12.The Ghost of You
――『プラネット・プレデター』。略称『プラプレ』。
作者は漫画家、動物園ひかる。
数年前まで某誌で連載されていた長編ストーリー漫画作品。
王道的ながらも意外性あるストーリー展開と、魅力的なキャラクター造形が功を奏し、漫画は大きな人気を博し、連載中にアニメ化、グッズ化等のメディアミックス展開も行われた。
動物園ひかるという作家の代表作であり、『プラプレ』完結後に彼は新たな漫画の執筆を行っていないため、最新作という位置づけとなる。
ジャンルとしてはファンタジー色の強いSFなどと評される。
宇宙や異星を舞台とする壮大なスケールでありつつ、魔法や悪魔などの要素が盛り込まれている冒険ストーリーと言える。
物語のあらすじについてはひとまず割愛。
『プラプレ』に登場する個性豊かなキャラクターたちの一人で、とりわけ人気のあるヒロインがいる。
名前は“ブラックローズ”。古代の悪魔。ダークヒーロー。
とても気取り屋で、大仰な言動が目を引く。
だが、戦闘力を始めとした彼女の高い能力がそれを裏打ちする。
何より強く、厳しく、少しだけ優しさが垣間見える性格。
口癖は、「素敵ね」「どう?単純明快でしょう?」等々……。
ブラックローズの数ある特殊能力のひとつに“言霊”がある。
この力により、色々なアイテムに彼女が好き勝手な名前を付けると、アイテムは意思を持って動き始める。
“言霊”を吹き込まれたアイテムたちは様々な場面で彼女の冒険に助勢するが、中でも選りすぐりのお気に入りを彼女は“秘密の七つ道具”と呼んだ。
それらの切り札めいた登場演出は各回における見せ場のひとつとなっている。
物語の序盤、主人公はとある遺跡で封印されていたブラックローズを目覚めさせ、彼女の眷属として支配下に置かれてしまう。
自分の配下となった主人公を彼女は最初は奴隷扱いし、蔑むが、冒険の中で彼の行動と勇気を認め、友として苦楽を共にするようになっていく。
ブラックローズは、敵対する勢力によって半身を封じられている。
その影響により本来の力を発揮できないばかりか、不意に眠りに陥って無防備になってしまう等の弱点を抱えている。
彼女は主人公と共に、自らの半身が封印された敵の本拠地“創世神の塔”を目指す。
封印を解く鍵は、敵が支配する各地の遺跡等に安置された六つの秘宝。
これら設定が物語中盤で判明し、その攻防を描くストーリー展開が本作の主要部分と言える。
――『プラプレ』を未読の者に対しての暫定的な補足説明は以上とする。
12.The Ghost of You
廃工場。居住区の一室に、彼女はいた。
無人となって久しいこの空間に設置された機械を通じて、謎の存在と対話の最中、
『――以上ノ観点カラ推理スレバ。
フジノ、貴方ノキャラクターハ、“動物園ひかる”ノ漫画作品『プラネット・プレデター』ニ登場スル、ヒロイン“ブラックローズ”ヲ元ニ形成サレタ、偽リノ存在デスネ?』
――そのようにして、“誰でもない女”から、隠されたその真実が告げられた。
言葉とともにディスプレイの画面が無意味な砂嵐から切り替わる。
アニメ版『プラネット・プレデター』のワンシーン。
ヒロインたるブラックローズが、「どう?単純明快でしょう?」と決め台詞を告げてポーズを取るシーン。
長い黒髪。衣装めいた黒服。大仰な言動。
「……、そう。あなたは、それを全て知って……」
そして彼女が映る画面を見て、硬直する少女――フジノ。
長い黒髪。衣装めいた黒服。大仰な言動。
現実において再現された、画面上のヒロインの似姿。
現実と虚構が、鏡写しとなる。
『コノ事実ヲ河野留美ガ知ッタラ、彼ハ貴方ヲドノヨウニ評価スルノデショウネ?』
「……や、やめて……、そんなことをされたら……私は――」
『ナカナカニ周到ダッタト評価デキルデショウ。最初期、貴方ハ河野留美ノ嗜好ヲ調査シヨウト、好キナ漫画作品等ニツイテ度々彼ニ質問ヲシテイマシタネ』
「やめて……」
『ソノ中デ、彼ガ“動物園ひかる”ノ作品ヲ未読ト知ルヤ、貴方ノ演技ハ確定シタカノヨウニ勢イ付イタ。元ネタヲ知ラヌ彼ニトッテハ、“ブラックローズ”ノ言葉ハ全テ貴方ノ言葉トシテ受ケ止メラレル』
「やめて――!」
ブラックローズ――元ネタの存在。
それはフジノの存在性を揺るがし、河野留美から得てきた信頼の全てを喪失しかねない。
自らを導くヒロインであったはずの彼女が、“偽物”だと知った時、彼は何を思うのだろうか。
“フジノ”――それは、関口藤乃という名の平凡な少女が、戯れに始めた、ブラックローズの演技だった。
好きな漫画の舞台によく似た場所で、好きな登場人物を真似た衣装を身にまとって、それらしく振る舞うという――ごっこ遊び。
そして、河野留美は彼女がそうして訪れた機会に偶然居合わせ、それに付き合わされることになっただけの他人だった。
運命の相手でも、物語の主人公でもなんでもない。
ただ、幸か不幸か、彼は元ネタたるブラックローズについて知らなかった。
故に、ブラックローズの台詞の引用も、フジノの言葉として受け止められ、結果的に彼はヒロインと共にある主人公としての立場を得た。
そして、その意味の大きさも、影響の根深さも理解せず、その場の勢いで、藤乃に“フジノ”であることを求めてしまった。
……それが、始まり。
自己陶酔にも似た演技は、最初は単なる暇潰しでしかなかったはずだった。
