棚上げするしかなくなる。




     □-□




 フジノに手を引かれて、久しぶりに戻ってきた廃車両の前には、亜美香が腕を組んで仁王立ちしていた。

 その少し後ろ、廃車両の車体に背を預けるようにして、光明もそこにいた。


「よう。少しはあたしの目を見て話す気になったかよ、河野」

 会うなりそんな感じの言葉を投げつけてくる亜美香。

 何を言おうか考えてずっと緊張はしていた。

 殴られた時のことを思い出して、少し怖くもあった。

 けど、亜美香は言葉こそ乱暴だったが、その気配は敵対的な感じではなく、俺をぶちのめした時の怒りや憤りは、もうそこには感じられなかった。


「あぁ、その……色々、悪かったな……、面白くねぇ思いさせて」

 なので、俺はちゃんと言葉を返した。

 ちゃんと亜美香の目を見て、こいつの意思をちゃんと受け止めようと頑張ってみた。


 亜美香もまた俺の方を見ていて、目が合う。視線が交錯して、その表情が目に入ってくると、言葉にまだ出していないのに、それだけで何かが伝わり合うような感じがした。

 少し気まずい思いもあったけど、腹に力を込めて、俺は耐える。

 それで、ちゃんと言葉を続ける。


「俺……、態度悪くて、おまえとかと全然交流持とうとしなかったよな。しかも、おまえにひどいこと言っちまって、その……反省してるよ。ごめん」


 亜美香は「チッ」と舌打ちをして目をそらし、頭をガリガリとかいた。悩ましげな仕草。かすかな苛立ちの気配。

 でもそれは俺に対してのものではなくて……。


「河野のくせに、素直に謝ってんじゃねえよ。わーったよ!負けだ。あたしの!」

「……え?」

 亜美香は両手を小さく上げて「降参降参~」と投げやりに言う。「あんたが前みたいにつまんねえこと抜かしたりしやがったらあたしも許さなかったけど、あんたがそんなだったら、あたしも素直になるしかねえじゃんか……。

 その……なんだ、悪かったな、河野。あたしも、完全に頭血ィ上っちまって……、つい、ぶん殴っちまった。今更だけどありゃあ、完璧やりすぎだった。ごめんな」

「亜美香……」


 それは、彼女らしい、シンプルな謝罪だった。

 俺が篠原や榊と話してるうちに自分を顧みたように、亜美香もまた、経過する時間の中で自分自身に対して何か思い直すところでもあったのかもしれない。

 あの時の激昂はもうない。

 俺との交流を、こいつなりに努力して、またこれからも持とうとしてくれている。

 目を見て、表情を見て、それが伝わる。

 亜美香があれほど怒った理由も、今なら理解できる。

 ――それは俺が、今まで一度たりとも亜美香に対してそうしてこなかったからだ。

 俺の反応はいつだって亜美香と向き合っていなくて、交流は一方通行で、それはさぞや不満を覚える、苛立たしいものだったんだろうなと、今なら、少し、わかった。

 思い出すと、自分の小ささが恥ずかしく、反省する。


「ね?私の言った通りだったでしょう、亜美香」

 と、フジノがふらりと俺たちの間に割り込んでくる。

 その表情はいつものように自身に満ちてて、ニマニマとした笑みを浮かべて。

 ドヤ顔だ。こいつが得意な、こいつなりの自慢げな顔。


「うっせーな。あんな無様に逃げ出す野郎が、こんな風に素直に頭下げるなんて信じられるかっつーの」

「でも、留美はこうしてちゃんと帰ってきたわ」

「あたしはフジノほど、こいつを信用しちゃいなかったってだけの話だろ。信用とか信頼とか感じるには、こいつとのコミュニケーションがまだまだ全然足りてねえんだよ」

「もう、亜美香ったら。“男子三日会わざれば刮目して見よ”と言うでしょう。あれは、留美の目覚ましい成長を見た私が言った言葉が世に広まったものなのよ」

「ウソつけ。そいつは三国志に出てくる呂蒙りょもうってヤツを讃えた故事だ。“大馬鹿野郎もクソ真面目に勉強したら、最後には英雄にまでなれました”ってな。勝手に自分の手柄にすんなよフジノ」

「ええ。つまり、良い方向へ変わる契機なんて、ふとした瞬間に訪れるものってことよね。実際こうして、留美は変わったのよ。陰ながら努力をして、ね? その成長を垣間見た以上、軽んじたのではあなたが価値を下げることになるわよ」

「どーだかな。まだ取っ掛かりだけだ。こいつがホントにすげー野郎に化けたかどうかは、これから時間かけて見定めてやらあ」

 そこまで喋って、亜美香は言葉を切り、俺とフジノに背を向けた。

 頭の後ろに手を組んで、「謝るなんて慣れねえことしたから疲れたわ。一服してくっから」とか言って、立ち去っていく。

 廃車両の裏――亜美香専用の喫煙スペースがある――へ歩いていく亜美香と一瞬だけ目が合う。

 その視線に、以前のような刺々しさは感じ取れない。


 二人の会話の内容から察するに、フジノは亜美香に俺の話を聞いてやるよう随分と説得をしてくれていたみたいだ。

 俺がいかに成長して、会話するに値する存在になったか……とかそんな具合か。

 さっきの言いぶりといい、フジノのことだから、多少なりとも話を誇張して大きくしたものを亜美香にプレゼンしてくれたのだろうが、それにしたってそんな風にお膳立てをしてくれたことを、俺は嬉しく感じる。


 ……“成長”と、そう言ってくれたことを嬉しく感じる。

 俺が欲し、届かないと諦めていたもの。

 知らず俺の中に芽吹いて、伸び始めていたらしきもの。

 フジノがそれをちゃんと見出してくれたこと、ちゃんと認めてくれたことが、俺というヤツは、こんなにも、嬉しい。



「ありがとな。フジノ」

 俺は礼を言った。

 連れ出してくれて。励ましてくれて。嬉しい思いにさせてくれて。

 言い尽くせない色々を込めた、そんな短い言葉でもって。


「大したことじゃないわ。けれど、この借りは高くつくわよ」

 フジノは俺の言葉に、静かに目を閉じて腕を組み、余裕ある声音でそう返した。

 どこかおどけるようにして紡がれる、胡乱な言葉。


 見慣れたそんなやりとりを、また交わせる日が来たことを、俺は嬉しく感じる。




     □-□




 ――俺は、小さくない驚きを感じている。

 単純に、目の前で繰り広げられた出来事に対する驚きでもあり、そんなことに驚いた自分自身に対してでも驚いている。

 否、ショックとも言っていいだろう。


 俺――今井光明が、河野留美に驚かされる日が来るとはね。



 一ヶ月ほど前に俺が流れ着き、入り浸ることになった廃工場と廃車両。

 河野留美は俺より先にそこにいた人物の一人であるけど、実際に共に過ごした時間は一日にも満たない。

 理由は単純で、この留美が、すぐにいなくなってしまったからだ。


 亜美香に罵倒され、殴り飛ばされ、逃げ出していく留美。

 その姿に、俺は気の毒な印象を抱くと同時に、当然の帰結であるような印象も抱いた。


 留美と亜美香。

 どうみても相性がよろしくないと思われるその二人。

 仲違いを起こせば、暴力と威力で勝利するのは亜美香であるのが自明であり、後から聞けば、ギスギスした関係性は彼女が仲間に加わった直後からずっとあるものであったらしい。

