後書き【先生のアノニマ(中)〜本編後のご挨拶】
答え合わせの中巻、いかがでしたでしょうか? 上巻の後書きではネタバレを気にしてろくすっぽ書けなかった事がようやく書けるな、って事で、まずは【アノニマ】について。今作でのそれは、世界に名を馳せる【フランス外人部隊】の【匿名制度】を意味するものだった訳です。その世界にお詳しい方でしたら、すぐにピンと来られた事と思います。今作のタイトルにもなっていますが、個人的にはとても気に入っています。何となく可愛らしくも怪しいような響きの、本当の意味するところは、後ろ暗くも問答無用の暴力を携える苛烈な軍隊の、ぶっちゃけ傭兵を守る制度を指すものだったのです(フランス外人部隊は傭兵のイメージが根強くありますが、立派な正規軍であって傭兵ではありません。だから「ぶっちゃけ傭兵」という言い方)。つまり今作のタイトルは、先生の事を示している。本編では仮名と二人主人公の扱いの先生ですが、話の本筋はそんな理由でやはり先生をベースに書いているような気がします。ただこのタイトル、某投稿サイトのAI判定は芳しからずで、ほぼ注目を集めないこのシリーズは、そんなところも影響しているのか? と思ったり。それでも、「俺ぁこれが気に入ってるんでぇい!」って感じで、タイトルは【先生のアノニマ】を貫いております。私はいいと思うんですがねぇ。
さて、この匿名制度ですが、既に少し書いております通り、フランス外人部隊では隊員を守るための制度という事で未だ採用されています。以前は犯罪者の隠れ蓑として悪用されたりもしたようですが、流石に今は審査が厳しくなっているようで、そんな事はないとか何とか。かくいう先生は、高校を中退してそこへ飛び込む訳で、それだけでも相当無茶な設定なのに、入隊後間もなくそのポテンシャルを開花させ山岳特殊部隊に入り、更にフランスの特殊部隊の中でも最強説がチラつく、落下傘特殊部隊に転属するという凄いヤツでして。これはもう、フィクションだからあれもこれも取ってつけて盛ったと言われても仕方ないと思っています。そればかりか、先生はそこでも大活躍して司令部付の仕事人になり、更にその実績を背景に母国日本の警察で特殊部隊指導員になり、果てはマル暴デカにまで。こんなヤツ、ちょっと他の物語では見た事もなければ聞いた事もない。ましてや実際にいる訳もなく(いたら教えてください。見てみたいので)。そんなヤツが普段はボンヤリしているなどと、本編でも少し書きましたがこれは殆ど何かの仙人としか思えない。そう、仙人がその目に入る世の中の悪をつまんでは懲らしめる。先生はそんなイメージなのです。が、それだけではない。彼は所謂親ガチャに大ハズレした負け組で、不遇の青少年期を送る典型的な負け犬です。世の無理解・無配慮に苦しんだ挙句、成人前に天涯孤独になるという中々辛い前半生を送る訳ですが、本当の負け組・負け犬と呼ばれる人達と唯一違うところがあって、それが決定的な差でもある。自分で立ち上がり、もがいたという事です。若さゆえの無謀でも何でも、ジタバタ格好悪くても彼は自立した。外人部隊のアノニマは、そんな彼に対するご褒美だった訳です。生まれ変わった彼が「仙人」の域に達した事は、世の中に因果を突きつけるようなものでもあります。世の歪みが先生のような化け物(作中では新選組の沖田総司に例えていますが、沖田ファンの皆様ゴメンなさい! とりあえず謝っときます!)を作り出した、とも解釈出来る。彼の存在は、現に存在する私を含め、負け犬達に対するエールでもあります。いじけずジタバタもがけ、という激励的存在。それが先生で、そのアノニマだった訳でして。立てぇ! 立つんだジ◯ー! 権利の上で寝ていても保護してもらえないぞ! とは、本編にも出て参りました法諺、法のことわざです。意思を表明しない者、それを行使しない者は助けない。例えそれが、基本的人権で認められた根本的な生存権を守るためであったとしても、自分のために何らかの利益を獲得したいなら勇気をもって声を上げろ、という事ですね。君臨すれども統治せずという言葉がありますが、法も同じです。法治国家では一番エラい存在として君臨している法ですが、統治はしていない。統めているのは人間だからです。だから法は自ら歩みよる事はなく、そのアクションは利益を得ようとする側に委ねられている。作中での先生は、そこを疑問に思う変わり者だった訳ですが、とりあえず現状はどうにもならないので負け犬諸君! 小さな声でも、僅かな一歩でも、何でもいいからポジティブにアクションを仕掛けろ!──とは、私からの細やかな激励でした。因みにフランス外人部隊、今は同国陸軍の正規軍でして、先生のように入隊する日本人は極少ないようです。その過酷さは有名でして、平和ボケした日本人には向きません。もし、この作品を読んで興味を抱かれたそこなアナタ! 入隊するなら相当気合入れ直した方がいいですよ!
