13.My Love's Sold
……雨が降っている。
限界まで倒した運転席のシートに身を預けながら、俺はフロントガラスを伝う雨粒の流れを目で追っていた。
上端に滴り落ちた雫は滑らかなガラスの表面を流れ落ち、ワイパーの辺りに辿り着いたあたりでどこかに消えてしまう。
ボンネットの辺りに溜まった他の水と混ざり合って、俺が目で追っていたひとつの雨粒は他のと区別がつかなくなってしまう。
流れのままに、他と同化しゆくモノ。
――あぁ、それってなんだか、俺と似てたりするんじゃない?
気障な思考が脳裏をよぎり、俺はなんだか楽しくなる。
人と人との間に生きる最中、気に入られる術ばかり長けていった自分。
他者が喜ぶ笑顔を浮かべて、他者が気に入る話題を嘯くばかりの自分。
そんな自分が嫌いだとかは別にそんなに思わないけれど、そうして混ざり合っていくうちに俺も雨粒と同じように消えてしまうような感じなのかなあ、とは思わなくもない。
けれど、そのことについて特に悲しいとか寂しいとかは思ったりもしない。
そういう感情に浸るだけの何かを、俺はどこかに置いてきてしまった。
悲しんだりしない。
喜んだりもしない。
――そういうものは、もう随分昔から……俺はきっと、諦めている。
「――ねえ、ちょっと……聞いてるの?光明!」
思考は、そんな声と共に左から肩を強く揺さぶられて途切れた。
なんだなんだ。せっかく、良い感じにリラックスして、好ましい退廃的な思考に耽っていられたのに。
無粋な女だ。
「ん……? 何?晴香」
「あたしの話聞いてた?聞いてないでしょ!」
「聞いてたよ。北区の駅前のスイーツがおいしいんでしょ?」
「な――き、聞いてたなら返事くらいしてよ!」
「してたよ。晴香が聞き取ってくれなかっただけだ」
「え……?」
「だっていうのに一方的に非難するとか酷くない?」
「そ、そんなつもりじゃ……、だって、聞こえなかったんだもん……」
「あはは。嘘だよ。ごめんね。うなずきはしてたけど、返事はしてなかったかも」
「なっ!やっぱりそうなんじゃない!」
「ごめんって。話は聞いてたんだからいいだろ」
「光明のバカ!知らない!」
そう言って、彼女――大島晴香は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。露骨なまでの不機嫌なポーズ。わかりやすい。
俺は晴香がこうやってキャンキャン騒ぐのが結構好きで、ついついいつもからかいすぎてしまう。
良くない癖だと解っていながら、そうしてしまう。
「ごめんよ晴香。機嫌直して」
「っさい!なによ、いつもあたしばっかり空回りして、バカみたいじゃん……!」
「ちょっと考え事してたんだよ。晴香の話はちゃんと聞いてる」
「聞いてるなら、返事ぐらいしてくれたって……、不安になんのよ。そういうの」
「もうしないよ」
言って、俺は晴香の頭に手を伸ばして、優しげに撫でた。髪を梳くようにそうしてやると、晴香は自然とうっとりした感じの顔になって、苛立っていた声音も甘えるようなソレに変わっていく。
「なら……、ご機嫌取り、してよ」
「いいよ。何して欲しい?」
「……、……キス、して」
「なんだ。そのくらいお安いご用だ」
「ちゃ、ちゃんとムードあるやつだからね!いい加減に済まそうとしたって、あたしわかるから!」
「はいはい」
そう言って、俺は晴香がまた何か言い出す前に彼女を抱き寄せて、唇を合わせる。
「ちょ、っと……そんないきなり――んんっ!?」
彼女はちょっと驚いたみたいにして少しだけ抵抗するけど、少しそのまま時間を置いて、舌を入れたりした辺りで大人しくなった。
しばらくの間、そうして無言で口付けを交わす俺と晴香。
晴香はキスが好きで、何かにつけこうするとなかなか解放しようとしない。
俺は、まぁ、別に好きでも嫌いでもないので、彼女が満足するまでの間、とりあえずそれに応じている。
そうして酸素がお互い足りなくなってきたところで口を離すと、晴香は見るからにとろんとした表情になって、もうさっき不機嫌だったことなんてどうでもいいみたいになってる。
俺は彼女のそういう容易いところが、すごく好きだ。
「ねぇ……、光明」
「んー?」
「今度の日曜日……、その、さっき言ったお店、一緒に行きたい」
日曜日――2月14日。世間じゃバレンタインデーとか言う日だ。
そんな日にデートに出かけて駅前のスイーツ出す店に行くって、もうそれだけで何すんのか半分以上わかったようなもんだけど。
晴香的には、そんなんでいいのか?いいんだろうな、別に。
「いいよ。何時?」
「夕方、四時前ぐらい」
「わかった」
「絶対だからね」
「うん」
「約束して」
「ん、約束」
指切りをする。ついでにもう一度キスをしておく。
今日ここに来て終始退屈そうだった彼女の機嫌はそれで完全に直って、早くも「この後どうしようか」とかそんなこと言ってる。
――時間も遅くなってきたし、そろそろ帰るか。
とりあえず晴香の家まで彼女を送って、素直に降りればそれで良し。降りなかったら……まぁ、俺の家にでも連れていこう。
……それにしても。
今日は俺がどこ行くか決めていいって話で、だから俺は最近気に入っているこの場所に来てみたっていうのに、晴香はいかにも退屈そうで、もう全身全霊のかまってちゃんで、「そういう態度すんのって俺に対して失礼じゃないの?」と思わなくもない。
とは言え、デートコースでこんな場所連れて来られて困惑すんのも、まあ無理ないとも思うので別にいちいち怒ったりはしない。
こんな場所に連れてきて、俺が考え事なんかを始めたら不機嫌になるんじゃないかと思っただけなので、予想通りと言えば予想通りだし。
――やれやれ、こんなにもいい場所なのに。とことん俺と晴香って趣味合わないな。
眼の前に広がるは、遠い昔に遺棄された廃工場。
捨てられ、忘れられ、錆びついた、哀切の空気がもたらす退廃。
その良さをまるで感じ取れない、愚鈍なる恋人。
愛と失意が混ざり合って歪曲されることで生まれる、混沌なるカタルシス。
そういう感覚に浸らせてくれるものだから、
俺――今井光明は、大島晴香が愛おしくてたまらない。
13.My Love's Sold
2月中旬の、とある日曜日の廃車両。
俺は床に広げた模造紙と向き合っている。
「……よし」
紙に沿わせていたペンを離し、全体を俯瞰する。
下書き状態から清書をし、簡単にだけど色も塗り終えた。
「できた」
見下ろす先に広がる廃工場の全体図――俺が数週間前から着手していた地図の作成は、遂に完成を見たことになる。
