第3話 令嬢ブリギッタは葬儀屋代行を務める
「うーむ、何とも美味な」
ブリギッタは翼竜が顔だけでも室内に入れるようにバルコニーを開け放つと、シャルルに頼んで紅茶と茶菓子を準備してもらった。幸い、離れのインフラは生きていたため、翼竜には淹れたての紅茶を提供できた。スコーンを頬張り、風呂桶で紅茶を口に含んだ翼竜は目を閉じて味わった。
「貴君、そうとう手慣れだろう。でなければ、この深みは出せない」
「ありがたきお言葉。僕はドルヴァンネ家の方々のために常日頃から腕を磨いておりますので、紅茶の淹れ方一つさえね」
シャルルはバレバレな風に得意げに言い張ると、翼竜は「結構、結構」と愉快に笑った。ブリギッタは紅茶を一口飲み、そっと下ろすと翼竜に声をかけた。
「さてドラゴンさん、まずは自己紹介から始めましょうか。私はドルヴァンネ家当主、ブリギッタ。そしてこちらは執事のシャルル。貴方様のお名前は?」
ブリギッタがそっと手を差し出すと、翼竜はハッとしたように咳払いをした。
「いかんいかん、名乗り忘れておった。えへん、我が名はレギタ。ここから遠くの魔物の森からやってきた老いぼれドラゴンだ」
レギタはそっとウィンクすると、ブリギッタの小さい手と握手をした。それだけでブリギッタの緊張はいくばくか解れた。しかしレギタは握手を終えると、優しい顔から一転してどこか表情を曇らせた。
「それで、ここへ来た理由なんだがな……」
「もしや、この『葬儀屋ドルヴァンネ』と何か関係がございますの?」
ブリギッタが探るように尋ねると、レギタがそっと頷いた。
「貴君の父君、ベニート伯は我ら魔物専用の葬儀屋を営んでいた。魔物は風の噂でここのことを聞きつけては、望みの最期を迎えたく、ベニート伯の元を訪れていた。吾輩もその内の一匹だ」
「まず、お父様がそのような活動をしていたこと自体で混乱しますが……」
ブリギッタは眩暈を感じて椅子の縁に凭れかかった。咄嗟にシャルルが彼女を介助した。レギタは最もだと言うように頷いた。
「魔物のための葬儀屋など、前代未聞だろう。だが貴君の父は五大貴族の目から逃れてやってのけていたのだ。皆が言っていたよ、彼はお優しい方だったらしいからな」
その言葉に、ブリギッタは顔を上げた。魔物との共存を逐一訴えていた父の姿を思い出していたからだ。貴族らしくなく、ブリギッタを男手一つで育て上げた優しい父。お人好しの彼なら、ちょっと変わり者の彼なら、魔物に一風変わった慈悲をかけていてもおかしくない。
レギタの言葉に、ブリギッタは「そう」と心なしか笑みを浮かべていた。一方で、ある事実に気づいて口角を下げた。
「レギタさん、ここに来たということは、貴方は自身の葬儀を?」
ブリギッタの問いかけに、レギタは暫し押し黙ると、翼をそっと上げてブリギッタに己の肉体を見せた。それを見た瞬間、ブリギッタはあっと口を押さえた。
「まあ! 鱗が!」
先ほどは宵闇の中で視界が不明瞭であったが、レギタの美しい鱗は大部分が剥がれ落ちており、血が滲んで肉が見えていた。その痛々しさに、ブリギッタは立ち上がってレギタへと駆け寄った。
「どうして、このようなことに?」
「年のせいだろう、厄介な病にかかってしまってな。鱗は剥がれるわ、肉は腐るわ、内臓は痛いわ散々だ。正直、ここまで飛んでくるので精一杯だった」
レギタはそう言うと、大理石のバルコニーに辛そうに顔を伏せた。
