22話 バルドゥク城にて
「開門!」
ごごごご、と地鳴りのような音を響かせながら巨大な鉄の門が開かれる。王都セデアニーアの最西端に聳え立つ城、バルドゥク城。晴れた空のもとでなら、さぞ壮観で美しい城であっただろう。だが、雨の降る曇り空の中では、ただただ不気味にしか見えない。見る者すべてを威圧しているようにすら感じられる。
「嫌な雲行きねえ」
動き出す馬車の中でマーサがぽつりと零す。天気のことではなく、これからのことを言っているのだろう。ライカも「はい」と静かに返した。
雨に濡れる庭園を通り、馬車がゆっくりと停止する。案内されたのは白い壁の塔。真ん中あたりの部分で城と繋がっている。同じような塔があと二つ、近くに建っていた。
国境からここまで案内をしてくれた特務部隊隊長のザハーノが塔の扉を開け、レヴァイアやライカ、マーサやエルたちが中に入ると、豪華な造りの玄関広間に一人の男がいた。
「ようこそお越し下さいました、ローディス国王陛下。私は宰相のハージン・クルツと申す者でございます。どうぞご滞在中はこの南東の塔をご自由にお使い下さいませ」
クルツと名乗った薄気味の悪い笑みを顔に張り付かせた初老の男は、深々と頭を垂れる。
「出迎え感謝する、クルツ殿」
レヴァイアが労いの言葉をかけると、クルツはもう一度頭を下げ「恐れ入ります」と言ってから塔の説明をし始めた。
「――南の塔にはヴィアン=オルガ国王陛下が、南西の塔にはリムストリア国王陛下がすでにお越しになられております」
リムストリアは、ヴィトニルを南下した先にある国だ。特徴は、国土の大半を占める山脈と砂漠、それに褐色の肌だ。あと、リムストリアだけが、ヴァラファール大陸に存在する四国の中で唯一、女性が君主の座に就いている。
「そうか」
「本日夕三の刻より、歓迎の宴の席をご用意いたしておりますので、お疲れとは存じますがご出席いただけましたなら幸いでございます」
「承知した」
「では、私はこれで失礼いたします。何かございましたら、塔の三階、廊下の先に控えております侍女に何なりとお申し付け下さいませ」
クルツは壁に沿って緩やかに曲線を描いている階段を上り、上階へと去って行った。上階の通路から城に戻るのだろう。といっても、ここも城の一部になるのだろうが。
「レヴァイア陛下、私も失礼致します」
扉の脇に控えていたザハーノが一歩前に出て、まっすぐレヴァイアを見据えた。
「ザハーノ殿、貴殿のおかげで道中快適であった。感謝する」
「もったいないお言葉、ありがたく頂戴致します」
ザハーノは踵を鳴らし姿勢よく一礼すると、雨の中に消えていった。
「雨は上がったようですね」
夜三の刻を過ぎて、ライカとエルは塔の外に出ていた。少し風が冷たいが震えるほどではない。空を見上げれば、ローディスでは近いと思えた月が、とても遠い場所にあるように見えた。
夕刻に開かれた宴は何事もなく終わり、今頃レヴァイアは塔の最上階の部屋で寝酒を嗜んでいる最中だろう。今日は話し相手がいないとマーサ相手にぼやいているかもしれない。
「見回リノ兵ガ多クイルナ」
隣でエルが眼を細めて鼻をひくつかせる。
「出歩くなと言われてはいませんから問題ないでしょう」
ライカとエルは並んで歩き出す。これから散歩を装い、城の周りを偵察するのだ。兵士に何か訊ねられてもエルといれば疑われるようなことにはならないだろう。何もなければそれでいい。怪しい場所があれば、そこを調べればいい。セアルグが何を企んでいるのか、その片鱗でも掴めればいいのだが。
戴冠式まであと三日。もうあまり猶予が残されているとは言えない。
「ライカ、焦レバ視野ガ狭クナルゾ」
長い刻を生きる地の民は常に真実を口にする。原初の森の奥深くではなく、人間のそばで暮らす変わり者のエルであってもそれは変わらない。だからこそ、世辞も誇張もない地の民の言葉には重みがある。すっ、と心に沁み込んでくる。
「ええ、そうですね」
水溜りを避けながら雨でぬかるんだ地面を進む。雨の匂いが残る空気とエルの言葉が、曇っていたライカの思考を晴らしてくれる。今なら理解できる。他人の言葉が自分の力になることを。『闇』では教えてくれなかった、言葉の力。
「馬小屋ニ誰カイル。兵士デハナイナ」
エルの声で塔の裏手にある厩舎を見れば、確かに明りが灯っている。
「馬番の方でしょうか」
「コノヨウナ遅イ刻ニ馬ノ世話ヲスルノカ?」
「ないとは言えないですが……行ってみましょうか」
ライカとエルは厩舎に足を向ける。「どうかされましたか」と訊いてくる見回りの兵士がいたが、ライカが「少し散歩に」と言う前にエルが唸って追い払ってしまった。本気で唸ってはいなかったのだが、地の民を初めて見た兵士にその違いが分かるはずもないだろう。
厩舎には男が一人おり、飼い葉が積み上げられた場所の前に屈んで、何かをぶつぶつ呟いていた。
「ここに五十、向こうに六十……俺って意外とこういう地味な作業向いてるかも」
「あの」
「うおっ!?」
後ろからライカが声をかけると、男は飛び上がって振り向いた。




