反転
その夜、私は眠れなかった。
ベッドに横になっても、目を閉じるとキユウの声が聞こえる。
『ごめん』
『これしかないんだ』
三年前の記憶。
ユナ。
そして、メイ。
全部が頭の中で混ざっていく。
私は起き上がり、机の上に置かれた資料を見つめた。
警察から渡された事件資料。
キユウの携帯に残っていた記録。
私の筆跡。
そして、三時間の空白。
私は一つずつ並べていった。
「私がキユウを殺した」
声に出してみる。
「……でも、どうして?」
殺す理由がない。
少なくとも、今の私には思いつかない。
キユウは私を傷つけようとしていた。
それなら、身を守るために何かをした可能性はある。
でも――
「それでも、私が殺したとは限らない」
そう言った瞬間。
鏡の中の私が、少しだけ違って見えた。
「……メイ?」
「そう」
今度は、はっきり聞こえた。
鏡の中にいるのは私。
けれど、表情だけが違う。
私よりもずっと静かで、悲しそうだった。
「やっと気づいたね」
「何に?」
「キユウは、あなたを殺そうとしていた」
「……うん」
「でも、あなたは抵抗しなかった」
胸が痛んだ。
「どうして?」
メイは答えなかった。
「私が死んだほうがいいと思ってたから?」
「違う」
「じゃあ何?」
「あなたは、誰かを傷つけるくらいなら、自分がいなくなればいいと思っていただけ」
その言葉に、何も返せなかった。
「それは同じじゃないの?」
「違うよ」
メイの声は静かだった。
「生きたい気持ちを捨てたわけじゃない」
「……」
「怖かっただけ」
私は唇を噛んだ。
怖かった。
確かに、そうだった。
ずっと
私は何かを怖がっていた。
でも、その怖さを認めることができなかった。
だから笑った。
大丈夫だと言った。
きっとなんとかなると。
何度も。
何度も。
「じゃあ……あの夜」
「思い出して」
メイが言った。
「あなた自身の記憶で」
目を閉じる。
暗闇の中で、途切れ途切れの映像が浮かんだ。
夜の公園。
冷たい風。
キユウ。
私。
『来てくれてありがとう』
私が言っている。
『アン……』
キユウの顔は、泣きそうだった。
『もう一度だけ聞く』
『うん』
『本当に、これでいいのか?』
私は答えられない。
怖かった。
逃げたかった。
でも――
『私を止めて』
その言葉。
三年前と同じだった。
『もう、誰も傷つけたくない』
キユウが震える。
『……分かった』
そして
記憶が途切れた。
私は目を開けた。
「そのあと……」
メイは黙っている。
「何があったの?」
「まだ全部は思い出せない」
「あなたは知ってるんでしょう?」
「知ってる」
「じゃあ教えて」
「……できない」
「どうして?」
メイは悲しそうに笑った。
「あなたがまだ、自分を責めるから」
私は言葉を失った。
「誰か一人を悪者にすれば、簡単だよ」
メイが言う。
「キユウが悪い。ツキシロが悪い。私が悪い。あなたが悪い」
「……」
「でも、本当はそんなに簡単じゃない」
鏡の中のメイが、私を見る。
「みんな、間違えたんだよ」
その言葉が胸に刺さった。
「私も」
メイは続ける。
「あなたも」
「……私も?」
「うん」
「何を間違えたの?」
メイは少しだけ目を伏せた。
「あなたは、怖いって言わなかった」
私は息を呑んだ。
「悲しいって言わなかった」
「……」
「助けてって言わなかった」
「……」
「だから私は、全部を代わりに言った」
胸が締めつけられる。
「でも、それじゃ駄目だった」
「メイ……」
「私はあなたを守りたかった」
鏡の中のメイの目に、涙が浮かんだ。
「だから、間違えた」
その瞬間
新しい記憶が浮かんだ。
キユウの顔。
怯えた目。
そして――
私の後ろに立つ誰か。
いや
誰かじゃない。
私だった。
もう一人の私。
「……メイ」
「うん」
「あなたは、あの夜……」
言葉が続かなかった。
メイも答えなかった。
ただ、鏡の中から私を見つめていた。
そして私は気づいた。
この事件の答えは、もうすぐそこまで来ている。
でも、その答えを知ったとき。
私は、今までの自分ではいられない。
そんな予感だけが、はっきりとあった。