「あら」「ほー」
と、いつからそこにいたのか、自分のすぐ背後からそんな声が掛けられて、俺は驚いてビクンとなる。
慌てて振り返ると、フジノと亜美香が二人並んで、俺が今しがた仕上げたばかりの地図を見下ろしていた。
「すごいわ留美。とうとう完成したのね」
「あ、あぁ……まぁな」
「素敵だわ。色が付いて、一層それらしくなったみたい」
最初から地図を作ることに肯定的だったフジノの反応は、半ば予想はしていたけど変わらずの高評価で、俺はホッとする。
「河野、あんた結構絵ェ上手いのな。やるじゃん」
亜美香の反応も思ったより良い。ひょっとしてまた憎まれ口のひとつでも叩かれるんじゃないかと思ってただけに、ちょっと意外だ。
けど――、
「ここ最近、なんかずーっとなんかやってんなと思ってたけど、へえ……」
「……な、なんだよ。悪かったな、ずっと一人で作業してて」
「別に。言ってくれたら、あたしも出かけたりしねえで手伝ったのにとか思っただけだよ。出来上がるまでなんもなしなんてずいぶん水くせえなオイ」
出来栄えについてはともかく、俺が途中経過を報告しなかったことについて、こいつは不満のようだった。
――いや、こいつの不満は、きっとそれだけじゃなくて……。
……亜美香が現れ、フジノとの決闘を経て仲間になってから半月ほど経つ。
こいつが廃車両に殴り込んできた時、俺はたまたま今日と同じように地図を描いているタイミングだった。
窓を突き破り、廃車両が衝撃で揺れるぐらいの勢いで突入してきた亜美香。そのままフジノと亜美香は戦闘を開始してしまい、俺は巻き込まれて怪我をしてはたまらないと慌てて避難するしかなかった。
そんなわけで、あの時あの場にあった描きかけの地図は、二人の激突の余波を喰らってくしゃくしゃになってしまったのだった。
亜美香との決闘が終わった直後は色々動転していて地図のことなど忘れていた俺だったが、その少し後に廃車両の隅で頑張って描いた地図がそんな状態になっているのを見つけ、ちょっと……いやかなりイラッとした。
せっかく頑張って描いて、もうすぐ完成だったのに……。
けど、そこからその話を持ち出したりしたら、せっかく仲間に加わって融和的な雰囲気になっている亜美香をまた怒らせてしまいそうだったので、俺は仕方なくボロボロになった地図を黙って捨てる。
だからって、それで綺麗さっぱり水に流せたりなんかしない。
くすぶるような苛立ちが、この時からずっと俺の中で続いてる。
そうして俺は途中まで完成していた地図をまた一から描き直すことにしたのだが、俺が地図を描いている間は当然俺自身は冒険には出かけられない。
フジノと亜美香は三人で廃工場を冒険しようと言っていたが、俺は地図の完成を優先させたくて「俺は廃車両にいるから二人で行ってこいよ」と言って断る。
……今にして思えば、その言い方だと俺は二人の盛り上がりに水を差しているだけのノリの悪いヤツでしかないと気がつくのだが、地図の完成を楽しみにしてくれていたフジノの期待に早く応えたくて、俺は頭がいっぱいだった。
亜美香の存在が気にならなかったと言えば嘘になる。フジノはすっかり亜美香と打ち解けていたが、俺はこいつが登場した時のインパクトや、その後追い回された時の恐怖や、地図を台無しにされた怒りもあって、こいつと一緒に冒険なんて気分になれなかったのだ。
その亜美香のせいで地図を描き直していることもあり、俺はこいつの鼻を明かしてやりたいという気持ちも相まって、余計地図を作ることにこだわった。
地図を描くから冒険には行かないと言う俺を最初は説得しようとしていたフジノだったが、態度を変えない俺に付き合いきれなくなった亜美香に促される形で仕方なく放置することに決めたようだ。
そんな風に俺が居残り、二人が出かける日々が始まってからすこし経って、フジノからこっそり声を掛けられる。
「亜美香とは今まで留美と一緒に回った場所を巡ってみているの。亜美香にとってもこれまでの冒険の良いおさらいになると思って。安心して。留美だけ除け者にして、新しいダンジョンを攻略したりなんて無粋な真似はしないから。留美が冒険に出られるようになったら、いつでも言って頂戴。私、待っているから。ね?」
そんなことを言われて、俺はフジノにすごく気を使われていると知って、なんとも居心地の悪さを覚える。
この辺りで俺は、自分が意固地になったせいで、廃車両の空気が全体的にギスギスし始めていることに気が付くのだが、途中でやめるのもなんだか負けたみたいで嫌で、上手く言い出せなかった。
結果的に、地図はこうして完成した。
フジノは喜び、亜美香の反応も悪くはなかった。
だが、俺の対応のせいなのかなんなのか、どことなく微妙な空気だけが残った。
「河野はあたしが一緒にいんのがそんなに嫌なのかよ」
「そんなことはないわよ亜美香」
亜美香は自分が来た途端、冒険に行かないと言い出した俺のことが相当気に食わなかったようで、行かない理由を自分にちゃんと言わないことにも腹を立てているようだった。
「留美はただ、やりかけの作業を残したまま冒険を再開することに収まりの悪さを感じていた、ということだと思うわ」
「ふん。だったらそれを言えばよかったじゃねえか。黙って一人でコソコソやりやがって、感じわりーんだよ!」
フジノも、言葉や態度にこそ出さないが、俺がどうして地図を描くことにそんなにこだわるのか、理由を測りかねている気配があった。
地図なんて、冒険の合間に描いてもよかったのかもしれない。
俺が感じている不満感だって、フジノや亜美香に、ちゃんと言えばよかったのかもしれない。
けど、俺はそうしなかった。
――だって、言ったら絶対、めんどくせぇことになるだろ……。
蒸し返すようなことを言って、フジノに呆れられたくなかった。
余計なことを言って亜美香と喧嘩をしたくなかった。
要するに、それを口に出すことで生じそうなトラブルの気配を感じて億劫になったのだ。
だからやり過ごそうと思って一人で抱え込んだのに、結果的になんだか余計に事態がこじれたような感じになった。
あの時は俺自身も相当イラついてたせいか正直あまり冷静じゃなくて、こうするよりもっと上手いやり方があったと思えなくもないけど、でも――、
「……なんだよ」
思わず小声でひとりごちた。
二人の――特に亜美香の態度には俺に対する明らかな不満があった。
――俺がせっかく我慢したのに、おまえはそんな風にはっきり態度に表すのかよ……!