先生の事で盛り上がっていますが、二人主人公のお話の事なら、少しは仮名の事も書いておかないと、という事で一方仮名。これも先生同様、やはり世の無理解・無配慮が生み出した化け物染みたハイスペック女子です。が、先生と少し異なるのは、特に他人の嫉妬に苦しめられる前半生を送るという事。──嫉妬、嫌ですね。他人に対する悪意の中でも屈指の、醜い感情の一つ。大抵それを口にするヤツは、当の本人に直接それをぶつける事なく、陰でジメジメと負の感情をネチネチ振りまいている。狡猾にして陰険なヤリ口はおぞましさしかなく、単純な私からすれば卑怯卑劣以外の何物でもない。「言いたい事があるンなら、メンチ切ってかかってこんかい!」と言いたいところですが、世の中匿名のどーしょーもない嫉妬で溢れてる。そう、悪意あるSNSが氾濫する現代の、傷つける感情の源泉は嫉妬なんでしょうね。何かが自分より優れた他人を認めず、満たされない自分を他人を傷つける事で収めようとする、その暗さ。最早救い難いと思うのは私だけでしょうか? 閻魔様のシャクで性根を叩き直してもらいたいものです。が、閻魔様もきっとお忙しいでしょうね。あの世に行った人間の、余りにろくでもない者の多さに、流石の閻魔様も閉口しておられる事と思います。ここ二〇〇年ぐらいで人類の人口一気に増えましたしね。それだけおかしなヤツも増えている。自由が氾濫する現代は身勝手な者で溢れていて、そこから派生する自分に向けられた悪意に腹を立てた仮名は、若くして法曹となる訳です。上巻の後書きの疑問その二「何故作中で法律用語がチラつくのか」と、疑問その三「何故横書きなのに、数字の表記が漢数字なのか」 の答えは、仮名が弁護士で、先生が元警察官だからって事でした。法律文書は伝統的に原則縦書きでして、その場合数字の表記は漢字になるそうです。ああ、やっと答えが言えてホッとしております。中巻を完成させないと言えなかったので。でも、疑問その三の答えはあくまでも伝統的な原則論。実は今の法律文書の多くは横書きでして、その数字表記は普通のアラビア数字なんですよ。結論、疑問その三の含みは誰も分かんなかっただろーなぁ。以上、答え合わせでした。
前書きでも少し書きましたが、仮名と先生の存在は「この世の写し絵」です。だから良くも悪くもこの世は、そんな二人を作り出した一定の責任がある、と言いたい。じゃあこの世ってナニ? 万物渦巻く世界で、一個人が接するその大部分は社会にして人間な訳ですから、そういう事なんじゃないか。要するに、自分以外の他人。その集合体が社会。おかしなヤツが増えているという事は、それを産出する社会の責任で、大なり小なり個人個人にあると言える。人ごとではない、という事です。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンという言葉がありますが、まさにこれ。その言葉がよく使われるスポーツとして、ラグビーがあります。今のラグビーはオールラウンダー型のメンバー構成になっている? んですよね? 確か。私、ラグビー詳しくないので、スミマセン。でも以前のラグビーは、一五のポジションを担うメンバーそれぞれに明確な個性があって、みんな長所短所が違っても、それを伸ばし補いつつ、一つの目標に向かって泥まみれになって戦っていた。そんな古き良きラグビーの精神こそ、今の社会に必要なんじゃないか、と思う訳です。みんな違って、みんないいってヤツですよ。でもラグビーのそれは、スクール◯ォーズじゃありませんが、何と言ってもあの熱さですよね(スクー◯ウォーズは、ちょっとやり過ぎ感もありますが)。要するに、パッションですよ。現代のスカシタ感じより、私はいいと思います。一個の人間形成や社会性の構築に、ラグビーの熱量は大きな役割を果たすと思うんですよ。あのストイックさが。ス◯ールウォーズみたいに。ゴチャゴチャ言わずにとりあえずみんなでボール追っかけて何かを共有すりゃあ、何かがポジティブに動き出しそうじゃないですか。そういうのが、今の日本には、社会には足りないような気がしてならない。サービスやおもてなしの精神が褒められる日本ですが、それはあくまでも商取引におけるもので、接客のノウハウはあってもボランティア精神は低く、他人に冷たくドライな国民性が海外の識者に指摘される日本の足りないところは、その辺なんではないかと思う訳です。