ブラックローズのようにヒロインらしく強くあれることが楽しかった。
そんな有り様を好ましく思い、追従してくれる彼の存在が嬉しかった。
……そのようにあれと願い、求めた彼の希求に応えることが、喜ばしかった。
本当の弱い自分を忘れ、塗り変えるほどに鮮烈な、自己暗示にも似たその演技も、求められるがままに続けた今となっては随分と上達したように思う。
命の危険すらある過酷な冒険や、亜美香という強敵の登場など、時としてそれは本来の藤乃にとって負担に感じられることもあったが、それを放棄したいとまではまだ思っていない。
そう。まだわたしは、耐えられる。
だからもっと、フジノを続けたい。
冒険は、まだ始まったばかりなのに。これからが楽しくなるところなのに。
元ネタを暴き立てるだなんて、そんな、打ち切り漫画みたいな無粋なことをされたら、
――わたしは、恥ずかしくて、死んでしまう。
故に、隠された真実。
フジノの実態――引用と剽窃によって形成された偽りのヒロイン。
それこそがフジノが向き合うべき闇であり、自らが弱く無力でなんら特別ではない関口藤乃に過ぎないことを思い出させる、精神的アポトーシス。
だが――、
『気ニ病ム必要ハアリマセン、フジノ。貴方ハ、ココカラ、新シイ貴方ヲ再構築スレバ良イノデス』
「え――?」
本当の自分と解けかける暗示の境目をさまよっていたフジノにとって、その言葉は福音のように聞こえた。
『幸イニシテ、河野留美ハ、コノ事実ニ未ダ気付イテイマセン。新シイ貴方ヘノ軌道修正ハ充分ニ可能ナ段階デス』
「新しい、私……」
『ソノ通リ、“元ネタ”デハナイ、誰モ見タコトノナイ、新シイ未知ナル貴方ヲ作リ出ス。既ニ貴方ハ、ソノ領域ニ、達シツツアル』
「……」
確かに“フジノ”は当初、ブラックローズの演技だった。
だが、現実の廃工場を舞台とするに辺り、様々な設定が後付けされ、既に本来のブラックローズとは似て非なる存在になりつつあった。
『無自覚カモ知レマセンガ、貴方ハ常ニ、変遷シテイル。周囲カラ様々ナ影響ヲ受ケナガラ、変異シテイル。
中デモ、河野留美ノ存在ト、彼ガ貴方ニ求メル“ヒロイン”トシテノ期待ガ貴方ヲ更新シ続ケテイタ。
聴取シタ彼ガ好ム漫画ヤ、ゲームヲ参考ニ、彼ガ喜ブ設定ヤ展開ヲ貴方ハ次々ト用意シタ。
彼ガ鼓舞スレバ貴方ハ“男性複数相手デモ勝利デキル”程ニ強クナリ、彼ガ求メレバ貴方ハ“暗所”トイウ弱点サエモ自ラノ中ニ規定シタ。貴方ハ、自ラガ規定シタ“フジノ”ヲ実行スル、尋常ナラザル意志ノ力ヲ持ツ』
「……私、は――」
スピーカーから響く声が、内なる彼女を再覚醒させゆく。
フジノはまだ終わっていない。まだ続けられる。
……藤乃に戻る必要はない。
…………現実に帰る必要はない。
冒険はまだ、始まったばかりなのだから。
『コノ事実ニ自覚的トナッタ貴方ハ、自ラノ意志デ“フジノ”ノ再規定ガ可能ニナッタ。貴方ガ求メレバ、“フジノ”ハ即座ニ求メタ能力ヲ行使可能トナル』
「――――」
想像せよ、自らを。
規定せよ、自らを。
更新せよ、自らを。
『貴方ニハ、類稀ナル能力ガアル。ソレハ、“イメージ”スルコト。
想像スルノデス。何者ニモ負ケヌ、最強ノ自分ヲ。
規定スルノデス。全テノ苦境ヲ打破シ得ル、万能ノ貴方ヲ。
更新スルノデス。今マデノ貴方ヲ上書キスル、ヨリ強イ自分ヲ。
苦痛モ、恐怖モ、貴方ニハ通用シナイ。屈サナイ。挫ケナイ。敗北シナイ。ソノイメージヲ、強ク強ク持ツノデス。
貴方ノ抱ク絶対的ナ勝利ノイメージハ、現実ヲ捻ジ曲ゲ、ドンナ暴力モ脅威モ超克シ、相対スル敵全テヲ、――タダ、討チ倒ス。
イメージ、スルノデス。貴方ハ、世界ヲ救ウ、無限ノ可能性ヲ秘メタ、物語ノ“ヒロイン”ナノデス』
「……あなたは、私にそれを求めるのね?」
『エエ。強ク、厳シク、賢ク、自由デ、冒険活劇ノ導キ手ノヨウナ貴方』
灯せ。灯せ。
人が古来より追い求める、希望の星をその目に宿せ。
失われかけた瞳の光を、再び煌々と燃やすのだ。
「ふふっ……」
『ドウカ、見ル者全テヲ魅了シテヤマナイ存在デアリ続ケテクダサイ』
もっと強く。もっと明るく。もっと鮮烈に。
見果てぬ夢すら飛び越えて、なくした希望すら塗り潰して。
「ええ、そう。私は、そうなの」
――彼女は、フジノを改造する。
『フジノ、気分ハ如何デスカ?』
「ええ……とっても、素敵。まるで、目が醒めたような気分」
『ソレハ重畳』
「ねえ、ミズ・ノーバディ。あなた、興味深くて頼もしいわ。何かに行き詰まったら、また相談に乗ってもらえるかしら?」
『喜ンデ』
「良かった。私が、より素敵な私になれるように、今後ともよろしくお願いするわ」
既に消え失せ、再び砂嵐を流すのみになった画面に彼女は笑んだ。
画面越しのこの相手が、何故自分を知っているのかは知れない。
何故自分をこのように扇動し、新境地へ導いたのかは知れない。
だが、既にどうでも良いことだった。
新しい自分というものを得た爽快感が、フジノにそうした些事を尽く放棄させた。
――私を操ったつもりならお生憎様。あなたのことすら魅了してみせるわ。
――思惑があるならお好きにどうぞ。その計算すら、私は越えて見せるのだから。
全能感にも似た感情が、彼女を勢いづかせていた。
『サア、再出発ヲ果タス貴方ヘ、私カラノ贈リ物デス。其処ニ置カレタ、ロッカーヲ開イテクダサイ』
「あら、なにかしら?」
