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第一話 死霊王の娘②

店主は二杯目のミルクティを用意してくれた。


「あの……二つのお礼って一体?」

「ふっふっふ。一つ目は、私のお命を救ってくれたお礼」


店主は部屋の外を指差した。ああ、古本の山を除けたお礼か。


「二つ目は、代金の未払いを見逃してくれたお礼」


店主は指で輪っかを作りぺこりと頭を下げた。


「弟さんに会わせてあげましょう。ただし、さっきも言ったように、死者を蘇らせることはできません。私にできるのは、死者の魂を一時的にこの世界に呼び戻すこと。そしてそれには、いくつかの条件がございます。あ、もちろん、八百屋さんのお命はいただきませんからご安心くださいねえ」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってください。私からお願いしといてなんですけど……本当にそんなことができるんですか? 信じがたいのですが」

「もちろん、できますよお」

「それは、あなたが魔法使いだから……?」

「ふっふっふ。まあまあ、半分正解ってとこですかねえ」


半分正解……? 一体どういうことなのだろうか。


「条件の話に戻りますよ。その一、会いたい人との思い出の品を持ってくること」


思い出の品。


「あります。このネックレスがそうです。アルベルトの10歳の誕生日に私がプレゼントしたもので」


今では、形見でもある。


「それは守り神、マスタードラゴンの形をしたネックレスですねえ。いやいや、お懐かしい」

「はい」


私は首元のネックレスを握った。


「条件その二、死者の魂を呼び戻せるのはたった一度きり。今日呼び戻してしまったら、二度とお会いすることはできません。それでもよろしければ、です」


たった一度きり。それでも、もう一度会えるなら。


「条件その三、魂をこの世界に抑留できる時間は最長で1時間。そして、1分につき10万ゴールドです」

「1分10万ゴールド?! 高っ!」

「ただぁし!」


バンッとテーブルを叩く。


「八百屋さんにはお礼をしなければなりませんから、今回は無償でやらせていただきます。出血大サービスですよお」


店主はミルクティに角砂糖を五つ入れ、スプーンでかき混ぜながら私に言った。


「条件はこの三つです。さあ、どうします? やりますか、やりませんか」


断る理由なんてどこにもなかった。会いたい。アルベルトに。会ってもう一度だけ話がしたい。


「お願いします」

「あいよう! 承りましたっ!」と店主は言い、引き出しから契約書と書かれた紙を取ると、テーブルの上に置いた。

契約書にはさっき言われた条件の他に、「ここでの出来事は他言無用である」、「死者に触れることはできない」、「呼び出しに応じるかどうかは死者の気持ち次第」など様々な説明書きがあった。全てチェックし終えた私はサインをし、店主に契約書を渡した。


「それではそれでは、お次はこちらでございやす」


今度は問診票と書かれた紙が置かれた。「死者の名前」、「生年月日」、「性別」の他、「死者との関係性」、「死亡日時」、「死亡理由」、「呼び出し理由」など、記入すべき項目は山のようにあった。

私は夢中で項目を埋めていった。薄暗い室内に雨音とペン先を走らせる音が響く。

この書類を書き終えたら、本当にアルベルトに会えるのだろうか。全部店主のいたずらで、私を揶揄っているだけなのではないだろうか。よくよく考えてみれば、魔法使いは何でもできる神様みたいな存在では決してない。ちょっと火を出せたり傷を治せたり、できることは限られている。まして死者の魂を呼び戻すなんて。一体どれほどの魔力が必要なのだろう。多分、私とほとんど年齢も変わらないであろうこの小さな店主に、そんなことが可能なのだろうか。

