第十四章 おばちゃん探偵団最終章
「あれ~、幸子ちゃん。出かけるの?」
近所のおばちゃんが声をかけてきた。
「ちょっとね」
幸子は笑って、駅へ向かった。
「おばちゃん探偵団」なんて言って、瑞穂やコノハ、咲代と騒いでいた日々が、まるで遠い昔のことのように思える。
駅に着くと、幸子は行き交う人々を眺めた。
昔から、駅という場所が好きだった。
ここには、いろいろな人がいる。
急ぐ人。
立ち止まる人。
誰かを待っている人。
それぞれに、それぞれの人生がある。
幸子は、つい、その人の人生を想像してしまう。
――この人は、どこへ行くのだろう。
――誰かに会いに行くのだろうか。
電車に乗り、窓の外をぼんやり眺めていると、ふと、あの日のことが蘇ってきた。
若葉が幸子のもとを訪れた日のことだった。
若葉は、自分のことを「愚かな女の話です」と言って、衝撃的な告白をした。
始まりは、離婚した元夫から突然、五百万円が振り込まれたことだった。
その金は、かつて藤波家から持ち出されたもの。
元夫の実家である呉服屋が廃業することになり、そこで工面した金を若葉の口座へ振り込んだのだという。
そして、その背景には老人ホームへの投資の失敗があった。
すべてを聞き終えた若葉は、ようやく過去に区切りをつけ、自分も家元を息子夫婦に譲る決心をした。
そこまでは、幸子にも想像できた。
――これで、終わるのだろう。
そう思っていた。
ところが――。
若葉の口から、さらに衝撃的な事実が告げられた。
藤波伸一の本当の父親。
それは――
サーナルリゾートホールディングスの社長、水本だった。
幸子は、言葉を失った。
若葉には、すでに結婚が決まっていた。
京都の呉服屋の次男との結婚。
式の準備も進み、あとはその日を待つだけだった。
そんな中、若葉は独身最後の旅行で友人たちと伊勢志摩を訪れ、水本と知り合った。
意気投合し、酒を飲み、話をするうちに――一線を越えてしまった。
若葉自身も、独身最後の時間を少しだけ楽しみたいという気持ちがあった。
だから、その場限りのことだと思っていた。
ところが、結婚式を目前にして妊娠が分かった。
若葉は恐ろしくなった。
誰にも言えなかった。
そして――何もなかったことにして結婚した。
やがて生まれた男の子に、伸一と名付けた。
藤波家の跡取りとして育てるために。
若葉はあの時、幸子にすべてわかってしまったのかと驚いたそうだ、幸子に言われた通り若葉はその秘密を生涯背負って生きる覚悟をしていた。
けれど――。
離婚した夫は、どうやらすべてに気づいていたらしい。
それでも若葉を責めなかった。
問い詰めることもなく、ただ黙って受け入れていた。
むしろ、最後まで若葉に優しかった。
そのことを知った若葉は、声を震わせた。
「私……あの人を、自分の言い分だけで追い出してしまったんです。あんなに優しい人だったのに……傷つけてしまって」
そして、泣いた。
「私……なんてことをしてしまったんでしょう」
若葉は、何度も自分を責めた。
「こんな私に、生きる資格なんてあるのでしょうか……」
幸子は何も言わなかった。
ただ、若葉の手を握った。
震える手を、しっかりと。
若葉は、堰を切ったように泣き続けた。
幸子は、その涙を止めなかった。
泣いていい。
今まで背負ってきたものを、全部吐き出していい。
そんな思いを込めるように、ただ手を握り続けた。
そして、瑠璃の告白もまた、幸子には辛いものだった
ようだった。
瑠璃もまた、ひとりでは抱えきれなくなり、若葉に打ち明けたのだ。
「私がずっと気になっていた『影』があったんです。……それは、伸一のことでした」
若葉は、しばらく俯いたまま話した。
伸一が水本聡と知り合い、交流していると知ったとき――。
いつか、自分の過去が暴かれるのではないか。
そして、ようやく手に入れた今の生活を、また「あの一家」に壊されるのではないか。
そんな恐怖が、ずっと瑠璃の中にあった。
「やっと手に入れた今の暮らしを、もう失いたくなかった。だから……伸一が聡さんと付き合っていることが、ずっと気になっていたんです」
若葉は、涙を浮かべながら語ったという。
幸子は、瑠璃の孤独を思った。
家族は一緒にいても、すべてを分かり合えるわけではない。
人は、家族の中にいても、孤独なのかもしれない。
そして――。
コノハが水本家で感じた、あの違和感。
伸一と水本聡の、よく似た顔。
そして、奥多摩で見つかった白骨化した少女。
一つひとつは、別々の出来事に見えていた。
けれど――。
今なら、すべてが一本のレールの上につながっている。
幸子は、窓の外を眺めながら、小さく呟いた。
「そういうことだったのね……」
電車は、次の駅へ向かって走っていた。
