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懊悩の淵  作者: 粘土
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春の味わい

懊悩とか云ってますが、之はちょっと一休みです。

 もう大分長い事“人生のノーテン”を続けて居る。其れは恥ずかしい事だし、情けない事だ。然し、もうじき春がやって来る。植物が躍り出す季節だ。其の恩恵に賜って野草などを摘みに行こうかと思う。メインはやはりつくしだ。あれさえ有れば、めしの二杯や三杯はいける。下ごしらえが大変だが、其れさえ済ませば何の事は無い。ごま油で炒めて、触感が失われない内に溶き卵を投入する。後は簡単混ぜるだけ。卵が半熟に成れば出来上がりだ。好みによっては一味を少々。山椒さんしょうや七味はダメだ。折角のつくしの香りが失われてしまうから。若し、其処に味噌汁が有ったなら完璧だ。更に、漬物が有ったならもう其れは宮廷料理だと云える。他にも沢山の野草が有るだろうから、きちんと調べて摘んで来れば春の食卓はバラ色に成るだろう。惣菜なんぞ買う必要も無い。素晴らしい料理に脇役なんて要らない。御飯も味噌汁も、有れば漬物も、凡てがつくしの名脇役と成る。あの何とも云えないえぐみ。そして、鼻から抜けて行く香り。途轍とてつも無い至福、幸福。仮にではあるが、若し其処にフキノトウの天ぷらなんかが有ったなら、もう昇天しかねない。美味いと云うより天国だ。然し、何故他の人達はそんな絶品を味合わないのだろう。僕の住んでいる近くにつくしが山の様に生えているのに。偶に摘んでいる母娘を観るが、多分食べる為ではないのだろうと思う。近頃の成人は昔の料理に疎いから。僕は産まれた頃より、つくしを摘んでもいたし、食べてもいた。両親が田舎育ちだったからかも知れないが、喰える物は基本的に喰っていた。そして、美味い物だと思っていた。小学生にして、フキの煮付けが大好きだった。ふきとうも親父が山から摂って来るので天ぷらにしてよく食べた。小遣いの尽きた時には、河原へ行って、“すいば”を吸った。確か、“すかんぽ”と云うのだっけか。他にも、春には花が咲くので、其れを摘んで甘い蜜を吸った。今ではもう覚えて居ないが、三種類位、近くの公園に咲いていた。ついでに、其の花を目当てにやって来るハチの親分みたいのと戯れた。今の人生からは想像も出来ない生活である。やぁ、あの頃は何もかもが輝いていたなぁ、と、今更ながらに思う。きっと歳の所為せいだろう。其の頃はガキンチョで、今では禿げた頭のオッサンである。時の経つのは早い事早い事。然し、近所も、畑も、変わらず残っているので野草料理が作れる。と、考えて見ると、昔の人達は素敵な食卓を囲んで居たのだなぁと思う。現代では油尽くしの、ごまかしの惣菜ばかりだ。其れに引き換え、昔の人達は山へ分け入り、食事と成る物を採集していた。田んぼのあぜ道なんかにも幾らか食べられる物が有ったに違いない。……当時の昔に戻りたい。米なんぞかゆで上等。其処に取って来た野草をぶっこんだら、他に比ぶる物無き馳走に成っただろう。水戸の黄門様が百姓の家に泊まって粗食を褒めていた意味が好く解る。なので、今年もつくしを刈りに行こう。そして、祝福の飯を喰おう。君達も一度味わった方が好いと思う。何しろ、超有名天ぷら屋さんが、つくしを揚げているのだから。粗食とはいえ、絶品なのだ。お金に余裕の有る人は是非行くきだ。絶対に損はしないぜ?

読んで気に成った方は是非とも試してみて下さい。

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