私は書類を書き終え、店主に手渡した。


「書類は揃いました。ではでは、覚悟はいいですねえ?」


それでも、可能性があるならば。


「お願いします」


私はもう一度だけ、アルベルトに会いたい。


「それでは……」


店主はテーブルに置いたネックレスを手に取ると、両手で優しく包み込み、おでこに当てがった。目を瞑り、祈るようにして呟く。


「魂の交信」


その瞬間、店主の足元から天井に向けて風が吹き上げた。ツインテールが浮き上がる。


「わっ!」


私は思わず体を仰け反る。テーブルがガタガタと揺れ、カップからミルクティが溢れる。


「彼岸の扉、開門」


店主が目を見開くと、部屋一面に眩い光が拡散した。風はさらに強く吹き、私は両手で顔を覆った。数秒後、光と風が止み、部屋に静寂が戻った。


「……」


手を顔から離し、恐る恐る目を開ける。正面には、店主が座っているだけだった。

やっぱり、そうだよね。死者と会えるわけなんか。


「それでは、ごゆっくりお話しください」と言って店主はカップを持って部屋を出ていった。

「えっ?」


隣に人の気配を感じる。


「姉ちゃん」


右を向くと、そこには確かにアルベルトの姿があった。


「アルベルト……」

「姉ちゃん、久しぶり」

「あ……ああ……」


両目からとめどなく涙が溢れ、やがて頬にこぼれ落ちた。視界がぼやけて姿が見えなくなる。本当に、本当にアルベルトがいる。姿だけじゃない。声、匂い、柔らかい空気感。全部が全部、本物のアルベルトだ。


「アルベルトッ!」


私は身を乗り出し、アルベルトを抱きしめようとした。


「わっ!」


私の体はアルベルトの胴体を通過し、ソファに倒れた。そうだ。呼び出した死者の魂に触れることはできないんだった。


「アルベルト……本当にあなたなのね」

「そうだよ。久しぶり。元気してた?」


私は袖で涙を拭き、頷いた。


「アルベルト、私……あのね」

「ごめんっ!」


アルベルトが頭を下げた。


「姉ちゃん、本当にごめん! 帰れなくて、本当にごめん! 俺、あの日、自分の力を証明したくって、魔物を倒そうと思って街を飛び出したんだ。スライムやゴブリンくらいだったら余裕で倒せるだろって思ってたんだけど、探しても探しても見つからなくって。それで森の方まで探検しているうちに、洞窟を見つけて。それで俺、洞窟で眠ってたリザードマンを起こしちまった」


アルベルトは太ももの上で拳を握りしめた。


「戦わなきゃって思ったけど、俺、怖くてさ。ビビって逃げ出したんだけど、街に着く直前に追いつかれて、それで……」


悔しさが顔に滲む。私は手を伸ばしてアルベルトの拳に触れようとしたけど、触れられないことを思い出して手を引いた。


「私があの時、この国を守る戦士になるってあなたの夢を頭ごなしに否定していなければ、あんなことにならなかった。父さんも母さんもいなくなって、私があなたを守らなければならなかったのに。私、あなたにずっと謝りたかった。守れなくてごめん。頼りないお姉ちゃんでごめんねって」


私は俯きながら言った。溢れた涙がメガネに落ちる。


「姉ちゃん。それは違うよ」

「え?」


私が顔を上げると、アルベルトが微笑んだ。


「俺の夢の話。この国を守る戦士になるなんて、一言も言ってないぜ? 俺はさ、強い戦士になって、姉ちゃんを守りたかったんだ。今までずっと守ってきてもらったからな」


アルベルトの手が伸びて、私の手と重なる。触れられない。でも確かな温もりを感じる。


「そばにいることはできなくなっちまったけどさ、これからは空から見守ってるよ。姉ちゃんに危険が迫ったら、そん時は俺、空から飛び降りて姉ちゃんのこと守るから」


私は声にならない声を上げ、ただその場で泣き続けた。時折アルベルトが「泣きすぎだろ」と茶化してきたけど、構わず泣き続けた。

それから私達はこれまでの3年間を埋めるように多くの話をした。スクー叔父さんの営む八百屋での日常。元戦士で靴職人のオルカ爺さんがぎっくり腰で引退した話。国王様が街の踊り子と浮気しているというゴシップ。相変わらずやりたいことも見つからない私の人生。アルベルトは全ての話を楽しそうに聞き、笑ってくれた。



