7くち 6
舞台の最中に投げ入れられ、バートにぶつかったクマのぬいぐるみだった。投げ入れられたものは胸元で抱えるくらいが調度良い小さなものであったが、今そこにいるのは、ちょうどバートの胴体ほどもある巨大なものだった。
そのぬいぐるみが、海中からバートの足を掴んで引きずり込もうとしていた。大きくて丸いクリスタルアイと視線が合わさる。
口から一気に酸素が抜けて、それらは泡になってバートの手をすり抜けてゆく。
意味が無いというのに、それらを掴もうと必死だった。藁にも縋る想いだった。泡にも縋る想いだった。
海面を見上げるが、もうそこに星空は無い。海面があるのかすら分からなかった。
ただ、天井の見えない闇が広がっているばかりで、バートは次第にもがくのを辞めた。
最後の酸素が口から抜けて、意識は途絶えた。
…
マシューが家に着いたのは、既に二十時を回った頃だった。
廊下を抜けて、九畳一間の生活スペースに出たマシューが目にしたのは、窓際で倒れている兄の姿だった。
「バート!」
最悪の事態が頭を過ぎり、荷物を放って駆け寄る。
うつ伏せになっているバートの体を、慎重に仰向けに返すと、その胸に耳を押し当てる。
気が気ではなかった。バートの疾患であるJ'sは、稀に突然死することもあり得る厄介なものだから。
倒れている姿を見た時は、マシュー自身がショックで突然死しそうな気すらした。
しかし、バートの心臓は動いていた。問題なく、不規則ですらなく、正常に鼓動している。
よくよく聞いてみると、静かな寝息も聞こえたし、胸部も上下していた。
生きている。死んでいない。
安堵のあまり、しばらくバートの腹部に頭の重みを預けた。
「…?………?」
事態が飲み込めずに、戸惑いと焦りを隠せないマシューだが、次第に、寝汗をかいているバートの顔を彼の腹部から見上げると、
「紛らわしいことしやがって…!」
怒りが込み上げてきて、バートの頭を引っ叩いた。
「あ゛?」
引っ叩かれた頭を抑えて、寝汗で張り付いた前髪を横に流してバートが起きる。
「あ゛?じゃねぇんだよ!俺、今日は遅くなるから、先に銭湯に寄って夕食の準備をしておけって言ったよな!」
「ずぇ…、い、今何時?」
「二十時」
「い、今作るっ」
「もういい。今夜はお前の飯なんて食いたくない。俺が作る」
「え、でも…」
「洗濯物でも畳んでいろ!いつまで外に出しているつもりだ!」
「分かった!今やる!すぐやる!」
慌てたように乱れた髪のまま起き上がり、バートは窓を開けた。
ピンチハンガーを物干し竿から外したバートが夜空を見上げた瞬間、顔を強張らせたのがマシューには不審に見えたが、そんなことよりも怒りが勝り、ふんと鼻を鳴らしてキッチンに向かった。