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第十二話 くるみ割り人形の冒険

第十二夜 くるみ割り人形の冒険



今日の天気は土砂降りの雨。大きな大きな障害物である歪曲都市に、湿った空気が当たるとその場で上昇気流が発達し、都市の上空で冷やされて大雨となる。そんなふうに勝手に推測しています。まあ、所詮本で読んだだけの付け焼刃の知識です。きっとこの歪曲都市は私のささやかな常識や知識なんて吹き飛ばすような法則で動いているのでしょう。“事実は小説より奇なり”、最近は本の世界なんかよりこの歪曲都市の異文化の交流の方が楽しみです。


さて、掃除しても湿気っぽい空気は払えません。木製のテーブルやカウンターも何となくしっとりとしていて、カウンターにグラスを滑らせてお客さんの手元に格好よく渡したり、食後の見せ場としてテーブルクロス引きをしたりはできないでしょう。マスターはそんなことしないし、私もそんな技能はありませんが。


いつもよりは客足が鈍いようですが、こんな大雨でもお客さんはやってくるようでした。生ぬるい空気を払うためかお酒の注文が引っ切り無しで、私もパタパタと早足になっています。雨の日というのは音までくぐもって聞こえます。あまりに雨が降るので、坂上の方にある池が溢れて道が川になってしまうかもしれませんし、ここまでの大雨では運河市電も止まってしまっているのかもしれません。それでも夜も深くなると雨足も弱まりました。すでに外はしとしとと大人しい降り方です。お客さんは今が帰り時と見たのか、いつもより早めですが帰るヒトが多くなります。


客がはけ始めた中来客がありました。雨合羽と長靴を履いた長身のお客さんです。まだまだ営業時間中ですし問題はありませんが、新しいお客さんが来るには遅い時間です。そのお客さんは何かが擦れる様な音を立てながら雨合羽を脱ぎ、背の高さとは相反する高い声で呼びかけてきました。


「よう、ここのマスターはいるかい?」

「え、あ、はい。今奥に入ってしまっているのでお待ちください」

「あ、いるなら良いよ。いつものをくれって言って」


マスターとは知り合いのようですが……合羽の下は斬新な外見です。服の下に見える手足の関節部には継ぎ目が見えるし、肌には薄っすら木目が見えます。ふさふさの帽子を被っていて、顔も目や白髪頭が塗料で描いてあります。そして喋る度に、口はあごが外れた様にカパカパと動きます。

どう見ても人間大のくるみ割り人形の様な外見なのです。奥からマスターが顔を出すと、口をカパカパさせてくるみ割り人形さんが喋ります。


「お、来たな。いつものやつをおくれ!」

「ああ、久しぶりですね。熊胡桃と蜂蜜ですね」

「そうそう! あれを置いてある所はあんまり無いんだよ」

「割れるヒトが限られますからね」


マスターが棚から出したのは普通の胡桃より二周りくらい大きい胡桃です。先にと渡されたそれをくるみ割り人形さんにお出しすると、ヒョイと摘み上げて口に入れます。しかし、口の中には滑り止めの窪みこそありますが、どこにも繋がってそうにありません。どうするのかと見ていると、油の切れた様な高い異音が聞こえて口がゆっくり閉じていきます。当然上下の口蓋の間に挟まれた熊胡桃がつっかえていますが、万力の様に締め付けて次第に家鳴りの様な音を立て始めます。そして、木材を曲げて割るような破裂音が響きました。さすがにくるみ割り人形です、と少し興奮して見て見ると……胡桃は中身ごと口の中で完全に砕けているようです。これでは中のクルミ本体が食べられないです。失敗でしょうか?


「くぅぅ、いつもながらこの衝撃は頭に響くな!」

「口でやらなくてもよろしいのでは?」

「いや、これがなくちゃ詰まらないんだよ」


そう言ってマスターと会話しながら次々に胡桃を咥えては噛み砕いていきます。そのたびに窓ガラスを震わせるような振動が起こります。最中にマスターが私を呼び「此れを持っていくように」と言って蜂蜜の入った小さなお猪口を私に渡しました。胡桃と蜂蜜は確かに相性抜群ですが少々量が少ないのではないでしょうか。そう思いながらくるみ割り人形さんのテーブルに持って行きます。くるみ割り人形さんは胡桃を割り終わった様で椅子に座って口をもごもごさせています。


「お客様、こちらになります」

「お、色も透き通っていていい蜂蜜だな。じゃあちょっと頂こうかな」


机の上にお猪口を置くと、くるみ割り人形さんの頭がカタカタと震えだしました。そして白髪頭模様にペイントがされた頭の天辺がスライドして、頭の中から小さな男の子が出てきて、かわりにくるみ割り人形は動きを止めました。


「ええ!?」

「ふふん、驚いたか。こいつは俺の作ったカラクリ竹馬6号だ」

「えと、竹馬ですか?」

「そうだ。カッコいいだろ! 俺ら小人は多種の居る場所に出るとうっかり踏まれかねないからな。簡単に背を高く出来る竹馬の出番ってぇわけだ」

「ちなみに1号は爪楊枝ほどの太さで長さ1m位の竹馬でしたね」


テーブルの上に胡坐をかいて得意げに語る小人さんに、マスターが後ろから突っ込みを入れます。マスターの言う竹馬1号を想像してみましたが、身長20cm位の小人さんが乗るにしても、細くて今にも折れそうな怖い絵になりました。竹馬ということは背の高さにコンプレックスでもあるのでしょうか? でも小人さんですし小さいのは当たり前な気がします。それに小さいといっても以前この店に来た時逆のおじいさんよりも大きいくらいです。