駅に降りた幸子は、タクシーに乗り、あのキャンプ場へ向かった。
捜査は終わり、工事が始まっていた。
重機が行き交う現場に立ち、幸子は静かに手を合わせた。
そのとき――。
風が、ふっと通り過ぎた。
幸子は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「星光堂」に、水本明子が訪れた。
今回の事件で結婚は破談となり、用意していた婚約指輪も必要なくなった。
その相談のためだった。
明子は、疲れ切った様子だった。
それでも社長夫人らしく、姿勢は崩さず、きちんと話をしようとしているのが分かった。
「このたびは、私どもの不始末で、星光堂さまにも大変なご迷惑をおかけしてしまい……お詫びの言葉もございません」
明子は深々と頭を下げた。
「本来でしたら、息子が伺ってお詫び申し上げるべきところ、ご存じの通り、それも叶いませんので……私が参りました。本当に申し訳ございません」
そう言って、封筒と菓子折りを差し出した。
コノハは静かに首を振り、白い封筒を載せた菓子折りを明子のほうへ戻した。
「こちらは頂けませんわ。指輪のことも、どうぞお気になさらないでください。私どもも商いをしておりますから。今回のことは、これで……お気持ちだけ頂戴いたします」
「ですが、それでは私どもの気が済みません」
明子が再び差し出そうとすると、コノハは微笑んだ。
「では、お菓子だけ頂きますわ。これで、お互いに」
「……ありがとうございます」
やがて、頃合いを見て従業員がお茶を運んできた。
従業員が部屋を出ると、コノハが静かに声をかける。
「どうぞ」
明子はお茶を一口飲んだ。
そして、ふと窓辺のステンドガラスを見つめた。
「コノハさん……私、今回の事件を知ったとき、世間を恨みましたの。なぜ私たちだけ、こんな目に遭うのかって」
明子の声が震えた。
「娘が二十年も経って、白骨化した遺体で見つかって……そのうえ会社まで、こんな事件に巻き込まれて……」
コノハは、ただ黙って聞いていた。
「私はね、家族が楽しんで、笑顔で過ごせるリゾートを作りたくて、この仕事を始めたんです」
明子は、遠くを見るような目をした。
「毎年、家族でキャンプに行っていました。そこのご家族が本当にいい方で……子どもたちも主人も喜んで。家族ぐるみのお付き合いをしていたんです」
「いつか自分たちも、こんなキャンプ場ができたらいいねって、帰りの車でよく話していました」
明子は、小さく息を吐いた。
「でも……娘の事故で、そのささやかな幸せも、全部崩れてしまった」
「それでも会社は順調に大きくなっていきましたの。娘のことを忘れたわけではありません。でも、私は幸せだと思っていたんです。何でも思い通りになって……」
しばらく沈黙した。
「今になって思います。私たちの成功の陰で、傷ついた人がいた。それは事実なんですね。私たちは、誰かを踏み台にしていた……。本当に愚かでした」
コノハは、静かに首を振った。
「明子さん、自分を責めないでください」
明子の顔をまっすぐ見つめる。
「人間って、ときには自分でも気づかないうちに、誰かを傷つけてしまうことがあります。そして、あとになって初めて、自分の愚かさに気づくこともあるんです」
「そうね……」
明子は、少しだけ笑った。
「コノハさん。この始末がついたら、会社を譲って、田舎に戻ろうかと思っていますの」
「まあ。田舎はどちらへ?」
「伊勢志摩ですわ」
明子はそう言って、窓の外を見た。
「まだ、いろいろございますから。しばらくは東京で頑張りますけれど」
そう笑ったものの、その表情には力がなかった。
「まあ……お身体を大事になさってくださいね。何かお困りのことがございましたら、いつでもご相談ください」
「ありがとうございます。お父様にも、くれぐれもよろしくお伝えくださいませ」
明子は立ち上がった。
コノハは店の外まで見送り、深々と頭を下げた。
明子も振り返り、最後の挨拶をすると、ゆっくりと歩き出した。
コノハは応接間へ戻った。
そして、ステンドガラスから差し込む一筋の光を見つめた。
「人生は儚い。だから人は、輝く宝石の光に、一筋の希望を見るのだ」
ふと、父の言葉を思い出した。
咲代は、再び伊勢志摩を訪れた。
新しいプロジェクトが始まり、東京都も一部の開発に関わることになったため、関係者会議に出席するためだった。
先日の収賄事件の舞台となったこともあり、今回は関係する企業や団体との連絡会議も兼ねている。
咲代の部署からは、代理として咲代が参加することになった。
会議を終え、咲代は車で、あの海辺へ向かった。
今回の事件の発端となったリゾートマンションでは、解体工事が進んでいた。