最初からあった不満感が再燃しかけるのを、俺はどうにか抑え込む。
……なんだか最近、色々上手くいかない。面白くない。
一人で地図を描いている最中も、結局イライラは収まらなくて、色々と考え出すと余計にイライラしてきて、正直全然楽しくなかった。
いつから、どうしてこうなったんだろう。
――あぁ、くそっ! わかんねぇな、なんでこんなにモヤモヤするんだ……?
亜美香っていうよくわからないヤツが来て、そしたらフジノまでよくわからない感じになってしまった気がする。
フジノは俺がやってることも知ってるはずなのに……。
亜美香をなだめたり、外に連れ出したりするだけじゃなくって、もっとこう、俺に対しても、前みたいに――、
「――、バカバカしい」
くだらないことを考え始める思考を粗暴な独り言で打ち切る。
胸につかえるようなこの感覚を、どうやって取り除いたらいいのか、ここ最近ずっとイライラしていて冷静じゃない俺には、よくわからなかった。
― ―
日曜日ということで朝から廃車両に集まっていた俺たちだったが、例によって俺は地図作りに没頭していて、フジノと亜美香は二人で廃工場内を冒険していた。
そうこうしているうちに、俺の地図は出来上がり、二人は冒険から一旦戻ってきていて、時刻は正午を少し回ったところだった。
ひとまず俺たちは昼飯を食い、午後からは三人で出かけるという話になる。
地図が完成した俺は冒険に行かない理由がもうない。
フジノはやっと俺が出かける気になって喜んでいる雰囲気だが、俺はというとあまり気が進まない。
「――足引っ張んじゃねえぞ。ヘタレ野郎」
今までいなかった冒険の仲間が、俺に対して終始こんな調子だからだ。
こいつが仲間に加わることになった日、俺はちょっと気後れしつつもひょっとしたら案外こいつとも上手くやれるんじゃないかと思っていた。
だけど、俺みたいなのと亜美香みたいなのが上手くいくわけがないのかもしれない。
亜美香の俺への態度は最早隠しようもないほど刺々しいし、フジノが諌めるのも聞く耳を持たなくなってきた。
……対する俺も、自分は我慢しているのに、こいつばっかりこうして好き放題言っている状況にそろそろ我慢の限界だった。
「……おまえこそ、勝手な行動して迷惑かけんなよな」
「ハ!言ってろ」
俺の反論を亜美香は鼻で笑って流した。
あの、敵対してた時に向けてきた、ギラギラした不敵な笑みですらない。
なんだかえらく冷えた感じの、不機嫌そうな表情だった。
「で?今日はどこに向かうんだ?」
延々とモヤモヤしていても仕方がないので、俺はフジノに今日の予定を尋ねる。
「ええ。それじゃあ今日は、“要塞都市ヘイムダル”を冒険してみましょう」
フジノは少し思案するような仕草をしてからそう言った。
“要塞都市ヘイムダル”――この間、亜美香との決闘の主な舞台となった場所だ。広大な面積に広がる、集合住宅のような居住施設の跡地。
あの時は電話を掛けたりしながら駆けずり回ってばかりいたので、落ち着いてちゃんと探索をするのは今回が初めてとなる。
「あのダンジョンは一見しただけでも広く、地形も複雑だわ。少しでも探索を進めておきましょう」
「なるほどな」
確かにあの場所は、広いだけじゃなくて崩れたり壊れたりしているせいで迷路のようになってしまっている。
建物と建物の間は瓦礫に埋まって行き止まりだらけで、建物内だって階段を使っても上階に行けるとは限らない。
真の目的――鍵の発見が不可能でも、地形を把握するための探索は必要だろう。
そうと決まれば早速、という感じで、俺たちは廃車両を出て、目的地へと向かい始める。
「ん?」
その時、何気なく廃工場の入口の方を見やった俺の視界に、見慣れない物が入った。
――あれは……車か?
廃工場の外周を取り囲む錆びた金網。いつも俺が自転車を停めている地点から少し離れた位置に、一台の車が停められている。
あんなの、前からあったっけ……?
いや、あれば気がつくはずだし、そもそもこの場所に前からあったにしてはあの車はキレイ過ぎる。
それに、あの形と色……どっかで見たような……?