『新シイ貴方ニ相応シイ、新タナル装イヲ』
言われるがままに、フジノは家財などがなにもない部屋の隅に唯一残されていたロッカーを開け放った。
そこには、フジノの新しい衣装があつらえたように用意されていた。
今までとは違う、新しい彼女を表現する、新コスチューム。
「素敵……、早速着てみたいわ」
『ドウゾ。私モ、更新サレタ貴方ヲ早ク見テミタイ』
ブラックローズの衣装は、黒を基調にしたスーツのような装いだった。
故に、フジノの衣装も、それに準ずる色と形の服装を用意した。
――しかし、今やフジノはその檻から巣立った。
「どうかしら? 生まれ変わった、新しい私は?」
『……大変素晴ラシイ。
思ッタ通リデス、貴方ニハ、薔薇ノヨウナ、血溜マリノヨウナ、ソノ衣装ガ、ヨク似合ウ』
「――ありがとう。大切にするわ。
さあ、見ていなさい、ミズ・ノーバディ。あなたに、素敵な逆転勝利を見せてあげるわ」
『エエ。今後トモ、素敵ナ“ヒロイン”タランコトヲ』
――かくして、フジノの第二次段階への“改造”が完了しました。
自らの偽性を肯定されて受容し、再規定し直すという成長の理を身につけたヒロイン。
円環は上昇する螺旋に改められ、崩壊の危機すらも越えゆくでしょう。
未知なる彼女の活躍に、期待が高まります。
ああ、そういえば……、
彼女の本性を暴き立て、辱めてやりたいと内心で願っていた人物――、
――動物園ひかる。貴方の役割は、これで消え失せたようなものですね?
◇ ◇
大森に言われた通り進んでみると、言っていた通りの場所にフジノはいた。
いたのだが……。
「フジノ?」
「留美。良かった、無事だったのね」
俺が呼びかけると、彼女もこちらに気付いて駆け寄ってくる。
「大丈夫?どこか、怪我したりはしていないかしら?」
「あ、あぁ、なんとかな……」
俺の肩や腕に触れながら、概ね無傷であることを確認し、フジノはほっとしたような反応を示した。
すぐ近くまでやって来て、そんなやりとりをした辺りで、俺は彼女がフジノに間違いないことを確認した。
……なんでそんなことを今更思うのかというと、フジノの服装が全身フルチェンジしていたからである。
フジノの服装は、初めてあった時から、大体いつも同じだ。
黒いジャケットにベスト、飾りの付いた黒っぽいネクタイ、黒いスカートとストッキングを履いて、ブーツも黒だ。
似たような服装は何着か持っているのか、微妙に違う服を着ていることもあるが、色合いやデザインは大体同じ。
あとは、ネクタイの柄が多少変わったり、手袋をはめていたり、ストッキングがニーソックスになったりすることもあるけど、そのいずれも暗色系がほとんどだった。
ブレザータイプの制服……というよりは正装みたいな衣装って感じで、まぁ、総じて彼女の雰囲気とかとはよく似合っていた。
――フジノといえば黒。
俺はそんなイメージだった。
だった、のだが……、
「おまえ、その服どうしたの?」
「え?」
ツッコんだら負けかとも思ったが、俺はスルーしきれずに聞いてしまう。
そしたらフジノは、驚いたような反応をした。
「さすがだわ、留美。よく気が付いたわね」
「いやいや、そんな全身何もかも変身しといて気が付かねぇわけあるか!」
フジノといえば黒。
そのイメージを全てひっくり返すように、今の彼女は全身が“赤”だった。
上着やスカートなど、服毎に濃淡はあるが、基本は赤。
部分的に黒だったり、アクセサリーはそのままだったりはしたが、基本は赤。
そんだけ大々的に変わられていたらどんなバカでも変化に気付く。
「……今までの服は、どうしたんだ?」
「亜美香と戦って、その後も留美を探して走り回っていたら汚れてしまったの。思えば冒険続きで随分着古してしまっていたし、みすぼらしかったから着替えたわ」
「着替えたって……、どこから用意したんだその服は?」
「甘いわね留美。この廃工場全ては私にとって庭のようなもの。着替え用の服なら、到るところに隠しているのよ」
「何その意味わかんない用意の良さ!」
……相変わらず妙な所に手間をかけるヤツだ。
廃工場のあちこちに着替えをあらかじめ用意しておくなんて、普通のヤツならまずやらない。
んなわけねぇだろ!と言いたいところだが……まぁ、とはいえ、フジノなら全然やりかねないレベルでは、あるんだけどさ……。
いやちょっと待て。俺が気になったのはそういうところではなくて――
「フジノって、そういう色の服も着るんだ?」
「……?」
小首を傾げられる。
とぼけた?
いや、なんとなく、ちょっと勝ち誇ったように笑ってる気がする。
「留美は私のコーディネートに興味があるのかしら?」
「え?いや、興味っつーか……」
なんで色が変わったの?って意味で聞いたんだけど。
今までずっと黒い服を着ていたのに、今日ここに来ていきなりそれが赤になったのには、何か意味があるように思えてならない。
……いや、普通は服の色に意味も何もないのだが。俺が今日着ている服の色にだって、意味なんて別にないし。
けど、フジノに限っては、何か特別なこだわりがあってやってんじゃないだろうかという気がしたのだが。
フジノの反応は、そんな特別な感じじゃない。
こいつのことだ。何か深い意味があるとすれば、わざと俺にそれを質問するよう誘導させて、べらべら喋りだすことだろうし。
――これは、俺にそういう色も似合うって褒めさせたいってことなのか?
