雷過触媒
湖上都ミルフェリアの北区。
街の外れ、水路の奥にある古びた排水塔。
そこはすでに使われなくなって久しく、今では水鳥さえ近づかない――『濁環』の隠れ家としては、申し分ない場所だった。
「……ここだな」
ギデオン・レオンハートは、薄闇に沈む塔を見上げてつぶやいた。
鎧の表面には淡い水滴が光り、手には周辺地図がある。チェックマークを入れた地図と、目の前にある古い塔を見比べていた。
隣には、斧槌を担いだフレイア。彼女は鼻をひくつかせて顔をしかめた。
「うっわ……臭い。塔から変なニオイしない?」
「腐敗臭だ。何か実験でもしていたのか……」
「最悪~……帰ったら熱いお風呂入ろっと」
フレイアは舌を出して嫌そうな顔をしたが、すぐに真剣な顔に戻った。
湖上の風が、二人の髪を揺らす。水の都の清浄な空気の中で、ここだけが異質だった。
何かがある。元騎士、傭兵としての勘がそう告げていた。
互いに、そのことを確認することもなく、ギデオンは言う。
「行こう。フィオナ殿の話では、このあたりが『濁環』の残党が逃げ込んだ最後の地点らしい」
「了解、ギデオン。アタシが前、アンタが援護ね」
二人は、塔の扉を押し開けた。
中はひんやりとした空気が漂い、壁面には苔と水垢がべったりとこびりついている。
足元を流れる水は黒く濁り、底が見えない。
ギデオンは慎重に歩を進めながら、壁の痕跡を指でなぞった。
「……焼けた跡だな。雷属性か、火属性か……精霊力であることに違いない」
「じゃあ、ディスの仕業で確定ってわけ?」
「まだ断言はできん。だが……可能性が高い」
ギデオンは腰のポーチから金属筒を取り出し、床の黒い液体をすくった。
液体は微かに泡立ち、紫の火花を散らした。
「どうやらアタリかもしれん。この黒い液体……水の汚染をした物質と似ている」
「……生きてるってこと?」
「ああ。この黒い液体、どうやら精霊力と関係があるのは確定だ。だが……このような黒い液体に精霊力を注ぎ込むなど、聞いたことがない。この液体……湖上国ミルフェリアの水ではない、別の場所の水と合わせ作られたのかもしれないな」
フレイアの顔が強ばる。
「そんなもん、湖に撒かれたら……」
「……国ごと汚染される。だからこそ止めねばならん」
二人は塔の奥へと進んだ。
最上層へ続く階段ははあるが、上層階の床は全て抜かれ空が見えていた。なので最下層の部屋を調査――そこには、黒い液体で満たされた巨大な瓶が並んでいた。
その中心には、奇妙な札が大量に張られた祭壇があり、禍々しさしか感じない。
電光が微かに走り、部屋全体が静かに脈動していた。
「うわぁ……キモッ。これ、全部汚染物質……?」
「恐らく。いや、間違いない……見ろ、あれを」
ギデオンが指さす先、祭壇の上には黒い塊が蠢いていた。
それは人の頭ほどの大きさで、膜の中に光る核のようなものが見える。
まるで心臓のように鼓動していた。
「これが、汚染物質の正体……」
「つまり、大当たりね」
「間違いないな。よし、これを回収し、分析を……」
「――させると思うか?」
低く響いた声。
その瞬間、どこに潜んでいたのか数人の影が現れ、ギデオンとフレイアを包囲した。
フードを深く被り、黒いローブを纏う男たち。胸元には、濁った輪を象る紋章があった。
ギデオンは、それがフィオナから聞いた『濁環』の紋章だと気付く。
「チッ……フレイア、切り抜けるしかないようだ」
「最高の展開ね。ふふん」
ギデオンは精霊導器の盾、そしてメイスを構える。
フレイアは斧槌を手にし、襲撃者に向けた。
「侵入者、二名確認。排除せよ」
「汚水に沈め、清き者どもを――!!」
襲撃者は、一人が鞭を構え、あとの二人は剣を装備していた。
精霊導器ではない。霊触者は一人、鞭であることから『混沌』に属する霊触者。
フレイアはニヤリと笑って言う。
「来るわよ、ギデオン!!」
「心得た!!」
敵の一人が放った雷撃をギデオンが盾で受け止め、火花が散る。
フレイアは、接近してきた二人の剣士の剣を斧槌で受けとめた。
そして、フレイアの背後にさらに数人の剣士が現れた。
「わお、潜んでた!!」
「隠密技能に特化しているようだ!!」
ギデオンは割り込み、剣を受け止める。
そして、怪力で剣士三人を一気に押し返し、メイスを使い連続で殴りつけた。
フレイアも、槌で剣士の顔面を叩き砕く。剣士たちは吹き飛ばされ、壁に激突して動かなくなった。
「ギデオン、まだいる!!」
だが、『濁環』の数は多い。五人、六人……十人近くが、塔の暗がりから次々に現れる。
「数が多いな……フレイア、後方を頼む」
「お任せ!!
