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懊悩の淵  作者: 粘土
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みみっちい夢

 クソガキの頃、幾らかの夢を見た。何時か僕は何かを、好い意味でしでかし、世の中の連中の視線を求めず、求められるなんて、勝手な夢だ。

 何時からか、僕は絵の巧い奴だと思われる様になった。最初は地方銀行に飾られた。其れが何時の間にかか、教室を飾る絵に成った。僕の知らぬ間に。授業が余りに詰まらないから、手作りの物差しを作った。其の裏に絵を描いた。其れを友人に渡すと、やはり評判通りの評価を得た。そんな事が嬉しかったのだ。然し、勉強をしない僕は下らない四年生高校へ行く事になった。今思えば哀しい事に、其処にも美術と云う科目が有った。其処でも僕は沢山の評価を得た。其の頃には最早鼻に付くだけの称賛だったのだが。兎にも角にも、そんな人間を気取らざるを得なかった。たとい、苦しくとも。

 一時は絵の仕事に就きたいと思っていた。けれども、其れはそんなに甘い話じゃない。美大や芸大を卒業して尚、仕事に有り付ける人は極僅かだ。デザインの仕事なら色々と有るが、絵と云う物、其の物を仕事にするには他の才能が要る。何しろ、“大きな声”で「之は芸術だ」と云って貰わないと不可ないからだ。芸術は何とかだと云った有名な芸術家の、所謂作品でさえ、理解出来ない。本人もきっと何が何だか解っていないだろう。大阪に建てたあの像の芸術性など、やはり大きな声に因るものだ。最近では只の石柱を建てただけで、評価されている輩も居る。絵にしても、同じ事。パブロのゲルニカ。あれの何処に芸術性が有ると云うのか。フィンセントのヒマワリにしてもそうだ。アルルで切磋琢磨したポールの方がずっと好い絵を描いていた。エドガーが居なければ成り立たなかったのだろうけれども。同じポールでも、セザンヌの方がもっと好い。然し、クロードや、オーギュストが居なければ、彼も又、凡庸なる絵描きだったろう。時代の前後は滅茶苦茶だが、自然とそう思う。畢竟キュビスムなど子供の絵の延長だ。感情を籠める事は大切だが、剥き出しにするのは好くない。シュールレアリズム大々的にしたサルバドール。彼のアートは本物だった。実際に素晴らしいと思った。印象派を好む僕にも能く理解出来た。然し、時代の流れは哀しいもので、勘違いした連中が今正に勢力を持っている。デザインにしても。

 僕はもう今の時勢に合っていない処をぐるぐると廻っている。其れは即ち、現代の絵の仕事には就きたくないと云う事を意味している。然し、描きたい。其の葛藤が何時終わるのか。全く、まるで解らないで居る。只、少なくとも、デッサンさえ出来ないプロは、決して認めない。描きたいだけの連中は排斥したい。そう思いながら、僕は何も描いていない。正に逆さに吊るされたフールだ。間抜けなのだ。

 僕は後何の位情熱を保っていられるだろう。


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