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第十三話 運河市電と雨上がり市

第十三夜 運河市電と雨上がり市


今日の天気は晴れですが昨日の雨で冷えたため、肌寒い感じです。今日は陽のあるうちからマスターとお出かけです。いつものエプロン姿ではなく、歩きやすいズボンに長靴です。おしゃれとは言いがたいですが、雨上がりに裾をするようなスカートや水のしみるパンプスなんて履けません。


私達は店の前の通りから表通りに出て横断すると運河に出ます。この運河は歪曲都市を取り巻くように、らせん状に昇っていく表通りとある場所では併走する様に、またある場所では交差しながら、別の場所では大きく迂回して着かず離れずに存在する水路です。小高い山のような外見の歪曲都市に通っている河川なのに、不思議なことに急な流れはありません。どんな急な斜面でもゆったりと一定の速度で流れています。何故かは水面を見れば分ります。表通りの道に添う様に運河の水面は同じように傾いているのです。水が水平にならないというのは、水平という言葉の存在意義を問う様な哲学的な感じを受けます。そして、重力に喧嘩を売っている様なその運河の上に、水面を走る運河市電が行き来します。


私とマスターは運河市電の待合所で市電が来るのを待ちます。ちょっとデートみたいでウキウキします。まったくそんな事実はないのですが。マスターと雑談をしながら待っていると市電がやってきます。市電といいますが、外見は屋根のない路面電車です。もちろん屋根に着いているべき菱形、パンタグラフはありません。でも替わりに運河の壁面にレールのようなものが引かれていてそこに何らかの動力源があるようです。地下鉄の第三軌道のようなものでしょうか?


そんなことを考えている内にスイスイと市電は進みます。地面は傾いて居ますが水面は平らで船のように揺れる事もありません。初めて乗ったときには酔った覚えがあります。目の前にある傾いた町並みと、三半規管が感じている重力が食い違っているからだと思います。なので、酔いそうになったときには水面をじっと見て動かないのが鉄則です。


酔わない様に水面を見つめていると、目の端に水門が映り込んできます。この大きな水門は第3階海に繋がる水路です。現在は潮が引いていて第3階海に水がないので、水門は閉まっています。開いていなくて良かったです。水門が開いて海と繋がった状態ですと、海の波が入ってきて、水門周辺を走る市電がとても揺れるのです。歪曲都市在住1年も過ぎると一応の事は分ってきます。


そんなこんなで市電で歪曲都市の下層部に降りてきました。ここは庭園の魔女さんの森がある方向とは、都市を挟んで逆の方角にあたるため、私はあまり来たことがありません。運河の終点は大きな草原ですが、昨日の雨で水量が増したため、見渡す限りの水面が広がっています。大雨から一段落して落ち着きを取り戻した水面は、比較的澄んでいて下の様子が見えます。水中を覗き込むと草原の丈の長い草が揺れて幻想的な雰囲気です。どこかの海層から飛んできたのか鳶魚がそこら中を飛んでいます。


私とマスターは大雨でも沈まないように設計された市電の駅に降ります。駅のホームから改札を出ると、そこは水没草原とは思えないほど色とりどりの光景が見られました。雨上がり市です。水面に小さな露天商達が水に沈まない防水布を敷いて、その上に品物を置いて市を形成しているのです。不思議な光景です。駅の表口からは長い絨毯の様な防水布が伸びていて、その両側に露天商が出店を構えています。それが網の目のように広がって広大な雨上がり市を形成するのです。


防水布は人が乗ったくらいでは沈みませんが、足元はふわふわしていて頼りありません。それなのに布の縁から水が入ってこないあたりがファンタジーを通り越してミステリーです。初めて乗った時に驚いてマスターにしがみ付いたのも、今となっては良い思い出です。


さて、今日は私用の調理器具を買うために雨上がり市に来たのです。歪曲都市でも調理器具専門店はあるのですが、雨上がり市の方が、掘り出し物があるかもしれません。調理器具一式は高いのです。さすがにマスターに強請るわけには行きません。店の器具はマスター用になっていて私には使い勝手がよくないものなので共用というわけには行きません。