「なぁ、フジノ」
俺は気になって、フジノに一応知らせることに決める。
不審な車に気が付いて立ち止まっていた俺を置いて、フジノと亜美香の二人は既に歩き出していた。背中越しに呼びかけられ、「どうしたの?」と振り返るフジノ。
「あの……、あそこに車が一台停まってんだけど、あんなの前はなかったよな?」
指差した方向を見るフジノと亜美香。視線の先には俺が先程見つけた車がある。
「本当。あんな車、昨日はなかったわよね、亜美香?」
「見覚えねえな。今朝も見てねえし、あそこに停めたのはあたしらがここ来たよりも後ってことだな」
やはり俺の思い違いじゃなかったらしい。
それにしたって、“あそこに停まっているのは今日が初めて”だって断言できちゃうこの二人の注意力に俺はちょっと驚く。
「どうする?もっと近くでよく見てみようか」
「そうね。行ってみましょう」
フジノに促される形で、俺と亜美香は後に続く。
金網越しではあるが、車が駐車してあるすぐ近くまでやってきた。
黒色の乗用車。丸っこいフォルムをした、小振りな車だ。
土木業者の大型貨物車でも、農家のじいさんたちが乗ってるワゴンタイプでもない、街の中を走っていそうな普通の車。
それはつまり、この手の車はこの辺じゃあまり見かけなくて、こんなところに停まっているのがちょっと不自然に映るということで――、
「あっ」
俺は、不意に思い出した。
前に見たことあるような気がしていたが、そういえば二ヶ月くらい前――去年の末あたりにこの車を見かけた。
世の中に山程ある車の一台を捕まえてきて“見覚えがある”なんておかしな話だが、たぶん間違いない。
車と場所との違和感もそうだし、運転席の窓から見える範囲に小さなぬいぐるみがいくつか並んでいるのが確認できる。
「どうしたの?留美」
「あ、いや……この車、前にもこの近くで見たことあるなって……」
「そう。持ち主は見た?」
「いや、その時も見たのは車だけで、運転してた人は見てないな」
ただ、これも前に思ったことだけど、こんなデザインの車で、UFOキャッチャーの景品みたいなぬいぐるみ並べてるような人だから、年齢は若いんじゃないかと思う。
俺たちと同じか、少し上――まぁ、車運転してる時点で俺たちより上なのは間違いないだろうけど。
「俺たち以外にも、この廃工場に来てるヤツがいるのか」
「そうみたいね。一体何者なのかしら?」
各々思案する俺たちだったが、それを見ていた亜美香が「別におかしなことでもねえだろ」と言う。「あたしだって、フジノに会いにここまで来てんだ。あんたたち以外の人間がここに来たらダメなんて決まりもねえしな」
言われてみればそのとおりだ。
ここは立入禁止……ではあるのかもしれないけれど、俺みたいな高校生でもたどり着けるような場所なんだし、現に亜美香も、塚本たちだってこの場所を自分で見つけてやってきている。
ただ、俺はなんとなくこの場所が、俺とフジノが冒険をしている異世界のような感覚があって、俺たちが知らない間に勝手に入り込まれて何かされている、という状況に引っかかるものを感じていた。
最初に見つけた俺とフジノの許しを得ないまま、勝手にこの場所を冒険されている。領土が侵されるような不快な感覚。
……でも、亜美香が言うようにそんな決まりなんてないのであって、これは単に俺が俺たちだけの遊び場に部外者がいることに面白くなさを感じているだけに過ぎないんだけど。
「車が無人ということは、運転手は車を降りてどこかに行っている、ということになるわね」
「そりゃそうだよな」
これが町中なら、買い物やトイレを目的に車を停めていなくなるってことも普通なんだろうが、この場所に限ってそんなわけはないだろう。
ここには無人の廃工場しかないのだし、何かのついでに来たり、通りすがったりするような場所でもないのだから。
この車の人物は、この廃工場に来るのが目的で、この廃工場で何かするために車を降りている。
……車は、ちょうど俺たちが今から向かおうとしていた居住区の方向へ頭を向けて駐車されている。
だから、車の持ち主はそっちに向かったのではないか、と俺は自然に思ってしまう。
「なぁ、この車に乗ってたヤツ、あっちに向かったんじゃないのか?」
「そう考えるのが自然でしょうね」
俺が思ったことを言うと、フジノもそれに同意する。
そうなると、俺たちはこの先でこの車の持ち主と遭遇しても不思議じゃないってことになるが……、
「なーフジノ。こんなシケた車なんざどうでもいいだろ。さっさと冒険に行こうぜ」
「そうね。気にはなるけど、気にしても仕方がないわ」
と、二人は俺の抱いた不安など微塵も感じていない様子でスタスタその場を立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと――!」と、俺が呼び止めると、二人は足を止めて振り向いた。フジノはいつもと変わらぬ表情で、亜美香は露骨に不機嫌そうに。「待ってくれよ。ここに車があるんだったら、俺たちが向かった先に既に誰かがいるかもしれないってことだろ」
「そうね」
「だったら、今日はやめないか?そんな得体の知れないヤツと遭遇したら、危ないかもしれないし」
俺が言ったことは、そんなにおかしなことでもないと思う。
こんな場所に車を使って来るようなヤツだ。まともだなんてどうして言い切れる?
犯罪めいた危険な目的を持っているかもしれないし、もし遭遇してしまったなら俺たちに危害を加えようとしてくるかもしれない。
もしそんな相手に突然襲われでもしたら……、ケガするだけじゃすまないかも……、
――だって俺たち、単なる高校生でしかないんだぜ?
「なにを言うのかと思ったらそんなことかよ、くだらねえ。行こうぜフジノ」
だが、俺の主張を受けた亜美香は呆れたようにため息をついて歩き出してしまう。
予想以上に冷めた、その反応。
「ちょ、ちょっと待てって……、聞けよ、俺の話を!」
「こんなところに来るなんてヤツぁ、行き遅れた亡霊か、じゃなけりゃ単なるロクデナシだろ。亡霊なんざこの世にいねえ。つまりこの車の野郎はあたしらの同類ってことだよ。ドゥーユーアンダスタン、セニョリータ?」
バカにしたような口調で無茶な理屈を説明されても、俺はちっとも納得できない。
危ないヤツかも、ってところでどうしてこいつはそのことに何の危機感も感じないんだ?