 聞けば聞くほど、知れば知るほど、留美と亜美香はああなるしかなかったのだと納得する。

 なればこそ、それは――当然の帰結だ。


 俺としては、「人がせっかく仲間になったその初日に、そんなエグいイベント起こさないでくれないかな?」って気分ではあった。

 けれど、彼らの関係性を思えば留美の逃亡――あれは起こるべくして起こった事態でしかなく、俺が仲間になったその日その時間が、彼らの導火線が最も短くなってた瞬間だったというだけの話だ。


 戸惑いはした。が、経緯を知ればなんてことはない話。

 留美とロクな交流が持てなかったことは残念といえば残念だけど、まあ、彼自身に溢れる魅力があるかといえばそこまででもなかったわけだし。

 廃墟という俺好みの風景と環境の中で、フジノと亜美香という変な女の子二人がああだこうだ騒いでいるのを見ているだけでも、俺としてはこの場所は十分満足のいくものであったのだし。

 だから、彼の離脱について、俺は惜しいとは感じなかったし、不在を寂しいと感じるほどの関係性も俺と彼の間にはなかった。

 ただ、その逃亡にも未帰還にも、俺は納得するだけの経緯を知り得、そうせざるを得ない状況に追い込まれた彼の不遇な立場に共感はした。


 だからこそ――、




「……戻ってきたのか、彼。絶対にあのまま帰ってこないと思ったのに」


 思考が言葉に漏れ出す。

 そのぐらい、彼の帰還は俺にとって、意外であり、驚愕だった。

 フジノや亜美香から聞き知った河野留美という人物の人間性は、こうして戻ってきて、あの恐ろしい亜美香と和解をするような胆力を持ち合わせてはいないように思えた。

 ――俺の思い違い?人を見る目には自信あったんだけどな……。


 留美を見る。一月ぶりに戻り来たその姿。

 明確な差異――フジノたちが口にしていた“成長”を感じ取れはしない。

 それが察せられるほど、俺は彼を知らない。


 謝罪をし、和解を済ませた、留美と亜美香。

 フジノも交えた三人で戯れ、ふざけあっている。

 その姿。

 面差しにかすかな緊張。でも、確かに卑屈さは薄れ、その場にいることに気後れのようなものは感じさせない。

 少しの自信を得て、僅かな分だけ堂々と。

 “ここにいて良い”といった風の自己に対する許しがある。


「……」

 フジノや亜美香の語った情報に偏りがあったか、俺がどこかを誤解したか、それとも、語られそびれた重大な本質が実は存在していたか。


 ――見くびっていた。案外面白い子なのかもしんないな、彼……。

 俺は、唐突に河野留美に対する興味が湧く。

 第一印象が誤りであったと、思考の更新を行う必要性を感じる。


 考察こそすれ、今の今まで思考の隅に忘れかけていた程度の存在であった彼だが、フジノや亜美香に対するものに比肩するほどの、関心。


 そんなようなものが、ふつふつと、沸き立つ――。



「光明」

 と、名を呼ばれた。

 それは馴れ馴れしい呼び捨てのようで、やや強張った語調に感じられた。

 声の主は当然、河野留美。

 まだ微妙にどうしたら良いのかわからない風の困惑、不安、自信のなさ……そんなものが言葉尻ににじんでいる。

 ――当然か。強くなっても、すぐさま最強になれたわけではないのだし。


「おかえり、留美くん」

 なので俺は、いつも通りのにこやかな表情を意識して、努めて優しい言葉を彼にかけた。

 俺の読み違いにせよ、認識不足にせよ、この帰還が彼にとって容易いものではないことだけは間違いないと思ったから。

 そのねぎらいの気持は、嘘じゃない。


「あ、あぁ、ただいま……、って言うほど、あんたとはまだ喋ったり色々してないけど……」

「あぁ、それは確かに……そうだね。まぁ、会話なんて、これからいくらでもすればいいんじゃないか?」


「そ、そっか……じゃあ、その、これから改めてよろしくな、光明。男だし、あんたとは仲良くさせてもらいたいっていうか、……あ、いや、良かったら、だけど」

「…………、あぁ。こちらこそ、よろしく」

 おっかなびっくり話す留美に、俺は合わせるようなペースで返す。

 年長者らしく俺は手を差し出すと、留美は少しだけ躊躇った後それを握り、俺たちは握手を交わした。

 彼の表情は朗らかで、卑屈さが幾分薄れた、年相応の素直さを湛えたものに見えた。


 ――よろしく、……ねぇ。



「あんな怖い目に遭ったのに、よく帰って来たね留美くん。君って案外、勇気があるんだなあ。しかもちゃんと反省して、謝って、えらいよ」

「そ、そんなことねぇけど……!」

 褒めて見ると留美は少しだけ気まずそうに慌てた素振りを見せるが、即座に真剣な面持ちになる。


「確かに怖かったさ。けど、それに立ち向かうっていうか、向き合うっていうか……、その努力をするべきだって、思ったんだよ」

「だからさ。その努力は、君にとって相当にしんどいものであったんじゃないのかい?」

「まぁ……、そのしんどい思いをしてでも、ここにもう一度来たいって思えから」

 留美はそう言った。

 それは本心なのだろう。思ったままのことなのだろう。

 そうして告げられたその言葉が、思っていた以上に純粋で眩しく、美しさすら漂わせていたものだから俺は虚を突かれたような気分になる。

 驚く。


「ホントはやりたくないだとか、嫌だけど我慢するだとか、ここは君にとって、そうやって自分を曲げてまで執着できる場所ってことなんだねえ……」

 でも黙るのは不自然だから、言葉を返す。

 驚いて、自分でも顔が強張っている気がしたけど……。

「いやはや、美しい話だね。俺には喧嘩した相手とそこまでして仲直りするような頑張りはできないなー」


 ――驚き?驚きだけか? いや、違うよな。この感情は――、


「俺と違ってあんたはまだこの場所にそんな愛着感じてないだけじゃないのか?