しかし、何で急にラグビー? と思われたそこなアナタ! チッチッチ。先生が隊歴を有するフランス外人部隊には、ラグビーチームに置き換えられてもいいような部隊規範があって、実際にラグビー強国であるフランス代表チームが、外人部隊の駐屯地で合宿した事があったりするんですよ。意外な縁がある(だからどうしたって言わないでくださいね)。そんな具合で、外人部隊のストイックさはフランス国民の知るところで、その実力を認められた存在という事なんですね。まぁ国民全員が全員って事はないんでしょうから、良くも悪くもって事で。しかし先生のヤツ、よく入隊したなホント。
で、そのフランスって国。外人部隊やラグビー代表チームはストイックの一言ですが、大多数の国民は個人尊重型でご都合主義です。悪く言えば陽気で、お気楽にしてお軽いようにしか見えません。よく言われるラテン系気質(フランスの方、すぃまっしぇん! この後褒めますんで!)。が、ここで忘れてはならないのは、そんな彼らの先祖はフランス革命を起こし、支配者から自由を獲得したという事実。今を生きるその子孫達が住まう国は、未だ自由や権利に妥協のない風潮で、それを何とか抑えようとする強権国家の片鱗は、コロナの時にもチラつきました。要するに、国家も国民も生きる事に本気で、白黒つけるまで徹底的にやる。国も強けりゃ国民も強い。そんな国の外人部隊は、国家や隊に対する絶対的忠誠と、戦友との血の絆、任務に対する誇りと厳しさを徹底的に叩き込む組織な訳で、そこで精鋭となった先生からすりゃあ、そりゃあ大多数の日本人なんて幼稚に見えて当たり前ですわね。
と、いう事で、また日本の話。帰国後の警察官時代、日本のよそよそしさに疑問を抱いた先生ですが、良く言えば優れた共存型社会のそれは、悪い捉え方をすれば一方的な同調圧力とも言える。古より今に至るまで日本はそれを脱却出来ず、自我を確立出来ていない日本人の、何と多い事か(by「◯コちゃんに叱られる!」より)。ぬるま湯的な風潮は、事を荒らげず何とか丸く収めようとする平和主義的賢明さにも見えますが、その悪弊とも言える歴史が日本には近代に二回もある。幕末と、その後に続く昭和の終戦までの歴史です。二五〇年の太平の世に溺れ、押し寄せる外国船に右往左往するばかりの幕府に対し、大多数の民はまるで知識をもたず任せ切り。一部の倒幕勢力の下級武士によって成し遂げられた維新が築いた世は、西洋列強に飲み込まれないがための帝国主義で、滅亡寸前まで戦い続けた愚かな政府を前に、やはり国民は殆ど声を上げずのご都合主義。今のフランス人のご都合主義を日本人に笑う資格はないその理由は、江戸以降の日本人って、決定的に喧嘩し慣れてないんです。戦国時代の戦乱の反動なんでしょうが、江戸の鎖国は平和と引き換えに危機感を奪ってしまった。重大事は全て役人任せで、自分達で考え行動する知恵をもたない大多数の民は、何かを獲得するための立ち上がり方を知らない。要するに国家の言いなりのままで、喧嘩慣れしていない牙を抜かれたままの日本人(元々牙ないか?)は、高度経済成長を経て、更に自堕落でいい加減で曖昧な社会を築く。ここでまたコロナの例を挙げると、日本のコロナは迷走コロナでした。医療介護現場の憔悴が際立つ一方で、国の施策は迷走。国民はそんな国に任せ切りで従順で、白黒つけていないから恐らく似た様な事を先の将来でも繰り返す事になる。日本特有のツケを未来に押しつけるやり口です。「あれは未曾有の危機で、誰がやってもどーしょーにもなかった」と言えば許される、とみんな思っている。それを含めて担うのが国家であって、そんな国家を主権者たる国民は、常に注意をもって見張っていないといけないのに投げっぱなし。不都合な現実をうやむやにしてごまかす社会に甘え、足を引っ張る幼稚なバカモノが蔓延し、先生はそんな親をもち、その犠牲になった。彼は幼いなりに声を上げたのに、身近な大人達はそれを拾い上げてはくれなかった。子供心に社会の欠陥を突きつけられた先生は絶望し、それでもしぶとく天涯孤独になるまで生き延びる。その後成長した彼は、法治国家なのに法の教化を受けていない日本人の多さに呆れ、積極的に国民にそれを教えようとしない国家に疑問を抱く。国家は法を国民に対する言質としてしか捉えず、その教養を備えつけようとしない国家の不誠実さの裏側で、大多数の国民はその現実すら知らず、それを言及するどころか、まさに知らぬが仏の如く無自覚にも日常的に無法を働き、一部の弱者がその犠牲になり続けている──。