「案ずることはないわ、留美。こんなところにわざわざ車で来るなんて、きっと私たちの同志よ。遭遇するというのなら、それはむしろ望むべき結果だわ」
……亜美香は結局ああいうヤツなのである意味仕方がないとしても、まだ常識的な判断をしてくれそうなフジノすらそんなことを言っているのを聞いて、俺はため息をつくしかない。
「……、」
そうして、俺を置き去りにするように、二人は背を向けて歩いていってしまう。
俺は置いていかれまいと追いかけるが、どこか納得できていない。
――やれやれ、またこんな調子かよ……。
最早割といつものことではあるけど、フジノの向こう見ずなところは亜美香という仲間を得て前より更に過激になってしまった感じがする。
確かに今まで、フジノと俺はそれなりに荒っぽいことをやったりしてきてはいる。
塚本たちから廃車両を取り戻した時とか、つい先日亜美香が殴り込んで来た時とかがそうだ。
そういう時、成り行きとはいえ俺もしっかり片棒を担いでいるわけで、今更フジノに対して“暴力はよくない”だとか“女の子だから危険だ”とか常識的なことを言うような立場じゃないのはわかっているのだが。
ただ、“廃車両を取り戻すため”だとか、“降り掛かる火の粉を払うため”だとか、ちゃんと目的とか理由がある上で危険に立ち向かうのならある程度なら仕方がないとは思えるのだが、こうしてあえて自分から火の中に飛び込むのは……、ちょっと違うんじゃないのか、と俺としては感じてしまう。
まぁ、フジノは大の男でも投げ飛ばせるぐらい強いし、亜美香はそのフジノよりも強いんだろうし、この二人が束になって勝てない事態なんて考えるだけ無駄かもしれないけど。
二人だってそう思っているからこそ、得体の知れない相手と遭遇するかもしれない状況を楽しむみたいにしていられるんだろうし。
亜美香が俺の意見に明確に白けた態度を取るのも、多分そういうことで。
――俺だってわかってるけどさ、そんなことぐらい。
ちょっと考えればわかるのだ。
ただ、そういう判断を即座に下せるほど、俺はおまえらみたいに強くないんだ。
亜美香は、強い。身体的にも、精神的にも、俺なんかよりずっと強い。
だから感覚的にフジノに近いところがある。
……俺が何より嫌なのは、つい最近来たこいつが俺なんかよりずっと廃車両の空気に順応していて、フジノの思考を理解し、合わせることができているように感じることだ。
だからつい、俺は自分の存在を示すみたいに、自分なりの考えを主張しようとしてしまって、結果的に水を差すような言動ばかりしているような気がする。
最近の俺は、息の合った二人のスピードに追いつこうと勝手にもがいて、自分の無理解で無力なところを露呈するばかりの馬鹿みたいなヤツでしかない。
「…………」
治まりかけた不満感がまた湧いてくるような気がして、俺は腹立ち紛れに地面の小石を蹴った。
― ―
……俺は、フジノの冒険にとことん付き合うと決めた。
だからこそ、ちょっと大変な事態でもビビッたり億劫がったりしないでついていこうと思っていたし、いつもフジノに任せっきりな状況も情けなくて、役に立てるよう色々考えていたし、努力だってするつもりでいた。
けど、俺のそんな考えそのものが、もしかしたら浅はかだったのかもしれない。
俺はフジノの役に立てるような能力のある人間じゃなくて、そもそもフジノも俺の手助けなんか特に必要としてないんじゃないかって、そんな雰囲気が時々感じられて、俺は不安でたまらなくなる。
特にそう感じたのは、亜美香が来て、決闘をすることになったあの時だ。
初戦の殴り合いでフジノは亜美香に倒されてケガをして、決闘で勝負を決めようとなった後も俺が携帯電話を奪われたり、穴に埋められたりなんかして、状況は俺たちにとって劣勢だったはずだ。
けど、そんな状況を覆したのはフジノの提案した作戦で、……というか、作戦というより“鬼ごっこ”というゲームのルールで亜美香が過度な暴力に出られない状況を作り出し、その上で再戦を挑む、というなんともシンプルな方針でしかなかった。
結果、フジノは亜美香に勝利する。
勝てたことは喜ばしい。
けど俺が後になって思うのは、「フジノは俺なんかいなくても普通に亜美香に勝てていたんじゃないか?」ということだ。
実際、俺はフジノと亜美香が一騎打ちをしている時も、フジノのケータイを握りしめて高いところから見ていただけだったし、あの状況自体は俺がいようがいまいが、フジノならいくらでも作り出せただろう。
あの時の決闘で俺が果たした役目なんて、“鬼を二人にしてルールを複雑にした”ことだけだ。
それだって結局亜美香に追い回された挙げ句ケータイを奪われて俺たちにとっては不利な状況を作り出したし、そもそもルールの複雑化が目的なら俺である必要すらない。
あの勝負において俺の存在がフジノの役に立った場面なんて、よく考えたら全くないんじゃないかと俺は思ったのだ。
亜美香が強敵だから、フジノも一回やられているから、頑張ろうと息巻いていたはずなのにそんな結果。
フジノは強いのだ。
きっと、俺なんか、最初っから必要ないくらいに。
あの日、フジノは「服が汚れたから」とか言って、居住区に隠しておいたという真っ赤な服に着替えていた。
で、それ以来、フジノは以前の黒服を着なくなり、毎日赤い服を来て廃車両に来ている。
理由は知らない。黒が飽きたのか、赤が好きなのか、亜美香に勝った事実を記念すべきものとして験でも担いでるのか。聞いていないので、知らない。
色が変わったからってだけじゃないだろうが、フジノは赤になってから強さが増したような気がする。
亜美香を倒したっていう単純な強さだけじゃなくて、精神的にもより強固な、ソリッドな印象が強まったような、気がする。
――俺の助けなんて、いよいよ必要ありませんよって言わんばかりに。
そんなことを思うと、俺の心はざわついて、苛立って、頭がぐるぐると出口のない迷路だ。
気のせい、なのかもしれないけど。
だからだろうか、なんだか俺は、フジノが前より遠のいてしまったように思えて、
冒険に付き合おうだとか、役に立とうとかっていう自分の決意が、ひどく非現実的なものに感じられてならなかった。
フジノ、最近のおまえ、どうしちまったんだよ……?
――俺、なんのためにあいつと一緒にいるんだろ?