 俺は、まぁ、その、あんたが来るまでにもいろいろあったからさ、やっぱ大切なんだって気づいただけだよ」


「そういうことじゃなくってさ。そもそも俺にはそんな気力がもう湧かないんだよ。

 俺は“自分の居場所”なんてものが唯一無二の絶対的なものであるわけじゃないのは知ってるし、嫌になった時に身を移せる場所とか、嫌なことからの逃げ道だっていくらでも持ってて、用意できる。そういうものって、大人になるにつれ、どんどん増えてくものだからさ。

 だから、君みたいに、そうまでしてひとつのことにこだわる意味が、もう感じられないんだ。俺だったらしんどい思いまでして努力して、この場所に留まる気なんて起こらないと思うから、すごいなーって褒めてるんだよ」


 言いながら、何か言葉選びを間違えている――余計な事を口にしてるような気がした。

 俺は留美の帰還と、そのために彼が支払った努力に対して敬意を表そうとしたつもりだったのだが――、


「そ、そっか……。それは、大変だな……その――」

 留美が、言いよどむような口調で言葉を途切れさせる。

 俺は彼の発言よりも、その表情が気にかかった。


「なぁ、光明」

「ん?」

「こんなこといきなり言うのって、失礼かもしれないけど――、いつもニコニコ微笑んでるあんたも、そういう顔することって、あるんだな」


「――――――――――え?」

 その言葉に、凍りつきかけて、


「あはは。俺、今、どんな顔してるの?」

 そう言いつつ、俺は自分の顔に触れ、表情を確かめようとせずにはいられなかった。

 触れる。

 頬。口角。目。


「いや、目が笑ってなかったというか、ちょっと怖い顔してた。今は、いつもどおりだけど……」

 時既に遅く。

 触れて確かめた時にはもうすでに、俺の表情はいつもの微笑に戻っている。



 ――なんだって?俺が?どんな顔してたって?

 いつもどおりの、人好きのする笑みを浮かべていたはずだ。

 意識して、努力して、俺は常にそうあろうと習慣付けているはずだ。

 それが今井光明が経てきた人生経験であり、成功体験だったはずだ。


 ……それが崩れているとすれば。

 その習慣すら忘れさせるほどの、強烈な感情の存在――

 驚愕ではない。

 それは単なる衝撃であって、俺の習慣を崩すには至らないからだ。

 そうするのは、俺が微笑み、優しげにあろうとすることに抵抗を感じる類の心情――


 ――羨望。


 俺は、俺が持ち得なかった程の刺激的な環境を持ち、その価値を感覚的に理解し、耐え難い苦境すら乗り越える努力をしてそれに固執せんとする河野留美を――


 ――あぁ、なんて、羨ましい……。

 と、そう思ったのだろう。

 表情すら失ってしまうほど、鮮烈に。


 今井光明は驚愕した。

 同時にますます、興味が湧いた。

 廃車両という空間と、そこに加わる河野留美に――、




     □-□




 光明とも言葉を交わし合ったところで、亜美香がタバコから戻ってきた。

 立ち去る前に僅かに残っていた、彼女らしからぬ、微妙に気まずそうな気配は……既に失せていた。

「うん、改めて冷静クールになって、すぱっと割り切れそうだなって気分になってきたぜ」

 亜美香は言う。改めて、俺がここに帰還することを認める、と。


「あんたがよくわからねえ野郎で、気に食わねえことがあったってのも事実だが、それをいつまでも引っ張り続けんのもあたしらしくねえってな。

 何にせよ、今のあんたはそうやってあたしともちゃんと交流しようって姿勢を持とうとしてんだ。だったら改めて、こっから仲良くしようぜ、留美」

「お、おう……、ありがとな。こちらこそよろしく、亜美香」

 急に名前を呼ばれて、少しだけ戸惑った。


 女みたいだとよく馬鹿にされる、俺の名前。

 ただ、俺にとっては自分を示す名前でしかなく、それを亜美香に呼ばれること自体にイヤな感情はまったくない。

 ――むしろ、認めてくれたみたいで、うれしいっていうか……。

 その距離感が少し恥ずかしいというか。


「なんだ?まだ納得いかねえのか? はっきりしねえ態度だな」

「い、いやそんなことはねえよ……。ただ、いきなり名前で呼んできたから??」

「仕方ねえ。あんたがそこまで言うならケジメをつけようぜ! 留美!あたしを殴れ!」

「は――?」

 ――なんでそうなる?


「あんたも男だしな。女のあたしにやられっぱなし、言われっぱなしってんじゃカッコつかねえだろ。一発なんてケチくさいことは言わねえ。仲直りの印に、いくらでもブン殴ってくれて構わねえぞ」

「いやいや、なに言って……俺はそんなつもりは――」

 仲直りはしたいが、さすがにそこまでさせてもらう気はない。

 亜美香とのあの一件は、謝罪を交わし合ったさっきの時間でもう自分の中では一応、解決しているのだから。


「いいから殴れっつーんだ!これはあんたの、っつーよりあたしのケジメだ。あんたと対等な仲間になるために、あんたのことを今後無意味にナメたりしねえように、おあいこにしてやろうって意味があんだよ。わかったら早く!」

「わ、わかったよ……!」

 妙な剣幕で迫られて、俺は気圧されながら了承してしまう。

 理由を説明されて、多少なりとも納得できる……わけでは別になかったが、そうした方が亜美香にとって良いことなら、応じてやるべきだろう。


 そうして、俺と亜美香は、向き合って立つ。

 手が届くぐらいの距離で、互いの目を見て逸らさずに。

 ――こうしてみると、亜美香って思ってた以上にちっちゃいんだな。

 俺は益体もないことを思考する。

 亜美香は、一見した限り、どう見ても小柄な体格だ。

 だというのに、俺はそれを今更ながら、改めて実感する。

 そう思うのは、こいつの気迫や態度、俺の恐れみたいな印象も相まって、実際以上に大きく認識されていたってことなのかもしれない。

 過剰に気後れすることなく、ちゃんとこうして正面から向かい合えば、亜美香は言動はちょっと暴力的だけど、同年代の女の子でしかないのだ。


「じゃ、じゃあ、行くぞ……。ホントにいいんだな?怒ったりしないな?」

「当然だバカ野郎! あたしがそんなんでキレるちっちぇえ女に見えるか!」

「わ、わかったよ……!」

「っしゃあ!来いやあ! 手加減すんじゃねえぞ!留美!」


「――っ!!」

 そうして、

 息を呑むように力を込めて、拳を振りかぶる。

 怒りや憎しみじゃない。

 亜美香と、正面から向き合って、理解し合いたいという感情を込めて、俺はそれを突きつけるのだ。

 ――河野留美は生まれて初めて、人を殴った。


「っぐ……!」

 頬を殴られ、うめく亜美香。

 そのままよろよろと後ずさり、ばたーんと地面に背中から倒れる。

 ――え?そんなに強くやっちまったか、俺……?