「……もう、長くないのだ。野原で野垂れ死ぬくらいなら、誰かに見守られて見苦しくなく逝きたい。ベニート伯には、吾輩の葬儀を行ってもらいたかった。でも、それは不可能なんだな」
レギタは溜息をつくと、ふらつきながら立ち上がって飛び去ろうと翼をゆっくりはためかせ始めた。ブリギッタはレギタを見つめて、唇を噛んだ。
目の前で苦しむものがいるのに、貴族の自分は何もしてやれないのか。ベニートの娘とでもあろう自分はただの役立たずか。
そのとき、ふと懐かしい記憶がよみがえった。それは親友であった愛犬・マルセーヌが老衰でなくなり、ドルヴァンネ家領地の花畑で父と小さな葬式を行ったとき。
「マルセーヌ、うう、ひっく、マルセーヌ!」
白きムーンフラワーが咲き乱れる野原。幼いブリギッタはマルセーヌの墓石の前に立ってベニートの足にしがみついてしゃくり声をあげていた。ベニートは悲痛な面持ちでブリギッタの頭を撫でた。
「ブリギッタ、マルセーヌはね、ここよりずっと美しくて楽しい楽園に旅立ったのだよ。安心なさい、彼は元気にやってる」
「……でも、マルセーヌは私を置いていったわ! 私、葬式なんかしたくなかった。だって、葬式はマルセーヌが死んだって認めて、本当のお別れをしなくちゃいけないのよ! こんなの悲しすぎます!」
「ブリギッタ、聞きなさい」
ベニート伯はそっとしゃがみ込むと、ブリギッタを抱きしめた。
「葬式はね、大切な儀式なんだ。死んだものは戻ってこない。だから私達はお別れを言い合い、死者の存在を認め、彼らを黄泉へ見送らなければならない。葬式をしなければ、私達は死をうまく認められなくなる」
だから、弔いの心を忘れちゃいけないんだ。父の言葉。ブリギッタはそっと目を開けた。
父がいない今、レギタは一人で最期を迎えてしまう。人間ではない、しかし彼も生きとし生けるものの一つであった。尊敬するベニート伯、ブリギッタは今こそ自分が父の跡目を継ぐべき時と気づいた。
彼女はヒールの音を甲高く鳴らして、一歩踏み出すと胸に手を当てた。
「お待ちくださいまし!」
彼女の言葉に、レギタはそっと振り返った。ブリギッタは一つ深呼吸をすると声高に言い放った。
「ベニート伯は戻りません。しかし、この私も葬儀屋を務められます! どうか、貴方の最期を私に託してくださいませんか!?」
ブリギッタの宣言に、シャルルとレギタは共に目を丸くした。シャルルはブリギッタに駆け寄ると、彼女の肩をゆすった。
「レディ、本気ですか! 貴方様が葬儀屋など」
「なに、シャルル? 私では力不足だというの? これでも五大貴族の一人、舐めないでもらえるかしら」
ブリギッタはふんと鼻を鳴らした。そのとき、ふと体全体に影がかかった。ブリギッタが振り向いてみると、レギタがすぐ目の前に迫って鼻息を荒くしていた。
「誠か、ブリギッタ嬢! 本当に、吾輩の葬儀を開いてくれるのか?」
「ええ、我が家総出で協力させてもらうわ! といっても、私とシャルルだけですけどね」
そう言ってブリギッタが笑うと、レギタは「ありがとう」と瞳から一粒の涙を流した。 彼はそのまま鱗が剥がれた両足で涙を拭うと、閃いたかのように手を叩いた。
「あ、そうだ。報酬のことなんだがな」
レギタは右足で剥離寸前の鱗をはがすと、ブリギッタに満面の笑みで見せた。
「吾輩の鱗を全てやろう。高く値がつくぞ! わっははは!」
さすがに現金じゃないですわよね……。ブリギッタは魔物らしい取引条件に苦笑いしたのだった。