― ―
俺たちは廃墟となった居住区を冒険する。
時には山となって折り重なった瓦礫を乗り越え、時には崩れた壁に開いた穴をくぐり抜け、屋上から隣の建物に飛び移ったりもした。
中には完全に瓦礫に埋もれて進めない廊下や、亜美香の身体能力をもってしても飛び越えられないほど崩落が酷い箇所もあり、俺たちは進んでは戻りを繰り返しながら、迷路のような建物の群を歩き回る。
古いマンションのような外観だが、さながらアスレチックを進んでいるかのよう……というにはちょっと危険な状況ばかりで俺は何度もヒヤヒヤさせられたが、そのような心持ちになる程度には楽しい冒険といえた。
そのような感じで、俺たち三人は廃墟の冒険を数時間繰り広げたところで、一旦休憩をしようということになった。
「どこで休憩しましょうか?」
「どうせなら景色の良いところがいいぜ」
「だったら、ここの屋上なんてどうだ? ここ、居住区の外れだし、山とかよく見えそうだけど」
「いいわね」
「賛成」
俺の提案が珍しく受け入れられ、俺たちは建物の階段を上がり、屋上へ向かった。
また階段が崩れたりしていたら考え直すつもりでいたが、この建物の損壊はそこまででもなく、俺たちは普通に屋上まで階段で上ることができた。
最上階、重そうな鉄扉を亜美香が蹴破ると、開いた出口から風が吹き込んでくる。
外に出れば、思った通りそこは廃工場の外周付近で、周囲の山が一望できそうな眺めの良い場所だった。
今の季節は冬なので、山並みは枯れ木が多めで、あまり爽やかな光景とは言いがたかったが、廃墟の中ばかり歩いて来た中で久しぶりに見る自然の風景は、新鮮で風情があるものに見えた。
と、そこで――、
「おい、あそこに誰かいるぜ?」
亜美香が、屋上の片隅に先客――俺たち以外の人物が来ているのを発見した。
灰色っぽいウインドブレーカー姿で、マフラーを巻いた男の人。アウトドアっぽい服装をしているが、野暮ったくはない垢抜けた雰囲気があった。
屋上の手すりにもたれかかって、景色を眺めながら煙草を吸っている。
「――おや?」
俺たちが来たことに気が付いたのか、その人は視線をこちらに向けてきた。
背が高い男の人。俺たちより年齢は少し上に見える。大学生ぐらいだろうか。
「驚いたな。こんなところでまた誰か来るなんて」
そんなことを言われる。
落ち着いた、優しげな声音だった。
「あなたは、誰?」
フジノが一歩前に踏み出して問いかけると、その人は困ったように笑いながら「いきなり現れて誰とか言われてもな……」とか答える。
それから、その人は俺たち三人に順番に視線を向けるようにしてから「君たちこそ誰なの?」と質問を返してきた。
言いながら、その人は俺たちの不揃いな雰囲気をちょっと面白がっているようだった。
俺はいつも着てきている薄汚れたジャンパー姿。
亜美香の服装は茶色のウエスタンコート。
そしてフジノは例によって真っ赤な衣装だ。
自分がその中にいると不思議となんとも思わないが、なんとも統一感のない面々だと言われればそのとおりなわけで。
「私はフジノ。こっちは留美で、この子は亜美香よ」
フジノが名乗り、ついでに俺たちのことも紹介する。
てか、普通に名前言っちゃってるけど、この人が聞きたいのって別にそういうことじゃないような気がする……。
「あぁ、そうなの。俺よりちょっと歳下に見えるけど、高校生?」
「さあ?どうかしら?」
フジノはミステリアスに微笑んでとぼけた。
その感じ、俺とかはもう結構見慣れてるけど、初対面でいきなりやられたらバカにされてると思われんじゃないか。
……ってか、俺も初対面で似たような対応されたな。こいつ誰に対してもそうなのか。
「私たちが名乗ったのだから、あなたの名前も聞かせて欲しいわ」
「名前?……、今井光明」
若干困惑したような様子はありつつもその人――光明はにこやかな表情を崩さずに名乗った。
「そう、それじゃああなたのことは光明と呼ばせてもらうわ」
「うん?まぁ、いいけど……」
相変わらず初対面で名前呼び捨てなんだなフジノは。
しかも歳上だってわかってんだろうに……、まぁ、そういうところがフジノなんだけど。
「光明、あなたはこんな場所で何をしているの?」
「何をしているのかと言われると、何もしていないってことになるんだろうけど。景色見ながらタバコ吸ってただけ……ただの時間潰しだよ」
そう言って光明は既にすっかり火が消えた煙草を携帯灰皿を取り出してその中に捨てる。
一見した雰囲気は煙草なんか吸わなそうな感じもするけど、その動作は慣れた感じで、昨日今日吸い始めたって様子でもない。
「ちょっと前にこの廃墟見つけてさ。たまにこうやって来てみて、ぶらぶらすんのが最近のマイブームなんだ」
「ひょっとして、入り口に停めてあった車はあなたのものなのかしら?」
「ん?あぁ、見たのか。そうだよ。俺の車。山の中ドライブするのが趣味なんだ」
「そう、それは素敵な趣味だわ」
言って、フジノは俺たちの方へと振り返って言う。「やっぱり、思った通りだったわね?」
「そうだな。よかったじゃねえか河野、あんたの取り越し苦労で」
フジノの言葉を受けて亜美香がそう言うが、俺は素直に頷くのが嫌で黙る。
光明は確かに俺が不安に思ったような危険なヤツではなさそうだけど、まだそうと決まったわけじゃないのだし……。
「んで?フジノちゃん……だっけ?君たちはこんなところで何やってんの?」
「私たちはこの廃工場の奥地にある“創世神の塔”の扉を開くために、このダンジョン――“要塞都市ヘイムダル”に隠された秘密の鍵を探しているところよ」
「はい?」
フジノが何の臆面もなくそんな説明をし出すものだから、光明は呆気にとられたように苦笑を浮かべる。
「“創世神の塔”は私たちの最終目的地なのだけれど、その扉は六つの鍵で厳重に封印されているの。その封印を解くための鍵を求めて、私たちは鍵が眠っているとされる六つのダンジョンを探索している冒険の真っ最中なの」
「ちょ、ちょっとちょっと――!」
俺は思わず声を上げるが、フジノは俺を無視して光明に六つのダンジョンについての解説を始めてしまう。
――おまえ、そういう遊びをやってるって抜きにしてそんなこと言い出したら、俺たちが単なる頭のおかしい連中ってことになっちゃうだろ……!
