灼壊導師ローレライ=ヴェルイーナ
湖上都ミルフェリアの東端――霧が薄く漂う王都の外縁に、目的の建造物はそびえていた。
白い石で造られた巨大な円柱。湖から流れるすべての水を集め、濾過・再分配する装置――『中央濾過塔』だ。
「……ここが、そうか」
僕は塔の前で立ち止まり、見上げた。
青白い灯が壁を照らし、塔の頂は霧に溶けて見えない。
リアが横で、警戒するように目を細める。
「静かすぎますね。騎士たちの報告では、ここに異常反応があると……」
「けど、見た感じは何もないわねー。誰もいないし」
フレイアが腕を組み、あたりを見回す。
ギデオンはメイスの柄に手を添えたまま、低くつぶやいた。
「……気配が感じられん」
「……ええ」
フィオナは静かに頷き、湖面へ視線を向けた。
塔の根元を囲うように張り巡らされた水路には、青く輝く魔法陣が刻まれている。精霊力を増幅させる技術らしいけど……僕にはよくわからないな。
けれど、その輝きの一部が――わずかに濁っていた。
「……汚染がここまで……? でも、この程度の濁りなら、私の力だけでも」
フィオナが両手を組み、淡い光を生み出す。
水の精霊力が集い、穏やかに揺らめいた。
だが、次の瞬間。
「えっ……!? そんな……」
光が弾け、霧散した。
フィオナが一歩よろめき、ギデオンは慌てて支えた。
「大丈夫か!?」
「……はい。まさか、汚染が強くなっている……?」
僕は水の様子を見る……黒い汚染が、魔法陣の周りに浮かんでいる。
もしかして……外見はそのままだけど、汚染の力が強くなっている?
だとすれば、内部で何かが進行しているのだろうか。
ギデオンが低く言った。
「ユウト。内部を確認しよう。何かあるはずだ」
「了解。みんな、行こう」
僕たちは五人で塔の内部へと踏み込んだ。
◇◇◇◇◇◇
中は――異様に静かだった。
石造りの通路が円を描き、中心部には巨大な濾過装置が鎮座している。
透明な水がパイプを流れ、ゆるやかに循環していた。
見た目だけなら、何の異常もない。
けれど、僕は感じていた。
「……なんだろう、この違和感」
なんというか、外観に変化はないけど……空気というか、何か淀んでいるような気配。
僕は、施設内のパイプをチェックする。
だが、パイプを見ておかしなことに気付いた。
「これ、明らかに改造されてる……」
僕がパイプの接合部を見ていると、リアがメモを取りながら言った。
「確かに、そうですね……このパイプは、浄化水を送るだけのパイプのはずです。でも、妙な刻印が刻まれています……精霊力も、わずかに感じますね」
「ディスの実験……か」
ギデオンの言葉に、全員が沈黙した。
フィオナが唇をかむ。
彼女の瞳の奥には、恐怖と怒りが入り混じっていた。
「……あの男はもう、ここにはいないのかもしれません。ここですべきことは、終えたのかも……」
「撤退、ってこと?」
フレイアが肩をすくめる。
その声に、ギデオンが頷いた。
「恐らくな。一度しか会ったことはないが……ああいう男が、コソコソと逃げ回るような真似をするはずがない。自分たちが調査をしていることはとうに気付いているはずだ。姿を見せ、挑発するくらいはやるだろう」
「僕も同意見。もしかしたら……本当に、この国での実験は終わったのかも。『素体』って人間のことじゃない? もしかして……」
「……汚染物質、そのもの?」
リアが言い、僕もギデオンも顔を見合わせ頷いた。
フレイアは首を傾げていたが……たぶん、間違いない。
◇◇◇◇◇◇
その瞬間だった。
濾過塔の天井が、轟音とともに砕け散った。
◇◇◇◇◇◇
「ッ!!」
「え」
「えっ」
「伏せて!!」
「任せろ!!」
フィオナが驚き頭上を見上げ、僕とリアはただ驚きの声を上げ、フレイアが僕とリアを押し倒し、ギデオンが盾を構えフィオナを抱き寄せ、盾を頭上に構えたのが見えた。