「ふ、フジノは……黒だけじゃなくて、赤も――」
「留美、私のコーディネートのポイントをお話するのはまた今度にしましょう。今はそんな場合じゃないわ」
「…………」
頑張って褒めようとしたのに流された。
確かに、うっかり忘れかけていたが、事態はそれどころじゃないのだった。
――ったく、この状況でそんなツッコミどころある服着て出てくんなっての、ったく……。
俺は心中でぼやいた。
……まぁ、フジノは黒だけじゃなくて、赤も結構似合う。
ちょっと派手だから、まだなんか慣れないけど……。
「亜美香が思わぬ作戦に出た時は少し驚いたけれど、留美が無事で良かったわ」
「あぁ、なんとかな。でも、すまん……ケータイは、亜美香に持ってかれちまった」
「気にしないで。あなたの命には代えられないもの」
「そうだけど……」
不測の事態とはいえ、自分が対応しきれなかったことについて、俺はやはり後悔の念があった。
フジノは気にするなというが、足を引っ張る結果になってしまっている以上、平然とはしていられない。
「あまり自分を責めないで、留美」
「いや、まぁ、……そうだな」
フジノに手を取られて、励まされる俺。
あぁ、そうだ。ウジウジ悩んでたって、状況は好転しないのだ。
だったらせめて、打開策を考えたりしないと……。
そう思って顔を上げ、フジノの顔を見る。
思いつめる俺とは違って、彼女の瞳にはいつだって迷いがなくて――、
「ん……?」
「どうしたの?留美」
「いや、おまえ、なんか――」
――感じが変わった……ような気がする。
服装だけじゃない。
全体的にまとう雰囲気とか、目の色……というか光みたいなのが、変わったような。
気のせいかな……?
「ってか、こんなところで喋ってる場合じゃないんじゃないか?あいつがフジノのケータイに電話してくるのも時間の問題だし、急いで探さないと」
「ええ。確かに、事態は一刻を争うわ。でも、逆に考えるのよ、留美」
「ん?逆?」
「留美が携帯電話を奪われてから、しばらく経つと思うけれど、その間、私には一回も電話はかかってきていないわ。あの亜美香が、せっかく私たち二人分の電池残量を消耗させられる機会だというのに、ゆっくり機会を伺っているとは思えない」
「あ、あぁ……まぁ、確かに……」
「私の推理によれば、亜美香は何らかの理由で私に電話をかけている場合ではない可能性が高いわ。このチャンスを、私たちは活かさないと」
「な、なるほど……」
フジノの説明に、俺は焦っていた自分が沈静化されるような気分になる。
ピンチだというのに、フジノは全く慌てておらず、勝てる可能性を考え続けている。
こいつらしい、愚直なまでの前向きさ。
支えてやろうなんておこがましいぐらいだ。
穴に埋められている間、俺は、負けるかもしれない状況にフジノも不安がってるんじゃないかとちょっと思ったりしていたのだが、全くの杞憂に過ぎなかったみたいだ。
フジノは、強い。
「勝てるかな?」
「ええ。私を信じて。ここから華麗な逆転勝利を決めてみせるわ」
「……あ、あぁ。信じる、よ」
俺は信じる。
フジノなら勝てる。フジノは負けない。
最初の決闘だって、俺はズルして勝っただけで、本当はフジノが勝っていた。
それはつまり、こいつは俺なんか及びもつかないぐらい勝負強いってことだ。
あの怪物みたいな雰囲気をしてる亜美香にだって、決して負けてないと思う。
さっきまで、あいつの恐ろしい気迫にさらされ続けて、俺はすっかりビビッてしまっていたが、今目の前にいるフジノだって、それに決して引けを取らないと感じられる。
……。
感じられる、んだけど……。
――フジノって、ここまで頼もしい感じしたっけ……?
してない、ってことはないのだが。
なんか、もうちょっと、こう、今まで微かだけど感じられていた不安定さみたいなものが、今はもう全くなくなっているというか。
少しの隙もない絶好調、みたいな……。
俺の印象の問題だろうか。
亜美香に追い回された挙げ句瓦礫の下に閉じ込められて、危機的状況のアドレナリンで感覚がちょっとおかしくなってる、とか?
「で、作戦はあるのか?」
「もちろん。作戦というほど大したものでもないけれど」
「そ、そうなのか。それは、どんな……?」
「簡単な話だったわ。前提はもう整っている。亜美香を討ち倒すのに、一番簡単な方法、それは――、」
言って、フジノはそこらに落ちていた一本の鉄パイプを左手で拾い上げ、騎士が剣をそうするみたいに、高々と掲げて宣言した。
「――勝敗を賭けた、正々堂々の一騎打ちよ」
そんな、作戦もクソもない、あまりにも乱暴な解決策を。
……あれ?そういえばこいつ、腕、怪我してんじゃなかったっけ?
大袈裟に見せてただけで、案外大したことなかったのかな……?