その光景を見つめながら、咲代は、なぜか胸の奥に虚しさを覚えた。
伊勢志摩サミットでは、この美しい伊勢志摩を舞台に、世界各国の首脳が集まり、華やかな外交が繰り広げられた。
それから時が流れ、今、目の前では一つの建物が姿を消そうとしている。
新しいプロジェクトも、本当に地域の発展につながるのだろうか。
咲代は、ふとそんな疑問を抱いた。
その足で、あの写真がある「あまの小屋」へ向かった。
店は開いているようだった。
平日の昼前ということもあり、店内にはまだ誰もいない。
「いらっしゃい!」
店主が元気な声で迎えてくれた。
「どうぞ、空いている席へ」
促されるまま、咲代は幸弘たちが座ったのと同じ席に腰を下ろした。
ふと、壁を見る。
そこには、あの写真が飾られていた。
――M高校野球部 OB会
――2016年5月5日
記念写真の中では、全員が肩を組み、笑顔を見せている。
中央には前田敏夫。
その真後ろには、水本と樫木。
咲代は、写真をじっと見つめた。
店主がお茶を出しながら声をかける。
「お客さん、観光ですか?」
「いえ、仕事で来たんです。このお店の海鮮丼がおいしいって聞いたので」
「ありがとうございます。海鮮丼でいいですか?」
「ええ、お願いします」
咲代が微笑むと、店主は厨房へ戻っていった。
咲代は窓の外に広がる海を眺めながら、今回の出来事を思い返した。
そして、もう一度、壁の写真に目を向けた。
あの写真には、希望があった。
かしのきグループの社長と、サーナルリゾートの社長。
高校時代には野球部でバッテリーを組み、甲子園を目指した二人だった。
卒業後は、それぞれの道を歩み、事業家として成功した。
地域を活性化したいという思いも、かつては同じだった。
同じ夢を追い、同じ方向を見ていた二人。
それなのに――。
いつからだろう。
富や権力は、ときに人の人生のレールを、思いもよらない方向へ向かわせる。
気がつけば二人のレールは別々の方向へ伸び、もう交わることのできないほどの深い溝ができていた。
本人たちがそのことに気づいたときには、もう列車は走り出していた。
後戻りすることも、途中で降りることもできない。
人生には、そんな瞬間があるのかもしれない。
けれど――列車には停車場がある。
立ち止まり、これまで来た道を振り返り、これからどこへ向かうのかを考える場所。
そして、そこで誰と出会うかによって、また人生の行き先が変わることもある。
前田敏夫。
政界を引退したあとも、「令和のお伊勢参り」とまで言われるほど、陰で政界を動かしていた男。
そんな男と出会ったことが、サーナルリゾートの社長にとって必然だったのか、それとも偶然だったのか。
咲代には分からない。
ただ、その出会いの先で、彼は犯罪の片棒を担ぐことになってしまった。
かしのきグループの社長は、今、何を思っているのだろう。
あの集合写真の中では、二人は肩を組み、笑っている。
その前の席には、前田敏夫が座っている。
あの頃の二人は、まさか自分たちの人生が、こんなふうに別れていくとは思ってもいなかっただろう。
甲子園を目指してバッテリーを組んだ親友は、もう隣にはいない。
咲代は、海を見つめた。
人生という列車は、いつまでも同じ線路を走るわけではない。
それでも、どこかで停車場に立ち止まり、かつて同じ列車に乗っていた人のことを思い出すことはできる。
二人にも、そんな停車場があったのだろうか。
そして――。
まだ間に合う停車場が、どこかに残されているのだろうか。
「はい! お待ちどうさま。海鮮丼です」
店主が、テーブルに海鮮丼を置いた。
「ありがとうございます」
咲代は箸を手に取り、ふと笑った。
「今日も、伊勢志摩は素敵ですね」
窓の外には、美しい海が広がっている。
この景色を前にすると、人間の欲望など、なんと醜く、小さなものなのだろう。
咲代は、そんなことを思った。
「ごちそうさまでした。また来ますね」
店を出た、その瞬間だった。
スマートフォンが鳴った。
LINEを見ると、グループLINEに瑞穂からメッセージが届いていた。
『みんな元気?』
添えられていた写真には、翔とリュック、そして瑞穂が、釣った魚を手に笑っている姿が写っている。
幸子、コノハ、咲代は、ほぼ同時に――
「いいね」
と返信した。
すると、すぐに瑞穂から返事が届いた。
『次は出雲よ!』
三人はそれぞれの画面を見つめた。
そして――。
おばちゃん探偵団、一斉に。
『了解!』
人生という列車は、今日も走り続ける。
次の停車場は――出雲。
おばちゃん探偵団は、今日も行く!
おわり
おばちゃん探偵団はエピソード1はおわりました、
読んでくださった方ありがとうございます!
またの活躍おまちくださいね