感じたのは、焼けつくような『熱』だった。
「くっ……!!」
ギデオンが苦しそうに呻いたのが聞こえた。
炎の衝撃波に違いない。
空気が焼け、塔の半分が一瞬で崩壊した。
熱気の中、煙を割って――『それ』が現れた。
「……あっつ……なに、今の……」
フレイアが顔を上げた瞬間、僕も見た。
崩壊した天井の上、紅蓮の光を背に立つ一人の女。
「はぁぁぁ~い!! アハハハハハハハ!! 死んでない? 死んでないよねぇぇぇ~?」
腰まで届く深紅のロングヘア。
肌は白磁のように滑らかで、瞳は黄金に燃えていた。
衣は焦げたように破れ、背には十二本の斧と槌が浮かんでいる。
そのどれもが炎を纏い、唸りを上げていた。
「やっと暴れることできるわぁ~♪ ディスのクソ野郎……じらしてじらして、じらしまくっちゃって……もう我慢なんかできないしぃ!!」
その声は、狂気と悦びが混じった甘美な響きだった。
フレイアが、びくりと肩を震わせる。
「な、なに……? あんた、誰……」
「ああん? そうねぇ、名前は大事だもんねぇ? ――教えてあげる」
女は微笑み、髪を揺らした。
その瞬間、空気が焼ける。精霊力が爆ぜた。
「私は虚環教団、八導師の一人、『破壊』を司る『灼壊導師』ローレライ=ヴェルイーナよん!! んふふ……んんんん?」
「な……何よ、アンタ」
灼壊導師、ローレライ=ヴェルイーナ。
真紅の髪、そしてその顔立ち。
その称号よりも、僕は気になった……ローレライ=ヴェルイーナは、どこかフレイアに似ていた。
そして、ローレライ=ヴェルイーナもフレイアを見て首を傾げ、ニンマリとほほ笑む。
「ああああ、そうかそうか、アンタ……あたしの子孫ねぇ?」
「はぁぁ? アタシが、子孫? アンタの?」
フレイアは、斧槌を握ったままローレライ=ヴェルイーナを見ていた。
疑問を浮かべてはいる。だが……髪色、顔立ちが似ていること、そして漂う雰囲気がそれを否定することができない、話を聞いてみたいと思っているようだった。
僕は思わず言う。
「つまり、親族……ってことか?」
「ふふ……正確には、あたしの双子の妹の子孫かなぁ。あたしはこんなんだし、ケッコンとかしないまま、何百年も経過してるからさ。でもさあ……妹の子孫ってのは、なんとなくわかる。あんた、名前は?」
「……フレイア・ヴァレリア」
「いい名前。んふふ、ねえねえ、あたしんとこ来るぅ? 鍛えてあげる」
「……イヤ!!」
フレイアは斧槌をローレライ=ヴェルイーナに向ける。
「ざんねん。じゃあ……やろっかぁ」
その言葉の意味を理解する前に、ローレライが動いた。
十二の斧が一斉に火を噴き、塔の中心を叩き潰す。
「やば――!! 逃げろっ!!」
僕が叫ぶと、轟音が響いた。
炎柱が天井を突き抜け、外壁を焼き尽くす。
塔全体が悲鳴を上げて軋んだ。
僕たちは散開し、衝撃を避ける。
だがローレライは、その中で悠然と笑っていた。
「壊すの、気持ちいいわぁぁ!! あぁ、もっと壊したい!!」
「くっ……狂ってる」
リアが歯を食いしばる。
フィオナが青い錫杖手にし、大量の水を空中で生み出し火を消そうとした……が、炎に弾かれた。
蒸気が爆発し、視界が白く染まる。
「水で消化できない炎……」
フィオナが驚愕し、ギデオンが盾を手に前に出る。
「導師ってことは『道越者』に違いない。この精霊力の出力、バカげた規模の精霊導器……くそ、まさか戦うことになるとは」
灼壊導師ローレライ=ヴェルイーナ、破壊の道を歩む炎属性。
精霊導器は、それぞれ形状の違う十二本の斧、槌か。
大きさ、長さも全然違う。見るだけで身震いするくらい、強い精霊力を宿している。
ギデオンは、盾を構えて叫んだ。
「全員、距離を取れ! 自分が前に出る!」