◇ ◇
居住区を更に奥へと進んでいくと、五階建てくらいの建物の上から音楽が聞こえてくるのを亜美香は聞き取った。
階段を駆け上り、屋上へ到着すると、柵に音楽プレーヤーがぶら下がっており、音を鳴らしているのを発見する。
ようやく見つけた、電話がかけられるポイントだ。
亜美香は留美の携帯電話を取り出し、フジノへと電話をかける。
『私よ』
「ヘイ、フジノ。気分はどうだ?」
『ええ。悪くないわ。あなたという素晴らしい強敵を前に、かつてないほどに高ぶっているの』
「ふうん。そりゃ頼もしい感じだね」
口調から、フジノはやはり余力を残しているように亜美香には感じられた。
最初に邂逅した時に与えたダメージも、河野留美が携帯電話を奪い取られたという不利も、彼女の精神を揺るがすには至っていない。
堅牢な、そのメンタル。そうでなくっちゃ。亜美香の期待がいや増していく。
『亜美香こそ、相変わらず余裕なのね。それともまさか、自分が誘い込まれたことに気付いていないの?』
「知ってるよ。知らねえのはあんたの居場所と思惑だけさ」
『知ってなお踏み込んでくるのね。やっぱり素敵だわ。でも、もう遅い――』
「ん――?」
「あなたは最早、蜘蛛の巣の中。如何にあなたが強靭でも、張り巡らされた私の絲は決してあなたを逃がしはしないわ」
その言葉が、電話越しではなくすぐ背後から聞こえて、亜美香は反射的に振り返った。
身を返した先、屋上に設置された給水塔の真上に、フジノが優雅に現れる。
メールで宣言した通り、居場所を把握され、待ち伏せされていたようだ。
よく見れば、給水塔の上には留美の姿も確認できた。あの短時間で留美を救出し、自分の先手を打ってこの場を押さえたらしい。鮮やかな手際だ。
おまけに、理由はわからないが、服装まで一新されている。先程までの黒から一変した、血のように真っ赤な装い。
――決戦のための勝負着かなんかか?いいね、その余裕……! フジノ、やっぱ、あんたはなかなかすげえヤツかもな……!
興奮してくる。心が浮ついて、胸が高鳴るのが抑えられない。
「勝負よ、亜美香。私とあなた、正々堂々の一騎打ちで、決着を付けましょう」
「いいね。クールじゃん。乗った」
「わかっていると思うけれど、決闘のルールは継続しているわ。あなたは私に手で触れられた時点で負け」
「もちろんいいぜ。そっちはケータイの充電が切れたら負け」
亜美香は手に持っていた留美の携帯電話を通話状態にしたまま放り捨てた。
給水塔の上から、「俺のケータイ!新品なのに!」と悲痛な叫びが発せられたが、場の空気に黙殺される。
音楽が鳴っているポイントの直近である以上、フジノの側から通話は切れない。
このまま通話状態が維持されれば、じわじわと電池は消耗されていくだろう。
フジノと亜美香の直接対決は二度目になる。
目の前に現れたフジノの姿を見て、亜美香はそれだけでわくわくするような気分で満たされていくのを感じた。
吸血鬼が魔眼で人間を魅了するように、フジノと相対するとアドレナリンが溢れ出て止まらないような気分になる。
「それにしてもさすがだわ、亜美香。よくぞ私の気配を読んだものね」
給水塔の上から、亜美香と同じ高さまで、フジノは軽々と飛び降り、しなやかな着地を決めた。
「フジノこそ。服こそキレイになってっけど、身体の方はボロボロなんじゃねえの?」
「まあ、無傷ではないわね」
「そんなんであたしの相手なんてつとまるのか? 女の子だろうと、ケガしてようと、あたしは容赦なくぶっ潰すぜ」
相手が好ましく思い始めているフジノであれ何であれ、目的のためには容赦なく蹂躙することができる亜美香だ。
だが、フジノも余裕げに笑むのみ。
「――私は留美のように容易くはないわよ」
フジノが取り出したのは、さっきの自分が持っていたような鉄パイプ。無骨な鉄塊もフジノが携えれば、サムライが刀を抜き放つように、美しい所作にて構えられる。
ルール上、触れられてしまえば亜美香は敗北してしまうので、武器は必要だ。
亜美香は手近な柵を一本へし折り、即席の武器として迎え撃つ姿勢を取った。
「あなたが留美相手に武器を持ちだしてきたことに私が驚くとでも思って? 残念ね。それは読んでいたの。私が、あなたを、戦闘力で凌駕する時がようやく訪れたわ」
「へえ、最初の時と何か変わったか?」
「追い詰めているのは私の方だということよ。あなたは私に触れられてはならない状況下で、制限時間を戦い続けなければならない。過酷な状況だわ」
「あたしがその程度でへこたれるとでも?」
亜美香の言葉に、フジノはその意気を讃えるように笑んだ。
そうして、この場の誰かにではなく、内なる己に向けるようにして言葉を紡ぐ。
「――さあ、撃ち出すわよ。私という名の、必勝の魔弾を」
その言葉をもって、決戦が開始される。
フジノに向かって突撃していく亜美香。フジノの言葉にも臆さない亜美香の鉄棒をフジノは鉄パイプで迎え撃つ。
打ち込んで理解したが、フジノの力は妙に強かった。
初戦で左腕を動かなくなるぐらい痛めつけたと思っていたが、痛みなど感じていないかのような立ち回りだ。
――我慢してんのか?大したヤツだな、フジノ!