「俺が作ったこのカラクリ竹馬6号は、内部の仕組みが組み合わさってちゃんと二足歩行できるんだ。飲み食いは出来ないが多少の物を持ったりな」

「はぁ、でもどうして竹馬に乗るのですか?」

「分っていないな。背が高いってことは見える世界が違うんだ。見えもしない世界なんてないも同然。じゃあ竹馬に乗れば世界が広くなるってぇわけさ!」

「ああ、それで竹馬なのですね」


どちらかといえば竹馬というより、その洋風の外見からオートマトン(西洋カラクリ)と呼びたい代物です。それに中のギミックはどうなっているのか不思議ですが、ここは歪曲都市だからということで納得しておくことにしましょう。最近、ちょっとやそっとの不条理では驚かなくなってきた自分が居ます。でもなんで胡桃を食べていたのでしょうか? 目の前の小人さんに聞いてみました。


「胡桃油といえば木製品の手入れに決まっているだろう。他の油と違ってべた付かないし防水効果もある。香りも良いからな」

「そういえば木製の家具を磨くのにウォルナッツオイルを使うという話を聞いたことがあります。これから絞って塗るのですか?」


小人さんは机の上で蜂蜜を飲みながら、良くぞ聞いてくれましたと言わんばかりの得意顔をしていました。


「この俺が作った人形だぜ、もちろん自動化されているに決まっているだろう。口の中が圧搾機になっていて、絞った油は管や歯車を通して全体に行き渡るんだ。ノミや糸鋸も持ったし、工具類はちゃんと備え付けてある。準備は万全ってもんだい」

「自慢もよろしいですが、あんまり時間がありませんよ。暗くて涼しいうちに森まで行くのでしょう?」

「ああ、昼間に直射日光を浴びるとこの竹馬6号の頭の中が茹るからな。昼は森の日陰を歩きたい」

「……どこか行かれるのですか?」


歩いて森に行くともなれば、結構距離があります。お世辞にも素早いとは言いがたいくるみ割り人形方オートマトン、もといカラクリ竹馬6号では中々時間がかかりそうです。結構な冒険ではないでしょうか?


「聞いて驚け! 俺は旅に出るんだ。この歪曲都市を抜けて新しい新天地をこの目で見るんだ。花畑やミツバチの巣さえあれば食料は困らないし、竹馬が壊れそうならちょっとやそっとの工作はお手の物さ!」

「この都市に不満が?」

「いや、言っただろう見える世界を見るって。俺は竹馬を作ってこの酒場に着てから、色々話を聞いて世界が広いってのは分った。でも俺が見たことないならそんな世界はないのと一緒だ。他の小人は家を出ようともしないで蜜を舐めて悪戯をするだけだけれど、俺は知っちまったんだ。でもって頑張れば見に行くのも不可能ではないときた。そうしたらもう行くしかないだろう?」


もうすでに心はここにあらずといった風でしょうか。小人さんの中でも変わり者の様です。居るものです出来ることは全部したいという方のようです。人間には冒険者遺伝子なるものがあって、それを持った人は特別好奇心が強く、危険な旅や冒険に駆り立てられて人類の版図を広げてきたという説があるそうですが、きっとこの小人さんは小人の中でもそういった方なのでしょう。


「さて、そろそろ油も絞り終わったかな?」


小人さんは飲み干した蜂蜜の杯を置いて、そう言うとくるみ割り人形もと竹馬6号の頭の中に戻り、何か色々動かします。初めだけ軋むような音を立てて竹馬6号が動き出します。そして急に立ち上がると手をグルングルン振り回したり、指が高速でカシャカシャと蠢いたり、バレリーナかと思うほど足を振り上げてグースステップのように歩いてみたり奇妙な行動を開始します。私は5分ほどあっけに取られていましたが、その間にマスターが熊胡桃を入れた袋を持って近寄って来ていました。ピタリと動きを止めた竹馬6号から小人さんの声が聞こえてきました。


「じゃあ、油もよく回ったことしそろそろ行くとするか!」

「この都市に戻ることがあれば、また私の店にいらしてくださいよ」

「もちろん!」


マスターが声をかけて胡桃の入った袋を渡すと、竹馬6号は少しだけ硬い感じで受け取り、手を振りながらドアを開けてまだ暗い街の中に出て行きました。


私とマスターは玄関先で見送りました。雨上がりの空気は少し肌寒く感じます。都市の下層の運河は溢れているかもしれませんが、水面が安定していればいっそ渡し船が立っていて楽に進めるかもしれません。


私は店中に戻り机の片付けをしながら考えます。私も新しい一歩を踏み出すべきでしょうか? この歪曲都市に慣れるのがいっぱいいっぱいで、私はこれまでその努力を怠ってきたのかもしれません。でも身一つで飛び出すのはとても怖いです。この都市ではなぜか稀人は大切にされているとはいえ、私が一人で食べていけるとは思いません。歪曲都市にはハローワークだってないでしょう。色々と考えて、小ずるい私はマスターに、店で出すような料理を教えてくれるように頼みに行くことにしました。


いつか独り立ちする日が来たときのために。


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