「『守護』の真面目ちゃん程度が、止められると思ってんの? それと……」
瞬間、ローレライの目が僕を捉えた。
金色の瞳が細められ、愉悦の光を宿す。
「あたしがキョーミあるのはあんた。『漂魂者』ユウト……長く生きてるけど、まだ『漂魂者』と殺し合ったこと、ないのよねぇ!!」
背筋が凍り付く。ただの大学生で、この世界に転生して多少は命のやり取りに慣れ始めていたが……これほど剥き出しの、凶悪な殺意を向けられたのは初めてだった。
刹那、十二の斧が僕に向かって飛んだ。
「自分の後ろへ!! 術式展開──!!」
ギデオンの精霊術式、『護国城塞』が発動した。
地の国で採取された鉱石で鍛えられた武具の防御力を極限まで上げる術式。僕も地属性に属性変更し、自らを守る盾の精霊導器で守る。
「うぐ……っ!! おおおおおおおおおお!!」
ギデオンの盾が、ローレライ=ヴェルイーナの精霊導器を弾く。だが、何本が直撃から守ったことで、ギデオンの盾に亀裂が入った。
「この、野郎おおおおおおおおおお!!」
「補助を!!」
フレイアが斧槌を振り回し、リアも精霊術式で竜巻を発生させて飛んで来る斧や槌から守ろうとする。だが、一撃、一本の威力が凄まじく防御ができない。
僕らは全員、斧と槌に弾き飛ばされ地面を転がった。
そして……爆風の中、ローレライが笑った。
「アハハハハハハハ!! ただの霊触者が、『道越者』であるあたしと戦えるわけないじゃない!!」
もっともな言葉だった。
僕、リア、フレイア、ギデオン、フィオナ。全員が力を合わせても勝てる気がしない。
わかるんだ……このローレライ=ヴェルイーナは、全く本気じゃない。
「敵わずとも……守ることができれば!!」
ギデオンは反撃に転じ、地を蹴る。
手にはメイス。僕とリアは弓を手にし、フレイアも遅れて飛び出した。
フィオナは錫杖をクルクル回転させ、周囲に水の球体を作り、連続で放つ。
ローレライ=ヴェルイーナは、それを楽しそうに見ていた。
そして、ギデオン、フレイアが左右から同時に攻撃、僕とリアとフィオナの援護が迫る。
「――そこだッ!!」
「くらえっ!!」
打撃、斬撃が、ローレライ=ヴェルイーナを切り裂く。
だが、ローレライは一瞬で姿を消した。
次の瞬間、ギデオンの背後で声がした。
「遅い」
「――ッ!?」
ギデオンが反応する間もなく、炎の槌が叩きつけられる。
しかし、その瞬間、フィオナの水盾が割り込んだ。
衝撃波が弾け、二人が弾き飛ばされる。
「フィオナ殿!!」
「だいじょう……ぶ……っ!」
フィオナが息を荒くして立ち上がる。
その顔には恐怖が浮かんでいた。
ローレライがそれを見て、嗤う。
「水の聖女だっけ。ああ~……そういやあの雷クズ研究者が言ってたっけ。『サンプル034』が生きてて驚いた、って」
「……え?」
「……ディス=ヴォルテクスのことか!!」
「そーよ。あれ、覚えてないのあんた?」
驚愕するフィオナに、ローレライ=ヴェルイーナはオモチャを見つけた子供のような顔をした。
周囲に浮かぶ斧と槌、そのうちの一本を手にして肩に担ぐ……その様子は、フレイアにそっくりだと僕は思ってしまった。
「あんたは、『人造霊触者実験』の成功例のひとつよ。ガキの身体に精霊力をブチ込んで、強制的に霊触者として覚醒するかの実験。けっこうな数が死んで、成功したのは十人くらいだったとか。データは取れたから全部廃棄したらしいけど、生きてたんだ~」
「…………ぇ」
僕らは全員、フィオナを見た。
人造霊触者。
作られた霊触者。
「人造霊触者は、ふつーの霊触者よりも精霊力を感じる力が敏感なんだって。それで、精霊力を感じすぎて発狂して使い物にならないらしいけど……なーるほどねぇ、あんたは『聖女』として、精霊力を常に感じるって思いこんでることで、自分を保ってるワケなんだ。おもしろっ」