 でも、こいつがそんなヤワとは思えないし――、


「あはははははははは!」

 そしたら、亜美香は大きな声を出して、笑った。

 大の字に寝転がって、空を見上げるようにして、高笑う。


「いってーな!容赦なく顔面いきやがって! あはははは!」

「ご、ごめん……人殴んのなんて初めてで、力加減がわからなかった」

「バーカ!どうでもいいんだよそんなの! 初めてであたしをぶっとばせるなんて、たいしたもんだぜ!」

「……、あぁ」

 いや、亜美香はこう言ってるが、そこまでの腕力は俺にはない。

 気づいた。これは、俺のパンチを食らった亜美香が、わざと大仰にひっくり返ってくれたのだと。

 そうやって大ダメージを負ったフリをして、俺との一件をおあいこにしてくれようとしている……だけでなく、言外にここまで来た俺の頑張りを評価してくれているのだ。

 それはなんとも亜美香らしくいわかりにくさと回りくどさだった……けど、それを汲み取ることができたように感じる。


「ま、なんにせよこれでおあいこだ! 罵り合って、殴り合って、あたしたちの関係性はゼロに戻ったってことだぜ留美!」

「……、そうだな。ありがとう、亜美香」

「いいってことよ、――ダチ公!」


 拳と拳で理解し合った、俺と亜美香。

 ――ったく、どこの不良マンガの世界だよ、それ。

 そんな暑苦しい関係性、自分が実践することになるなんて思ってもみなかった。

 嫌いだったんじゃないのか。そういうの。

 思う。

 ……そうでもない?

 それは単に今まで、通らずにいただけだ。

 通らずに、縁がないものだから、必要以上に嫌おうとしていただけのようにも思える。

 その関係性に立ってみて思うのは、熱く強く、確かに実感できるつながりのようなもので、俺とは無縁そうな暑苦しさはあったけど、別にイヤでもダサくもなかった。



「なんにせよ。これで一件落着だわ」

 俺と亜美香のやりとりを見守っていたフジノが言う。

 その口調はいつも通り、冷静で、穏やかで、でも僅かな喜色を帯びていることに俺は気づく。

 フジノにとっても満足行く展開に進むことができた。

 俺はそれをうれしく思った。

 ――あぁ。がんばって、勇気出して、ホントに良かったな……。

 胸をなで下ろす。


「そう、大事なことを忘れていたわ」と、フジノがぽんと手を合わせる。「留美が戻ってきてくれて、無事に亜美香と仲直りできたのが嬉しくて、すっかり置き去りにしてしまっていたわね」

 そう言ってフジノは俺に歩み寄り、自然な所作で手を握った。

 そして、導くように、その手を引っ張る。


「来て、留美。あなたに、紹介したい相手がいるのよ」

「は?」

 突然おかしなことを言われて俺は思考が停止する。

 ――紹介したい相手? 亜美香や光明以外にも?

 そんな話、今まで一度も出てきてない……。


「この件に関して、"彼女”は無関係だから、中で待機してもらっていたの。でも、留美がこうしてちゃんとブラックパレードに戻ってきたのだから、正式に仲間同士と言えるわ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ……、おまえ一体、何の話をして――」


 ――そうして、

 フジノに強引に手を引かれ、俺は久しぶりに廃車両の中へ足を踏み入れる。

 一ヶ月程度では、特に変わらない車両内。少しだけ、亜美香や光明の私物が増えただろうか?


 だが、それとは全く異なる存在――俺が一度もこの場で見たことのない人物が、そこに座っていた。


「紹介するわ、留美。彼女は――神奈。私たちの冒険に同行する、新しい仲間よ」


「……、…………え?」

 俺は、硬直する。

 漫画雑誌を読みながら、コーヒーカップを手に持って。

 もうすっかり馴染んだ気配をまとって、椅子に腰掛けている、彼女の姿が、見覚えのあるものだったから。


「これはこれは、ここで会うのは初めてですね。河野留美。

 私の名前は、黒川神奈。貴方の認知する、黒川神奈と同一の存在ですが、あまり気になさらずに。私と貴方はこの場においては、フジノと意を同じくする、対等な仲間なのですから――ね」


 黒川、生徒会長――!?