何か延々、勝手に本編を読んだ後の読書感想文を書いているのか俺? 子供の頃は作文苦手だったんですが、今なら少しはマシなモン書けるのか?──と、それはよいとして、何が言いたいのかというと、日本人とその社会は、世界で褒めそやされるようなものでは決してなく、いい加減で冷たくて幼稚ですよって事です。まさか安直に自惚れてんじゃねぇだろーなそこなアナタ! 自惚れてるかも知れませんね、多くの日本人は。めでたいから。テレビがバラエティーや食べ物番組で溢れているように。その利益を当たり前のように享受しているくせに、その利益の源泉たる世界の窮状には知らん顔。他者に厳しく自分に甘く、そんな人々に溢れる日本は未だ極東の島国の頑固さです。観光客で賑わう日本ですから、確かに平和で治安は良くとも、そんな事を何となく感じる旅人は多いと思う。いざ、世界を揺るがす何かが起きたら、殆どの事を金でしか解決できない貿易立国日本はたちまち立ち行かなくなる。中身カラッポなんです、今の日本。経済大国だけど借金大国でもある。危機感が叫ばれる世の中ですが、国は本気じゃない。だっていつまで経っても社会構造変わっていかないもの。問題先送り型で、平和ボケしている国民もそれに同調してて。そんな曖昧さは日本のいいところでもあり、致命的な欠点でもある。平時ならそれでよくとも、有事にその欠点を残したままでは日本は危ない。災害、疫病、恐慌、戦争、あとなんだ? スクラップアンドビルドじゃないですが、受難と復興を繰り返して現在の平和と繁栄を築き上げた日本。でもその陰で、大なり小なりどん底に突き落とされた人々が絶対いる。その事実を前に、多くの日本人は見て見ぬ振りをしていて、だから国もその場しのぎの事しかやらない。これってつまり、今後似た様な事が起きても、またその犠牲を踏み台にするって事じゃないのか? 今後何が起きようとも、その都度復興が可能で約束されていると思っちゃいないか? いつか取り返しのつかない事になるとは思わないのか日本にして日本人!?──と、そんな日本で生きる大多数の日本人より、遥かに世界を知っている仮名と先生は、そんな平和ボケした日本に辟易していて、だからこそ自分に厳しく他者に熱い。だからこそ、言わなくてもいい事をつい口にして、しなくてもいい事をついやっては理解されず、民主主義的な数の暴力で制裁を受けてしまう。二人の悩みは深く、尽きない訳です。そんなところが本編で上手く書けていればと思う訳ですが、どうだかな。だから今、こんなところで書いていたりしています(これって反則技?)。とはいえ、これを書いてる私も、ここまで書いたザ・日本人な訳です。平和と繁栄の恩恵を受けつつ、ぬくぬくと小説書いてるんですから。それでも問題意識だけは常にもっています。それで何かが許されるとは思っていませんが、そうした意識は少しずつ何かを変えていく、のではないか。その変わり続けた先に何があるのか。凡人の私には分かり兼ねますが、その源泉が意識づけだったとするならば、その有無は後に凄まじい差となって表れる訳です。仮名や先生は、果たしてそんな道のりの遥か先にいるのか。それとも全く違うアプローチで、全く違う所にいるのか。私は作者ながら、そんな事も分かりません。既に到底敵わないので。
そんなこんなですが、私は作者として仮名と先生を応援せずにはいられない訳で、二人の物語は最後の下巻に続きます。まだまだありますよぉ、波乱が。と言ってしまうと、いい加減二人にどやされそうなモンですが、それでもそこはこの世の物語ですから、二人の人生も簡単には落ち着くモンじゃありません。ただでも波乱多き先生にして、仮名の人生なので。という事で、中巻の後書きは、まとまりなくもこの辺でお開きにしようと思います。下巻の投稿はいつ頃になるモンでしょう? またしても気長にお待ちいただく事になるか? も? 知れません。すぃまっしぇん!
それではまた、下巻でお会いしましょう。
二〇二六(令和八)年五月 まと一石