「……わ、私が、作られた」
「ディスのクズ野郎は何も言ってなかったし、とりあえずどーでもいいや」
僕の心臓が跳ねた。
ローレライは薄く笑い、髪をかき上げる。
「ねえ、ユウト……あんたの道、『孤独』だっけ? 何かないの? あたしを楽しませる強いチカラとかさあ!!」
「……っ」
そんな都合のいい『力』なんてない。
僕は一人じゃないと本来の力が発揮できない。それに、『孤独』の属性も、精霊導器も、あるのかすらわからないんだ。
できるのは、属性と精霊導器を切り替えて戦うことくらい。
でも……一人なら。
「……ユウト」
リア、フレイアが僕を見ていた。
まるで、一人で戦おうと決意したところを、見られたような気がした。
「はい休憩終わり~……てか、つまんないなぁ、もう殺しちゃおっかな」
「ッ!!」
殺意。
僕たち五人は背筋が凍る。導師にして『道越者』のローレライ=ヴェルイーナが、十二本あるうち、一本の柄が長い斧を手にした。
そして、一瞬で僕の前に現れ、斧を振りかぶる。
「だらぁぁぁぁぁ!!」
「フレイア!?」
だが、フレイアが割り込み、ローレライ=ヴェルイーナの斧を受け止めた。
ビキリと、フレイアの斧槌の柄に亀裂が入る。
ローレライ=ヴェルイーナは「へえ」と面白そうに微笑み、フレイアを正面から見た。
「やるじゃん。あたしの一撃、止めるなんてねぇ」
「は、はん……か、軽い、軽い、っての!!」
嘘だった。
大汗を流し、全身震えながら斧を押さえ付けている。
だが、目はギラギラと輝いていた。フレイアの目を見て、ローレライ=ヴェルイーナは楽しげに笑い……そして、力を抜いた。
「気に入った」
「えっ」
「さっすがあたしの血筋。その燃えるような『破壊』に満ちた目……もっと燃やして、もっと強くなりなさい」
ローレライ=ヴェルイーナは、人差し指に黒ずんだ炎を灯し、フレイアの心臓付近に触れた。
「あ、っがあああああああああああああああああ!!」
黒い炎が、フレイアを包む。
ローレライ=ヴェルイーナは人差し指を離し、フッと指の火を消した。
僕とリアはようやく動き、ローレライ=ヴェルイーナに向けて弓を向ける。
「フレイアに何をした!!」
「んん? ふふ、『チカラ』を分けただけ。『道越者』はね、霊触者にチカラを与えて強化することができるのよ。あたし、滅多にやらないんだけど……その子、フレイアが気に入ったの。もっともっと強くなったら、あたしといい勝負できるかもね」
「う、ぎぎ……クソ、野郎……!!」
フレイアは、胸の鎧をはがし、胸を露出させた。
そこには、黒い炎のような入れ墨が入っている。
「その『灼炎』を使いこなして、もっともっとも~~っと強くなってね。あたしの可愛い子犬ちゃん……あ~満足満足。じゃぁねぇぇ~」
その言葉と同時に、ローレライの身体が炎に包まれた。
次の瞬間、炎光の中でその姿が消える。
残ったのは、焦げた石と、熱風だけだった。
「……消え、た」
……静寂。
塔の半分が崩れ落ち、残骸の中に僕たちは立ち尽くした。
僕はフレイアを見る。
「……フレイア。大丈夫か?」
「……大丈夫。もう落ち着いたわ。でも……なにこれ、アタシの中に、何か……燃える感じがする。血が騒ぐっていうか……」
フレイアが胸を押さえ、困惑したように笑った。
そして、胸を露出したまま気にしないフレイアだが、僕が目を逸らすと慌てて隠す。
「うー、ヘンな入れ墨入っちゃった。くそ、あの女……今度会ったらぶっとばす」
そして……ギデオンとフィオナも、静かに立ち上がる。
ギデオンは、まだショックを受けているフィオナを支えていた。
「……ここにはもう、何もないだろう。ユウト……一度、戻ろう」
「……うん」
作られた霊触者……フィオナは何も言わず、黙りこくっていた。