「――理解できたかしら? そろそろあなたの目にも、ここから広がる景色が冒険の舞台に見え始めているんじゃないかと思うのだけれど」
結局フジノは俺の横槍を完全に無視して、六つのダンジョン全ての説明を光明にし終えてしまった。
いきなり現れて妙なテンションでそんなことを言われたら、この温厚そうな人でもさすがにちょっと引いてしまうんじゃないのか――、
「なるほど」
と、思ったら光明は普通に納得してくれたようだった。
――えーっ!? なんだこの人の適応力は!?
「廃工場の色んな場所を、RPGのダンジョンみたいに見立ててるわけか。意味を与えられた箱庭――レジェンドオブマナのランドメイクシステムみたいな発想だな」
俺は驚きつつも、自分がやったことのあるゲームのタイトルが耳に入って、「そういうことか」と理解する。
要するに、この人は俺と同じなんだ。
俺も最初、フジノに似たようなことをものすごい勢いでグワーッと言われた時、混乱しつつも自分がプレーしてきたゲームや、読んできた漫画の設定などに結びつけて、ああだこうだツッコミを入れながらも結構普通に納得したような気がする。
フジノの言うことは非常識でぶっ飛んでて、さながらゲームとかのキャラそのものだけど、逆に言えばそれってゲームに馴染みのある人からすると、意外なほどスポッと理解できてしまうものなのかもしれない。
多分光明も、俺と同じぐらいゲームとかをする人で、フジノの説明を聞いてなんとなくでも理解できる素養があった、ってことなんだろう。
……フジノはそれを見抜いて、敢えて初っ端から冒険について説明することを選んだ?
まさかね。
俺は光明の姿を再度観察する。取り立ててゲームが好きそうな様子も見られない、普通の大学生風の外見だ。
第一印象だけをもって、光明がフジノの説明を理解できる人物だとはとてもじゃないが判断できない。
「いかがかしら?この場所に秘められた真の魅力が理解できて?」
「んー、真の魅力かどうかはわかんないけど、面白そうなことしてるってのはわかった」
「素敵。なかなか見どころがあるのね、あなた」
「フジノちゃんがそんな派手な衣装着てんのも、雰囲気作りの一環ってことでしょ?」
「おかしなことを言うのね。これは私の普段着よ」
「え?マジで……?」
だが光明はフジノの言葉を普通に受け入れ、会話が成立している。
フジノも話が通じる相手を見つけて上機嫌に見えた。
――俺と最初に会った時も、あいつはあんな風に嬉しそうな顔をしてたのかな……?
不意に、そんなことを考えた。
同じように見出されたのであろう俺は、光明がそうしたように上手く受け答えできていたのだろうか。
光明のように、フジノを上機嫌にさせることができていただろうか、と。
考える意味もない思考が降って湧いて、意味がないとわかっていながら俺はそれが気になってしまう。
「くだんねえこと、考えてんじゃねえぞ河野」
と、隣に立っていた亜美香から突然そんなことを言われ、俺は我に返る。
「な、なんだよいきなり?」
「無粋な茶々入れてフジノの話の腰折んなっつってんだよ。フジノの話聞いて、あの今井とかいう野郎が何を思おうがそれはあたしらの知ったこっちゃねえ話だ。
乗ってくりゃそれでいいし、聞く耳持たねえならそれまでのタマだったってことだろ。話の途中で笑いだしたりなんかしやがったら、バカにされたってことであたしがぶちのめしたっていい。
――この冒険の道筋を決めてんのはフジノだ。あいつが話すって決めたんなら、あたしらは後ろで黙って見てりゃいいんだよ。河野、てめえはフジノと随分長いこと一緒にいるくせしやがって、そんなこともわからねえのか?」
「…………」
亜美香の糾弾めいた発言に、俺は言葉を返せなかった。
確かに、今日ここで初めて会った光明に何を思われたって、別に気にしても仕方のないことなのかもしれなかった。
仮にフジノの話が理解されなかったとしても、鼻で笑われたりしても、俺たちは面白くない気分にはなるかもしれないけれど、冒険の先行きには何の障害にもならない。
それに、フジノがここで光明に対して、常識的な社交辞令とかを口にしたり、学校とか家とかの現実的な話から入っていったりしたら、それこそ俺はもっと興ざめするんじゃないのか。
フジノは、あれでいいんだ。
あいつはあんなだから、きっと魅力的なんだろうし、俺がついていくきっかけでもあったのだろうから。
――そんなこともわからねえのか?