亜美香は内心で称賛する。
実際のところ、フジノは我慢出来ている。
彼女が想定する“フジノ”は、多少の痛みがあろうとも、みっともなく苦しんだりしない。そう規定したからだ。
フジノの強さは意志の力に左右される。
最初こそ不意を突かれたが、亜美香の強さを把握し、それに対抗すると決めた今のフジノの強さは亜美香に容易く匹敵する。そう規定したからだ。
彼女の作ったルールの上なら、フジノは無敵のヒロインだ。フジノ自身がそれを信じ切っている。今まで留美に希求されることで自然と帯びていたソレを、今の彼女は自らの意志によって獲得し、加速させている。
天才的な自己陶酔と思い込みによって、フジノは亜美香を凌駕するのだ。
「やるわね亜美香。今の私を相手にしてなお、触れる隙を与えないなんて」
何度か打ち合った後、間合いを取り直し、そんな言葉を投げるフジノ。
「あんたこそ、最初会った時と全然違うぜ。ようやく本気を出したってところか?」
亜美香の問いかけに、フジノは待ってましたとばかりに優雅なポージング。
「あら、亜美香。私の強さの秘密、知りたいのかしら?」
「へえ?そんなのあるの?教えてよ」
「それは意志の力。あなたが振るう暴力を、私は意志の力で捻じ伏せる。私の意志は現実すら捻じ曲げて、私を勝利へ導くのよ。
あなたが与えた傷の痛みも苦しみも、あなたという強敵に対する恐怖も不安も、あなたを傷つけることに対する躊躇も戸惑いも、意志の力に突き動かされた私の前には無に等しい。
格闘技術、身体動作、戦闘感覚……、それら全てにおいて、今の私はあなたに肉薄し、優位に立つ程までに研ぎ澄まされているの。
先程の戦いであなたの力は見せてもらったわ。なら、私はそれを超える私をイメージすればいい。
あなたは今や私の作った世界に取り込まれているのよ。意志の力によってあなたを超克した今の私は、絶対的な勝利の力をもって、あなたをただ、――討ち倒す」
そこまでを口にして、フジノは獲物を構えて華麗にポーズを決めた。
「それこそが――私の真の能力、“固有結界・機械仕掛けの黒い神”」
フジノの冗長な発言を、胡乱な言葉による撹乱と断ずるのは簡単だ。
高台で戦況を俯瞰していた留美は、フジノの絶好調な一連の発言に呆れつつも、安心感のようなものを覚えている。
――いきなり能力バトル漫画みたいな設定説明しだしたな。今まで特にそんな話になってなかったのに、なんでいきなりそんな話が出てくるんだか……でも、フジノだしなぁ……。
留美が感じるのは、これまでも度々感じていた、現実と非現実の境界線がぼやけるような感覚だ。
フジノがまた妙な発言をしているだけではあるのだが、ずっと彼女を見てきた留美は、フジノのこうしたあまりにもなりきった言動に影響を受け始めている。
フジノが決めゼリフを口にすると、無意識に期待を抱いてしまう。
――もしかするとフジノには本当にそういう能力があって、実際に強くなってるんじゃないかって。
こんな状況でも、相変わらずゲームのようなことばかり口にするフジノ。
でも、フジノが言うと、全部本当に聞こえてくるから不思議なのだ。
――冒険、魔法、能力……漫画やゲームに出てくるみたいなそんな空想めいた言葉も、フジノが口にする時だけは限りなくリアルだ。
なんで、そう思えるんだろう?
それはこいつが、そう思わせるだけあるすごいヤツだからだ。
どんな危機も、強敵も、困難も、乗り越えてみせるその姿が、本当に魔法か何かを使ってるみたいだからだ。
だから時々、本当にそうなんじゃないかって、本当に、フジノは――
亜美香がフジノの語りに圧倒されたわけではないだろうが、フジノの攻撃はますます勢い付き、状況はフジノの有利に傾いてく。
「追い詰めた」
そして遂に、フジノは亜美香の一瞬の隙を突いて、彼女の持っていた鉄棒を弾き飛ばすことに成功した。
無手になった亜美香は屋上の縁へと追いやられる。
「この高台では、あなたに逃げ場は残されていないわ」
鉄パイプをを突きつけるフジノ。
窮地に陥る亜美香だが、余裕は揺るぎない。
「ナメんじゃねえぞ」
ニヤリと不敵に笑ってから、亜美香は何でもないことであるかのように後ろに跳ぶ。
彼女が一時退却のために選んだ逃走手段は、常人ではまずあり得ない屋上からの落下だった。
確かにそれならばこの場からは離脱できる。
だが、20メートル近い高所から迷わず飛び降りられる人間が果たしてどれほどいるだろう。
高台から観戦していた留美は亜美香の行動に慌てるが、対するフジノが取った行動を目にした彼は更なる驚愕に陥る。
フジノは鉄パイプを放り捨て、亜美香の飛び降りた地点へ迷わず駆け出していく。
屋上から落下しながら、亜美香は興奮の笑みを隠せない。
触れられてはならないというハンデがあるとはいえ負傷しているはずのフジノに押され、挙げ句撤退を強いられた。
――フジノ、やっぱあんたすげえよ。あたしをここまで追い詰めるなんてさ。自分から背中を見せるなんて、いつぶりだろ?すごい……すごいすごい!
だが追い詰められたという危機感は彼女にとって恐怖ではなく興奮剤だ。
それこそは、自分と対等に渡り合うことのできる、渡り合おうとしてくれる素晴らしい相手との出会いだった。
――すごい、こんなすごい相手初めてかも。北区の連中とも、塚本たちとも、さっきの上山とも全然違う。楽しくて仕方ない……! だけど負けないよ。負けてたまもんるか。あたしが負けるわけがないんだ。あたしが、あたし以外の人間に、あたしと違う人間ごときに、負けることなんてありえない……!
そうだ。場所を変えてリベンジだ。今度のあたしは本気の本気。小細工や屁理屈であたしを止められると思うな。違いってもんを教えてやる。あいつの両手両足全部ブチ折って、胃袋が爆発するまで腹殴り続けてやる。顔は好みだから傷つけたくない。だから腹だ。痛みに泣き叫ぶ可愛い顔を見ながらあいつの意識がフッ飛ぶか、自分から靴の裏を舐めたいって言うまで、殴って殴って殴って殴って殴って――、ああ、そんなにしたら、気分良すぎて――殺しちゃうかもな……!
亜美香がフジノに対して抱いているのは、自分に差し迫ってきている興奮だ。
彼女は元来ズレていて、そのズレを肯定しているが故に、自分以外の人間を見下しているところがある。
だからこそ、追いすがってくるフジノに対して興奮を隠せない。
「――――な!」
と、そんな亜美香の興奮と戦意すら、フジノの取った行動に打ち消される。
落下する亜美香の視界に飛び込んできたのは、彼女を追って下界へと飛び込んできたフジノの姿だった。
フジノは建物の屋上から身を躍らせ、垂直の壁を駆け下りるように蹴って加速し、亜美香に近づいてくる。
地面のように壁を駆け下りるその速度。重力に任せてただ落ちているだけの亜美香など、簡単に追いつかれてしまう。
加えて、そこは何の支えもない、完全なる空中。
抵抗するにも限度があり、落ちる以外の逃走も不可能――、
「終わりよ、亜美香。
――この私は、決してあなたを、逃さない」
「――――」
え? あれ?