 俺は、言葉に詰まる。


 どうにかこうにか戻り来た廃工場と廃車両。

 そこには、いるはずもない、生徒会長・黒川神奈の姿があった。


 その存在に、俺は、またしても戸惑ってしまう。



「さあ、これで全部元通り。ようやく私たちのの冒険も、再開できるというものね。行くわよみんな。私たちのブラックパレードは、ここからよ――」


 誰に対して言っているのか、声高に宣言するフジノ。

 そうして新たに始まっていく冒険。


 しかしながらその様相は、俺の予想していたものとは、少しだけ違うものになっているのかも、しれなかった――――。










     □-□




 そして、その日――、




 廃工場の敷地からほど近くに位置するこの場所に、一人の“少年”が現れた。


 詰め襟の学生服姿。

 表情を隠すように深く巻かれたマフラーと、少し伸びた髪が風にそよぐ。

 精悍な顔立ち。ただ少しの幼さが垣間見え、実年齢はともかくも、彼は“少年”と呼称すべき風貌をしていた。

 平均より小柄な身長と、華奢とも言えそうな体格――しかし、背筋は真っ直ぐに伸び、歩調や佇まいには安定感がある。

 繊細さの中に、強く鍛えられ、鋭く練磨された気配を漂わせていた。


「……、……」

 ここまでの道筋と、眼前に広がる光景に、彼は息を漏らした。

 肉体に疲労はない。

 山道は彼にとって幼少からの遊び場であり、歩き慣れたものだったからだ。


 彼は今、この地にまつわる彼の経験と、そこより始まった現在の自分について、ただ、物思う。


 ――俺は、帰ってきた……。

 内心にて告げる。

 決意と覚悟と共に訪れた今日であったが、いざその時になってみると、深い感慨のようなものは特になく、彼の心は落ち着いていた。

 過度の緊張にこわばるでもなく、軽薄に興奮して浮つくでもない、適度に精神状態。

「……」

 静寂満ちる山中。その空気の中において至る、冷静の境地。

 凪のような中、低く、静かに、わずかばかりの熱を帯びて――、



「ごめんごめ~ん! ちょっと遅くなっちゃったよ~!」

 脳天気な声と、ばたばたした足音が、静寂の世界を打ち払った。

 “少年”は先程とは別の意味で嘆息し、近づく気配に視線を向けた。


 草木が生い茂った山道とはてんで不釣り合いな、派手な女が駆けてくる。

 奇抜な色に染められた長髪。その髪を結ぶのも、これまた奇抜な髑髏ドクロ型の髪飾りだ。

 服装は上下とも目立つ色合いの派手な柄で、町中の群衆でも目立つであろうその姿は、自然のただ中においては最早度し難い汚濁のようでさえある。

 白紙に垂らした墨汁のひとしずくのような。

 いわば蛍光色の乱舞、暴力的な色彩。

 ――現実感の薄い、極彩色の女だった。

 彼女は、知人たちにはブー子と名乗っている。

 誰しもが当然、偽名だと思うだろう。“少年”もまた、同じように思っていた。


「今日も、目に痛い服装してるんだな。あんたは……」

「え?そ~かな?あたしはカワイイと思うんだけど――」

「個人の趣味に口出しする気はないけど、見てるとチカチカする」

「それは服だけじゃなくって、あたしの溢れかえる魅力オーラが、そう見させてるってところもあるね!☆ミ」


「……いい歳した大人がそんなポーズ取ってて恥ずかしくないの?」

「ひどっ! 少年ってばクールなもんだから言い方がいちいち突き刺さるんだよな~、ホントにもぉ……」

 くるくると表情を変え、大仰に動作をさせながらブー子は楽しげに話す。

 対する“少年”も、そっけない態度ではあるが、決して嫌悪や不快に思っている様子はない。

 何もかもあけすけではないが、少しばかり気心の知れた言葉の応酬――顔見知りの会話だった。


「それはそれとして――」と、ブー子は本題に入る。「わざわざ来てもらってごめんね~。今日ならみんな、集まれそうだって話だからさ~。色々始める前に一度、あたしたちの拠点に、全員集合~ってやっときたかったしね」

「いや、別に。来るのは構わない、けど……」

「けど?」

「……」

「フムフム。なるほど、あの廃車両でのことを思い出すと、少年的には色々思うところもある……と、そーゆーことかネ?」

「なっ、勝手に人の心を読むな……!」

「君って案外わかりやすいよねー。クールそうに見えて、実はそうでもない? そういうトコ、あっちの“彼”と、結構似てるかもね~。……あ、そーゆーことか、なるほどなるほど」

「黙れ。あと、“あいつ”の話なんかするな。思い出したくもない」

「フフ、そっか……。悔しいよね、単に自分より先に来てたってだけで、君のいたい場所に収まって。そんな風にしてフラれちゃったら、傷ついちゃうよね……。

 ま、いいじゃん? そのおかげであたしと会えたんだから。結果オーライってやつだよ」

「うるさいな。全然違うだろそれ。あと俺はおまえのことなんか別に……」

「よしよ~し、お姉さんが慰めてあげちゃおう。おいで少年」

「……知るか。さっさと行くぞ」

「ちぇ、甘えんの下手だな~……、お姉さん、つまんないゾ!」


 すたすたと歩みを進める“少年”に、ブー子が小走りで追従する。

 軽口を叩きながら、未舗装の山道を並んで歩く二人。

 生い茂った木々の向こう――そびえ立つ廃工場の群れ。

 自然物と人工物のコントラスト。

 異界めいたその光景を、視界の片隅に収めながら。


 ここが、彼等の非日常――めくるめく大冒険の、その舞台。




     □-□




 荒れ果てた道をしばらく進み、周囲の木々が深さを増してきたあたりで、二人の眼前に、唐突に石段が現れる。

 それまで目にしていた廃工場とは全く異なる、けれど人工の階段。

 見上げればそれは小高い丘のように上方へ続いていて、その頂上には古錆びた風合いの鳥居があった。


「これ、神社……か?」

「そーだよ。山の中にひっそりたたずむ古びた神社。ちょ~っと雰囲気あるよね~、こういうトコ」

「廃工場のすぐ近くにこんなものがあったなんて、知らなかった」

「んー、まあ。ここも工場とおんなじで、大昔にとっくに誰も来なくなった廃墟だからね。君がこの辺地元でも、知らないのは無理ないよ~」


「……それにしては、そこまでボロボロに朽ち果ててるって感じでもないな」

「それは、ほら。たとえ忘れられてどんなになっても、ここが聖域、神域ってことに変わりはないからさ。本来とは違うものに成り果てても、大事にされる意味とか価値は残り続けるものかもしれないよね」

「……?」

 ブー子の発現に若干意味を判じかねるものを感じた。

 が、なんとなく深くは追及せず、“少年”はブー子と連れ立って石段を登り始める。


 ――ボロボロに朽ち果ててはいない、と先程彼は口にした。

 確かに、人気のない山中に隠れ潜む神社にしては、この場所は整然としていた。

 石段はところどころ欠けてはいる――総じて古びてはいるものの、完全に崩れ去ってはいない。


 だが、石段を登り終え、境内に踏み込んだ時、“少年”は登る前とはまた少し違った感覚を抱いた。

 境内――聖域の全容を眺めれば、伸びる木々や覆い尽くす苔による侵食は、人里のものとは明らかに違ったものだった。


 それは確かに手入れはされているのだろう。定期的に掃除をされ、少しではあるが修繕をしたような気配もある。

 だが、到底追いついていない。

 この場所を保とうとする誰かの意思よりも、この場所が緑色に沈みゆく速度の方がずっと早いのだ。

 そびえる鳥居も、居並ぶ灯籠も、苔生して灰と緑のまだら模様。

 降り積もる落ち葉は参道を埋め、建物の外形すらおぼろげにしてしまうほどだ。

 今はかろうじて、この場所が神社だと認識できる程度の状態。

 それは言うなれば残滓でしかなく、

 この場所が既にその意味を亡くした――骸に等しい状態であることを、“少年”は強く実感する。


 それは単に、打ち捨てられた人工物が、自然に飲み込まれていく有様でしかないのかもしれない。

 しかし、ここが神社――信仰に由来する場所であったこと思うと、とめどなく風化しゆくこの光景には、自然の美しさや恐ろしさだけではない感覚に“少年”は襲われた。

 ――そこに信仰はまだ残っているのだろうか。

 信じられていた神の存在は、まだ、あるのだろうか。


 この場所と縁もゆかりもない、無信心な“少年”だったが、喪失感にも似た思いを、この景色には抱かずにはいられない。

 それほどまでにこの神社の異界化は、戻り得ぬ深度に達していた。

 下手に人の手が加わったために、その終焉が浮き彫りにされたかのようだ。



「少年少年。んなとこで感傷に浸ってないでサ。入んなよ。もうみんな待ってるみたいだよ~」

「あ、あぁ……」

 思索に囚われていたところを、ブー子に呼び戻され、“少年”は顔を上げる。

 参道の続く先――境内の中央に位置する拝殿には煌々と明かりが灯っており、人の所在を示している。

 この荒れ果てて、信ずる神すら失せたような聖域に、何者かが集っている。

 ……最も、“少年”たちも、その一人なのだが。

 ブー子は先んじて拝殿の入り口に立ち、“少年”に手を差し伸べていざなった。


「さあ、準備はできた? なら、この扉を開いてね。

 ここが君が始める冒険の旅、その拠点にして始まりの場所。

 君と共に旅路を行く、心強い仲間たちが、中で君を待っているよ」


「――。……」


 ブー子に促され、“少年”は躊躇なく戸を開く。

 古びた木戸がガタガタと音を立てて開くと、飛び込んできた内部の有様に、“少年”は思わず息を呑んだ。

 それが彼から言葉を失わせる程に、予想を超えた光景だったからだ。


 そこは神社の拝殿であり、聖域の中でもとりわけ神聖な空間だったのだろう。

 ここが生きていた時代においては、人々が集い、奉ずる神に祈りを捧げる場所だったのだろう。

 “少年”もそのぐらいのことは知識として持っていた、だから、入る前の時点から内部の構造や設置物についてはある程度は想像することができた。


 故に、拝殿――かつてそう呼ばれていたこの場所が、異様なものに変質させられていることを認識し、“少年”は戸惑ったのだ。







挿絵(By みてみん)


