第2話 令嬢ブリギッタと深緑の龍
「これが、ドルヴァンネの離れ……」
隠し持ってきた蝋燭とマッチで闇夜を照らすと、そこにはベニートが接近すら許さなかったドルヴァンネ家の離れがよく見えた。既に人里離れた森の中にある屋敷であったが、離れはそれよりも奥の森に建てられていた。
ドルヴァンネ家は家財の色調に紫、黒、紺を使っているが、朽ち始めている離れにとってはその薄気味悪さに拍車をかけていた。ブリギッタは息を呑んで、真鍮の鍵を立派な焦茶色の扉に差した。
鍵が一回りして、ドアが耳を劈くような音を出しながら開いた。そっと踏み込めば、月光に照らされて埃が舞う。中は成金商人でも持ち合わせていそうな、民家よりはまあ広い程度の内装であった。しかし、暫く使われていなかったためか、ダイニングホールの椅子に手をかければ手が灰色となった。
そのまま厨房、客間、バスルームを見回って、とうとう階段へと足をかけた。木造のそれは一歩踏み出すたびに、ブリギッタの体重であっても音が鳴った。そうして登りきった先には扉がいくつか並んでおり、一つずつ近い場所から開けていった。
子供部屋に、寝室、物置き。あっという間に突き当たりの扉となった。恐る恐る開け放つと、そこは広いバルコニーを赤いカーテンで隠し、数々の古本が敷き詰められた書斎であった。真ん中には百合やカーネーションの模様が刻まれた白いデスクが目立つように置かれていた。
「何よ、お父様。どこが秘密だったっていいますの?」
ブリギッタは独り言を呟きながら、古本を手に取った。『世界各国の葬儀方法』。ほう、父は葬式に興味があったのか。ブリギッタは本を戻し、他のも見て回った。しかし、どの表紙を見ても、「火葬」、「鳥葬」、「弔いの言葉」など葬儀に関したことばかりであった。
「どれもこれも葬式、葬式、葬式。悪趣味ですわ……っきゃぁ!」
その時、古本の隙間から巨大な蜘蛛が這いずり出てきた。ブリギッタは誤って落としてしまい、悲鳴をあげた。しかし、「ドルヴァンネ家当主がこんなことで怯えては」と気を取り直し、本を拾おうとした。その時、ふと天井が目に入った。
いや、天井というよりバルコニーに向かい合った壁の天井付近だ。立ち上がって、見上げると、そこには造花で彩られた白い横長の看板がかけられていた。
『葬儀屋ドルヴァンネへようこそ!』
一体、どういうことだ。我がドルヴァンネが葬儀屋だと? ブリギッタは本を抱えたまま、眉を顰めた。その時だった。
「っ、何の音?」
突如、バルコニーに通じるガラスの扉から獣の唸り声が聞こえた。犬でも猫でもない。形容し難い様々な猛獣達の咆哮が混じり合わせた声。
ブリギッタは本をデスクに置いて、バルコニーに飛び出た。そして目を見開いた。
「あれは、ドラゴン!?」
子供の頃、父から魔物の資料を見せてもらったことがある。数多の魔物が描かれたそこには大目玉のように、「翼竜種 ドラゴン」と銘打たれて一匹の怪物について記されていた。鋭い鉤爪に、宝石のような煌めく鱗、蝙蝠のような翼に、蜥蜴のような顔立ちと巨大な二つの角。
いままさに離れのバルコニーの上空をそのドラゴンが空中旋回していた。ブリギッタが悲鳴を上げると、ドラゴンは彼女に狙いを定め、そのままバルコニーへと降下してきた。
「あ、あわわわわ! こっち来るぅ!」
月光に照らされて深緑色に輝くドラゴンは加減をしてバルコニーにそっと降り立つと、鼻先から煙を出して、ブリギッタに向かって一吠えした。生暖かい吐息と唾液が顔にかかり、ブリギッタはえづいた。
「こ、殺されるっ!」
「ブリギッタ様っ!」
その瞬間、すぐ横から剣を抜いたシャルルが飛び出してきて、ブリギッタを庇った。ブリギッタは「シャルル!」と目に涙を浮かべた。
「ブリギッタ様、お怪我はございませんか!?」
「ええ、私はなんとも」
「心配しましたよ。離れに向かっていく姿がお見えになったので、もしかしてと後を付けて来てよかったです。ふぅ、己、ドラゴンよ、よくも我が主君を牙にかけようと……」
シャルルは憎たらしくドラゴンを睨め付けると、突きの姿勢を取った。しかし、ドラゴンの方は首を傾げて、琥珀色の瞳をパチクリさせると鉤爪で頭をボリボリと掻いた。
「牙? いや吾輩はただベニート伯爵に用事があって……」
驚いたことにドラゴンが突然、流暢に話し始めた。呆気に取られたシャルルに対し、ブリギッタは彼の剣をそっと下ろすと、ドラゴンを見つめた。
「嘘っ、人語を話した!? ていうかお父様に用事ですって?」
「なんと、君はベニート伯の娘だったのか。ならば丁度よい、お父上を呼んできてくれないか?」
ドラゴンがウキウキしたように頼むと、ブリギッタは「それは……」と口ごもった。そこでシャルルは剣を収めると、代わりに答えた。
「旦那様は数ヶ月前に急死された。当主に用とあらば、こちらにいらっしゃるドルヴァンネ家現当主、ブリギッタ様に申せ」
シャルルの言葉に、ドラゴンは眉を顰め、「そうか」とどこか落胆したような表情を浮かべた。二人と一匹は途端に気まずくなったが、ブリギッタがパンと一つ手を叩いた。
「ま、ドラゴンさん、お茶でも飲んでゆっくり話しませんか? あ、お砂糖はいくつ入れるかしら?」
ブリギッタがニコニコと尋ねると、ドラゴンはそろそろと己の三本指全てを上げたのだった。