ちょっと、待っ……
生まれて初めての未知の感覚を覚え、身動きがとれなくなった亜美香を、フジノが空中で抱きしめる。
「――捕まえた」
そうささやくフジノと、もつれあうようにしながら、亜美香は地表へと落下していった。
◇ ◇
……たぶん平凡と言っても差し支えない家庭環境だった。
だから、周囲の何があたしを狂わせたとか、そんな風変わりなエピソードなんか別にない。
――――ただ、生まれつき、“暴力の天才”だっただけだ。
あたしの最も自然な自己表現は、暴力だった。
もちろん言葉が喋れない猿ってわけじゃない。
頑張れば社会に適応できたのかも知れない。
わがままだから順応しなかった。多分そうも言える。というか、周囲からしてみたらそうだったのだろうと思う。
けれど、生物なら当たり前に持っているソレを使わずに生きていくのは、あたしにとってとても苦痛だった。
だって、大抵の揉め事はそれで何とか出来たんだ。
暴力の報復が来たなら、更なる暴力を。
そういうのが、当たり前で。
……それとも、それは、オカシイことなのか?
――弱い者いじめをしていた子を止めようとして、泣きわめくことすらできなくなるまで殴った。
――それをやりすぎだと止めようとした子たちが煩かったので、同じように殴って黙らせた。
――いじめっ子の仲間があたしに怒って復讐してきたので、同じ目に遭わせた。
――そして、助けてやったいじめられっ子があたしに感謝するどころか怯え切った顔で助けを求めて先生を呼びに行こうとしたものだから、殴った。
「他人の“痛い”とか“怖い”って気持ちを理解できる大人になれなきゃダメよ。中村さんなら、分かるわよね?」
些細ないじめを止めるために、当事者だった子たちを一人残らずぶちのめしたあたしに対して、幼稚園の先生がそのようなことを言っていた。
ごめん。
……よくわかんないまま、あたしは大人になりそうだよ。
きっと、生まれてくる時代とか、場所とか、シチュエーションとかを、神様が間違えたんだと思う。
そうでなきゃ、悪いヤツを倒したら悪になる社会なんて、納得いかない。
「フジノーッ!!」
遥か上空から響いてくる、河野留美の叫び声であたしは途切れかけていた意識を戻した。
屋上から落ちたあたしとフジノは、居住区のゴミ捨て場に落下したようだった。
そこにはたまたまベッドが投棄されていて、ボロボロなりに働いたスプリングのクッションによってあたしたちは受け止められていた。
互いをかばい合うように上手く落ちたこともあってか、あたしたち二人は、あの高さから落ちたというのに無事だった。
二人で抱き合ったまま寝転んでいる。フジノが上、あたしが下の状態。覆いかぶさるような体勢だ。
あたしは、フジノに捕まえられていた。
……だから決闘は、あたしの負けってことになる。
「……フジノ」
「……なにかしら?」
経験したことがないぐらい完全に上を行かれた感じで負けたというのに、あたしの心は穏やかで、不思議と満ち足りた気分だった。
「あんた、あんなところから飛び降りて、危ないとは思わなかったのかよ?」
あたしは、フジノの行動が本気で理解ができなかった。
まさかあんな行動に及んで、それで自分が負かされるなんて予想もしなかった。
「“痛い”とか、“恐い”とか、考えなかったのかよ?」
だって人間は、高いところが怖いはずだ。落ちたら痛いと思うはずだ。
落ちるのが怖くないのは、そういうのが理解できないあたしだけのはずなのに。
そんなあたしの考えなんて理解不能だろうに、フジノは慈しむように安らかに笑む。
「あなただって飛び降りたじゃない。あなたがそうするぐらいだもの。きっと平気だと信じられたわ」
「あたしにとって平気でも、あんたにとっては平気じゃなかったかも」
「まさか」
どこかぼんやりしたあたしの言葉に、フジノはおかしげに笑ってみせる。
「――あなただって、私と同じ、人間でしょう?」
「え……?」
そう言われて、一瞬理解できなかった。
この子、今、あたしのことを、人間って、言った?
「誰だって高いところから落ちたら怪我をするし、怪我をすれば痛いはずよ。それでもあなたは臆さない。どんな相手でも手加減しないし、どんな危険も恐れないわ。……ねぇ、気づいてる?それってとっても凄いことなのよ。
強いのね。亜美香は。あなたのそういうところ、とても素敵だって私は思うわ」
その言葉。
自分を認めて、受け入れ、肯定し、讃えてくれる言葉。
そう、そんなもので良かったんだ。
別に自分と違ったっていい。普通の人間だっていいんだ。
――そうやって、あたしをまっすぐ見てくれたなら、それだけで――、
もしかして。もしかしてこの子となら、あたしは楽しくやっていけるんじゃないか?
本当に、心から、大切だって、大好きだって、思える、最高のトモダチだって呼べる存在に、この子はなってくれるんじゃないのか?
