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懊悩の淵  作者: 粘土
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恋・憧憬

云うまでも無い事ですが、

 異性に憧れる事を恋と云う。其れは正に憧憬である。少年少女は必ず其れを体験する。只、其れは遺伝子に因るものであるのか、或いは、心の内で想うのかは断言出来ない。生理学的に云うと、女子は、男の汗の匂いに因って生理の周期を正すと云う。詰まり、ホルモンバランスである。然し、男子は勢いに任せて迸る“汁”を拭うだけだ。実に詰まらない。徳川以前は近親相姦が当たり前だった。兄と妹。姉と弟。然し、其れが絶えたのは云うまでも無く、不都合な理由が有ったからだ。其れ以降、同性との遣り取りが当たり前になった。其れは明治まで続き、昭和の始め頃まで正式に認知されていた。其れからは暫く途絶えたが、昨今、又、認められる様になった。事実、其の事柄に対する裁判などが有る。他国、筆頭はオランダであろうが、同性婚が認められている。流石に近親婚は認められてはいないが、実際を見ると、かなり低い確率ではあるが、其れと同じ様な出来事は存在する。生殖機能が正常であるならば、其れも個人の確定的な権利と云えよう。“不都合は”親が負えば好い。其れなら何らの問題も無い。即ち、恋とは、自己の確立と共に、他者との関係の絶対的な確立であると云えるのだ。否定的な意見が横行するのは、そもそもの憧憬を理解しようとしないからなのである。「子の為に」と云うのは嘘だ。畢竟、社会に於いての問題点を生理学的に主張し、かつ、敢えて難しく諭す事で自分達の利益にそぐわぬ様にと願っているのだ。ならば、上等な紙入れを持った者なら何うか。考えるまでも無く、誰も文句を云わぬ。其れ以前に凡てを覆い隠す事が出来るだろう。そんな主題の映画も有った。もう、三十年以上も前の話だが。然し、其の示す処は、自由意志に反して生きなければならない社会と云うものに、著しい疑問を投げ掛ける物なのだ。従って、歴史を鑑み、個の意思を蔑ろにする事無く、世の中と云うモンスターを相手にするのは間違いではないのだ。少なくとも、恋、憧憬とは他人にとやかく言われる可きものでは無いのだ。男十五に、女十三。其れは此の国で至って普通の考え方であったのだから。其れに、アジアでは今でも普通と考えられている。其処に憧憬など無くとも。近親相姦、小児のまぐわり、ホモセクシュアル、レズビアン、或いは、バイセクシュアル。大いに結構。此の国でも、そんな話題を大々的にメディアがネタにしていたのだ。又、売っていたのだ。何も知らない、考えない庶民に。其れも、子供達に。ならば、平気だろう。此の星が悲鳴を上げ始めたのに、其れを意に介さないのなら、何でも自由だ。そうだろう? 誰かを傷付ける訳では無い。只々、幸せを求めて其処に至ったのなら、其れ以上物を云う可きではないのだ。そう、傷付ける事さえ無ければ、人は自由に憧憬へ浸れば好い。恋に身を躍らせれば好いのだ。デジタルの様に、ゼロか一かで決めなくとも好いのだ。縦横無尽に駆け巡る想いをこそ、大切にす可きなのだ。心の快楽に歯止めを掛けようとは、何とも傲慢で、高慢で、無益な事だ。

 皆々様よ。自由を得給え。迷惑で無い考えや行為は否定されてはならない。其れは絶対だ。何なら例を挙げるが、以前書いた通り、女性が魚の白子を旨い旨いと云っているのが論の証拠だ。其れだけ云えば解るだろう? 何、判らない? では、考え給え。


同性でも子供でも、交わる事に変わりは有りません。

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