第三話 瑪瑙
第三夜 瑪瑙
「宝石とは何だと思うか?」
普段は全く話さないお客さんの突然の問いかけに、私は手元の調節を誤り、グラスとブランデーで表面張力についての理科実験をする羽目になってしまいました。実験は失敗です。
「宝石は……ダイヤとかルビーとか美しい石のことでは無いのですか?」
「磨かねば気づかれず、傷つけば価値を失う。真に難儀なものだ。」
「……そうなのですか」
目の前には白い髪に黄色い瞳、赤銅色の肌がワイルド系でかっこいいのですが、何処かくすんだ色合いです。彼に良く分からない問答を投げかけられ、何を返していいか分からず、私はとりあえず頷きます。そして零したグラスを脇に避け、新しいグラスにブランデーを半分ほど注ぎ直します。最後に大きな黄と白の縞模様を丸い石を静かに入れお渡しします。木星のような縞模様を持つその石は瑪瑙です。
「宝石とは人々が付けた希少価値のこと。本来なら同じ重さの黄金のほうがよほど、物質的な価値があるというもの」
私は、これは問わず語りであると判断して曖昧に頷きます。彼が静かにグラスを傾けると、カランと小さな音を立てて瑪瑙が動きます。そして、瑪瑙の色が薄くなります。照明を抑え気味の店内と、ブランデーの色で分かりにくいですが、瑪瑙のミルク色とからし色の縞がくすみ、灰掛かった色に変わっていきます。今日のお客さんは宝石を呑む玉人さんなのです。
以前マスターに聞いた話では、玉人という種族は総じて美しく、“玉を食み、自ら玉となる”と言われているそうで、宝石が主食だそうなのです。本来別の場所に固まって住んでいるということで、歪曲都市で見ることは非常に珍しいのです。稀人の私といい勝負でしょう。
この玉人さんは何故か、表通りの盛んな酒場ではなく、裏通りのうちの店にたまに通っています。態々、うちの店を選ぶくらいだから静かに飲みたいのだろうと思って話しかけないようにしていたのですが、実は案外寂しがりやだったのかもしれません。そうだとしたら悪いことをしました。どうせなら此方からも会話してみましょう。
「玉人さんはなぜこのお店に?」
「……」
「あまり私が言うべきではありませんが、この店はあまり華やかではありません」
「……」
「それに、玉人の方が好まれる水晶や翡翠は高くてこの店ではお出しできません。せいぜいうちでお出しできるのは、どこでも取れる瑪瑙くらいなものです」
「……」
失敗しました。どう考えても、今の私は静かに飲みたいのに絡んでくるうざい店員です。沈黙が痛くて穴があったら入りたい。新しいボトルを取りにいく振りをしてマスターのところへ逃げるべきでしょうか。私の曖昧な笑顔がそろそろ崩壊しそうです。
「玉人は玉石の石精を啜りとり、自らの美とする」
「? ええ、そのように聞いております」
「宝石はその美しさ故に争いを呼ぶ。その美を厄とともに取り込みこの身を焼くならば、そんな物にいかほどの価値があろうか。」
「ええと……」
酒場ですので酔いが回って支離滅裂な話をされる方はいらっしゃるのですが、少なくともこの玉人さんは呂律も確かですし、まだ、そこまで飲まれていません。しかし、これでは会話になっていません。どう返せばいいのでしょうか? 私がもう一度マスターのところに逃げるかどうかを検討していると、玉人さんから再度語りかけてきました。
「瑪瑙に宝石としての価値は無い。どこでも取れる。故に争いを呼ばぬ」
「平和の石なのですね」
「平和の石……? なるほど。稀人よ。先の答えはこれでよろしいか」
「あ、はい」
目的にたどり着くのに、二重三重の回り道をしている気がしますが、この玉人さんは私の世間話に真面目に答えてくれたらしいです。そして、玉人さんはグラスを一気に傾けてブランデーを飲み干すと、中の瑪瑙も白く濁っていました。そして、席にお金を置くと声をかける隙も無く帰ってしまいました。
「あの玉人が話をするなんて珍しいね。店に来て一言も話さないこともあるよ。」
「そうなのですか?」
マスターがグラスを洗いながら声をかけてきます。今夜は店じまいでしょうか。
たしかに変わったヒトでした。私はテーブルからグラスとボトルを運びます。グラスの中では石精を抜き取られて軽石のようになった白い石がカラカラと音を立てます。私はグラスをマスターに渡しながら聞きます。
「玉人の方とは初めて話しました。玉人とはあんな感じの人なのですね。」
「玉人は宝石を啜って美しくなる。本来の玉人は透き通るような文字通りの珠の様な肌、煌く瞳に、流れるような髪という容姿だからね。彼は玉を啜る様子でも見ないと玉人だって分からない。あのヒトは瑪瑙ばかり啜る変わり者だよ。」
「普通の玉人は瑪瑙を呑まれないのですか?」
「玉人はいわゆる宝石を好むからね。なんでも美しい宝石の方が質の良い石精が啜れるそうだ。瑪瑙なんかは石精の質で劣るから屑石なんて呼ばれて嫌われているね。」
「宝石を呑まれる玉人は綺麗なのですか、見てみたいですね。」
「そうだね。はぐれの玉人がさらわれて、大金持ちに囲われて宝石をあてがわれる位には美しいよ」
マスターは皮肉げな笑みを浮かべます。嫌な話を聞きました。だからあの玉人さんは瑪瑙ばかり呑み、美しくならないようにしているのでしょうか。私がテーブルを拭いていると、ふとテーブルの下に小さな石が落ちています。小粒の瑪瑙でした。グラスに入れそこなって零してしまっていたのでしょうか。そう思ってマスターに渡します。
「すみませんマスター。零してしまっていたみたいです。」
「小さいからね。どの道玉人の腹を満たすには足らないし、かまわないよ」
マスターは瑪瑙を眺めた後、石をランプに翳してゆっくり揺らすと、中で何かが動いています。
「おや、珍しい。水入り瑪瑙だ。」
「では、さっきの玉人さんの忘れ物でしょうか。」
「玉人は体質的に石精を吸ってしまうから、宝石や輝石は携帯できないよ。たぶん、うちで目方買いした瑪瑙の中に混じっていたのだろうね。ほら、見てごらんこんなに綺麗だ」
「本当に。私は縁のない宝石の美しさよりも、瑪瑙の安心できる色味の方が安心します」
「そう思うなら、この石は決して屑石なんかじゃないよ。」
マスターはそう言って私の手のひらに淡い縞模様の瑪瑙を乗せました。