いや、そうじゃない――。
「フジノ」
「え?」
その時のあたしがなんでそんな行動に出たのかは自分でもよくわからないけれど、
あたしは気付いたら、あたしに覆いかぶさったフジノの首に手を回して、ぎゅーっと抱きしめながら、彼女の唇にキスをしていた。
感極まってなのかなんなのか。とにかく、そうせざるを得なかったんだ。
「……、ん……」
ちょっと驚きつつも、フジノは自然とそれを受け入れてくれた。
唇に柔らかい感触があって、慈しむみたいに頭が撫でられる。その後、ぎゅっと包み込むみたいに、あたしを抱きしめる手にも力が込められる。
それが、あったかくて、優しくて、嬉しくて、あたしは泣いてしまいそうになる。
……ああ。そっか。
こんな気持ちになれるんなら、
「ねぇ、フジノ」
「なに?亜美香」
「あたし。フジノと、トモダチになりたい」
――あたしがこの世界に生まれたのも、別に間違いなんかじゃなかったんだ。
◇ ◇
死にそうな目に遭ったような一日が終わり、俺たちは廃車両に戻ってきていた。
そこには俺とフジノと、どういうわけか中村亜美香もいる。
「カレーんまい!」
フジノの作ったカレーを亜美香が嬉しそうに食べている。
さっきまでと全然違う、まるで子供みたいな天真爛漫な食べっぷりに、俺は呆気にとられるしかない。
「それで?工場の奥にある変な建物に入るために、鍵を探して回ってんの?」
「そう。そしていよいよ鍵を探す旅が本格的に始まろうというところよ」
カレーを食いながら、亜美香はフジノをずっと質問攻めにしている。
最初は自己紹介じみた当たり障りないところから、途中は男の俺が聞くに堪えない類の女同士の話を経て、今は俺たちが冒険している廃工場の話題が繰り広げられている。
「ふーん。この工場おもしろい?今までどんなところ行ったの?」
「山の方にある洞窟でトロッコに乗ったりしたわ。その前はあそこに見える大きな建物の頂上まで登ったりもしたわね」
「へー、すごいね。眺め良さそう」
「絶景だったわよ」
「絶景かー」
フジノの話を普通に大人しく聴いて受け答えしている亜美香。
落ち着いて話してみれば、亜美香は変わり者ではあるが、会話ができないわけではなく、むしろ意外な程に理性的で落ち着いた人格のように感じられる。
普通にしてれば大人しく、ちょっとボーッとした感じの女の子のようだ。
それでも、フジノの言葉に興味深そうに耳を傾け、楽しそうに頷く姿は、この年代の少年少女より溌剌とした印象がある。
「ねえ、フジノ」
「どうしたの?」
「さっきは、その、つまんないなんて言ってごめん。あたし、やっぱあんたのことすごく好き。冒険も楽しそう。一緒に鍵探してみたいな」
「それは……仲間になりたい、ということ?」
「うん。ダメ?」
「……」
ちょっとしゅんとなりながらそんなことを言ってくる亜美香。
これにはフジノもちょっと驚いたのか、反射的に俺の方へ意見を伺うような視線を向けてくる。
俺はといえば、亜美香が嬉しそうにカレー食ってる辺りから既に言葉が出ない感じなわけだが。
それでも亜美香の口調が彼女らしからぬ、ちょっとしおらしい態度になってるのは、フジノに対して気を使っているからで、この暴力の権化みたなヤツがフジノに嫌われたくないって本気で思ってるらしい、ということが俺にも察せられた。
「勝者は敗者の身柄を自由にできるのよ。亜美香、私、あなたを仲間として迎え入れるわ」
「ホント!ありがとうフジノ!大好き!」
言って、フジノに抱きつく亜美香。
一体なにがどうなって、あの暴力女にここまで懐かれてんだろうか。
「……フジノ、それでいいのか?」
「なんだよ、なんか文句あんの?」
俺が尋ねると亜美香が食い付いた。
こいつの中で俺はフジノと同じ枠に入ってないのか、態度は割と以前のままだ。
「お、大アリだよ! フジノに怪我させておいてさ!虫が良すぎるって!」
「テメエに言われる筋合いねえよボケ、殺すぞ?」
言い合いになる。
亜美香に凄まれて俺は怯みかけるが、俺だって立場ってもんがあるので譲れない。
そしたら、俺と亜美香の肩にフジノがそれぞれ手を置いた。
「留美、心配してくれるのは嬉しいけれど、仲間になることを認めたのは私よ」
「……わ、わかったよ」
「亜美香も、留美だって大切な仲間なの。殺すだなんて言葉、使ってはいけないわ」
「……仕方ねえなあ」
「よろしい」
俺たち二人が渋々頷き、形上和解したのを見て、フジノは満足げに頷いた。
「河野。フジノもこう言ってることだし、あたしも潔くあんたを仲間として認めてやらあ」
「俺のセリフだそれは!なんで俺が仲間に入れてもらえるかどうかみたいな言い方してんだよ!」
「ちっ、このあたしがあんたなんかに頭下げて仲間に入れてくださいとか言うわけねえだろ。察しろよそんぐらい」
「知らねぇよ!なんでキレてんだよ!」
「まあ、アレだ。逃げ回ってばっかだったとはいえあたしとやりあって無事で済んだんだからあんたもなかなかやるねってことだよ」
「わかりづらっ!さっきの発言のどの辺にその要素があったんだよ!」
「ってかさ、あんたどうやってあの瓦礫の下から脱出できたの?もしかしてすごい力持ち?」
「んなわけあるか……、まぁ、こっちも色々あったんだよ」
「ふうん……」
……と、そんなこんなで。
俺たちはひとまず三人仲良くカレーを食いながら、お互いの健闘を称え合ったりなどした。
口では色々言いつつも、亜美香も俺と一応は交流しようとしてくれているようで、まぁ、敵対されるよりは良いってことになるんだろうかな。
この先も上手くやってけるかどうかは、正直よくわかんないけど……。
「なんにせよ――亜美香という新たな仲間も加わって、私たちの本当の冒険は、まだ始まったばかりね?」
誰に対して言ってんだか、フジノは天高く両手を突き上げて、心から嬉しそうに宣言するのだった。
俺たちの冒険は、まだ始まったばかり。
「……、……」
俺たちの冒険、ね――。
胸に去来したわずかばかりの引っ掛かりを、俺はひとまずしまい込んで、怒涛の一日を乗り越えた安堵感に、息をついた。