ギデオンは一気に前へ出た。盾を構え、黒衣の男たちを吹き飛ばす。
フレイアは後方で斧槌を振り回し、襲撃者たちを薙ぎ払い続ける。
そしてついに、ギデオンは敵の霊触者を盾で吹き飛ばした。そして、フレイアが斧槌を投げ、霊触者の胸に突き刺し、壁に縫い付ける。
「終わりだ」
「やば、みんな倒しちゃったじゃん。生きてるのいる?」
フレイアが確認する。だが……生きている者は全員、自害していた。
ギデオンは舌打ち。そして祭壇に目を向けた。
そこでは――黒い塊が、より激しく蠢いていた。何かに反応しているのか、これまでにないくらい激しく脈動している。
「き、キモイ……ギデオン、それ持って帰るならアンタ持ってよね」
「わかった。とりあえず、布に包んで──」
次の瞬間、紫電が通り過ぎた。
一瞬の出来事だった。ギデオンの目の前にあった黒い物体が、消えていた。
そして、階段の前にいた。
「危ない危ない……この『雷過触媒』は、まだ必要ですので」
ふわり、と降り立った影。
ギデオンと同じ金色の髪を揺らし、白衣を纏った少女……ステラ。またの名をシスカ・レオンハート。
淡い紫電をまとい、黒い物体を抱えていた。
ギデオンは目を見開いて言う。
「シスカ……!!」
「ですから、私はステラです。あなたの妹だった記憶はもうありませんよ」
「アンタ!! それ、どうするつもり!!」
「回収です。まったく……『濁環』も使えませんね。まさか、雷過触媒を聖遺物みたいに崇めるなんて。思った以上に早くバレちゃいました」
「……アンタ、目的なに? 水を汚染してどうするつもり?」
「研究素体が目的です。でも、思った以上に『協調』は優秀ですね。トラップに全く引っ掛からない。と……お話は終わりです。では」
ステラは紫電を帯びると、一瞬で消えた。
追っても無意味。フレイア、ギデオンはすぐに悟った。
ギデオンは肩を落とす。
「……逃げられた、か」
「くっそー!! あの女、何考えてんのよ!!」
「……『雷過触媒』と言っていた。それに、素体……守護の国で行った実験を、この国でもやるということなのか?」
二人は、しばし沈黙した。
塔の外から、かすかな水音が聞こえ、湖の波が揺れ、空に光が射していた。
「ここにいても仕方がない。ユウトたちに伝えねばならん」
「そうね……あの子、ステラが動いたってことは、ディスも近くにいるってことよね」
「……ああ」
ギデオン、フレイアは塔を出た。
もう間違いない。この湖上国ミルフェリアに、雷過導師がいる。
ギデオン、フレイアは厳しい戦いが始まることを予感するのだった。