どれくらいの時間が経っただろう。アルベルトの体が仄かに光だした。


「姉ちゃん。時間だ」

「……」

「そんな辛気臭い顔すんなよな。あっちでの生活もさ、意外と楽しいんだぜ? 父ちゃんと母ちゃんもいるしな」

「えっ! そうなの?!」

「ははは。冗談だよ」


アルベルトは一息ついた後、静かに言った。


「ずーっと眠ってる。あったかい日差しが体を包み込んでて、起きたい気持ちもあるんだけど、もう少しだけ寝てたいなって、そういう感覚だな」

「……」

「姉ちゃん」

「なに?」

「俺のこと呼んでくれて、ありがとな。最期、ちゃんと話せずじまいだったから」


光が増して全身が透けだす。

「もう行かなくちゃ」

「アルベルト……私、私、頑張るから! あなたの分まで一生懸命生きるから!」


アルベルトは微笑み、やがて光の粒子となって天に昇って行った。


ガチャッとドアが開き、店主が部屋に入ってきた。彼女は何も言わず、ただ私の前にミルクティの入ったカップを置いた。

私達はそれから黙って三杯目のミルクティをゆっくりと飲んだ。まるでつい先ほどの不思議な体験を噛み締めるかのように、ゆっくりと。



店を出ると、空は嘘のように晴れ渡っていた。


「店主さん」

「はいはい」

「ありがとうございました。弟に会わせてくれて」


彼女は満足そうに頷くと、ツインテールがぴょんと跳ねた。

彼女に対する、命と引き換えに、死者を蘇らせることができる魔法使いであるという妙な噂は真っ赤な嘘だった。真実は、死者の魂をこの世界に呼び戻すことができる魔法使い。彼女が何者なのかはわからない。だけど今日、私の心は、この人に救われた。

誰かを救う。そうだ。


「あの……店主さん」

「はいはい、なんでしょう」

「私を、この店で雇ってくれませんか?」


私もこの人のように、誰かを救える人間になりたい。私にとっての一生懸命に生きるとは、きっとそういうことなのだ。


「お願いしますっ! 私、約束したんです! あの子の分まで一生懸命に生きるって!」


彼女は髪をくるくる巻き、何やら考え事をした後、閃いたように目を見開いた。そして店内の本棚を指さすと、「埃、被りまくりですねえ」と言った。


続けて書類が積み重ねられたカウンターを指差す。


「整理整頓、できてませんねえ」


最後にミルクティを注ぐジェスチャーをして、「注ぎ方にはコツがあるんですよお」と言った。


「全部やります! 頑張ります!」

「ではでは、明日からよろしくお願いしますねえ。八百屋さん」


彼女は手を振り、店の奥へと戻っていく。


「あっ! 私、アガタって言います。あの、店主さん、お名前を教えてもらってもいいですか? あっ! それと、店主さんは一体、何者なんですか?」


彼女が振り返る。


「私の名はノクターン。ノクターン・ネクロス。かつて魔王の手先として世界を恐怖のどん底に陥れた七災が一人、死霊王ネクロスの娘ですよお」


八重歯を見せながら笑った。

伝説の魔物、七災、死霊王ネクロス……まさか娘がいたなんて!

半分正解って、まさか、そういう!


「契約書にサインをいただきましたからねえ。ここで起こったことは他言無用。まあ、喋ろうったって喋れないようにはなっていますが」


私は、とんでもない魔法使いと契約を結んでしまったのかもしれない。


店先のアスファルトに溜まった水溜りに古書ネクロスの看板が反射していた。これからの生活への不安と期待が同時に押し寄せてきてたまらなくなり、私は自宅に向かって走り出した。でも、これはきっと逃げ足ではない。

これはきっと、明日への駆け足だ。

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