7くち 8
「昼寝、気持ち良かった?」
「んー……うん」
「あっそ」
納豆オムレツで気持ち悪くなった口内を水で誤魔化して、斜め上の天井を見ながらバートは言った。
けれど実際、バートは天井を見ていなかった。マシューから視線を逸らしただけで、どこも見てはいなかった。
まっすぐに目を見て笑えば、嘘だと見抜かれてしまいそうな気がして。
その向かいのマシューはバートが嘘を吐いていると見抜きながらも、なにも追及はしなかった。
胸襟を広げた明け透けなバートの下手な隠し事より、自分の方がよっぽど人に話せないことが多い。
話したくないことを追求されたくない気持ちは人一倍分かる。バートの方が身長は高いけれど、こういうことではマシューの方が頭一つ分突き抜けている。
今の立場が逆だったなら、バートはきっと「話してくれなきゃ分からない」と言って追及するのだろう。分かってほしくないことなのに。
「でも、夜に眠れなくなるし、俺が迷惑するから、昼寝は三十分が限度な。時計をセットしろ。それが出来ないなら寝るな」
「分かった」
「バート」
「うん?」
「銭湯は明日行きな」
「でも、マシューも今日はまだ行っていないだろ?明日も学校だ」
「明日は学校を休むから、朝一番に銭湯に行ったら、そのまま出掛けよう」
「本当か?だけど、部活も委員会もあるだろ?」
「なあ、学校よりも家族を優先してやっているんだから、"でも"とか"だけど"が無粋だって分からないかな。さっきみたいに"うん"とか"分かった"って言えば良い話だろ?」
「…うん、分かった」
「ほやろ?言っておくけどまだまだちゃんと反省しろよ。今夜一晩きっちり反省したら出掛けるからな。さあ、この話はもうおしまい。蒸し返しはなしだ」
「……ああ」
視線を逸らして口元だけに湛えていた笑みよりも、視線を合わせて顔面一杯に湛える笑顔の方が、マシューはずっとマシだと思った。
どんなに嫌な相手のものだとしても。
「俺、やっぱり納豆嫌いだぁ。くさい」
「残すなよ」
「あい」
こうして今日も夜が更ける。
新しい一日が古くなってゆく。
昨日にとって未来の今日が、明日には過去になってゆく。
…
デジタル時計が深夜の二時を表示する。
茣蓙の上に敷いた布団と毛布の間に挟まって、静かに眠るマシューを見て、バートは微笑んだ。
グラスに揺れるぬるめの白湯を、少しずつ喉に流し込み、一息ついて、真っ暗な九畳一間を見る。
これがマシューの居場所。
マシューが今を生きる国。
毎日彼を育む住居。
家族が自分で選んだ道。
「あったかい」
宙で漂う湯気と、外で鳴く鈴虫の音色に、自分を育んだ国とは違う風情に耽って、バートは聞こえるはずもないチャプチャプと言う水音を聞いていた。
そうして最後に、自分を叩き起こしたマシューの顔を思い出す。
闇と海中から引きずり出してくれた弟の、憤怒の形相を。
怖く思うよりも、それがとても嬉しかった。
「明日が楽しみだな、マシュー」
アメリカの動力飛行機の発明家、パイロットである、ライト兄弟(ウィルバー・ライト、オーヴィル・ライト)曰く、「ウィルと私は夢中になれるものがあったので、朝が待ち遠しくて仕方がなかった。それが幸せというものさ」