第四話 海月取り
第四夜 海月取り
「今週末は二連休でお休みあげるから、今夜は海月を取りに行って欲しいんだ。」
「クラゲですか? 海にいる」
「そう海にいる海月。ちょっと使う用事があるのだけれど、今日の市では出ていなかったし、あれは鮮度が大事だから今日取れたのが欲しいんだ。」
昼下がり、お酒と料理の材料の買出しから帰ってきたマスターが、酒場の掃除をしていた私に言いました。どうやら明日クラゲが入り用なようです。どう使うのでしょう。干して酢の物にするのでしょうか? でも鮮度といっているから刺身にでもするのかもしれません。亀などはクラゲを食べるそうですし、この都市にそういった趣向を持ったヒトが居ないとも限りません。
「ええと、クラゲ取りは初めてなのですが、どうやって取ればいいのですか?」
「タライと柄杓があるから持っていきなさい。今晩なら大潮だから月見ノ岬に行けばいっぱいいるから」
「わかりました。」
「あ、張り切りすぎて、海から落ちない様にね」
私はマスターにいくつかの説明を受けた後、月見ノ岬に来ています。月見ノ岬は酒場からこの歪曲都市の表通りである、らせん状の道をグルグルと登って、大体1時間くらいところにあります。ここは地面が外に張り出していて三方が崖になっています。名前の通り月を見るのに格好の場所です。おまけに今日は満月。大きな月がぽっかり浮いています。私は体育座りをして月を見上げています。
「そろそろなんだけどな、満潮」
月が真上に来た頃、潮騒が聞こえてきました。潮が満ちて上の海層まで海面が上がってくるのです。いつ見ても不思議な光景です。目の前に広がる夜空が陽炎のように揺らめいたかと思うと、すでに岬は海で囲まれています。普段は第一海層しかありませんが、満潮のときは、もっと上の海層まで海面が来るのです。今日は満月で大潮だから一番上のこの第五海層まで海面が来ます。大潮の日に月を見ながら満潮を待つから、ここは月見ノ岬という名前なのです。
私は水着に着替えて、タライの様に大きなお盆と柄杓を抱えて岬の先まで歩いていきます。よく見ると海は幾つもの光源で淡く照らされています。光の元はクラゲです。まん丸のクラゲが淡く光るのは下の海層から見上げるとまさに月の様に見えるでしょう。
「さてと、満潮のうちに取らなきゃ」
この海層はせいぜい1~2mくらいの厚みしかなく、それより潜ろうとすると下側の空に出てしまい下の海層まで落ちてしまいます。違う海層を渡れるのは鳶魚などの翅を持った一部の魚だけなのです。
私は浮き袋を肩に結びつけ、タライの中に柄杓を投げ込んで海に入ります。夜の海は思ったより暖かくて、縮こまっていた私の筋肉を緩めます。岬の先端を蹴ると、そこは水深2mの底抜けの海です。うっかり沈むと落ちてしまうので、浮き袋をしっかり脇で締め付けて保持します。少しバタ足で泳ぐと光る海面にたどり着きます。クラゲが密集しているのです。私はまん丸でよく光っているクラゲを選んで柄杓で掬い取り、タライのなかに入れます。海の中では球状になっていたクラゲですが、タライの中の浅い水の中では伸びきってしまい、目玉焼きの白身だけのようです。
「マスターは3匹くらいで良いって言っていたけれど、死んじゃったら嫌だから5匹くらいとって置こう。これって触っても痺れないよね?」
夜の海なんてめったに来ません。ちょっとだけいいですよね? 私は楽しくなってしまい。クラゲを突いたり、クラゲを頭の上に乗せてみたりと遊んでみました。硬めのゼリーの様なクラゲは海から上げると光ったまま形をぐにゃぐにゃに変わってしまいます。正直、とても楽しいです。
「あ、ちっちゃいクラゲも可愛いな。これもちょっともって帰っても良いかな……ってあら?」
足が冷やりとしました。私が下を見ると明らかに海が浅くなって、はるか下に薄らと下の海層が見え始めています。引き潮です。不味いです! 早く岬に戻らないと! 時間が来て海層が消えると、中にいる生物は潮に引かれて下の海層に降りていってしまいます。つまりこの第五海層に長時間入っていると、引き潮とともに第四海層に連れて行かれてしまいます。注意されたのに。
私はタライをビート板の様に使い、岬へと泳ぎます。バタ足は必死に水面を叩き派手に水しぶきを上げています。早く急がなきゃ、下につれてかれちゃう。岬まであと50mくらいでしょうか、ちらりと下を覗くともう水深はすでに1mもありません。そろそろ第五海層が消えてしまうでしょう。あと10m! 疲労で足が吊りそうですが、もうすぐです。
届いた! 私はタライを岬に上げてから、両手を地面について体を海面から持ち上げます。そして、右足を岬に掛けたところで、左足に掛っていた重みが消えます。その瞬間私はバランスを崩し、勢い余ってゴロゴロと転がってしまいます。
「た、たすかりました……」
私は息も切れぎれ、岬に寝っ転がります。草が体中にくっ付きますが気になりません。本当に危なかったです。あのまま、第五海層が消えて、第四海層に連れて行かれていれば、この月見ノ岬には戻れず、私は水着のまま着替えも無く酒場まで夜道を歩く羽目になります。しかも、光るクラゲを持っていれば目立つ事この上ないでしょう。そんな羞恥には耐えられません。
私は息を整えた後、のろのろと着替えてクラゲの入ったタライを持って帰路につきました。
私が閉店後の酒場にたどり着くとマスターが夜食を作って待ってくれていました。私が自己主張する胃に負けて、シャワーも浴びないまま潮で固まった髪もそのままにカウンターに座ると、ふとマスターに尋ねました。マスターはフライパンを洗いながら答えます。
「マスター。なぜクラゲは光るのですか?」
「海月はね、満月の光を溜め込んで光るんだよ。だから満月の大潮の日に一番月に近い第五海層に湧く」
「ああ、それでこんな淡い光なのですね。綺麗です」
「綺麗だね。この光ももって二日だから本当に旬のものなんだ。あと陽の光に当てないように蓋をしておかないと」
「陽の光はだめなのですか?」
「陽の光は強いからね。月の光を吹きとばしてしまうんだよ」
「へえ、そうなのですね。あの、この小さい子、部屋に連れて帰っても良いですか?」
マスターは笑いながら磨き上げたグラスを渡してくれました。私はそのグラスに握りこぶし大の小さな海月を入れて部屋に持ち帰り、ランプ代わりにしてみました。もう夜は更けつつありましたが、淡い光が水に揺られてとても綺麗でした。
翌朝、起きると海月は消えていました。変わりにグラスの底に白い砂が少しだけ残っていました。