 ――“目”だ……。

 そう、目を引くのは、“目”だった。

 拝殿内のそこかしこに、ペンキかスプレーによって、奇怪な“目”が描かれている。


 真円に近い丸の中にこちらを覗き込むようにして描かれた目がある。

 円の周囲には後光のような線が描かれており、一見するとそれは太陽のようでもあった。

 いずれにせよ、快い図画ではなかった。

 ……狂気ですらある。


 人々が神を参拝していた空間は、形としては保たれている。

 参拝者用の椅子が何脚か並び、賽銭箱や太鼓、神具らしきものが目に入る。そこまでは良い。

 だが、それらは整然と置かれているというよりは散乱していると言った風合いで、最早無用とばかりにぞんざいに扱われていた。

 室内の中央には祭壇があり、奥には本殿へと続くのだろう扉があったが、そちらを見やる頃には視界を無数に行き交う“目”に注意が削がれ、もうどうでもよくなってくる。


 何者かの目。瞬きすらしないその瞳が、四方八方から自分をじっと見つめている。

 それが神社という聖域、その中心部たる拝殿で、大小無数に所狭しと描かれているのがとてつもなく冒涜的で、嫌悪感を催した。


 謎の目玉に侵略され、陵辱される神殿の有様に対する不快感は、この神社への本来的な信仰心の有無など関係なかった。

 見知らぬ神であろうとも、そのおわす空間に、こんな得体の知れない、意味深なラクガキを施せる精神に、“少年”は静かな怒りにも似た思いを抱く。


「なんだよ、こりゃ……」

 当然の疑問が口をつく。


「イマジ!」

 すると、その声に答えるように、祭壇の前で、入り口に背を向けて座っていた者が、声を発して立ち上がった。

 佇立する白い影が、くるりと振り向き、“少年”の方向へ視線を放つ。



「――――これは、“神”だよ。わたし(イマジ)が信仰し、託宣を賜るもの」


 踊るように両手を広げ、顔を向けてくる少女――名を、今治(いまじ)紗耶香(さやか)

 袖のない白いワンピース。裸足。

 そして光の失せた、ガラス玉めいて澱んだ瞳。

 ……狂気の淵に立つ少女である。


「……この大量の目玉が、神だって?」

 訝しげにその単語を復唱する“少年”。

 対するイマジは「ふふ」と静かに微笑んで、応ずる。


「そう……神。その目は、全てを見通すものなの。例えば、三角形の内側に左目が描かれたマークを見たことないかな?あれは古代エジプトの天空と太陽の神ホルスの目と、三位一体を表す三角が合体した神の摂理を示す記号で、世界中のいろんな宗教や秘密結社――ううんそれだけじゃない、国家や企業までもがこういう“目”をシンボルとして用いているの」

「な、なんだよ突然そんな話……、それがどうしたって――」


「――それはつまりね、世界中の人類がいつも“神”とでも呼ぶべき外部の超存在から常に見られている、観測されていることを認識しているってことなんだよ。人間は神が行っているその観察を無意識レベルで覚知してて、それを受けて時に自戒し、時に鼓舞されているの。人類は自分たちを観測する、神の“目”を望んでいるってことだね」

「……俺たちが観測を、望んでいる?」


「この世界が物語か何かだとしたら、この“目”はそれを読む読者のものと思えば良いんじゃないんかな? 物語は閲読されるからこそ意味を持つと思わない?読まれない漫画に価値なんてある?誰もアクセスしないネット小説に意味なんてある?」

「それは――、」

「――だから、わたし(イマジ)たちの世界も、わたし(イマジ)も、“神”に観測されなければならないの。わたし(イマジ)はそれを望んでいるし、それによって自らの生に、意味と価値を信じることができている。それが、ここに描かれた、神様の“目”!わたし(イマジ)のためのホルスわたし(イマジ)のための摂理プロヴィデンス!それがこれだよ! 今はまだ、この部屋の中だけだけど、今にどんどん数を増やして、世界中の全てが神の視座に置かれた時、わたし(イマジ)の生は、祝福で満たされて、どんな願いも叶えることができるようになる!」

「…………」

 熱を上げて語るイマジに、“少年”は気圧される。

 その語調は強く、言動は生気に満ちていたが、どこか常軌を逸した気配が感じられたからだ。

 

「信仰は力になる!事実、わたし(イマジ)の願いはかなった!神の視線を感じた時に、“(しのぶ)くん”は帰ってきた!今日もわたし(イマジ)のそばにいてくれる!だから――」

「はいはい、ストップストップだよ、サヤ」と、ますます加熱するイマジを、脇から現れた少女が制止した。「いきなりそんな核心突っ込んだ話して、彼もビックリしちゃってる。ね?」

「あ、うん……、そうだね。ごめん。ありがとう、忍くん。ちょっと落ち着く」

「うん。よしよし。サヤは神様大事だもんねー」

 イマジをあやすようになだめている少女――名を、大森しのぶ。

 派手な頭髪や服飾と、擦れた言動が普段の彼女ではあるが、イマジに接するその態度は穏やかで、どこか優しげな気配があった。


「やれやれ、イマジちゃんは相変わらずだな。この神社の中にいる時は、ものすごく元気なんだよね、あの子」

 “少年”の傍らで共に演説を聞いていたブー子がひとりごちる。

 その物言いからして、イマジの演説を聞くのも今日が初めてというわけではないんだな、と“少年”は思った。


「よお、いきなりカルトみたいな話されてドン引いたちまったか?」と今度は反対側から男の声がかかる。「ま、寛大な心でもって許してやってくれや。見ての通り、あいつはオツムがちょっとコレだからさ」

 声の主――黒髪でやたら目付きの鋭い少年が、指で自分の頭を指差し、くるくると円を描く仕草をしてみせる。

「ユーヤ!」するとしのぶが声を荒げ、少年を一喝した。「サヤのことそんな風に言うの、あたしが許さないよ! サヤはおかしくなんかないでしょ。ちゃんとこうやって元通りになってきたじゃん!」