亜美香の言葉が反芻される。
わかってない、わけじゃないのだろう。
ただ、なんというか、俺の中の現実的な部分が、ちょっと抵抗感を示したというか。
もし光明がフジノの言うことをバカにして笑い転げるような事態になったら、フジノが傷付くんじゃないかと思ってしまって。
……違うか。俺が、そのフジノの仲間だと思われて、ひとまとめにされた上で笑われるのが、嫌だと思ったんだ。
思い至ってみれば、それはなんとも――安っぽい理由だ。
亜美香はきっと、そんな自尊心などないのだろう。
こいつは自分で言ってた通り、光明がそんな反応を示したなら容赦なくぶん殴るのだろうし、そうならないこともどこか予感しているような節がある。
自分の正しさを実感しているのだ。
フジノの正しさを、信頼しているのだ。
……俺は、そんな風に、振る舞えていない……。
冷静に考えれば理解はできるけれど、そんな自然に反応できない。
亜美香と違って。
最初から、あいつと一緒にいるのに……。
まただ。また、この感じ。
俺だけが、こいつらの空気についていけていない――。
「あぁ、そうか。さっき変な子が来てコレ置いてったのも、君たちに渡してくれってことを言ってたのか。ちょっと待ってて」
と、そしたらそこで光明がおかしなことを言い出した。
見れば、ウインドブレーカーのポケットをまさぐり、何かを取り出そうとしている。
「あったあった。これだ」
見守る俺たちの視線を受けながら、彼が取り出したのは妙に古びた紙切れのようなものだった。
ざらざらした質感の、茶色がかった色合い。まるでファンタジーに出てくる羊皮紙だ。
そんな古文書か何かのような現実感のないものが、今しがた会ったばかりのこの人のポケットから出てくる違和感に、俺は驚愕と困惑がないまぜになって硬直してしまう。
すると光明は舞台役者みたいな仕草で、フジノの前にさっと膝をついて、手にしたその紙切れを恭しく差し出した。
「この世界を巡り歩く、冒険心溢れる美しいお姫様。どうかこの“予言の巻物”を受け取って欲しい。さる御方から、あなたに渡すよう言付かったものなのです」
さっきまで普通に喋って煙草を吸ったりしていた人が、急にそんな物語の登場人物のようなことをやりだす。
けど、その動きは妙に決まっていて、格好良さすらあって、馬鹿なことをしているという笑いは湧いてこない。
「素敵だわ。是非とも受け取りましょう」
「光栄の至り」
フジノもそうされて嬉しいのか、そんな芝居がかったやり取りをしながら紙切れを受け取る。
ウインドブレーカー姿の光明の手から、真紅の衣装を身にまとったフジノの手に受け渡されたソレは、ただのボロい紙切れから本物の古文書に姿を変えたように見えた。
きっとあれは、冒険の進展につながる、重要なモノなんだ。売ったり捨てたりできない類の“だいじなもの”。
誰も何も言ってないのに、そういうものだと俺は勝手に理解する。
たぶん俺以外の、ここにいる全員もそう理解しているだろう。
「これは……」
渡された紙を開き、中を見るフジノ。
彼女が浮かべた表情は、難しそうでありつつも、興奮したような気配がある。
一体何が書いてあるんだ……?
フジノは俺たちに視線を向けて、こっちに来て一緒に見るように、と促してきた。
俺と亜美香はフジノの傍まで行き、紙切れを広げる彼女の後ろから、その内容を覗き見る。
そこにはこう書かれていた――、
(文頭に、瞳の形をした時計のような記号がある)
舞台 は七人の視線の先、赤 煉瓦 の建造物。
過去 と未来を映す匣に第一 の鍵 を隠した。
時の 移りと共に・変化しう る光 明の軌跡を
見つ めよ。十六の瞳から吹 き出 す灼熱の炎
が草 木を焼き払い、暗きギ ンヌ ンガ・ガッ
プの裂け目が真実を飲み込む。暗闇 の只中で、
汝は新たなる答えを見つけ出せるの だろうか。
……。
なんだこりゃ?
なんとも意味深な内容の文章に見えるけど、いくら読んでも何の話をしているのかわからない。
けど――、
「“第一の鍵”って……」
「あたしらが探してる鍵のことじゃねえか!?」
俺の言葉を亜美香の興奮気味の声が引き継ぐ。
この詩みたいな文章のワンフレーズだけ切り取ってそれを読み取るのは穿ち過ぎている気もしないでもないが、どうしてもそう思えてしまった。
「光明、これは一体……?」
フジノが尋ねると、光明はさっきまでの演技から普段の調子に戻って答える。
「“第一の暗号文”って言ってたよ。君たちの探してるものの在り処を示す手がかりになる、みたいなことも」
「言ってた?」
「フジノちゃんたちが来るちょっと前に、なんかやたら派手なカッコした女の子が一人で来てさ、“もうちょっとしたら変な子たちが三人で来るからコレ渡しといて”って言って帰ってった」
「――――」
「ブー子とか名乗ってたけど、知り合い?」
……なんだ?その仕組んだみたいな状況。
派手なカッコした女の子って、誰だ? しかも“ブー子”って、偽名くさいにも程がある。もちろん知り合いでもなんでもない。
派手な女という形容を聞いて、俺はこないだ亜美香との決闘の途中であった大森しのぶのことをなんとなく思い出したが、そうだと断定するほどの要素でもない。
――ってか、あの大森ってヤツも結局何だったんだ?その後も色々あってすっかり忘れてたけど……。
光明が来ていたことに俺は不安がっていたけれど、その他にも、なんだか、この廃工場に俺たち以外の人間が急に色々出入りするようになったような気がする。
それも、なんか、作為的な意図を持って――。
「素敵。私たちの冒険の先行きを照らす光が、こんなところからもたらされるなんて」
「ああ!超クールだぜ、フジノ!」
しかし、俺以外の二人は暗号文といういかにもなヒントの登場を、普通におもしろい展開として受け止めて、愉快にはしゃいでいた。
「今日は冒険はおしまいにして、早速ブラックパレードに戻って、この暗号文の解読を行いましょう」
「よっしゃー!じゃあちゃっちゃと帰ろうぜ! んだよ?河野、ぼさっとしてねえであんたも帰るんだよ!」
「あ、あぁ……わかったから押すなよ……!」
俺は二人のハイテンションに押し流されるようにして、屋上の入り口方向へ足を向けさせられる。
そういえば俺たちはこの場所に休憩をしに来ていたはずなのに、結局ろくに休憩なんてしないまま、廃車両までトンボ返りをすることになってしまった。
「あのー、ちょっといい」
と、バタバタと来た道を戻ろうとし始める俺たちの背中に声がかかった。
振り返ると、当然そこにはさっきまで喋っていた光明が所在なさげに立っている。
「さっき会ったばっかりでいきなりこんなこと言うのもアレだから、断ってくれても別にいいんだけど、良かったら――」
光明は羊みたいな柔和な表情を浮かべてから、自分より歳下の俺たちにお願いするような口調でもって、言った。
「――君たちが行こうとしてる、その楽しそうな冒険、俺も一緒について行ってもいい?」
そんな、思ってもみなかった言葉を。
今日は2月14日。とある日曜日の廃工場。
ブラックパレードにまたしても新たな仲間が加わることになった。




