雷過導司ディス=ヴォルテクス②
時間が止まったようだった。
ギデオンさんが膝をつき、盾を取り落とした音が、坑道の中で重く響いた。
その視線の先――紫電をまとった少女。白衣の裾を揺らすその姿に、ギデオンさんは言葉にならない声を絞り出した。
「…………………………………………しす、か?」
その名を口にした瞬間、空気が張り詰める。
僕もリアも、フレイアも、息を呑んだ。
けれど、少女――ステラは、まるで機械のような瞳でギデオンさんを見返すだけだった。
「シスカ? 誰ですかそれは。私は雷過導司ディス=ヴォルテクスの助手、ステラですが?」
「ち、違う……っ!! お前はシスカだろう!? その声も、その顔も……オレが間違えるわけがない!! どうして、覚えていないんだ!! 兄ちゃんのことを!!」
ギデオンさんは地に手をつき、爪が砕けるほど拳を握る。
あの冷静で誠実な盾騎士が、こんな表情をするのを初めて見た。一人称がオレになり、自分のことを兄ちゃんと……本当に驚いた。
リアが慌てて彼に駆け寄ろうとするが、僕が止めた。――いや、止めるしかなかった。今、誰が声をかけても届かない。
すると、立ち去ろうとしていたディスが、興味深そうにギデオンさんを見て、そしてにっこり微笑んで手をポンと叩いた。
「ああ、なるほどなるほど。そういうことか」
何かを知っている。僕は、冷静ではないギデオンさんの代わりに聞く。
「……どういうことか説明してくれるかな。その子、ステラ……ギデオンさんの妹、シスカとどういう関係がある?」
「簡単なこと。ステラちゃんは、我輩が死体から作り上げた、我輩の最高傑作。その死体が、そちらの『守護』の騎士くんの妹ちゃんだった、というわけだろうね」
「……な、に」
ギデオンさんが、目を見開いてディスを見た。
ディスは、ステラの肩に手を置き、そして愛おしそうに頭を、頬をなでる。
「んふふ。見たまえ!! この可憐な容姿……いやあ、死体を見つけた時には驚いた。死んで間もなかったおかげか蘇生は簡単にできたよ。でも、肉体の損壊が激しくてねぇ。だから、我輩が作り直したのだよ。再生能力の高い魔獣の細胞を移植、増殖させた。骨はオリハルコンよりも頑強。苦労したのは、それらの素材を使いつつも、見た目を完全な『人』として見えるよう、何度も何度も手術を繰り返した!! そして、我輩の力を注ぎ込み続けた結果、ステラちゃんは共鳴者として覚醒、『知恵』の道を歩む、我輩の助手としてここにいるのだよ!! ふふふ、ずっと我輩の力を浴び続けたせいか、並みの共鳴者では相手にならないほど強く、可憐で、美しい、最高の存在となったがね!!」
あまりにも、醜悪で怖気がした。
ギデオンさんの妹、シスカの亡骸を弄んだ生物、ステラ。
フレイアは心底気持ち悪そうに言う。
「最ッ低のゲス野郎ね……!! あんた、本当に最悪!!」
「同感です。本当に、許せない……!!」
フレイア、リアは精霊導器をディスに向ける。怒りが恐怖に勝っていた。
僕も、丸盾を構えディスに向き直る。
ディスは首をかしげていた。
「ふぅむ? なぜ理解されないのか。まあいい。じゃあステラちゃん、あとはよろしく」
「はぁい。先生、仕事前にちゃんと糖分を取ってくださいね。おやつ、用意してあるので」
「おほっ、それは朗報!!」
ディスは奥へと消えていった。
震えていたギデオンさんは、拳で地面を殴りつけ立ち上がる。
「シスカ、覚えていないのか? オレのことを、兄ちゃんのことを。このマフラー……お前が寒くないように、って……お前が編んでくれたマフラーなんだ」
ギデオンさんは、いつも巻いているマフラーを見せる。
だが、シスカ……いや、ステラは言う。
「何のことでしょうか? あなた、気持ち悪いです」
ステラの声は、氷のように冷たかった。
その瞬間、ギデオンさんの呼吸が乱れ、肩が震える。
彼の信念は「守ること」――その根源が、いま音を立てて崩れていく。
「いやぁ、見事な反応だねぇ。いやはや、実にかわいそうだね。もぐもぐ」