「へいへい。姉御の出したアイデアでこの神社の中に限っては……だけどな。それに結果こうして、わけがわからねえことばっか言うようになったわけで、それを健全と言って良いかどうかは俺には判断できねえなあ」

「……黙って。今日のあんたマジでムカつくから。声も聞きたくない」

「そうかよ――」

 低い声で応じて、少年――上山裕哉は押し黙る……と見せかけて、嘲るような笑みを浮かべてみせた。「ま、俺もお前も、今日の主役じゃあねえからよ。黙んのはお互い様だぜ、シノ。で、だ――おい少年、姉御からの指示がある。そこに座んな」

 裕哉は拝殿の中央に置かれた、参拝者用の椅子を示し、“少年”とブー子に着席を促した。

 続いて裕哉がその脇に腰を下ろし、まだ反論し足りない気配のしのぶも渋々席につく。


「おい、ブー子」

「うん?なにかな?少年」

「まさかこいつらが、おまえの言ってた“頼もしい仲間”ってヤツじゃないだろうな?」

「おいおいそりゃないよ少年ェ……、今までのパートでこの子たちの頼もしさ実感できないとなると、いよいよこの神社ぶっ壊すぐらい暴れてもらわなきゃなんなくなるわけで、そこまでなるとあたしとしても少し困っちゃうというか――」

「…………」

 ブー子の持って回った言い回しに、“少年”はこの粗暴な態度の男女2名と、カルト宗教のような言動をした少女1名が、ブー子の言っていた“冒険の仲間”なのだと言外に理解せざるを得なかった。

 ――頼もしいか頼もしくないかで言えば頼もしいってことになるんだろうが……。

 確かに精神は強固なのだろうし、ぶれない雰囲気は持っていそうではある。

 だが、“少年”が期待していた頼もしさは、こういう類ではなかった。


「そんながっかりするなよ少年~。世の中の冒険パーティ全部が、君が思い描いてる健全なグループとは限らないんだぞ~」

「いや、そりゃそうかもしんないけどさ……」

「あ、もしかしてフジノちゃんみたいなのを期待してた? あちゃ~、そりゃちょっと違うかもだけど、お姉さんで我慢してもらうわけにはいかないかね~?」

「違っ、そんなんじゃねえよ……!」


 からかうブー子とうろたえる“少年”。

 その空気を打ち払うように、祭壇の付近に置かれたスピーカーにノイズのような音が入る。

 無意味な雑音でしかなかったそれは、次第に明確な音声となっていき、怜悧な声音となって場に響いた。


『……遂に主役の到着――その他の準備も、役者もようやく全てが整いましたか。それは重畳』

 聞き覚えのあるその声に、“少年”の身体に緊張が走った。


「その声――“誰でもない女(ミズ・ノーバディ)”か!」

 以前会った時に名乗られた、そのハンドルを思わず口にした。

 黒川神奈(ミズ・ノーバディ)――彼女こそ、“少年”がこの場に導かれるきっかけを作った者であった。


『いよいよですね。裕哉、しのぶ、紗耶香、ブー子、銘々の努力に感謝を。

 河野留美の逃亡と、それを是認しないフジノの強硬さ――それら対策に随分と停滞を強いられましたが、結果的にはその他の工作の精度を高める良い作業時間であったものと判断します。一ヶ月余りの中断――仕掛け、罠、暗号、地図、味方、そして敵、たくさんの準備ができました。重畳と言えるでしょう』


 神奈は、策謀する。

 我欲と悪意を滾らせて、己の目的のために、水面下にて数多の細工を弄していた。

 ……廃車両に対する亜美香の襲撃とその撃退。

 ……暗号文を携えた光明の来訪とその加入。

 …………フジノへの介入と、その改修。

 その他にも、表出していない事柄を含めればきりがなく、廃工場の冒険を構成する多くの事象は、黒川神奈の影響下にあると言っても過言ではない。


 ――そして、

 ここに至り登場したこの“少年”もまた、そうした彼女の用意した一手であった。


『さて、こうして言葉を交わすのは二度目になりますね。まずは、ブー子の導きに応じて頂き感謝を。よくぞこうして神の門を叩いてくれました。

 そして――おかえりなさい。貴方の帰還を、我々は歓迎します――“()()()()”』


 スピーカー越しに、黒川神奈に名を呼ばれ、“少年”は思わず席から腰を浮かせた。


 あの時――彼が最初にこの地を訪れた時よりも少し伸びた髪。

 より強さを増してぎらつく眼光。

 鍛えられ、研ぎ澄まされ、歳不相応なまでに強さを勝ち得た肉体。


 かつて仲間たちと共にあの廃車両を訪れたものの、フジノという少女に良いように撃退され、無様に逃げ出した、あの“少年”――遠藤祐希の帰還であった。



「ああ……。だが言っておくけど、俺はあんたたちの話を全面的に真に受けてるわけじゃない。俺には俺の目的……というか、考えがある。それを片付けるのに都合が良いと思ったから、手を貸すだけだ」

『ええ、結構です。貴方にかつてない敗北を味あわせ、人生観を変える程に影響を与えたこの場所と――“彼女”を、修行し、成長した貴方自身の手で討ち倒す……ですね?』

「い、いちいち言葉にすんな、こっ恥ずかしい!」

『何を恥じるのです?事実でしょう』

「……っ!ああそうだよ!その目的のために、あんたの提案に乗ってやるって言ってんだ。あん時のムカつき――まだモヤついてて俺の心にわだかまってるもんを晴らせるんなら、あんたらのわけわかんねえ計画にも加担してやるよ!」


『認識の相違というか、微妙な温度差があるような気がしてなりませんが……、まあ、支障をきたす程のものではないでしょう。

 ――それでは遠藤祐希。私は貴方を、“主人公一行と敵対する対抗勢力の首魁”――いわゆる、“好敵手ライバル”と認定します』


 その言葉に、祐希以外の全員が盛大な拍手をし、口々に「おめでとう」と口にした。

 隣に座るブー子、後方に並び座っていた裕哉としのぶ、そして壁際で佇んでいたイマジまでもが、自分たちのチームを展開させる主役の登場を祝福する。


『喜びなさい。河野留美に先を越され、フジノからは相棒ヒーローと認められなかった哀れなる失敗作でしかなかった貴方は、今こうして舞台に返り咲きました』


「まさに、“捨てる神あれば拾う神あり”ってヤツだね~。おめでと、少年。お姉さんもヒロインとして涙ぐましいぜ~」


「期待してるぜ、俺らのリーダーさんよ。喧嘩は俺とシノに任せな」

「あたし別にそーゆーんじゃないんですけど。ま、サヤのためだし……」


「頑張って、遠藤くん。貴方の再登場を、世界を覗く神々も観測して、反応を示していると思うよ。あ、でも、それを祝福と捉えないとダメだからね。驚愕とか、困惑とか、落胆とか、マイナスに捉えてたら、真の主人公にはなれないんだから。あと――」