マスターとふわふわする絨毯の上を歩いて物色していると、歪曲都市の表通りに負けないくらい色々な店があります。変わっているものとしては、洗面器サイズの小さな浮島を売っている浮島屋さん。水面に生簀を作って金魚みたいな観賞魚を売っている鰭屋さん。人魚が店主の綺麗な飾り鱗を揃えた鱗屋さん。普段は見られないお店です。


暫くして調理器具を取り扱う店を見つけました。中古品が雑然と置いてある店で、様々な器具が溢れていて私には何がなんだか分かりません。困っているとマスターが話しかけてきました。


「まずは、包丁だね。いっぱいあるけど先ずは肉切りとナイフだね。手になじむものを探してごらん」

「ええと、包丁はこのあたりですね。……これはなんか違う、これは重過ぎる。……あ」


雑然と刃物の類が置かれた一角に近づき、お店の人に声をかけてから色々手にとって見ます。刃が鋸みたいだったり、片手じゃ持ち上がらない重さだったり、色々ありましたが、恐々と刃物の山を崩すと、そこには和包丁が。持ってみると私の手にぴったり馴染みます。マスターに見せてみると、こればかりは感性が一番と言われたので、私は和包丁を購入することにして、私の手の大きさにあう小さなナイフを合わせて買うことにします。


「次は鍋とフライパン。フライパンは片手で上がる重さのものがいいよ」

「はい!」


カッコいいフライパンがあったのですが、重厚すぎて両手でも持つのが辛かったので断念しました。マスター曰く、炒め物をそのままオーブンなどに入れる調理に使うものだそうでした。私の顔より一周り大きい、使い込んであるフライパンと、家族3日分くらいのカレーが煮られそうな鍋に当たりをつけました。


「細々とした物は私が見繕っておいたよ。此れだけあればとりあえずは大丈夫」

「マスター、ありがとうございます!」

「ご主人、これをもって帰りたいのだが」

「あ……」


そのときあるものを見つけました。そんな私を見たマスターはそれを掴むと店の主人に渡します。


「ご主人、これも頼む」

「はいよ」


私がお金を払おうとすると、追い払われてマスターが払ってくれてしまいました。すごく申し訳ない感じです。店の主人は刃物を端切れで包み、鍋やフライパンも擦れないように端切れを当ててくれました。私たちは持ってきた袋に鍋や包丁を入れて帰ります。


「あの、マスター。御代は後ほど払いますので」

「いいんだよ。調理器具には糸目をつけてはならないからね」

「え……、やっぱり高かったのですか?」

「いやいや、そういう意味ではないんだ。……調理器具はね。人を選ぶんだよ」


ふわふわした絨毯の上を歩きながら、市電の駅に向かって歩きながら話します。


「新しい器具は色が着いていないから、一応誰でも受け入れてくれるのだけれど、器具にいい具合に自分の色を仕込むのは意外と難しい」

「自分の色ですか?」

「そう癖と言い換えてもいいよ。一流の調理人は器具を従えて、綺麗に自分の色をつける。でも素人が新品を使うと変な方向に持っていってしまうこともあるから、いいものなら前に使ってあるものが良いんだよ」

「それで、感性で選べと言っていたのですね」


私たちは駅で市電を待ちながら話を続けます。運河の先端に位置するここの駅の水面はとても綺麗です。きっと水没平原の大量の水量に薄まっている所為でしょう。それにしても、今日のマスターは妙に饒舌です。


「新品でも中古でも、自分のために作られた様な気がする器具もある。そういったものはその人が持つべくして巡ってきたものだから絶対に見逃してはならないんだ」

「この包丁ですか?」

「そうだね。それもだけど、最後に買ったそれだね。これだ。と思っただろう? きっと買われる為にここに流れてきたんだ。道具のほうから来てくれたのだから、ちゃんと手に入れてあげないとならない」

「分かりました。大事にします!」


ちょうど、市電が着ました。終着駅なので乗客は全員降りていきます。空っぽになった市電に乗り、私は小さなガラスの飾りが付いたマドラーを両手で包むように持って市電の座席に座りました。


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