乾いた拍手が響いた。
振り返ると、ディス=ヴォルテクスが白衣の裾を翻しながら、まるで演劇を楽しむ観客のように立っていた。手にはクッキーを乗せた皿があり、もぐもぐ食べながら戻ってきた。
「先生、お行儀が悪いです」
「おっと、これは観察だよステラちゃん。感情の崩壊、それこそが魂の構造を理解する最初の一歩だ。彼、なかなか興味深いよ? 片付けも大事だけど、こっちも同じくらい大事だ。ステラちゃん、彼は君の兄であることに違いはない。まあ、ルーツという意味ではだけどね」
「興味ありませんね。まったくもう、いい迷惑です」
僕は我慢できず、一歩前に出た。
「……蘇生させた、と言っていたが……記憶を消す理由なんてあったのか?」
「そうだね。古い記憶は今のステラちゃんにとって邪魔でしかない。だが、誤解しないでほしい。私は慈悲深い男だ。死んで間もない彼女を拾い、より高次の存在へと『進化』させた。それは素晴らしいことだろう?」
ギデオンさんが立ち上がる。
その顔には怒りよりも――哀しみが浮かんでいた。
声は震えていたが、確かな殺意を帯びている。
「……貴様だけは、貴様だけは……絶対に、許すことはできない」
「おお、いいね。実にいい目をしている。そうだ!! もっともっといい目になるよう、とっておきの情報をあげよう」
ディスは微笑んだ。
白衣の内ポケットから何かを取り出しながら、ゆっくりと語り出す。
「数年前のあのスタンピード――あれは偶然じゃない。我輩が起こしたんだ」
坑道の空気が凍る。
ギデオンさんの目が見開かれ、フレイアが歯を食いしばる。
リアは唇を押さえ、信じられないというように震えていた。
僕は、なんとか声を出した。
「な、なぜ、そんなことを……!?」
「魂の構造を解析するためさ。群体の支配術式――簡単に言えば、『混沌』と『支配』の力を融合させ、魔獣たちを暴走させた。結果として、街一つが消えた。いやぁ、壮観だったよ。生と死の境界が、あれほど鮮明に観測できたのは初めてだった」
「この、ゲス野郎……っ!!」
フレイアが斧槌を構える。しかし、ディスはまったく動じない。
むしろ、楽しげに語り続けた。
「実験は失敗だったが、いい拾い物ができた。ステラちゃんという、可憐で素敵な我輩の助手がね」
「はい、先生。わたし、先生に出会えてうれしいです!!」
ギデオンさんの瞳が、絶望に染まった。
震える声が漏れる。
「……シスカ、お前はもう……オレの、妹じゃ」
「兄さん、という単語はデータベースに存在しません。ごめんなさいね」
その一言で、ギデオンさんの世界が崩れた。
リアが小さく息を詰め、僕の腕を握る。
フレイアは怒鳴りたいのをこらえ、歯ぎしりする音を立てていた。
「シスカ……そうか、もう、お前は……いないのか」
ギデオンさんの嘆きが坑道に響く。
その声には怒りよりも、祈りに近い響きがあった。
ギデオンさんは拳を握りしめるが、足が動かない。
その代わりに――ステラが一歩、前に出た。
「先生。話は本当に終わりです。ここはわたしが対処します。あなたは『協調』の研究所へ」
「うむ、そうしよう。資料は燃やしたくないからね。甘いものも食べたし、仕事に取り掛かるとするか」
ディスは本当に奥の部屋に消えた。
そして、ステラは紫色の歪な弓を構える。
「さて、始めましょうか。『漂魂者』ユウト・カミシロ。あなたの現在の力、見せてもらいましょうか」
もう、ステラはギデオンさんを見ていない。
リアが泣きそうな声で名前を呼ぼうとしたが、言葉にならない。
フレイアは唇を噛み、目を伏せる。
僕はそっとギデオンさんの肩に手を置いた。
けれど、その手は軽く払われた。
「……自分が、終わらせる」
「ギデオンさん……」
「これ以上、シスカを……あの子を、この世に縛らせはしない」
僕は拳を握る。
――ディス。あの狂った研究者は許すことはできない。
そして、ステラ……シスカを止める。それが、僕らの次の戦いになる。