 口々に向けられる言葉は、どれも祐希を祝い、歓迎していた。

 ――そんな肯定されるような話じゃ、ねえよな……。

 と祐希は思う。

 たまたま自分のやりたいこと、わだかまりを解く方法と、彼女たちの道行きが重なっただけの話だ。


 祐希がやろうとしている事は、単なる復讐だ。

 より俗な言い方をすれば、ただの仕返しで、八つ当たりだ。

 フジノに倒され、逃げ出した事実への悔恨。

 それをいつまでも水に流さず、ズルズルと未練たらしく心を引きずって、それを力づくで抹消しようとする――自己満足と欺瞞に凝り固まった、妄執だ。


 ――でも、そうすることぐらいしか思いつかなかったんだ……。

 遠藤祐希はフジノに倒され、その圧倒的強さに憧れにも似た感情を抱いた。

 それ自体は美しかったが、それが美しすぎるあまり、彼はどこにもいられなくなった。

 仲間――塚本たちの元も「自分探しの旅に出る」と離れ、かといって具体的な成長の道筋も見いだせなかった。

 それでも、自分なりに研鑽と啓発の努力を重ねていれば、彼は人並みに幸せになれただろう。

 フジノに到ることはなくとも、別の生き方を見つけ、彼なりに歩き出すことができただろう。


 …………だが、そんな迷える最中、彼は、邪悪なモノ(ミズ・ノーバディ)に行き合った。

 そして、植え付けられてしまったのだ。

 物語の舞台に返り咲く……フジノに再戦して勝利したい……負かして組み伏せ、地を這わせ、自分の滾る復讐心を充足したい……醜くぎらつく、そんな愚にもつかない野心を。

 黒川神奈――彼女が得意とする、人心操作――煽動の言語に踊らされて、彼は取り憑かれてしまった。

 呪いめいて彼を突き動かす、その執着に。



 かつて、数奇な偶然から、遠藤祐希は――主人公ヒーローになりそびれた。

 だが、何の因果か、こうして戻り来てしまった。

 ……その再来が、体よく利用されただけの余計な道だということも知らずに。


 多分、あのまま外野でい続けた方が、きっと彼には幸福だっただろう。




     □-□




 かくして、役者は舞台裏に集結した。

 黒川神奈は声高らかに、再始動を宣言する。


『遠藤祐希――貴方は、廃工場にて出会ったヒロイン――“狂言回し(トリックスター)”たるブー子の導きによって冒険へと踏み出す主人公です。

 目的地は、人跡未踏の秘境たる“創世神の塔(ティアマト)”、目的物は、その地に眠る、獲得者の願いを叶え得る伝説の秘宝……と定義します。

 貴方たちは、フジノが率いる一団と、それを巡って相争う、争奪戦の好敵手としてこれより舞台に参戦するのです』


 ――争奪戦。

 それこそが黒川神奈が策定した、それまでと全く異なる新展開である。


 フジノの用意した設定が未決のままであった冒険の目的を“宝探し”と、神奈はここで定義した。

 物語類型としての“宝探しモノ”といえば――対抗勢力の登場は不可欠である、と神奈は考える。

 同じ最終目標を持つが故に敵対し、地図を取り合い、戦闘を繰り広げ、妨害や撹乱し合い、時として一時的に協力することもあるが、機を見てすぐさま出し抜き合う……そんな、盛り上がって胸躍るストーリーライン。

 まるで息詰まる“大規模乱戦(バトル・ロイヤル)”。

 まるで血湧き肉躍る“西部劇(ウェスタン)”。

 安穏と、仲間内だけで繰り広げられる財宝探索など、正直言って何の面白みももないと彼女には思えたのだ。

 ……そういう展開の方が好ましい、という意見も世の中には当然あるかもしれないが、それは個人の好みの問題である。

 神奈が認識する“宝探しモノ”の展開としては、この状況は押さえるべき定番であり、踏襲すべき様式美なのだ。


 それを可能とするのが、彼女が揃えたこの人員。

 ヒロインにして導き手たるブー子。

 謎めいた預言者として力を与えるイマジ。

 戦闘員たる裕哉としのぶ。

 そして、北区で無目的に彷徨っていたところをヘッドハンティングしてきた、主役たる祐希。



 ――さあ、ご覧なさい。この廃園の主――動物園ひかる。

 貴方が望む、未知なる物語を、現実と非現実の狭間で、思うまま、繰り広げてあげますから。

 そして最終的には、私の真の目的……、その喉元に喰らいついてあげましょう……!



 無論、それは神奈にとっても望むべき展開。

 機械越しに物語の登場人物たちと直に交流し、直接チューニングを行う。

 見て、参加して、共に築き上げていく大冒険……それはなんて刺激的で、創作意欲の湧き立つ現実。


 さあ、いよいよこれから。

 神奈が目指すべき創作活動――その参考とすべき現実が始まってゆくのだ。


 フジノも、祐希も、それを取り巻く全ての者たちも、黒川神奈がプロデュースする。

 面白いと感じるままに。

 想像力が掻き立てられる、面白い想像が膨らむ展開――刺激ある物語を形作らんがために。

 ……見たいと望める展開なんて如何様にも。

 それを成し得る登場人物の行動だって、思うがままに操れる――。


 最早、全ては思い通り。神奈の意思一つの姿に、調教してやることができるだろう。

 自覚があるのか、それともないのか。

 ――邪悪なる思惑を匂わせる笑みでもって、彼女は猛禽類のように、嗤った。







 ……それにしても。

 ブー子が協力を依頼した、物語のテコ入れ演出。

 黒川神奈はそれを随分と派手に介入し、舌を巻く程の手練手管でありとあらゆる謀略を張り巡らせた。

 そして、今、皆一様にその策の上で踊らされている。


 黒川神奈の手腕。

 見事ではある。

 ……だがそれは、人間個人を喰い潰し、消費するかの如く、常人なら決して手を伸ばさぬ程度の、あまりにおぞましい行為であることを、彼女は気づいているのだろうか?


 如何なる人物の思惑も超えて、彼女自身の思考さえ塗り潰して展開してしまう、人間と空間を破壊するモノ――最早、災厄に等しい存在だ。

 過熱しあって暴走しあい、破滅しあって自壊しあう――そうして異変していくしかない、この廃れた楽園。


 ――やれやれ。これはもう、誰かが行く末に気づいたところで、最早止めることなんて、きっとできないのだろうな。


 それは、誰の感想だろうか。

 全てを俯瞰しつつも、今の時点まで参加せずにいたがために、状況に乗り遅れた一人の男――、


 ――そんな未登場の人物が抱いた、無力な戯言でしかない。




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